6/ 白、
その扉の前では一人の男が待っていた。どうも俺を待っていたのらしく、俺を視界に捉えると小さくお辞儀をしたようだった。俺も反射的に会釈をする。
哀子さんに言われてやってきたこの部屋は前、俺との模擬戦闘中に怪我をした刕織が運ばれた病室と同じフロアにあった。ここも医務室の一つらしい。
「やあ、君が焉堂くんだね。部屋のロックは外してある。早速入りたまえ」
彼は哀子さんの部下なのだろう。とくに根拠はないがそんな気がした。
ああ、でもなんだかいやだった。
彼の表情はにこやかで、その声色も優しいものなのに、どうして俺を鋭い目つきで見ているような錯覚を覚えてしまうのだろう。
あくまで俺の気のせいだということは分かっている。あるいは、ほんとうに彼の本心にそういうものがあるかもしれないが、哀子さんと違って俺は心を読むことなんてできない。
見えないものは、見えないからこそ、感じてしまう。
俺はすぐには扉を開けることができなかった。しばらく、扉の前で逡巡していいたが、男は何も言わず俺の横にただ立っていた。俺は、扉を開け躊躇うことより、そのことのほうが居たたまれなくなって、俺は扉を開いた。
中へ入ると、またすぐに扉があった。入り口とその扉の間はだいたい二メートルほどで、目の前に扉が迫っている状況だった。一歩前へ出ると、入口は自動でしまってしまった。俺はなんとなくほっとしていた。
しかし、前の扉を開けようとしてもびくともしなかった。どうしていいか分からず、しばらく悩んでいると、頭上からどこかで聞いたような声が降ってきた。
「この先は、超無菌室でね。『和』の浄化力の比じゃないんだ。汚されると、あれだから、一旦、消毒をしてもらおう」
影倉雅の声だ。前に、模擬戦闘中に刕織が負傷した時、彼女が治療を行った。どうやら今回も彼女がその役目を負ったらしい。
「身につけている金属類があればなるべく外し、入り口扉側にあるケースに入れてくれ。もちろんテレンもな」
俺はそれに従い、テレンを外し入り口のすぐそばにあった半透明のケースに入れた。
「よし、んじゃあ消毒をするぞ。なに、心配するな。数秒で終わる。まっすぐ正面だけを見てろよ」
指示通り俺は正面を向く。正面は無機質な扉だ。
ぱちぱちと静電気のような音がなったかと思うと、辺りが二回黄緑色の光の瞬きに包まれた。それからなんともよく分からない香刕織含んだ空気が流れこんできた。悪い匂いではなかった。甘いような芳醇な香り。しかし、その香りも光どうようすぐに消えてしまった。
「はい、これで終わりだ。もう入ってもいいよ。扉に触れれば鍵が開く。中に入ってからいくつか話したいことがあるが、まずは彼女と対面しろ」
声はそれきり途絶えた。
俺は少しだけ躊躇い、しかし扉に手を触れた。すぐに鍵の開く音がして、扉が自動的に開いた。俺は一歩中へ足を踏み入れた。
そこは、とにかく白い部屋だった。ただひたすらに白かった。
その天井は、いつも見る天井より、ことさらに白く見えた。壁もそうだ。無菌室だからだろうか。やたらと白いのである。その白さは目につく色だった。その色は清潔さよりも、清浄さを表しているようで、自分なんかがここにいてはいけないのではないだろうかという考えに襲われた。
だが、目の前に彼女の姿を捉えると、その考えはすっと消えた。不思議と、先に進まなければならない、と思うことができた。
刕織は透明なカプセルのようなものの中で静かに目を閉じていた。確かにいた。紛れも無く、彼女、新崎刕織だった。初めてであった時と全く同じ、その顔で静かに眠っている。
その眠っている顔の柔らかな表情に張り詰めていた何かが解けてしまったようだった。俺は、急に身体の力が抜けてしまい、その場にへたりこんだ。
「おいおい、そんなところで座り込んで。何がしたいんだ君は」
声がして、振り向く。そこには雅さんがいた。いつもどおりの黒衣はこの白の空間にはそぐわない。
雅さんはそんなこと気にならない風に刕織のカプセルの傍らに行くとカプセルの側面にあるいくつかのボタンを操作した。
「何かを成そうとしてここに来たんだろう?せっかく来たんだ。成そうとすることは、きちんと成し遂げておけよ。後味悪いしな」
それから、雅さんは俺の方を向いた。
「多分、哀子と同じような台詞になるとは思うんだが……。そのなんだ。過去を思いつめてもしょうがないんじゃないかな。臭い言葉だがね、私達は過去に生きるんじゃないんだからな」
最後に、雅さんは懐から取り出した鍵を、カプセルの側面に差し込み回した。ガチャリ、と異様に大きな音がなり、ゆっくりとカプセルが開いた。
「それじゃあ、私は一旦引っ込んでおくよ。邪魔だろう」
そう言うと、彼女はまた奥の方へ消えていった。
俺は呼び止めようとしたが、彼女は聞こえなかったのか、それとも聞こえないふ刕織していたのか、見向きもしなかった。
ふと視線を感じて、見ると、刕織が体を起こしてこちらを見ていた。
「焉堂くん?」
「あ……あ……、新崎……」
途端、俺は目をそらしてしまいたくなった。だが、その気持を必死に押さえ込んだ。何のためにここに来たのか、雅さんの言うとおり、そして哀子さんの言うとおり、何かを成すためにここに来たんだと、自分に言い聞かせた。
だけども、すぐには言葉が出ることはなかった。
刕織もそうなのか、しばらくお互いにだまりっぱなしだった。
「焉堂くん。そんなところで座り込んでいないで、こっちに来てよ」
「新崎……、あの……」
「刕織、でいいって言わなかったっけ」
そう言って彼女は微笑んだ。今度ばかりはたまらなくなって目をそらしてしまった。今の今まで、彼女の顔を見ることができていたのに、急にどんな表情をしていいかわからなくなった。
俺は立ち上がり、うつむき加減で彼女の側へ行った。
「焉堂くん」
「新崎……」
「刕織、でいいって」
「あ、えっと……刕織……」
なんだか名前で呼ぶと気恥ずかしい。いや、恥ずかしいというよりは、名前で呼んでいいのだろうかという気持ちがあった。本人にいいと言われているのに。
「うん。焉堂くん、大丈夫だった?」
「え?」
俺はその予想外の言葉に、刕織の方を見ざるをえなかった。大丈夫だった、ってなぜ俺にそんな言葉をかけるのだろう?
わからなかった。でも、返事はしなくてはいけない気がして、
「うん、大丈夫……いや、おかしいだろ、それって。なんで、俺に」
「だってさ、あの時の焉堂くん、なんだか苦しそうだったから」
なんで、彼女はそんなにも俺のことを心配してくれるのだろう。いや、分かっている。彼女は優しい人間だということは。
だからこそ、俺はどうしていいかわからない。
「俺……が、心配されるなんて……俺が」
――悪いのに、と言おうとしたが、刕織が首を横に振ったせいで俺はそこでつまらせた。
「ありがとう。いいんだよ、焉堂くんは何も悪くない。それに私は、ここにいるんだもん。何の問題もないよ。元気だから、ね」
俺はそれを聞いてついに堪えきれなくなった。
「いや、悪いのは俺だ! ごめん。謝っても意味があるとは思っていない。でも、俺は君に酷いことをしてしまった。だから、だから……謝らなくちゃいけないんだ!」
言い切った。何とか言えた。ただそれだけのことなのに、すぐに口にできなかった自分が情けなく思えた。
しばし、二人の間に沈黙。
それから、刕織はいつも通りのその笑顔で、うなずいた。
「うん、わかった。じゃあ、しばらくそばにいてくれる?」
「え……?」
「そばにいてほしいなって。ダメ?」
「い、いや、そんなことで……、て、あ……」
口に出してしまって、失言したかもしれないということに気付く、遅すぎる俺のばか。
「そんなこと、なの? 焉堂くんにとっては」
「え、あの、いや……」
少しだけきつい視線に俺は戸惑ってしまう。
だけど、刕織はすぐにおどけた表情をして、
「冗談。でも、少しだけでもいいから、そこにいてよ」
その言葉は、どこか寂しさを帯びていた。
「ああ、わかった」
今度は、素直にうなずけたのではないかと思う。
†
「夢を見たの」
刕織はふいにそう口を開いた。
「夢?」
「うん、変な夢」
言って刕織は天井を見上げる。その白い白い天井を。
「海」
「海?」
「そう、海。海って知ってる? 焉堂くん」
刕織は依然天井を見上げたまま。
俺はあいまいに返事した。
海。確かに知っているような気がする。それはとても広くて大きい。それはとても青くて深い。あくまで知っているだけだった。
「夢の中で、私はたぶんその水面に浮かんでたんだと思う。私は私のことをわからなかったけれど、とても心地よかった。でもね、でも、そこには誰もいなかった。ただひたすらに広い世界に、ただひたすらの水の世界に私一人しかいなかった。だけど、」
刕織は言葉を切り、俺のほうを見た。
「だけど?」
「だけど、ここは違う。焉堂くんがいるし、ほかのみんなもいる。たくさんいる」
「そうだな……」
たしかにそうだ。ここにはたくさんいる。意思を共通する者たちが。ヴィレのみんながいる。
俺もその一人なんだ、と俺はそのとき、おそらく初めて実感した。
だから、俺はみんなの期待に応えなくてはいけない。もちろんその期待というものは、俺個人に向けられたものではないけれど。それは、一つの意思。たたかうものもそうでないものも、H2全員の共通意思。
戦おう、みんなのために。自分のために。そして、彼女のために。
Chapter 3 END




