3/ウィル
「んな…………! もふもふだと!?」
哀子が思わず椅子から立ち上がった。食いつくようにディスプレイを見る哀子。ディスプレイに映るのは、通路に座り込み、赤っぽい毛の狐を撫でる刕織の姿だった。
驚愕している哀子を横目に、焉堂はいささか落胆していた。
焉堂も哀子からことの概要は聞いていた。
つまりそれは、ヴィレ施設内で火の玉が出たという話であり、また、哀子から刕織へ話した話が脚色を加えたものであるということだ。確かに、火の玉は最近施設内で度々目撃されてはいたが、女性研究員が遭遇しあまつさえ気絶したなどという話は哀子の作文だったのだ。ただし、その火の玉の正体が何であるかは哀子本人の知るところではなく、哀子自身、真相が明らかになることを期待していた。
焉堂としても、刕織には申し訳ないとは思いながらも、火の玉の正体に少しだけ興味を持っていた。得体のしれない火の玉という存在。胡散臭いとは思いながらも、なんとなく惹かれてしまう。
だからこそ、真相があまりにも平凡で――あるいは、あまりにも意外で焉堂は気を落としてしまった。
「哀子さん、あれはなんですか?」
依然、画面に顔を寄せていた哀子は、焉堂の言葉に顔を戻し、しばし考え込んだ。
「あぁ、そうだ。あれだ。思い出した」
ぽん、と手のひらの上に拳を置く。
「あれな、リフェンっていう外環生命体なんだ。和名は火狐」
「外環生命体?」
焉堂は聞きなれない単語に首を傾げる。
「あぁ、言ってなかったっけ? ようは、人工的に作られた生物さ。甲乙と二種類にわかれるんだが、前者は旧人類が創ったもの、後者は新人類が創ったものだ」
哀子は刕織の姿を映し出しているメインのディスプレイの横の小さなホログラフィックパネルを操作し、ずらりと画像の並んだ画面を表示させた。画面をタッチしてスクロールし、ある画像で止めた。
「ほら、これ。リフェン。こちらは甲種。大まかにだが、乙種の方が気性が荒い。この前襲ってきたハイテルは乙種だ」
「新人類の創った、ってわけですか」
「あぁ、そうだ」
哀子は頷いた。
「大体、甲種は旧人類が娯楽で創ったものらしい。創った奴の正確が現れてる奴ばかりさ。対して、乙種は奴ら新人類が戦闘用に創った生命体だからな。自然、気性が荒くなるというわけだ」
哀子は画面を切り替え、刕織の姿をズームインした画面を映した。
「それにしても、いいなぁ。もふもふ」
哀子はまるで自分の元にリフェンがいて、それを撫でるかのように宙で手を動かした。子供のように無邪気な目だ。哀子の行動に呆れながらも、焉堂は湧き上がった疑問を哀子に投げかけた。
「ところで哀子さん。なんであんな所に、そのリフェンとかいうのがいるんですか? ああいうの、勝手に入ってこられるような場所なんですかね、ここ」
言われて、初めて哀子はそれもそうだな、と視線を落とした。哀子としてもそれは予想外の事態であった。別段、急を要するようなわるいことではないのだが、施設内に野生のリフェンが入り込んでいるとなると少なくともそのルートを特定しなければいけない。施設は地下深くに存在し、地上と繋がる通路はそう多くない。また、いくつかしかないそれらのルートも普段は厳重に閉ざされていて、外部から蟻の一匹すら入る隙間はない――はずだった。
しかし、現実はそこにいるはずのない侵入者。
考えられるのは、誰かが外へ出た時偶然紛れ込んだということ。一番可能性が高く、かつ安心できる理由である。もしそうであるのならば、きちんと入場管理できていなかったのは監視部の失態ではあるが、平穏に事は終わる。
ただし、そうでなければ……。
哀子はディスプレイそばにあったマイクに手を伸ばし、キーボードを叩くと、マイクに向かって声を出した。
†
『あーあー。第三特別作戦行動部B級戦闘員新崎刕織。新崎刕織。作戦行動を現時点をもって完遂したものとし、保護対象を連れて、第三特別作戦構成部室へ来るように。大至急』
そんな放送を刕織はぼんやりと聞いていた。その声は確かに哀子の声であったが、もうなんという言葉も思い浮かばない。今回の一件が哀子の仕業であることはすでに分かっていたからだ。非難する言葉さえ出てこない。むしろ呆れ返っていた。
「…………保護対象……ねぇ……」
視線を落とした先には、刕織の手の中で気持ちよさそうに顔を埋める狐の姿。はじめは刕織に捕まりじたばたしていたのだが、今となっては撫でられるがまま。気持ちよさそうな顔をしている。
この狐はどこからやってきたのだろうか。暗闇の中で火の玉のように見えたということは、おそらく何らかの力を持つ外環生命体だろう。刕織はこのように人にすぐ懐いてしまう外環生命体を今まで見たことがなかった。誰かが飼っていたのが逃げてきたのだろうか? いやありえない。ペットなどという、そういう概念はヴィレには存在しない。ならば、研究をされていたものが……? やはりそれもないだろう。そうであるのならば、すぐに大規模捜索が行われるはずだし、施設内中に知れ渡ることだろう。
やはり、どこからか入ってきたのだろう。そのように入れる場所があるとは思わないが、事実ここに狐がいるのだからそれが事実だ。
刕織は狐を抱えたまま、立ち上がった。いつまでも通路に座り込んでいるわけにはいかない。
不本意ではあるが、刕織は哀子の言葉に従うことにした。
狐を抱えたまま通路を進んでいると、すれ違う人の視線を感じる。
「当然だよね、やっぱり」
ヴィレ内では動物を見かけることなんてまずない。戦闘員であれば、たまに猛獣の類を追い払う仕事があるが、その他となると外に出ること自体少ないからだ。
たまに刕織へ事情を聞いてくる者もあったが、刕織が哀子の名を出すと、皆が皆納得して深く聞くようなことはなかった。あまり詮索はされたくないので好都合だった。
哀子の見え透いた罠にかかって、ひとときでも怖さに震えていたなんて、誰にだって知られたくない。
しばらく歩き、ようやく第三特別作戦構成部室へと戻ってきた。ここへ車で、狐は行儀よく刕織の腕の中でじっとしていた。
刕織は部屋の戸をノックし、中へ呼びかける。
「哀子さん。それと、焉堂くん。中いるんでしょ。開けてくださいよ」
「な、なんで俺がいることも……」
そんなことが聞こえたかと思うと、まもなく扉が開いた。扉のすぐ向こうには焉堂の姿。なぜかわずかに驚愕の色が見えた。
刕織はそんな焉堂の前を通りぬけ、奥の椅子で煙草を吸っていた哀子の前へ立った。
「よお。おかえり。ご苦労さん」
「ご苦労さん、じゃないですよ。何が火の玉ですか。ただの狐じゃないですか」
刕織が非難するような口調で言うと、哀子は豪快に笑った。それに刕織は不快感を示す。
「笑わないでくださいよ。どうせ、モニターしてたんでしょう」
刕織はすべてお見通しだった。狐の件はいささか予想外だったが、電灯を消したのも哀子の仕業だろう。となると、そんな状態で興味対象を放置するなんてありえない。どこかで監視しているのが筋だと、今までの経験から推理していた。といっても、気持ちが落ち着いてからだが。
哀子は悪びれる様子はいっこうになく刕織の後ろに立つ焉堂に目配せした。
すると焉堂は部屋の隅の方からなにやら小さな黒いはこのようなものを持ってきた。見ると、四方五センチほどの立方体。ある一面に小さなレンズのようなものがついている。その反対側にはOAAという文字が書かれていた。また、それらを中心に考えた時、左右には小さなボタンがそれぞれ二つずつついている。
「これは?」
刕織が尋ねると、哀子は刕織に腕に抱えている狐を机の上に放すことを指示した。
逃げないか、と心配しながらそっと机の上に放すと、狐はその場にちょこんと座り込みキョロキョロとしていた。逃げる様子はない。
哀子は焉堂から黒い箱を受け取ると、刕織に示した。
「外環生命体アナライザー、通称OAAだ。開発部が最近になって公表した機器だが、実際は五年ほど前に完成していたらしい。ま、外見で判るといえば判るんだが、変異してても困るからな、一応」
言って、哀子はボタンを押すとレンズの方を狐へ向けた。すると、レンズから青白い光が放射状に広がり狐を包み込んだ。
「これで分かるんですか?」
刕織は不審げにその様子を見つめる。
「あぁ、勿論。仕組みを知りたいなら開発部にでも聞けばいい。この光で何か読み取って、コンピュータにデータを転送後、照合または解析を行う」
「なるほど。よくわからないけど、すごいですね。ところで哀子さん、いつまでももふもふ触ってるんですか。解析に関係ないでしょう」
刕織は哀子を指摘する。機器を作動させてから、さり気なく狐の毛の柔らかさを味わっていた哀子は物足りなさそうな顔で手を離した。それから誤魔化すように顔を背けた。
「焉堂、結果、画面に出てるか?」
焉堂は言われて、ディスプレイを確認する。
「あ、出てますよ。甲種、四足歩行小型哺乳類様獣。Lifen」
ディスプレイには文字情報の他に、幾つかの画像も表示されていた。たしかにその画像は、目の前にいる狐と一致する。
結果を聞き、哀子はやはりか、と頷いた。
OAAのスイッチを切りながら、刕織の方へ向き直る。
「ということで、こいつはリフェンっていう生き物だな」
「リフェン……ですか。初めて聞きました」
「うん。リフェンは希少種だからな。別名火狐。ハイテル同様、熱を好む種類だ。といってもこいつは熱を喰うわけではないが。人懐こい性格で、まぁ多分地上から帰ってきた誰かについてきたんだろうよ」
「そう、ですか。火の玉の正体、哀子さんは分かっていたんですか」
核心を突くことを尋ねると哀子はうろたえながらも首を横に振った。
「ち、違うぞ――。火の玉の存在は聞いていたが、正体は知らなかった。これは本当だ。真実だ。なあ、焉堂」
「え、俺に振らないでくださいよ、哀子さん」
二人のやり取りを見ながら刕織はため息をついた。
「はいはい。分かってますよ。別に、もう気にしてませんし。それにしても、リフェン……でしたっけ。この子がどうして火の玉の正体なんですか」
「ん、ああ。それだがな」
哀子は画面を操作し、画像を切り替える。
刕織と焉堂は共に画面を覗きこむ。そこには炎に包まれるリフェンの写真があった。どうやらリフェン自身が炎を巻き起こしているようだった。
「リフェンは火狐というだけあって、我々でいう火のAToCu、<操火能力>に近いものを使えるらしいんだ。おそらく今回の火の玉騒ぎもそれによるものだろう。リフェンは夜行性だが、どうも敵がいないとわかると自分で火を灯してライトがわりにするらしい。なんとも賢いじゃないか。しかし、その火が我々にとっては、火の玉のように見えた、と今回の事件のあらましはこうだろうな」
「まぁ、でも良かったです。火の玉じゃなくて」
ある意味でその言葉は、刕織の心からの安堵の言葉だった。
よくわからないものはないに限る。
「ところで、刕織。このリフェンどうしようか。野生に返してもいいのだが、映像見てた限り、お前に懐いてしまったようだな」
ふいの言葉に刕織は戸惑う。哀子からのどうでもいい任務の途中に発見したリフェン。保護という名目でこの場所につれてきたものの、これから先どうこうしようという考えなかった。それでもほんの少しだけ、もう少しいっしょにいたいという気持ちは出てきた。しかし、そんなことが可能なのだろうか。
そこで、刕織は控えめながらそのことを哀子にたずねてみたが、意外にも回答は可能とのことだった。
「できないことはない。少々手続きが面倒だが、前例がないわけでもないしな。きちんと世話の出来る環境さえあればなんとかなる。リフェンは希少種だが、比較的生態も分かってるし、世話も調べればわけはない。本部のデータベースを探れば出てくるはずだ」
「本当ですか?」
「ああ。構わないと思うぞ。うん、それにこんなに可愛い生物なら大歓迎だ。私にももふもふと……」
そう言ってリフェンに手を伸ばす哀子。すると、それに反応したのか、リフェンは飛び退き、自分の目の前に小さな火の玉を出現させた。姿勢を低くして、哀子を威嚇している。
哀子はそれを見て苦笑いをする。
「どうやら私は嫌われてしまったようだな」
哀子の声は残念そうな響きがこもっていた。
刕織はゆっくりとリフェンの頭へ手を伸ばし、優しく撫でた。
「よしよし。大丈夫だよ、ウィル」
刕織が撫でると、リフェンの火の玉はしぼんでいく風船のように次第に小さくなり、やがてわずかな煙を残して消えた。
リフェンはそれから、くるりと刕織の方へ向きを変えると、ばっと刕織の胸元へ飛びついた。
「わっ! そんな突然……、きゃっ」
突然飛びつかれ、バランスを崩した刕織はよろよろとたじろいだが、なんとか耐えリフェンを受け止めるように抱きかかえる。リフェンの爪が服を破かないように注意しながら、包み込むように抱く。
火狐というだけあって、体温は高く少し暑苦しかった。しかし、そんなことは気にならない。
「よしよし。ウィル。いい子いい子」
刕織が撫でるとリフェンは気持ちよさそうに鳴き声を上げた。
そこに焉堂がリフェンの方を覗きこむ。
「もう名前考えたんだ」
焉堂はさっきから刕織が言っているウィルという名を指摘した。刕織はうんと頷いた。
「ウィル。英語で意志って意味。ヴィレとおんなじような意味なんだ。ね? ヴィレにはぴったりの名前だと思わない?」
「へぇ。いいねその名前。ウィル、か。響きもいい」
じっとウィルの目を見つめる焉堂。刕織はウィルがまた哀子の時と同じように何かするのではと心配だったが、意外にも何もせず、むしろウィルは焉堂の目を見返していた。
「焉堂くんにはなんともないみたいだね」
ウィルをじっと見ていた焉堂は刕織の言葉ではっとなり、あぁと頷いた。
「そうだな。なんでだろ」
「案外、ウィルもお前が火を操る……同類だって分かってるんじゃないか?」
首を傾げる焉堂に、哀子が口を挟む。刕織も焉堂も哀子の言葉になんとなくだったが納得した。野生の勘というやつだろう。野生の動物は目の前のものが敵か否か、瞬間的に見極めるという。しかし、そうであるのなら、哀子は瞬間的に敵、とされたのだろうが。
その後も、ウィルのことや、この事件一連の刕織の話題で盛り上がった。綾乃はいないのは刕織としては残念だったが、仕方ないだろう。今頃綾乃は夕食でも食べてるに違いない。刕織がちらと時間を見ると、もう午後八時を回ろうとしていた。
刕織が哀子に時間を示すと、哀子は焉堂と刕織に夕食を食べに行く事を提案した。
焉堂は快くすぐに頷いたが、刕織は少し考え首を横に振った。
「私、これから資料室に行こうと思います。早くこの子の好きな食べ物とか調べてあげたいんで。お腹空いてるよねー」
ウィルに語りかける。ウィルは答えるように鳴き声を出した。
「そうか。分かった。なら早く行くといい。資料室は九時になったら閉め切られるはずだ。管理人の爺さんがせっかちだからな」
「はい。行こ、ウィル」
刕織は哀子に軽くおじぎをすると、今日自分にされたイタズラじみたことなんか何も気にしない様子で、小走り気味に部屋を出た。
部屋に残された哀子と焉堂。
椅子に座り直した哀子は焉堂に話しかけた。
「なあ、焉堂。新崎、あいつすごく嬉しげだっただろう」
「え? あぁ、はい。そうですね」
一応うなずきはしたが、哀子の言葉の真意がいまいち分からなかった。焉堂は哀子を訝しみ見る。
哀子は机の上においていたOAAを懐にしまい。今日何本目かの煙草を取り出した。
「あいつはね。寂しいのさ。独りでいるのがたまらなく嫌いなんだ。だからさ、焉堂」
哀子は立ち上がり、部屋の扉の方へと歩く。扉の目の前まで来ると、哀子は焉堂に向き直った。
「あいつが寂しそうにしていたら……、落ち込んでいたりしたら、そばに居てやってくれ。誰かがそばに居てやらなきゃいけないんだ」
焉堂はその言葉に、すぐ何かを返すことができなかった。刕織がどんな人間なのか。まだ付き合いの短い焉堂にはよく分からない。
それでも……、ブロックAを案内してくれた時の刕織は、初めにあった時よりもか弱く見えてしまった。こう言ってはいけないのだろうと分かっていても、どこか寂しさを帯びているところがあったのだ。
だから焉堂は頷いた。
自分に何ができるかはわからないけれど。何かができるのならそれでいい、と。
哀子はそれを確認すると満足そうな表情を見せ、扉を開いた。
「さあ、晩飯だ。今日は何を食おうか」
†
「ウィル……」
旧型のコンピュータを操作する刕織。その隣の椅子で眠たそうにしているウィルを撫でながら、刕織はリフェンのことについて調べていた。
キーボードを叩いていた手が不意に止まる。
こみ上げてきた悪い想像を必死に取り払う。
「ウィルはどこにもいかないでね……」
不安定になりかけた記憶のカケラを必死に抑えこむのだった。
SubChapter1 「陰火」 END
サブチャプター1はこれにて終了です。
番外編のようなものですが、一応本編に関係のある話も多いので…。
まったり読んでいただけてたら幸いです。




