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【魔王は紅茶を愛した】光の王子はひとつの「魔法」で世界を支配し、そして魔王と呼ばれた。  作者: 鈴木井蛙
第1巻

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第8話

 エミルは今日も馬車に揺られていた。

 ルシアンの依頼で、王宮を訪れることになっていたのだ。いくつかの書簡を届ける一方で、セレナに内部を案内してもらう段取りをつけておいたとのことだった。


 エミル「……そのうち、トイレ掃除まで執政官の職務である……とか言い出すんじゃないだろうな。」


 宮廷魔術師だった時には王宮へ毎日のように通っていたので、正直なところルシアンの意図は分からないままでいた。だが、馬車の時間はそれなりに気に入っていたので、少し乗り気ではあった。揺られながらあれこれ考えると、机の上では困難だと思っていた論題に答えが見つかる事が多いのだ。


 エミル「……変わらないな。」


 エミルにとっては、数年ぶりの登城であった。なだらかな丘の上に建てられた王城は、城門からゆっくり螺旋を描きながら登城者を迎える。登りきった頂上が王の住む天守であるが、エミルの目的地は途中の建物であった。

 王城専用の礼拝堂。王族や城に仕えるもの達の専用施設であり、典礼や音楽会が催される文化施設でもある。エミルがついた時には、すでに結びの聖歌が歌われている頃合いだった。

 エミルは扉からすぐの席に座った。壇上ではセレナがハープを奏でながら、祝福の言葉を紡いでいた。歌っている時のセレナは普段の時とはまるで違い、気品に満ち、洗練された佇まいだった。

 皆彼女の歌声に聴き惚れていた。涙を流すものさえいる。ローブを纏った僧侶も、下女達もセレナから目を外せなかった。そして聖歌が終わると、神官が登壇し説法で締めくくりはじめた。

 一言か二言、神官が言い終えるところでセレナは礼拝堂の隅に座っていたエミルと目が合った。


 セレナ「……あー! エミルー、時間通りー!」


 礼拝者たちは一斉にエミルの方を振り返った。エミルは恥ずかしさのあまり、姿を隠すように椅子からずり落ちるしかなかった。


 セレナ。輝くような金髪は腰まで伸びており、彼女が振り返るたびに光を放っているかのようだった。宝石のような青い目は見るものを吸い込むように捉え、小鳥の囀りのような声は聞くものの魂をくすぐる心地だった。エミルが宮廷魔術師だった頃に彼女の噂を聞いたことはあったが、こうしてエルフを間近で見るのは初めてに近かったので、美術品を眺めているかのような高揚感が湧き上がっていた。


 祈りの時間が終わり、誰もいなくなった礼拝堂にセレナの声がこだました。


 セレナ「エミルも司祭さまだったっけ。」


 エミル「ついこの間までですよ。今は”執政官”です。」


 セレナ「あはは、いやなの? 執政官。」


 エミルが肩書に込めた僅かな炎を、セレナは明るく笑い飛ばした。


 セレナ「おーさまから、礼拝堂とか案内してって言われてるんだけど……。」


 エミル「そうですね、私もそう聞いています。」


 セレナもさすがに今さら宮廷を紹介することに困惑しているようだった。


 セレナ「……なんかごめんなんだけど、あたし神様とかあんま信じてなくてさ……。だから、今日は”あたしにはこう見えてる”っていう話だと思ってね。」


 エミル「気にしないでください。”元”司祭ですから。」


 エミルは「深く考えすぎずに」という意味で返事をした。だが、セレナの言うことにじわじわと興味が湧いてきたのは本当だった。


 エミル(セレナには……エルフには何がどう見えている……か。)


 セレナ「……あたしあんまり教会とかピンと来ないんだよね。教えだと、太陽がえらーい神様で、そのほかの部下がいっぱいいるわけでしょ?」


 セレナは教会のステンドグラスを指差しながら、語りはじめた。


 エミル「そうですね。一番上で輝いているのが、太陽神アシャルです。」

 

 エミルが苦笑いをしながら補足を入れる。


 セレナ「あっでもね、礼拝堂は落ち着く場所だと思うよ。森の中にいるみたいで、故郷を思い出すな。」


 エミル「柱は森の木立ち。ステンドグラスは木漏れ日をイメージしているそうです。これは、森のムーンエルフたちの文化を取り入れたと聞いています。だからかもしれませんね。」


 エルフは北方領のさらにずっと北に住まう民である。美しい金髪を持ち、青い目のエルフはムーンエルフと呼ばれている。薬草や香草など森の秘術に明るく、楽器と歌とを愛し、弓で外敵を追い払う神秘の民である。


 セレナ「ムーンエルフ、じゃなくて”ベラール”ね!」


 そしてややこしいことに、ムーンエルフという呼び名はジュラーム王国が区別のために付けたものだということだった。

 彼らは自分たちのことをそう呼んでいない。ただ、日常的にわざわざ訂正はしない。訂正したとしても、次の日には戻っているからだ。エルフと王国民達の間には、実際には深刻な溝が存在しているのである。


 エミル「これは……大変失礼しました。」


 セレナ「ここにいる間はムーンエルフでいいよ。そこまで嫌いじゃないから、あたしはね。」


 エミルは、自分の無神経を恥じた。と同時に、セレナのバランス感覚に感心した。正直、なんだか掴みどころのない女性だなと思っていたが、価値観に対する繊細さと寛容さが際立っているように感じられた。


 セレナ「……でも、あれはやっぱり気になっちゃうかな。」


 礼拝堂の壁にかけられた、綺麗な刺繍の掛け物を見てセレナが苦笑いをした。


 セレナ「ベラールはね、自分たちの住む森ごとに紋章を決めてるの。だから、こんな風にいろんなシンボルの刺繍が並ぶことは……めったにないんだよね。」


 エミル「……そうだったんですか。」


 エミルには、さっきまでとは全く違う世界が見えはじめていた。ムーンエルフの刺繍をただの工芸品としか見て来なかったが、あれらは彼らにとっては誇りそのものなのだ。先程までしたり顔で礼拝堂について話していた自分が急に恥ずかしくなってしまった。


 セレナ「森には太陽神の教えはなかったけど、色んな儀式はあったから……あたしは教会の歌は好きかな。言葉も旋律も違うけど、同じ響きがある気がする。」


 エミル「同じ響き……ですか。」


 エミルは座るのも忘れて話に聞き惚れていた。


 セレナ「あたしね、お祈りって愛する人を失った心を癒すものだと思ってるの。お墓にお花を添えるのも、その人が使ってた机をそのままにしておくのもそう。先に行ってしまった人じゃなくて、見送った人のための儀式なの。だから美しいんだと思う。」


 エミル「……。」


 エミルの心には、その言葉が沁みた。自分が聖典を読んで聞かせていた時のことを思い出していた。


 エミル「セレナ殿……ありがとうございます。殿下が私を遣わせた理由がわかりました。」


 セレナ「えー! なんか役に立てた?」


 セレナは困惑した顔をしてあた。そしてかきあげた髪の合間から、耳飾りが光った。エミルにはそれが何なのか、分かるようになっていた。


 エミル「……もしかして、その耳飾りはセレナ殿の森の……?」


 セレナ「あっそーなの! あたしの森の紋章! かわいーでしょ、これ特別に頼んで作ってもらったんだ。」


 そこには植物を模ったであろう意匠があしらわれていた。


 セレナ「ベラールたちはね、あんまり森から出たがらないんだけど……あたしはちょっと違ったみたい。パパが町まで薬を売りに行く仕事してて、帰りにめずらしいもの買ってきてくれてさ。もーあたし、それがやばい楽しくて……ぜったい大人になったら町に行くって。お前は草原のエルフみたいだなって、よく笑われたな〜。」


 セレナは優しく微笑みながら耳飾りをそっと触った。


 セレナ「でもね、森も忘れたくなかった。あたしの根っこは森だから。ママから教わったハープも、ばぁばから教わった歌も。みんなあたしの一部。ベラールはおっきな木で、あたしはその枝の花! これは、それを思い出すための耳飾りなの。」


 エミルはその話にすっかり耳を奪われていた。歌うように喋るセレナの語り口と、外側から決めつけていた固定観念が崩れていく感覚が、たまらなく心地よかったのだ。


 エミル「セレナ殿の声と楽器は、まるで魔法のように人を惹きつけますね。」


 エミルは笑顔で、何の狙いもない素直な感想を述べた。


 セレナ「あはは、ありがと! ……あ、ごめん、あたし練習しなきゃ!」


 セレナは思い出したようにハープを弾きだした。エミルは一礼すると刺繍の掛け物を眺めながらゆっくり入り口まで戻った。そして礼拝堂を出たエミルは、ちょうど正面の中庭に聞き覚えのある赤薔薇を見つけた。


 エミル「……王妃の花壇。」


 宮廷魔術師をしている時にもこの花壇はあったのだろうか。確か無かった気がするのだが、どのみちあの時の自分は気が張り詰めすぎていて見れていなかっただろうなと、エミルは自分の記憶を辿っていた。

 近くに園芸師がちょうど仕事をしていたので、タウリの居場所を尋ねることができた。どうやら彼は城門の近く、下男たちの休憩所にいるらしいということがわかった。

 さっそく門へ足を運ぶと、一瞬入り口に迷ったものの、日陰にそれらしき建物を見つけた。恐る恐る入り口から中を覗き見ると、ちょうど休憩中のタウリと目が合った。タウリは急いで立ち上がって、服の砂を払った。


 タウリ。ハーフオークの若者で、短い茶髪に濃い褐色の肌。エミルも身長がある方だが、それを頭ひとつ追い越す堂々とした体格。丸太のような腕と足は、惚れ惚れとするような力強さを感じさせた。


 タウリ「エミルさま? すみません、こんなところまで……。」


 休憩所にはタウリしかいなかった。石造りのおかげかひんやりと涼しく、造園の傍らで休むにはぴったりの場所のように思われた。汗を落ち着かせていたタウリは、エミルを見ると立ち上がった。そして自分の座っていたイスをエミルに差し出した。


 エミル「ああ、やめてください、タウリ殿。どうぞ気にせず。」


 エミルはイスをタウリの近くに押し戻した。


 タウリ「領主様がお呼びですか? それか、なにかご入用でも……。」


 タウリはおずおずと尋ねながら、椅子をエミルに寄せた。


 エミル「王宮へ書簡を届けるついでに、セレナ殿とタウリ殿のご様子をと 領主様から頼まれていまして。」


 エミルはタウリに椅子を寄せた。


 タウリ「……領主様のお心遣い、感謝します。」


 タウリはしみじみと言いながら、エミルに椅子を寄せた。エミルは椅子の反対側を掴むと、タウリに椅子を寄せた。寄せては引き、引いては寄せ、しばしの間椅子の押し合いが続いたのだった。

 タウリの花をもっと見てみたいということで、椅子の押し合いは一旦の決着を見た。二人は城壁の外へ出て、外縁部分の丘を眺めながら歩いた。


 エミル「……タウリ殿が花と出会ったきっかけを聞いても?」


 タウリ「……僕の村は、北西の寒村でした。」


 タウリは照れくさそうに話し始めた。


 タウリ「村の男達は腕っぷしが全てで……それも大事なのは分かってるんです。だけど、僕にはつるはしも剣も馴染まなかった。」


 タウリは喋りながらも、時々しゃがみこんで花を見ていた。


 タウリ「そんな時、荒野に咲いたツツジを見つけました。薄紫とピンクの小さなツツジです。」


 タウリは笑顔をほころばせた。


 タウリ「僕は周囲に笑われながら、花壇を作り始めました。花をめちゃくちゃにされたこともありました。でもずっと続けました。花が好きだったから。」


 エミル「……。」


 エミルはいつしか、自分とタウリの影を重ねていた。


 タウリ「それから数年……でしょうか。僕のもとに手紙が届きました。お前の花を欲しがってる人がいる、と。びっくりしましたよ。」


 タウリは照れくさそうに笑った。


 タウリ「それが今の宮廷園芸長です。僕の育てた薔薇をみそめたご婦人がいらっしゃったようでした。」


 エミルはいつしか、優しい微笑みでタウリを見つめていた。


 タウリ「……唯一の心残りは、この子達の花つけを今年は見届けられないことですね。僕がこの丘一面に植えたんです。」


 タウリは土が掘り返され、芽がまだ出切っていない丘を見渡した。


 エミル「……タウリ殿は、本当に土いじりが好きなのですね。」


 エミルは、タウリに対しても素直な感想を口にした。


 タウリ「好きです。だって凄いじゃないですか。土に種を植えると、芽が出て、茎が伸び、日を浴びて花を咲かせてくれる。まるで魔法ですよ。」


 エミル「花が……魔法ですか。」


 タウリは土を見つめ、エミルは腕組みをして空中を見つめ始めた。


 タウリ「花ってすごいんですよ。場所が変われば、花の育ち方がまるで違う。匂いも、色も違うんです。花を見ているだけで幸せです。僕はこの子達がいれば、それだけで幸せなんです。」


 エミル「……なるほど。」


 エミルは普段から、花を見ていなかったのだと思い知った。そこに咲いていることは理解していたが、花々の匂いの違い、色の違いなど気にしたことがなかった。

 そして、タウリが今の今まで、自分の話をする時には必ず花の話をしていることを思い出した。彼は花を見ているのではない、花を通して世界を見ているのだ。


 エミル「……そういうことか。」


 エミルはここで初めて、なぜ自分が宮廷にあらためて遣わされたか理解した。セレナとタウリは、見ている世界が違う。聞こえている世界が違う。いや、本当は特別なことではなく、一人一人の世界など違うはずなのだ。

 そのことを、今日知っておくべきだと言われていたのだ。エミルは空を見上げながら、形の移ろう雲を目で追っていた。


 エミル(……これはトイレ掃除も執政官の仕事かもしれんな。)



 一方、ルシアンの宮殿では使用人が執務室を訪ねていた。


 使用人「殿下、本をお持ちしました。」


 ルシアン「ご苦労。これを代わりに戻しておいてくれ。」


 使用人「かしこまりました。」


 使用人は机に置かれた10数冊の本と、手押し台で運んできた同量の本を交換した。


 使用人「……殿下、そういえば本日の走り込みはお休みですか?」


 ルシアン「……ああ、実は馬の初乗りの際に落馬で腰を痛めてな。時たまぶり返すのだ。」


 使用人「そうでございましたか。何か薬草などお持ちしましょうか?」


 使用人は、本を積み終わると心配そうな顔を向けた。


 ルシアン「ああ、良いのだ。本でも読んでいるうちに痛みは引く。もう手慣れたものだ。」


 使用人「……かしこまりました。何かあればすぐお呼びくださいませ。」


 使用人は深く一礼し、執務室を後にした。



 ルシアン「……今日は口うるさい奴が2人ともいないから、ゆっくり読めそうだな。」


 ルシアンは、ぐぐーっと背伸びをしてから、新しい本に手をつけ始めた。

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