3/黒衣
「なんだ。あんたの方から頼ってくるなんて、珍しいね」
彼女、影倉雅はグラス片手に訪問者へ一瞥を与えた。雅としては、その訪問者への興味なんて微塵もなかった。しかし、訪問者が連れてきた人物がいささか予想外の人物で雅はつい、二度見してしまった。連れてきたという表現は正しくないかもしれない。訪問者は彼女をおぶってきたのだから。
雅はその背負われている人物を知っている。
「哀子、そいつは刕織だよな」
「あぁ、そうだな」
訪問者もとい哀子はおぶってきた刕織をベッドへと寝かせた。
「なにがあったんだ?」
雅はグラスを机に置き、刕織の方へ寄った。
「ん……、これは……」
それはここで長年医者をしている雅にも初めて見るものだった。雅は思わず息を呑む。
刕織の服は所々が不自然に破れていた。何かに引っ掛けて破れたとか、焼き焦げたとかそういう類のものではなかった。もともと生地がそこだけなかったように、不自然なほど自然に穴が開いていた。
雅は刕織の服をめくり上げる。すると、丁度服の破けていた場所と同じところの肉がえぐれていた。皮膚が薄く皮下脂肪も少ないところは穴になっているほどだった。かといってどこにも血が流れた形跡がない。よく見ると、抉られている部分の縁に黒い砂のようなものがついている。雅はそれを指でこすり取り、目の前まで持って行って見てみた。しかし、何であるのか雅にはさっぱり分からなかった。
「どうしたらこんな傷になるんだよ。理解できないなぁ」
雅は哀子に問う。哀子はその場にあった粗末なパイプ椅子に腰掛け、面倒くさそうに口を開いた。
「ほら、例の少年。彼のオリジナルのAToCuの調査中の事故、とでもいおうか」
雅は眉をひそめる。
「噂になってる少年、か……」
記憶喪失の少年が保護されヴィレの哀子の部隊に入った、という話は一日もかからずヴィレ中に知れ渡っていた。勿論、雅も例外ではなく、ついさっきではあったが話に聞いていた。
「<力>の暴発、ね。ま、初心者にはありがちなことだけど。どんな<力>なのよ、彼のは」
「それなんだけどな」
と、哀子は口ごもりながら、胸ポケットのタバコの箱に手を伸ばした。すかさず、雅は哀子に鋭い視線を向ける。
「禁煙だよ。何度言ったら分かる? 紫煙は体に毒だ。それに、けが人の前で吸うもんじゃないよ。少なくともね」
哀子はそうだったな、と言いながらも、たくさんの資料やタブレットコンピュータが乱雑においてある雅の机を指さす。
「酒も体に毒だろう。いい加減、仕事中くらいはやめたらどうだ」
指差す先にはグラスにはいった半透明で薄茶色の液体。哀子の言うとおり酒である。その周りには同じような色のものがはいったボトル瓶や空の瓶が並んでいる。
「こ、これは……!」
雅はなんともわかりやすく、目を泳がせていた。
「それはその、酒は百薬の長ともいうし、適度な飲酒は逆に――」
どぎまぎと、自分でも何を言っているのかあまり分かっていないだろう。他人から指摘されることが苦手な雅は、指摘されてしまうとつい戸惑ってしまう。だから、すぐに言い返してくる哀子は苦手な存在だった。
哀子はそんな雅を蔑むような目で見、すぐに刕織の方へ視線を移した。
「お前の下手な言い訳は聞きたくない。それより、早く治療を頼む。施設内のある程度の細菌ウイルスは『和』が浄化しているが百パーセントとは言えないからな。雑菌が入るのは怖い」
「あ、あぁ。そうだね」
雅は気を取り直し、改めて刕織の傷口を見た。皮膚から、肉も含め削り取られている。しかも何箇所も。今見ているのは腹部だけだが、おそらく体中であろう。
「で、どんな能力なんだよ。その少年の<力>は」
医者である雅にとって、たくさんの情報を集めることは、治療の方針を建てるのに必須だ。
「データは取った。しかし、これはだいぶ特異な珍しい型だった」
「と、いうと?」
「情報関与型、内外双干渉能力」
雅は哀子の言ったことをすぐに口の中で反芻してみた。その<力>の型を哀子は聞いたことがあった。しかし、それはあくまで知識であり、実際にその<力>の保持者がいることは知らなかった。昔はいたらしいと聞いているが、少なくとも今はいないらしい。
雅は自分の知っている知識を組み合わせて治療法を考える。
「そうなると、直接の体組織再生か。厄介だなぁ」
雅は腕を組み、治療の方針を立てる。
雅は<自他回復能力>の使い手である。ヴィレ内では一二を争う高度な<キュア>で、その能力を最大限に活かし女医をやっている。とはいえ<キュア>は手をかざせばどんな傷や病気を治せるほど万能ではない。方針を明確にし、順序立てて計算する必要があるのだ。場合によっては徒手的な治療のほうが早いこともある。
「どれくらいかかる?」
哀子の問いに雅は所要時間を瞬時に割り出す。
「全身を見てねーからなんとも言えないけども、そうだな。最低でも百二十分くらいはかかるかな」
「そうか。分かった。ならば、それくらいいなったらもう一回のぞきにくる。最低でも意識は回復させておいてくれ」
言うと、哀子はさり気なくタバコを取り出し口にくわえ、部屋から出ていった。
その背中をなんとなく眺め、雅は椅子にかけてあった白衣ならぬ黒衣を身にまとった。そして、グラスにはいった酒をぐっと飲み干すと刕織の治療を始めた。
†
いい加減、何度目だろうか。いつ寝たのか、それと寝る前の記憶が一切ないのは。俺はまた気持ちの悪い目覚めを迎えた。こう何度も繰り返していると、寝ているのか起きているのか、どちらが現実なのか分からなくなってくる。
目覚めた俺の目に入ってきたのは、ぼんやりとこちらを覗きこむ綾乃の顔だった。綾乃は片手に持った透明な袋に入った、手に収まるほどのサイズのずんぐりとしたパンを食べている。
「目、覚めましたですか? アラシさん。おはようです」
綾乃の間の抜けたような声を浴びながら、俺は身体を起こす。途端、頭痛がした。ほんの一瞬だったが、刺すような痛みで、俺は頭を抱えた。
そんな俺を心配したのか、綾乃が心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫です……? くろわっさん、いりますか?」
「は?」
何を思ったのか、綾乃は俺にその手に持っていたパンを差し出してきた。どういう思考で、俺にパンを渡そうとしているのか。よく理解できなかったが、そこには綾乃なりの気遣いのようなものがあるのだろう。とはいえ、食欲もなかったので断った。
綾乃は少し残念そうな表情を見せたが、すぐにパンを頬張り満足気に微笑んだ。気のせいかもしれないが、なんだか見ているだけで癒される。
ところで、なんでまた綾乃は俺の部屋で、俺の傍でパンなど食べているのだろう。訊いてみると、俺の起きるのを待っていたとのことだった。
でも、俺自身記憶が無い。
「俺、どうしてたんだろ」
なかば独り言気味に、それでも目配せをして尋ねる。すると綾乃はきょとんとしていた。
「覚えてないんです?」
リスのように口に詰め込んでいたパンを飲み込んで、綾乃は不思議そうにこちらを見る。そんな目で見られても、覚えてないものは覚えてない。
「まぁ、いいです。後で哀子さんが説明してくれますですよ。……あ! そうだった!」
突然大きな声を出され、驚いた。こんな声も出るのか、と俺はどうでもいいことに感心する。俺が無駄に感心していると、綾乃は俺に一センチ角ほどの黒い板のようなものを差し出した。表面には白いインクでUPMと殴り書きされている。俺は直感で、それが哀子さんの書いたものであると確信した。
「これは?」
「はい。ヴィレ施設の最新マップデートデータです。アラシさんに哀子さんが渡したテレンは旧型ですから。マップが若干古いなのです」
俺はその黒い板を受け取り照明にかざしてみた。裏は電子基盤のようなものがのぞいている。どうやらデータのはいったチップのようだ。
「これ、どうやって使うんだ?」
尋ねると、綾乃は俺にテレンを外すよう言った。
「裏側にチップをはめるところがありますですから、かちって音が鳴るまで押し込んでくださいです。そしたら自動で更新されますー。数秒で完了しますですので、終わったらチップを取り外して、チップはゴミ箱にでも捨てておいてくださいです」
うなずき、言われたとおりにする。アップデートは確かに数秒で完了した。なにが変わったのかよく分からないが、何か新しいものがインストールされたのだろう。
使用済みのチップをベッド脇のゴミ箱に放り込み、俺はようやくベッドから抜け出した。
体を伸ばすと、あちこちが痛んだ。今朝のような爽快さはなかった。
「アラシさん、とりあえず、今はゆっくりしていてくださいです。えーと……、あと三十分位したら、三層B診察室へ行ってください。マップはテレンにインストールされたはずですから、それを見ればすぐわかりますです」
「あぁ。分かった」
俺は簡単にテレンの使い方を綾乃に教わり、テレンを起動させた。一、二手順を踏んで、マップを表示させる。今自分がいるのが二層とやららしく、とはいえ、そのB診察室とはそれほど離れていないようだった。
綾乃は俺にテレンの使い方を教えた後、役目が終わったのか、小さくお辞儀して部屋から出ていった。
ふっと部屋が静まりかえったように思えた。実際にここにはなにもない。俺すらもいないようなものだろう。
†
綾乃が部屋から出ていって三十分ほどして、俺は言われたとおり三層B診察室へ向かった。
部屋には言った俺を迎えてくれたのはこれまた奇妙な人物だった。
「やほー。君が噂の少年か。うんうん。雰囲気あるよ、君」
俺が部屋に入るなりそんな軽い挨拶。ここが診察室であるなら、彼女が医者なのだろうが到底そうは思えなかった。
第一に服装。少なくとも知識では医者は白衣を着ているものだと知っている。だが、彼女が着ているのは白衣ならぬ黒衣。形こそ白衣そのものであるのだが、色は一点の曇りもない漆黒。清潔感の欠片すらない。
「なんだ? そんな疑いを持った目でこちらを見て。警戒心強いのかな、君は。嫌われちゃうよ、そんなんじゃね」
にやにや笑いながらこちらに近づいて……って、近づきすぎだ。顔をこれでもかというまでに。吐息が感じられかねない距離。いや感じられた。酒臭い。俺は両手を伸ばして、これ以上近寄られるのを拒んだ。
そう、第二に彼女が今酒を飲んでいること。酒を飲むことそれ自体にはどうとも思わないが、ここは彼女の仕事場ではないのだろうか。医者が仕事場で酒を(浴びるように)飲むのはどうかと思う。そう思っている間にも、手に持ったグラスの酒を飲み干し。新たに酒を注いでいた。
本当に彼女は医者なのだろうか。ところで、俺は何でこの場所に呼ばれたのだろうか。きょろきょろと辺りを見てみるが哀子さんはいない。
「哀子はまだ来てないよ。君は彼女に呼ばれてきたんだろ?」
「……はい」
「まぁ、とりあえず座れや。立ちっぱってわけにもいかないだろう」
言って、彼女は俺に粗末なパイプいすに座るよう促した。断る理由もないので、遠慮なく腰をかけた。
「ところで、あなたは?」
酒を口にしながら、彼女は私かい、と自らを指さした。ほかに誰がいるというのだろう。ここにはお互いで二人しかいない。
「私は、影倉雅。このB診察室で女医をやってるんだ。よろしくな、焉堂アラシ少年」
ふい手を差し出され、俺は少し戸惑ったが、それが単なる握手を求めるものだと気づき、握手した。
それで雅さんはにっこりと笑い、彼女も部屋のすみの机のところからいすを持ってきて対面に座った。
俺はそこでふと、少し遅れて違和感を覚えた。
「なんで、俺の名前知ってるんですか?」
教えた覚えはない。それなのにどこで知ったのだろう。
「なんてことはないよ。君は結構有名人なんだよ。記憶喪失少年が保護されてヴィレにはいった、なんて、刺激のある出来事そう滅多にあることじゃねーからな。噂話は千里をも一瞬。広まるときはすぐ広がるのさ」
楽しそうにはなす雅さんだが、俺としてはあまりおもしろくない。自分でさえ知らなかった名前だ。それが多くの人間に結果として知られているのは複雑な心境なのだ。
つい、気が落ち込み俯いていると、雅さんは不意に立ち上がった。
「ほら、哀子はまだ来てないけど、あいつが君を呼んだわけは知ってるから。刕織はこっちだよ」
……刕織?
顔を上げ、雅さんを見る。彼女はついてこいとジェスチャーで表し、部屋の奥の方のカーテンで仕切られている方へ寄った。
「刕織、開けるぞ」
さっ、とカーテンが開かれる。
「あ……」
そこにはベッドの中で上半身を起こしている刕織の姿があった。瞬間、俺の頭の中に知らない映像が流れ込む。
広い広い部屋で刕織と対峙する自分の姿。
そこでようやく思い出した。なぜ忘れていたのだろう。
そうだ、俺は刕織と訓練のための模擬戦闘を……。
しかし思い出せたのはそこまでだった。対峙しているところまで。それ以上がどうしても思い出せない。
「刕織、体の方はどうだい?」
雅が刕織に尋ねる。刕織は雅ににこりと笑いかけ、もう大丈夫と告げた。
「そうか。それならよかった。体細胞の直接の再生はなかなか手間取るからなあ……。体に異変があったら、いつでも来ていいからね」
「うん、ありがとう。先生」
そんなやりとりをぼうっと見ていると、雅がこちらを見た。
「哀子も遅いようだし、代わりに私が説明するよ。二時間ほど前、君と刕織は模擬戦闘を行った。覚えているよな」
俺は迷ったが一応うなずいた。そこまでは覚えている。
「哀子曰く、その戦闘の中で進行を妨げる重大な障害が発生、強制的な処置をしたということだ」
「重大な、障害?」
「あぁ、そうだ」
重大な障害とは何だろう。何か引っかかる。それに、なんだか大事な部分をはぐらかされているような気がする。俺はこそっと刕織の方を見た。すると刕織もこちらの方を見ていて、視線が合ってしまった。しかし、向こうは目をそらすことはせず、じっとこちらを見るだけだった。
俺は雅さんの方へ視線を戻した。
「それで、どうなったんですか?」
「うん。結果、刕織は怪我を負い、君は哀子によって意識をトばされたんだ。あいつのことだ、かなり強く精神に接続したのだろう。君も副作用で少し記憶が飛んでいるのではないかな」
「なる……ほど……」
だいたい合点がいった。自分の記憶の欠落も、刕織がここにベッドで寝ているわけも。
とはいえ、完全に消化されたわけではない。まだ曖昧なところが多すぎてよくわからない。記憶さえ戻ってくれれば、と思うが。いずれ、ひょんなところで戻ってくるのを気長に待つしかないのだろうか。
俺はもう一度刕織の方へ視線を向けた。今まで気づいていなかったが、よく見ると腕などいろいろなところに包帯が巻いてある。重大な障害が何なのかは知る由もないが、よほど大変なことがあったらしいことは把握できた。
「……、なんだかよく分からないけど、大丈夫だったか?」
とりあえずなにか言葉をかけなくては、と口からでた言葉がそれだった。声をかけたあとで、着替えをのぞいてしまったことを思い出し、しまったと思った。
無視されるかな、とも思った。しかし、刕織は言葉こそ返してくれなかったが小さくうなずいてくれた。それだけでなんだかほっとした。
そのとき、部屋の扉が開いた。
「やあ、すまない。時間があいたからと、たまっていた仕事を片づけていたらつい遅くなってしまった」
すたすたと入ってきたのは哀子さんだった。哀子さんは部屋にはいるとすぐに俺の隣に並んだ。
「新崎、もういいのか?」
問いに刕織はこくりとうなずく。
「はい。先生のおかげで。もうウサギみたいに跳びまわれるくらい元気ですよ」
俺の時とは比較にならないほどの元気な声で答えていた。哀子さんは、そうかと言い、今度は雅さんの方へ向いた。
「どうもすまない。手間かけさせたな」
「いや、大丈夫だよ。ま、これが私の仕事だしね。それより哀子、そろそろ次の予定の時間じゃねーのか?」
「あぁ、そうだったな」
哀子さんは俺の方を見て、ニヤリと笑った。
「焉堂」
「……はい」
「今日はもうやることは終わりだ。この施設の案内をしよう」
「案内、ですか。ありがたいです」
まだここに来て間もない俺には願ってもない幸運だ。
「あ、いや。そうだ。ヴィレの案内をしてもつまらんかな。別ブロックの見学会といこう。案内は……」
哀子さんは刕織の方を見た。
「……私、ですか。この流れで普通させます?」
刕織は心底いやそうな表情を見せていたが哀子さんはおかまいなしに、
「それがさせるんだな、何というか。いや。簡単な話さ。なにせ私は普通じゃないからな」
意外にも自分で分かっていたらしく、俺と刕織のため息が重なった。
2-3です。
あとがきって何書けばいいかわかりません(いまさら
とりあえず今回も新キャラ登場です。
黒衣の女医さん。あとから気づいたんですが、黒衣で医者といえばBJですね・・・。
まぁパクリというわけではないんですが、温かい目で。




