2/暗転・焦点
「んー、もうっ」
刕織はいらいらを抑えきれないまま、床を強く踏みしめ、ヴィレ本部D層をひたすらに歩き回っていた。自分の行動に既視感を覚えながら、それでもやはり感情は溢れでてしまう。
大体の理由はやはり、また哀子であった。相手の苦手なものを知っていて、あえてその手の仕事を押し付けてくる。哀子に刕織はもううんざりだ。
しかし、苛立ちの原因は哀子だけではなかった。
この面倒な命令を手伝ってもらおうと、探索に出る前に、刕織は焉堂と綾乃の元を訪れていた。
まずは長年の付き合いもあり、頼みやすい綾乃をたずねた。ちょうど刕織が綾乃の部屋の扉を開けた時、綾乃はむしゃむしゃとイチゴのショートケーキを頬張っていた。嫌な雰囲気を感じ取りながらも、刕織は事の経緯を話した。
すると、はっきりと一言。
「六十分、七百新円でどうですかー?」
「……うん、オーケー……ッて言うわけないでしょ!」
はっきりと断るほかなかった。相変わらず懐は寂しいのである。
友人の頼みにもやはりお金を要求してくる。見た目おっとりしながらも腹黒い綾乃にため息をつきながら、刕織はその足で焉堂の元へ向かった。
「あ、哀子さんに特別の訓練をしてもらうことになってるから……、その……すまない」
焉堂の開口一番がこれであった。まだ刕織が何も言わないうちに。そんな下手な作り笑いであしらえるわけない、と刕織は内心毒づく。しかし、向こうはどうも本気らしく、刕織は説得する気すら起きなかった。
そういうわけで、刕織は結局一人で任務を遂行――任務と呼べるかも怪しいものだが――することになったのだ。
「どうせ……、哀子さんの手が回ってるんだろうな」
それは思わないことでもなかった。
哀子は無駄なところで手を回すのが早い。先手を打つのが得意、と取れば、作戦部長としての彼女に対しての褒め言葉になるかもしれないが、刕織にとってはそんな才能をこんなどうでもいいことに発揮してもらいたくはない。
おそらく今回も、焉堂に……いや、あるいは綾乃にも先手をうっていたのであろう。事実、刕織の予想通り、焉堂は勿論、綾乃にケーキを差し入れたのも哀子だった。
今頃哀子さんはニヤニヤしているんだろうな、と刕織はまたもやため息をつく。
なんとなしにテレンの時刻を表示させた。
見ると、時刻は十八時を回っている。人工日照システムにより作りだされた擬似的な夕色の陽光が窓から差し込み、床を朱く照らしている。普段なら、そんなものにはこれといって感情も持たないが、今日はなぜか闇の足音が近づいてくるように感じた。
「あぁ。まだ二十パーセントも進んでないや」
哀子からくだされた命令は、C層およびD層の調査。火の玉の目撃談は、実はあの一件だけでなかったらしい。女性研究員が火の玉を目撃したという時間より、さらに一時間後、C層の西側でセンサーが『何か』を感知していた。ただし映像に記録は残されていない。刕織は哀子から感知したという記録だけは見せてもらっている。記録には確かに、ほんの数秒ではあるが、微弱な熱を感知していた。
疑わしきものがあるのならそこも調査し無くてはならない、ということらしく、哀子はD層に加え、C層の調査も頼んだのである。
しかし、刕織にとってはいい迷惑でしかない。ひとくちにC層D層といっても、かなりの広さがある。実際に歩いて見まわるには時間がかかりすぎる。とはいえ、命令に背くわけにもいかない。刕織は省けるとこは省きながら、最短ルートを効率良くまわる。
それにしても、と刕織は内心首を傾げる。
まだ、時間は十八時を過ぎたばかり。設定上、夏に近い今は、まだこの時間帯でも明るい。全館消灯は確か、二十五時だったはずだ。つまり、ヴィレ施設内が暗くなるにはまだまだ時間がかかるのだ。
「火の玉って……、明るい時でも出るのかな……」
自問しつつ、すぐに、出ないと決めつける。昼間にお化けのたぐいはでないと、相場は決まっている。そう、いま出ないのならば、探索中に火の玉というわけのわからないものに遭遇することもないだろう。
刕織はうんうん、とうなずき、明るいうちに調査を終わらせるべく、さらに探索を続けた。
†
その様子を第三特別作戦構成部室の三つあるモニターの前で見ていた哀子は、ニヤケ顔から始まり、ついにこらえていた笑いを抑えきれず腹を抱えながら何とか笑いを噛み殺すのに必死そうだった。そんな哀子に冷たい視線を向けるのは、哀子に呼ばれ、ここに来ていた焉堂だった。
「哀子さんって中々非道いですね」
「ん、そうか? しかし、焉堂見てみろよ」
哀子がモニターを指さし示した。焉堂はしぶしぶ画面を覗きこむ。高解像度のモニターに映るのは、ズームインされた刕織の姿。監視カメラの映像だろうか。カメラが刕織を追い、そのたびに映像補正が施され、鮮明かつなめらかな動画で表示されている。
「ほら、見てみろ。多分、本人も気づいちゃいないが、肩も足もガクブルじゃないか。ふふふ……」
「いや、ガクブルって……」
確かに、不規則に震えているが……。
「新崎はあれでもね、お化けとか苦手なんだ」
本人からは口に出さないと思うけどね、と哀子は付け加える。
しかし、怖がり……というのは案外あるかもしれない、と焉堂は心のなかで思う。
「でも、あれでもって言っても、俺、そんなに偏見とかは持ちませんけど。まだ会ってそんなに経っていませんし」
「うん? まぁ、ともかくそうなんだ。それ、もっと怖がらせてやろう」
顔が完全に悪人になってるな、と焉堂は笑うことすらできない。今後、この人の下で働くことの先が思いやられてたまらない。
哀子はそんな焉堂の心配など、勿論気づくはずもなく、傍にあった内線の通信装置に手を伸ばした。そして電気制御室とかかれたスイッチを押す。
「やあ、古滝だ。少し頼みたいのだが」
『あ。哀子さん。どうも』
スピーカーからは若い男の声。
『頼みってなんですか?』
「うん。D層西側、三六〇〇から三八三二の通路の照明を切って欲しい。完全にだ」
その頼みに、少なからず焉堂は唖然として声も出せなかった。
『今度は何を思いついたんですか? 哀子さん』
反して、受け手は茶化すように笑い混じりの声だった。つまり、これが彼らにとっての哀子への認識というわけだった。このようなことは今日に限ったことでないことを物語っている。
哀子は胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本タバコを抜き出すと、口にくわえた。
「あぁ……おもしろいことさ」
『でも、それって問題になりませんか?』
「あん……? いや、大丈夫」
哀子は話しながらなにやらキョロキョロとしていた。どうやら煙草に火をつけるためのライターを探しているらしい。
「……どうせ、よくシステムエラー起きているだろう。いつものことだ。文句言われたら、そう答えればいいんだ」
声の調子がまさに脅迫である。
『はい、分かりました。それでは一分後に』
通信はそこで途切れた。
「あ、哀子さん……」
焉堂はこの人物を止めるすべがないことを悟った。案の定、哀子は澄まし顔で焉堂の方へ煙草を指の間に挟んで差し向けた。
「ライターを忘れたらしい。火をくれ。お前出せるだろう」
†
前触れはないことはなかった。
刕織は音源の分からない正体不明の物音を聞き取っていた。一瞬、びくりと身を震わせたが、どうやらその音が例の物でないらしいことに気づくとすぐにその音の正体を探った。ジジッ、というわずかなノイズのような音。どうもその音は天井の方から鳴っているらしい。
確認すべく、刕織は天井を見上げる。その時だった。ブツ、という擬音語がまさに当てはまるような音を立て、突然辺りの照明が消えた。
「キャッ! な、なに――?」
刕織は驚き、あたりを見回す。しかし、既に視界は黒に塗りつぶされている。一寸先すら闇だ。普段なら消灯後にもついているはずの案内灯も消えている。
「停電……?」
暗闇に手を伸ばしながら、なんとか壁際に寄る。視界が零だったとしても、地図は頭の中に大体入っていた。壁を頼りに進めば、なんとかなるだろう。
しかし、動くべきだろうか。刕織は考える。いや、不用意に動かないほうがいいだろう。停電も、絶対ないとは言い切れないものだ。刕織は数回停電を経験したことがあった。その時は、いつでもすぐ復旧していたのだ。ヴィレの電源は何重にも確保されている。一つが落ちたところで、何ら問題はない。
問題はないはずだった。
暗闇の中で、心臓の鼓動が早くなっていることを感じながら刕織はじっと待っていた。まもなく、館内放送が流れてきた。
『只今、C層西側のフロアで停電が起きています。電力供給源に問題はありませんが、システム上でエラーが発生している模様です。誠に申し訳ありませんが、復旧まで今しばらくお待ち下さい』
「へ……?」
そんな予想外の放送を聞いてしまい、刕織は力が抜け、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
この調子ではいつ復旧するか分かったものではない。かといって進む……ことはできない。理由は簡単。アレが出てもらっては困る。
「ぁあ……。でも、進まなくても同じか」
結局はそうである。進もうが、留まろうが、暗闇という、奇怪なものが出る環境は整ってしまった。闇に覆われている限り、状況に変わりはない。
「うぅ……どうしよう。どうしよう……」
こんなことならば、無理にでも断るんだった。と、今更後悔しても意味はなかった。
心臓はすでにフル活動中。冷や汗まで出てくる始末。
しかし、こんなところでパニックになってしまってもしようがない。動けずにこのまま明かりが点いてしまったら醜態を晒してしまうかもしれない。火の玉に遭遇するのは嫌だったが、それも嫌だった。
なんとか頭の中を整理しようと試みる。そこでようやくテレンの存在を思い出した。テレンには弱い光ではあるが、ライト機能がある。足元くらいは照らせるだろう。刕織はテレンを腕から外し、ライト機能を使用した。やはり弱々しい光ではある。とはいえ、真っ暗闇の中ではそんな小さな光も、すがるべき対象だ。
刕織はなんとか立ち上がり、記憶と光とをたよりに、歩き始めた。刕織の今いる場所は停電していると思われるエリアのほぼ真ん中だった。他階へ移動するための階段もまだ遠い。記憶をたどり、おそらく同層を進んだほうが早く明るい場所にいける事に気づいた。刕織は歩く向きを変え、手は壁に当てながらゆっくりと進んでいく。
足が震えている。
どうして、自分はこうも怖がりなのだろうか。真っ暗闇というものは、だれでも怖いものであるということは知っていた。しかし、自分はその中でも最も怖がりの部類ではないのだろうか、と無意味な思考をしてしまう。それ自体が恐怖を増幅させているとも知らずに。
闇。すなわち、黒、無、孤独。それは恐怖。
「一人……か」
つぶやき、しかしすぐに否定する。今はそうじゃない。ここに来てからは仲間がいるじゃないか。自分に言い聞かせる。その仲間もついこの前増えたじゃないか。自分を言い聞かせる。
「……ノウ、アンリア、ドレウト…………」
ぽつりと口から漏れた。
「クィブット、デアディット……」
ほとんど刕織は意識していなかった。自然と零れたその言葉は、刕織にとって気にすることでもないことだった。しかし
「アンノア……ティニ…………ドゥ、ソウ」
刕織の足の震えは止まっていた。不思議と気持ちは落ち着いてくる。心臓の鼓動もだいぶ平生に近くなってきた。その時にはもう、精神を安定させたそのつぶやきは、もう止まっていた。
恐怖が完全になくなったわけではない。とはいえ、この場を切り抜けるのに十分な落ち着きは取り戻せた。それでも火の玉に遭遇するのは避けたいけれど。
だが、現実はそうそううまくいくものではない。思考は現実を歪めてしまうものだ。
暗闇の中をゆっくりゆっくりと進み始めて、五分も経たず、意外にも早く、嫌な存在はそこに現れた。
ぴたりと刕織は足を止める。
前方、暗闇のせいで距離はいまいちつかめなかったが、そこには確かにいた――いたという表現が正しいかは刕織には分からなかったが。
ふわりと浮かぶ赤っぽい光。少し動いては、止まったり、時折跳ねたりと、不規則に動いている。話に聞いた火の玉に間違いなかった。
落ち着きをある程度取り戻していたおかげで、刕織は取り乱すことはなかった。それでも半歩足を引き、少しだけ身構えた。テレンを火の玉の方に向けるが、まだ光が届く範囲ではなかった。
退くべきか、進んで確認すべきか。
「……うん、行こう。行けるよ、刕織」
自分で確かめると、足は動いた。
進む。
すると火の玉も、こちらの存在に気づいた――ようだった。とんとん、と跳ねながらこちらに近づいてくる。
両者の距離は相対的に縮まっていく。
ふと刕織は違和感を覚えた。火の玉……にしては、床すれすれを跳ねている。刕織のイメージはもう少し、人の胸辺りの高さをゆらゆらと飛ぶというものだった。これはなにかおかしい。
刕織はテレンを構えるのをやめた。ライト機能を止め、じっと、火の玉の方を見てみる。光がなくなるとその動きは止まっていた。その場でなんだか戸惑っているようにも見える。
もしや、と刕織は足音を殺して、ゆっくりと火の玉に近づいていく。
そろりそろりと近寄り、ある程度距離を詰めると刕織はバッと火の玉に飛びついた。
「えいっ!」
床にダイブするように、火の玉へ飛びかかる。
同時に、照明が復旧し、辺りを照らしだす。
「んん……」
突然の明るさに、刕織はめまいを覚えながらも、自分の腕の中でじたばたしているものに目を落とした。
「…………怖がった私が馬鹿だったなぁ……これは……」
もふもふとした暖かそうな赤っぽい毛の生えた、身体。三角形の耳、ふさふさとした尻尾。
刕織の腕の中で、その小さな狐は息苦しいのかじたばたと足を動かしていた。
「はぁ」
今度こそすっかり力の抜けてしまった刕織は床にぺたんと座り込んだ。後はぼうっと、ただ狐のやわらかな毛を撫でているのであった。




