1/火の玉
サブ回です。まったりとどうぞ。
怪談のたぐいは、何時の時代でも絶えることなくひっそりとどこかに存在する。しかも、それらは同じような話が語られることが多い。その時代時代に合わせて微妙に変化しながら語られていくのだ。たとえ、どこかでそのつながりが途切れてしまったかのように見えても、やはりまたひょんなところから語られ始める。もはや、それは我々のDNAに刻まれた一つの情報なのかもしれない。だから、いつの時代にも怪談は存在し、現実に現れるのだ。
†
テレンに表示される時刻を確認すると、既に深夜二時を回っていた。
ヴィレの技術開発部所属である彼女は、どうしても仕事にキリをつけることができず、開発部室から出たのは全館消灯後のことだった。勿論、部屋から出たのは彼女が最後で、一人だ。
「さすがに、これは詰め込みすぎね」
自嘲しながら、彼女は自分の部屋へ戻る道を急ぐ。
消灯後の通路は足元が薄く照らされているだけだ。ときおり、壁の案内板の光っているのが見えるが、それも弱々しい光にすぎない。通路全体は重々しい雰囲気だ。
カツカツと自分の足音だけがこだまする。きちんと空調で温度は管理されているはずなのに、背筋がぞくぞくとするのは気のせいだろうか。彼女は知らず、歩調を早めた。
彼女の自室までの道のりは、かなり時間がかかる。開発部のある階から下に三層下り、平面距離も中々。
こんな遅くに人がいるわけもなく、通路には一人。妙な悪寒を感じながらも、階段を用い、一つ下階へと下りた。面倒な事に、階段が二階以上を連続でつなぐことはない。どうしてこんなに使いづらい設計なのか、大昔にここを作り上げた人間の考えは彼女の知り得るものではなかったが、彼女らにとってはいい迷惑だった。
次なる下階への階段に向かうべく、それはある通路に差し掛かった時だった。
ふと彼女は何かが気になり、その何かが分からないまま視線を通路の先へ巡らせた。何もない。何もいない。
ほっ、と安心しかけた時、どこからともなく壁を叩くような音が聞こえた。
各部屋の防音は完璧だ。部屋の中の音が聞こえることは、たとえ彼女が聴覚に関する感覚増強能力の持ち主であるとしても、まずない。そうであるなら、何の音だろうか。どこからの音だろうか。
この時、彼女は極度の不安心から感覚増強能力を発動させてしまっていた。それは彼女自身もうすうす気づいていたことだったが、恐怖心もあいまって制御することができていなかった。この状態ではもう彼女は聞くことしかできなかった。
些細な音でも、彼女には耳元で鳴らされているように聞こえてしまう。感覚ばかり鋭くなり、逆に頭の中が混乱してくる。先ほどの物音の音源を探ることすら忘れていた。
彼女は歩を止め、きょろきょろと辺りを見回した。
もはや彼女に平常心はない。
そのとき、そのときだった。
彼女の視界が妙なものを捉えた。
視界の端、それはあまりにもぼんやりとしたものだった。しかし、暗がりの中では逆にひときわ目立っている。
彼女はおそるおそる視線を合わせた。
通路の端でぼんやりと光る、赤っぽい光の玉。それは、なんだろうか。彼女にはそれが火の玉にしか見えなかった。火の玉はその場でゆらゆらと上下に浮き沈みしている。
「……ァア」
技術開発部に所属している手前、普段ならオカルティックな話題には興味をもつことのない彼女であったが、実際にそれに遭遇してしまえばそうはいかない。
オカルトとはつまり、理解できないこと。それも、理解することは不可能だと半ば真理的に定められたもの。
未知は恐怖に直結する。
彼女がここで、火の玉というものに遭遇して得た感情は興味などではなく、純粋な恐怖に他ならなかった。
ぶぅーんと低い音でうなり続ける空調の音が、道が判るようにと親切に照らし出される照明が、恐怖を増幅させる舞台演出だった。
彼女は半歩、あとじさった。
すると、火の玉がこちらに気づいた――ように思えた。無論、顔があるわけでもないし、第一生物であるかどうかすらわからないが、彼女にはたしかにそう感じられたのである。
「ひっ……!」
彼女はつい、声を上げてしまった。それが悪かった。
声に刺激されたように、火の玉がぽんぽんと跳ねるように彼女の方へ向かってきたのだ。
近づいてくるそれは確かに火の玉だ。
「いや…………!」
じりじりと後ろへ下がる。急いだせいで躓き、倒れてしまう。もう彼女はなにがなんだかわからない。が、火の玉は一気に彼女の方へと……!
†
とんとん、と火の玉は楽しそうに跳ねまわっている。
†
「陰火……? なんですか、それ」
いつもどおりののんびりとした午後を、アップル(風)ジュースなど飲みながら第三作戦行動構成部室で過ごしていた刕織は哀子の異様なテンションの高さにうんざりしていた。明らかに声がはしゃいでいる。
テンションの高い哀子はそう珍しくもないのだが、刕織としては久々に見るテンションだった。はじめは適当に相槌でも打ちながら聞き流していた刕織だったが、いつまでも無視しているわけにも行かず、不本意ながら話に乗ってしまった。
ようやく反応といえる反応をした刕織が哀子は嬉しかったらしく、さらに声の調子がよくになった。
「よくぞ、よくぞ聞いてくれた。陰火だよ、陰火。知らないのか?」
「ええ、生憎」
刕織は不満気に答える。
しかし、哀子は気にする風もなく、
「陰火とは、いわゆるあれだ。そう、火の玉だよ。素晴らしいと思わないのか」
刕織は無言を答としつつ、眉をひそめた。
哀子はその手のオカルト話が、テンションマックスになるほど好きだっただろうか。特に思い当たる節もなかったが、案外そうなのかもしれない、と刕織は根拠もなく納得した。
「で、その陰火なり火の玉なり、がどうかしたんですか」
「うん、うん。それなんだがな」
哀子は楽しそうにしながら、おもむろに部屋の電気を消した。
「きゃっ、なにしてるんですか!」
「んー。この手の話をするときはこうでなきゃ。それともなんだ。暗いの嫌いか?」
刕織はそれに何も言えない。ずばり図星だった。
真っ暗になってしまった部屋で、ぼうっと小さな明かりが点った。それはどこからもってきたのか、哀子のつけた小さな手提げランプだった。
「よくそんなレトロの中のレトロなもの持ってますね」
刕織は率直な感想を述べる。哀子は、いいだろう、と簡単にあしらった。
哀子は自分専用としている椅子に腰掛け、口を開く。
「さて、話は昨日……いや今日未明のことだ」
哀子は意図的に声のトーンを下げたようだった。刕織は嫌な予感がして、内心身構える。刕織はいわゆる怪談話が苦手だ。よくよく考えれば前にもこんなことがあったような気がする。
刕織の不安をよそに哀子は容赦なく話をすすめる。
「未明に巡回していた見回りの役の一人が、D層東側の通路で、女性研究員が倒れているのを発見し保護した」
「倒れて……? 何でまたそんな時間にそんなところで」
「ん、あぁ。彼女はどうやら仕事が長引いたらしく、研究室を出たのも遅かったらしい。彼女は医務室へ運ばれ、まもなく目を覚ました。すぐに医師が状況を訊ねたところ、彼女ははじめ顔を俯けるだけで何も話さなかったという。いや、話せなかったのかもしれないな」
哀子はふふふ、と不気味に笑った。
刕織は息を呑む。
「やっと話した彼女が言った言葉が、理解できないものに遭遇したということだった」
「それ……が火の玉ですか」
刕織がおそるおそる尋ねると哀子はあぁ、と頷いた。
「つまり、彼女は自室へ戻る途中に、火の玉に遭遇し、驚きと恐怖のあまり気絶してしまった、とそういうことらしいんだ」
「……でも、火の玉なんて。なにか見間違えた、とかじゃないんですか」
哀子は首を横に振る。
「いや、それはないな。事実、監視カメラに映像が残っているし、確かにそのエリアに熱源反応も確認された。私も実際に見たから、こればかりは本当だ」
そこは否定して欲しかったな、と刕織は内心がっかりすると同時に、ふつふつと恐怖心が沸き起こってきた。
しかし、ここでそれに呑まれれば哀子の思う壺であるということは分かっていた。だから、刕織はなんとか頭を振ってその恐怖心を振り払おうとする。
その様子を見ていた哀子はにっ、と笑った。
「火の玉騒動なんかあまり広がってもらうと困るんだ。そこで、だ。刕織、」
刕織は自分の名前を呼ばれただけでその先を理解してしまった自分を恨めしく思った。
哀子は満面の笑みで、
「調査頼む。『火の玉の正体をつかめ』」
そんな刕織の予想通りの命令を出すのであった。




