第15話 もう一回、お願いできますか
「本番いきます!」
スタジオに声が響いた。私は教室の自分の席に座っている。目の前にはカメラ。周囲にはクラスメイト役。
教室には主人公と友人がいる。
少し離れたところに桐生さん。さっきまで何度か段取りを繰り返した。もう「テレビで見る人がいる」という驚きは、最初ほど強くない。代わりに、別の緊張が増えていた。
本当に撮る。これが放送される。
「音、お願いします」
「はい」
「カメラ」
「回ってます」
「本番!」
カチン。空気が変わる。
「よーい」
一瞬。
「スタート」
主人公たちの会話から始まる。『だから、もういいって』 『よくないだろ』 『忘れてたんだからしょうがないじゃん』
『しょうがなくないだろ』 険悪。
私は席から立ち上がる。『はいはい、そこまで』 二人を見る。『二人とも声大きい。廊下まで聞こえてたよ』
『お前には関係ない』 少しだけ、むっとする。でも顔には出しすぎない。『うん、関係ない』
そこで笑う。『でも怖いんだもん』 『何が』 『明日から同じクラスで気まずくされるの』
主人公が少し目を逸らす。私はそれを受ける。『だから今日は帰って、明日また喧嘩して』 『何それ』
『今日よりちょっと冷静だから』 主人公が小さく笑った。空気が緩む。そこで、扉が開く。
『何やってんの』 桐生さん。
今度はさっきほど驚かなかった。でも、声が入った瞬間。視線が自然にそちらへ向く。桐生さんは教室全体を見る。
それから私たち。『廊下まで聞こえてる』 私の台詞と少し重なる言葉。私は思わず苦笑する。
『ほら』 台本にはない。でも自然に出た。主人公がこちらを見る。
『だから言ったじゃん』 それも続けた。監督は止めない。桐生さんがほんの少しだけ私を見る。
『先生来る前に終わらせろよ』 それから主人公たちへ、空気が締まる。シーン終了。
「カット!」
声が飛ぶ。私は息を吐いた。
「どうです?」
監督がモニターを見る。スタッフが集まる。
「桜井さん」
「はい」
「今の『ほら』、足した?」
「はい」
「何で?」
「桐生さんの台詞が、私がさっき言ったことと同じだったので」
「それで?」
「女子生徒からすると『だから言ったでしょ』になるかなって」
「なるほど」
「すみません、勝手に」
「いや、別にいい」
監督がもう一度モニターを見る。
「自然だった」
「ありがとうございます」
胸が少し軽くなる。
「じゃあ次、もう一回」
「はい」
「今度は台本通りで」
「分かりました」
◇
二回目。三回目。
少しずつ変わる。立ち位置。
目線の置き方と台詞の間を少しずつ変えていく。
カメラ位置。同じ場面なのに、まったく同じにはならない。私はそれが面白くて仕方なかった。
「桜井さん、今の目線もうちょい早く」
「はい」
「主人公見てから桐生さん」
「はい」
「桐生さん、次ちょっと中入ります」
「分かりました」
カメラが移動する。照明が調整される。その間、私は自分の位置を確認した。
「ここで合ってます?」
スタッフに聞く。
「うん。もう半歩後ろ」
「はい」
「そこ」
待つ。撮る。
また待つ。撮る。
不思議だった。アイドルのMV撮影も、何度も同じ曲を撮る。でもドラマは違う。一回ごとに、相手の台詞や目線の温度が少し変わる。
そこへ自分が返す。その積み重ねで、同じ台本なのに違うものになる。
「楽しい……」
つい小さく言った。
「何が?」
横から声をかけられ、振り向く。
桐生さん。
「え」
「楽しいって」
「聞こえてました?」
「近いから」
「すみません」
「何で謝るんですか」
「独り言だったので」
「撮影好き?」
「好きです」
即答した。桐生さんが少しだけ眉を動かす。
「映像、初めてなんですよね」
「ほぼ初めてです」
「疲れない?」
「疲れます」
「ですよね」
「でも」
私はスタジオを見る。
「面白いです」
「へえ」
「同じ台詞なのに、毎回違うので」
「それ普通ですよ」
「今まで知らなかったので」
「舞台は?」
「小さいのを少し」
「じゃあ映像の間、慣れないでしょ」
「難しいです」
「さっきも動き大きかった」
「見てたんですか?」
「同じシーンだから」
当然だった。
「すみません」
「だから謝る話じゃないです」
「癖です」
「謝るのが?」
「たぶん」
「直した方がいいですよ」
さらっと言われた。
「そんなにはっきり」
「仕事で謝る必要ないところで謝ると、相手も困るから」
「……はい」
「また謝ろうとした」
「してないです」
「顔が」
「顔で分かるんですか」
「分かります」
そこでスタッフから声がかかった。
「桐生さん、次お願いします」
「はい」
桐生さんはすぐ仕事の顔に戻る。
「じゃあ」
「あ、はい」
去っていく。私は少しだけ、その背中を見ていた。テレビの人。という感じは、さっきより少し薄くなった。
怖そうな人。という印象も、でも、まだ遠い。
◇
「次、桐生さん寄りから」
撮影は続く。今度はカメラが桐生さん側。私たちは背景に近い。
「桜井さん、今度あんまり芝居しすぎなくていいよ」
監督が言う。
「はい」
「後ろで会話聞いてる程度」
「分かりました」
「でも死なない」
「死なない?」
「画面から存在消さない」
「難しい」
「そこが仕事」
また一つ新しい。主役ではない。台詞もない。でも画面の中にはいる。
何もしていないようで、そこにいる。どうすればいいんだろう。本番、桐生さんが主人公と話す。私は後ろで友人と片付けをしている。
台詞は聞く。でも聞いている顔をしすぎない。少しだけ反応する。相手役の子と目を合わせる。
それだけ。
「カット」
監督がモニターを見る。
「桜井さん」
「はい」
「今いい」
「本当ですか?」
「後ろでちゃんと生きてた」
「ありがとうございます」
嬉しい。台詞を褒められるのとは違う。何でもない動きを見てもらえた。
◇
次の場面。今度は私の台詞が一つだけある。主人公が教室を出る。残った桐生さんの役に、私が声をかける。
『あの』 それだけ、そのあと、『さっき、ありがとうございました』 合計二言。
役としては、クラスの上級生か教育実習生か、少し大人側の立場にいる桐生さんへ礼を言う場面だった。
「一回合わせます」
「はい」
立つ。向かい合う。近い。
さっきの集団シーンより、ずっと近い。
「お願いします」
「お願いします」
始まる。『あの』 桐生さんが振り向く。『何?』
私は少しだけ呼吸を止める。この役は、さっき喧嘩を止めてもらった。安心した。
でも大人っぽい相手には少し緊張する。『さっき、ありがとうございました』 『別に』 『でも』
『君が先に止めてたでしょ』 台本にある。私はその言葉を受ける。『全然止まってなかったですけど』
『止めようとはしてた』 桐生さんが少しだけ笑う。その笑いが予想より柔らかかった。私は、つられて笑った。
『……じゃあ、半分だけありがとうございます』 『何それ』 そこで終了。
「はい」
監督が言う。終わり。
でも。
「桐生さん」
別の声。本人だった。
「今の、もう一回お願いできますか」
一瞬、全員が少し止まった。
「どこ?」
監督が聞く。
「桜井さんとのところ」
心臓が跳ねる。
「何かあった?」
「いや」
桐生さんが私を見る。
「今のが良かったから、別のも見たいです」
意味を理解するまで、数秒かかった。
「私?」
「はい」
監督が面白そうに笑う。
「じゃあやる?」
「お願いします」
急に喉が乾く。
「桜井さん」
「はい!」
「緊張した?」
「しました」
「さっきまで平気だったのに」
「急に言われたので」
「じゃあ条件変えよう」
「はい」
「今度」
監督が少し考える。
「桐生さんの役が、さっき主人公をかなり強く叱ったことにして」
「はい」
「女子生徒は少し怖がってる」
「はい」
「でも礼は言いたい」
「分かりました」
「台詞は同じ」
「はい」
「じゃあ」
位置へ戻る。桐生さんを見る。さっきまでとは違う。怖い。
本当は近づきたくない。でも、言わないで帰るのも違う。
「お願いします」
「お願いします」
始まる。桐生さんは背を向けている。私は一歩近づく。止まる。
『……あの』 声が、少し小さくなった。桐生さんが振り返る。『何?』
強くない。でも私は少し肩に力を入れる。『さっき、ありがとうございました』 『別に』
『でも』 『君が先に止めてたでしょ』 そこで、私は少しだけ桐生さんを見る。怖いと思っていたのに、ちゃんと自分のことも見ていた人だった。
その驚きを受ける。『……全然止まってなかったですけど』 『止めようとはしてた』 ほんの少しだけ、桐生さんの表情が緩む。
今度はすぐ笑わない。少し待つ。
それから、『じゃあ』 一度息を吸う。『半分だけ、ありがとうございます』 『何それ』
今度は自然に笑えた。
「カット」
静かになる。監督がモニターを見る。
「なるほどね」
私は動けない。
「桜井さん」
「はい」
「今の方がいい」
「ありがとうございます」
「最初より、相手見て変わった」
「はい」
「桐生さんが言いたかったのそれ?」
監督が聞く。
「たぶん」
桐生さんは短く答えた。
「最初の時も、俺が笑ったらそのまま笑ったから」
「はい」
「でも作って返してる感じがなかった」
私は何も言えなかった。
「反応が速いっていうより」
桐生さんが少し考える。
「ちゃんと相手見てる」
琴葉の言葉と重なった。――相手見てる感じがする。胸が熱くなる。
「ありがとうございます」
今度は、謝らなかった。桐生さんがほんの少しだけ頷いた。
◇
撮影終了。
「お疲れさまでした!」
「お疲れさまでした!」
最後に頭を下げると、長かった一日がようやく終わった。
長かった。でも、終わってしまうと短い。佐伯さんが近づいてくる。
「どうだった?」
「楽しかったです」
「知ってた」
「何でみんなそれ言うんですか」
「顔」
「また」
「あと」
「はい?」
「監督から話あった」
「何ですか?」
「今日、予定よりちょっと陽葵のカット増えるかも」
「え」
「まだ編集次第だけど」
「どうして?」
「現場で使えるって判断されたからでしょ」
「本当に?」
「浮かれない」
「今くらい浮かれていいですよね?」
「五分なら」
「短!」
「あと、桐生さんがもう一回って言ったのも効いたかもね」
心臓がまた少し速くなる。
「でも勘違いしない」
「はい」
「桐生さんが仕事取ってくれるわけじゃない」
「分かってます」
「今日評価したのは監督と制作」
「はい」
「そこ大事」
「はい」
「でも」
佐伯さんが少し笑う。
「人気俳優に芝居でもう一回見たいって言わせたのは、普通に良かったんじゃない」
私は答えられなかった。
「嬉しい?」
「……はい」
「顔」
「分かってます!」
◇
帰り道でグループPingを開く。【陽葵:終わった】 一秒、【杏奈:桐生蓮は!?】
【陽葵:第一声それ?】 【美月:撮影どうだった?】 【陽葵:楽しかった】 【琴葉:知ってた】
【沙耶:ちゃんと食べた?】 【陽葵:食べた】 【杏奈:で桐生蓮は!?】 【陽葵:芝居した】
【杏奈:!!!!】 【陽葵:あともう一回やりたいって言われた】 送った。
数秒。【杏奈:は??????】 【美月:どういうこと?】 【琴葉:陽葵の芝居を?】
【陽葵:うん】 【沙耶:すごいじゃん】 【杏奈:恋!?】 【陽葵:違う!!!】
【美月:仕事でしょ】 【杏奈:分かってるけど!】 【陽葵:絶対分かってない】 【琴葉:何て言われた?】
私は少し考える。【陽葵:ちゃんと相手見てるって】 送信。
琴葉からすぐ返る。【琴葉:ほら】 笑ってしまった。【陽葵:琴葉も前言ってた】
【琴葉:うん】 【美月:じゃあ本当にそこが強いんだね】 そこ。
自分では気づいていなかったもの、私は演技が好きだ。でも、何ができるのかは、まだ分からなかった。少しだけ、形が見え始めた気がする。相手を見る。
受ける。返す。
それだけ、でも、それが私の武器なのかもしれない。スマートフォンがもう一度震えた。佐伯さんから、【佐伯:監督より。編集次第だが、予定になかった台詞追加の可能性あり】 私は立ち止まった。
初めてのドラマ。名前のない役。たった一日の撮影、それでも、まだ終わっていなかった。
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