第13話 名前のない役
「陽葵」
「うん?」
「スマホ、三十秒で四回見た」
「そんな見てない」
「見た」
「琴葉、数えてたの?」
「暇だったから」
「もっと別のことして」
事務所のレッスン室。私は床に座ったまま、またスマートフォンへ手を伸ばしかけて、途中で止めた。
「ほら五回目」
「まだ見てない!」
「触ろうとした」
「未遂!」
「同じ」
「同じじゃない!」
朝からずっと、この調子だった。ドラマオーディションの最終審査を受けて三日。結果は「数日以内」と言われている。
つまり今日かもしれないし、明日かもしれない。昨日かもしれなかった。でも昨日は来なかった。
「陽葵、今日はライブだからね」
鏡の前で髪をまとめながら、美月が言う。
「分かってる」
「本番中に結果来てもスマホ見られないよ」
「分かってる」
「じゃあ今から見ても同じじゃん」
「違うよ」
「何が?」
「今なら見られる」
「だから何」
「来てるかもしれない」
「来てなかったら?」
「また見る」
「病気だ」
「美月だって自分の仕事だったら見るでしょ!」
「見るけど、陽葵ほどじゃない」
「絶対嘘」
「本当」
「センターだから?」
「これは関係ない」
美月が笑った。その横を杏奈が通り過ぎる。
「私なら通知音最大にする」
「それはそれで嫌」
「特殊音にしようよ。合格ならファンファーレ」
「連絡来る前から分かるの?」
「佐伯さんに頼む」
「絶対やめて」
「落選なら?」
「その設定いらない!」
「でも芸能人って結果待つ時間長いね」
杏奈が床に座る。
「オーディション終わって、その場で発表すればいいのに」
「学校のテストじゃないんだから」
沙耶が言う。
「いろいろ確認あるんでしょ」
「何を?」
「スケジュールとか、他の役とのバランスとか」
「陽葵が一番演技うまかったら陽葵でいいじゃん」
「そうじゃないって、この前教えてもらった」
私は答える。
「役に合うとか、画面に並べた時とか」
「面倒だなあ」
「杏奈だったら審査する側一日で辞めそう」
「私は直感で決める!」
「一番危ない」
「ひど!」
少し笑う。こうしていると忘れられる。一分くらい。
でもまた思い出す。受かったのか。落ちたのか。
あの場面は良かったのか。もう少しカメラを意識した方がよかったのか。最後の即興はやりすぎだったのか。
「陽葵」
沙耶が呼ぶ。
「何?」
「顔怖い」
「え」
「今また一人で反省会してたでしょ」
「……してた」
「結果出てからにしな」
「それ佐伯さんにも言われそう」
「じゃあ正しいんじゃない?」
そのとき。レッスン室の扉が開いた。
「何が正しいの?」
佐伯さん。私は反射的に立ち上がった。
「来た!」
「何が?」
「結果!」
「まだ何も言ってないけど」
「その顔は結果持ってる顔!」
「どんな顔よ」
佐伯さんは呆れたように笑った。でも、手にはタブレットを持っている。心臓が急に速くなる。
「陽葵」
「はい」
「座って」
「立って聞きます」
「何で」
「分かりません」
「じゃあ好きにして」
四人も何となく静かになった。杏奈まで黙っている。
「先に確認」
佐伯さんが言う。
「今回の役、当初の資料から少し変更になった」
「変更?」
「役名がなくなった」
「え」
一瞬、意味が分からなかった。
「役がなくなった?」
「違う。役名」
「あ」
「小林由衣として出す予定だったけど、構成変わってクラスメイト役として統合された」
「じゃあ」
「台詞はある。二場面。撮影は一日予定」
「はい」
「出演自体は残ってる」
そこまで聞いて。でも佐伯さんがまだ結果を言っていないことに気づく。
「それで?」
「うん」
佐伯さんが私を見る。
「受かったよ」
頭が真っ白になった。
「……え」
「陽葵、採用」
「本当に?」
「本当」
「ドラマ?」
「そう」
「私?」
「他に誰がいるの」
「待って」
杏奈が先に叫んだ。
「受かったの!?」
「受かった」
「うわあああ!」
「ちょっと!」
杏奈が飛びついてくる。肩を掴まれる。
「ドラマ! ドラマ! ドラマ!」
「揺らさないで!」
「陽葵ドラマ出る!」
「まだ私も理解してない!」
「理解しなくていい! 出る!」
「杏奈うるさい!」
美月まで笑いながら立ち上がった。
「本当に?」
「うん」
「やったじゃん!」
「うん」
「陽葵!」
「うん!」
何を返せばいいか分からない。嬉しい。
でも、嬉しさが大きすぎて、まだ身体の中に収まっていない。沙耶が笑う。
「おめでとう」
「ありがとう」
「ちゃんと役取ったね」
「うん」
琴葉が私を見る。
「嬉しい?」
「……うん」
「顔、変」
「泣くか笑うか決まってない顔」
美月が言う。
「だって」
私は口元を押さえた。
「本当にドラマなんだよ?」
「さっきからそう言ってる」
「テレビに出るんだよ?」
「そうだね」
「私が?」
「だから誰だと思ってたの」
美月が笑う。そこでやっと、実感が少し追いついた。
「やった……」
声にした瞬間。涙が出そうになった。
「待って、泣く?」
杏奈がスマートフォンを構える。
「撮るな!」
「記念!」
「今は嫌!」
「陽葵、泣いてからにして」
「美月まで!」
「じゃあ集合写真」
「まだ仕事の発表前だから外出せない!」
沙耶が止める。
「あ、そうだった」
「学習して」
「でもグループ内保存なら?」
「それはいいんじゃない?」
「撮ろう!」
「話早い!」
五人で鏡の前へ集まる。いつものように美月が私の髪を直す。
「今?」
「泣きそうでぐちゃぐちゃ」
「まだ泣いてない」
「顔が泣いてる」
「じゃあ笑って」
杏奈がスマートフォンを持つ。
「初ドラマ決定記念!」
「声大きい!」
「はい、チーズ!」
撮られた写真を画面で確認する。私はやっぱり変な顔をしていた。
でも、四人が笑っていた。それでよかった。
◇
「役名ないんだ」
少し落ち着いたあと、改めて資料を見る。
「そう」
佐伯さんが答える。
「エンドロールは?」
「『女子生徒』になる可能性が高い」
「女子生徒」
「嫌?」
「嫌じゃないです」
即答した。
「むしろ」
「うん?」
「すごいです」
「何が?」
「名前なくてもドラマ出られるんだなって」
「変な感動の仕方ね」
「だって、本当に一番下からじゃないですか」
「まあね」
佐伯さんが頷く。
「ここは勘違いしないで」
「はい」
「オーディション最終まで行って、ちゃんと取った。そこは実績」
「はい」
「でも業界的には、本当に小さい役」
「はい」
「この一本で女優になったと思わない」
「思いません」
「現場行ったら、陽葵のこと知らない人の方が圧倒的に多い」
「はい」
「演技企画の動画なんて見てない人もいる」
「はい」
「アイドルだから呼ばれたと思う人もいるかもしれない」
胸が少しだけ締まる。
「はい」
「それでもやる?」
「やります」
「即答」
「やりたいです」
佐伯さんは少し笑った。
「ならいい」
「撮影いつですか?」
「来週」
「来週!?」
「スケジュール出た」
資料をめくる。
「朝早いね」
沙耶が覗く。
「五時半集合?」
「テレビ局?」
「一部ロケ、そのあと局内セット」
「五時半!」
杏奈が反応する。
「私、その時間たぶん寝てる」
「知らないよ」
「陽葵起きられる?」
「起きるよ!」
「起こそうか?」
「杏奈に頼んだら一緒に寝坊しそう」
「信用!」
「実績」
沙耶が言う。
「みんな私への当たり強くない?」
◇
昼休憩。私は一人で廊下へ出た。まだ誰にも発表できない。
当然、Talkyにも書けない。でも、一人だけ、連絡してもいいかなと思った。朝倉奈々。
【陽葵:結果来た?】 送る。
少しして。【奈々:来た】 指が止まる。
【陽葵:どうだった?】 【奈々:落ちた】 胸がきゅっとなった。
【陽葵:そっか】 何を書けばいいか分からない。お疲れ。
残念。また次、全部違う気がする。その間に、奈々から次が来た。
【奈々:陽葵は?】 私は一度深呼吸した。【陽葵:受かった】
既読がついてから数秒後、
【奈々:うわ】 【奈々:悔しい】 正直だった。
【陽葵:うん】 【奈々:でもおめでとう】 【陽葵:ありがとう】
【奈々:ちゃんと取ったじゃん】 【陽葵:役名なくなった】 【奈々:それでも仕事】
【陽葵:うん】 【奈々:次は私が取る】 笑った。
【陽葵:私も負けない】 【奈々:次同じ案件だったら覚えとけ】 【陽葵:怖】
そこで会話が終わる。気まずくならなかった。負けた奈々が悔しいと言う。
勝った私がおめでとうと言ってもらう。それでいいのかもしれない。
◇
もう一人、連絡をくれたのは高瀬さんだった。
オーディションの結果を聞いていいと言っていた。でも、自分から送るのも少し変かなと思っていたら。先に来た。
【高瀬湊:結果出ました?】 タイミングが良すぎる。【陽葵:今出ました】
【高瀬湊:どうでした】 【陽葵:受かりました】 送る。
一秒、二秒。【高瀬湊:おお】 【高瀬湊:おめでとう】
【陽葵:ありがとうございます】 【高瀬湊:ドラマデビュー?】 【陽葵:役名ないです】
【高瀬湊:でもドラマでしょ】 【陽葵:はい】 【高瀬湊:じゃあすごいじゃないですか】
奈々と同じ。でも言い方が違う。【陽葵:嬉しいです】
【高瀬湊:でしょうね】 【陽葵:何で分かるんですか】 【高瀬湊:今たぶんめちゃくちゃ顔に出てる】
思わず自分の頬を触った。【陽葵:見えてないのに】 【高瀬湊:想像】
【陽葵:失礼】 【高瀬湊:褒めてます】 【陽葵:その言葉信用できない】
【高瀬湊:何で】 【陽葵:メンバーがよく使うので】 少しして。
【高瀬湊:じゃあ普通に】 【高瀬湊:よかったですね】 それだけ、でも、胸の奥が少し暖かくなった。
◇
夕方、いつものライブ。私がドラマに受かったことを、客席はまだ誰も知らない。告知は後日。
だから今日も、私はいつもの黄色い衣装でステージに立つ。
「今日初めての人ー!」
杏奈が客席へ聞くと、いくつも手が上がる。
「ありがとう!」
私は笑う。ほんの数時間前。役を取った。
ドラマに出る。それでもステージの上では、いつも通りだ。美月の後ろ。
琴葉の歌と、客席を見ている沙耶の視線が入る。
杏奈が暴走気味に煽り、客席が笑う。
いつもの全部がある中、MCの途中で美月がこちらを見た。美月が私を見る。
「陽葵、今日なんか機嫌いいね」
「え」
「ずっと笑ってる」
「いつも笑ってるよ!」
「今日ちょっと多い」
「いいことあったんじゃない?」
杏奈がニヤニヤする。
「言っていいの?」
「駄目!」
客席がざわつく。
「何何?」
「何かある?」
「まだ内緒です!」
私は慌ててマイクを上げた。
「そのうち言えることがあるかもしれないし、ないかもしれません!」
「逃げた!」
美月が笑う。
「大人の事情です!」
客席も笑う。私はそれを見ながら思った。早く言いたい。
ドラマには出るけれど役名はなく、台詞は少しで撮影も一日だけだ。
それでも、私は自分でオーディションを受けて。自分で一つの役を取った。ステージを降りたら。
次は撮影現場だ。私がずっと行きたかった場所へ、本当に一歩、入ることになった。
読んでくださりありがとうございます!
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