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休日  作者: Atelier Lotus


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5/8

第5節 一日目

 翌朝、ソフィアはいつもの鐘の音で目を覚ました。

 目を開けると、見慣れた天井があった。閉じたカーテンのすき間から、朝の薄い光が部屋へ差し込んでいる。

 ソフィアは、しばらくそのまま横になっていた。

 鐘は一度、二度、三度と鳴り、静かな朝の空気へゆっくりと広がっていった。

 もう起きる時間だった。

 いつもなら、最初の鐘が鳴り終わるころには寝台を出ている。顔を洗い、髪を整え、法衣へ着替える。礼拝堂で祈りを捧げたあと、執務室へ向かう。

 そのころには、机の上へ一日の予定が置かれていた。

 ソフィアは布団の中で、今日の予定を思い出そうとした。

 朝の会議。各国から届いた報告。昼には外交使節との会談。午後には光魔法研究の確認。

 けれど、どれも今日の予定ではなかった。

 今日は休暇だった。

 昨日、サンセリテから一週間休むよう命じられた。

 仕事は置いていくこと。教会のことも、各国から届く報告も、すべてサンセリテが引き受けると言っていた。

 だから今日は、起きる必要がなかった。

 会議へ行かなくてもよい。書類を読まなくてもよい。誰かに会わなくてもよい。

 そう考えると、胸の中が少しだけ落ち着かなくなった。

(本当に、何もしなくてよいのでしょうか)

 ソフィアは天井を見つめた。

 何もしない。

 その言葉の意味が、よく分からなかった。

 祈ることは、してもよいのだろうか。本を読むことは。光魔法の練習は。部屋を掃除することは。

 どこまでが休暇で、どこからが仕事なのだろう。

 考えているうちに、頭の中へいくつもの予定が浮かんできた。

 せっかくいただいた休暇なのだから、無駄にしてはいけない。

 普段できないことをしよう。

 部屋をきれいにする。読みかけの本を読む。長く止まっていた光魔法の研究を、少しだけ進める。

 散歩へ出るのもよいかもしれない。

 町を歩き、人々の暮らしを見る。それなら今後の教会運営にも役立つだろう。

 そこまで考えたところで、ソフィアは小さく息を吐いた。

 結局、仕事へ戻っていた。

 人々の暮らしを見ることも、光魔法を学ぶことも、ソフィアにとっては誰かのためにすることだった。

 自分のために何かをする。

 そう考えてみても、何も思い浮かばなかった。

 それでも、起きなければならないと思った。

 せっかくの一日を、寝台の上で過ごすわけにはいかない。

 布団へ手をつき、身体を起こそうとする。

 けれど、腕へうまく力が入らなかった。

 少しだけ持ち上がった肩が、また枕へ沈んだ。

「あれ……」

 小さな声が漏れた。

 もう一度、起き上がろうとした。

 今度は肘をつき、身体を横へ向ける。足を寝台の外へ出そうとする。

 けれど、足は布団の中に残ったままだった。

 腕が重かった。脚も重い。胸のあたりには、小さな石を置かれているような感覚が残っていた。

 眠いわけではないと思った。

 目は開いている。頭も、少しは働いている。

 苦しいわけでもなかった。どこかに強い痛みがあるわけでもない。

 ただ、身体が動かなかった。

 起きようとするたび、まだ早いと身体の方から言われているようだった。

 ソフィアは枕元の時計を見た。

 まだ朝だった。

 時間なら、十分にある。

(もう少しだけ)

 横になろう。

 少し休めば、きっと起きられる。

 そう思って目を閉じた。

 眠るつもりはなかった。

 ほんの少し。鐘がもう一度鳴るまで。それくらいのつもりだった。

 けれど、意識はすぐに遠のいた。

 夢は見なかった。

 書類も、会議も、誰かの声もなかった。

 いつも眠りの中にまで残っていたものが、何一つ追いかけてこなかった。

 次に目を開けた時、部屋の中は薄暗くなっていた。

 朝の白い光ではない。

 カーテンのすき間から差し込んでいるのは、赤い光だった。

 夕暮れ。

 そう思って、ソフィアは何度か瞬きをした。

 目がまだ覚めていないのだと思った。少し待てば、部屋も明るく見えるはずだった。

 けれど、窓の外の色は変わらなかった。

 身体を起こす。

 今度は、朝よりも少しだけ楽に起き上がることができた。

 寝台から手を伸ばし、カーテンをゆっくりと開く。

 空は、赤から深い青へ変わろうとしていた。町の屋根には夜の影が落ち始めている。

 遠くで、夕刻の鐘が鳴った。

「……あ」

 ソフィアは、しばらく窓の外を見つめた。

 朝ではない。

 昼でもない。

 一日が、もう終わろうとしていた。

 時計を見る。針は、夜に近い時刻を指していた。

「寝過ぎました……」

 声に出すと、その事実が少しだけ重くなった。

 朝、目を覚ました。起きようとした。もう一度、目を閉じた。

 それだけで、一日が過ぎていた。

 ソフィアは寝台へ座ったまま、しばらく動かなかった。

 休暇の一日目。

 何もしていない。

 部屋を掃除していない。本も読んでいない。散歩にも行かなかった。

 町を見ることも、光魔法について考えることも、何一つできなかった。

 一日を丸ごと失ってしまったような気がした。

(もったいないことをしました)

 最初に浮かんだのは、その言葉だった。

 休暇は一週間しかない。

 そのうちの一日が、もう終わった。

 残りは六日。

 六日しかない。

 そう考えると、急に何かをしなければならないような気がした。

 今からでも本を読める。少しだけ部屋を片づけることもできる。夜の町を歩くことは難しくても、教会の中庭なら散歩ができる。

 ソフィアは寝台から立ち上がった。

 床へ足をつける。

 身体が少し揺れ、寝台の縁へ手を置いた。

 けれど、倒れるほどではなかった。

 朝よりも、昨日よりも、身体がほんの少し軽かった。

 肩へ置かれていたものが、少しだけ小さくなっている。頭の奥を覆っていた霞も、薄くなっていた。

 胸のあたりへ手を当てる。

 いつも感じていた重さは、まだ残っている。

 けれど、ほんの少しだけ遠くなっていた。

 ソフィアは、自分の手を見つめた。

 眠っただけだった。

 朝から夕方まで、何もせず、誰とも会わず、何の役にも立たず、ただ眠っていた。

 それだけなのに、身体は昨日とは少し違っていた。

(眠ることも、必要だったのでしょうか)

 そう思ってから、すぐに打ち消したくなった。

 眠ることは、誰にでもできる。何かを成し遂げたわけではない。誰かを助けたわけでもない。

 それを休暇と呼んでよいのだろうか。

 休暇とは、もっと楽しいものではないのだろうか。

 町へ出掛けたり、好きなものを食べたり、誰かと笑ったりする。そういう時間を、休暇と呼ぶのではないだろうか。

 眠って終わった一日には、何も残っていない。

 そう思った。

 けれど、身体には何かが残っていた。

 昨日よりも、ほんの少しだけ楽に息ができる。

 目には見えない。誰かへ見せることもできない。

 それでも、その小さな違いは確かにあった。

 ソフィアは、部屋の中を見回した。

 机の上には、書類がなかった。

 いつもなら高く積まれているはずの紙の束がない。予定表も、報告書も、署名を待つ書類も置かれていなかった。

 机は広かった。

 こんなに広いものだったのだと、初めて気づいた。

 窓辺へ歩く。

 夜になりかけた王都には、少しずつ明かりが灯り始めていた。

 家々の窓。通りの魔法灯。遠くの店先。

 誰かが夕食の支度をしているのか、細い煙が屋根から上がっている。

 町は、ソフィアが眠っているあいだも動いていた。

 朝になり、人々が起き、働き、夕方を迎えた。

 ソフィアが何もしなくても、一日は過ぎていった。

 自分が仕事をしなければ、何かが止まってしまうような気がしていた。

 けれど、王都はいつもどおり夜を迎えている。

 鐘も鳴った。

 町の明かりも灯った。

 世界は動いていた。

 ソフィアが一日眠っていても。

 それは、安心してよいことなのだろうか。

 少し寂しいことなのだろうか。

 自分でも分からなかった。

 ただ、誰かが代わりに仕事をしてくれている。

 誰かが、自分の知らないところで今日を支えてくれている。

 そのことだけは分かった。

「ありがとうございます」

 声に出してみた。

 誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 サンセリテへ。秘書へ。神父や修道女たちへ。今日、自分の代わりに働いてくれたすべての人へ。

 小さな声は、夜の部屋へ静かに消えた。

 そのあと、ソフィアは簡単な食事をとった。

 修道女が持ってきてくれた、温かいスープとやわらかなパンだった。

「よくお休みになれましたか?」

 皿を机へ並べながら、修道女が尋ねた。

「はい」

 ソフィアは少し迷ってから頷いた。

「一日中、眠ってしまいました」

「それだけ、お疲れだったのですよ」

「でも、せっかくの一日を」

「眠るために使ったのなら、無駄ではありません」

 修道女は、当たり前のことを言うように微笑んだ。

 ソフィアは、すぐには返事をしなかった。

 眠るために使った一日。

 そのような考え方をしたことがなかった。

 一日は、何かをするためのものだと思っていた。

 学ぶ。働く。助ける。進む。

 けれど、何もしないために使う一日もあるらしい。

 スープを一口飲む。

 温かかった。

 舌の上へ、塩の味が少し残った。それから、やわらかく煮えた野菜の甘みが広がった。

 ソフィアは、もう一口飲んだ。

 昨日までの食事とは違っていた。

 料理が特別なものだったわけではない。

 自分が、味を感じていた。

 そのことに気づいた。

「おいしいです」

 思わず口にすると、修道女はうれしそうに目を細めた。

「よかったです」

 それだけの会話だった。

 けれど、ソフィアの胸には、小さく残った。

 食事を終え、顔を洗い、寝間着へ着替えた。

 昼まで眠っていたのだから、夜は眠れないかもしれないと思った。

 けれど、寝台へ入ると、身体はすぐに布団の温かさへ沈んでいった。

 目を閉じる。

 明日は何をしよう。

 そう考えかけた。

 部屋を掃除する。本を読む。町へ出る。

 いくつかの予定が浮かんだ。

 けれど、今日はもう考えなくてもよいような気がした。

(明日のことは、明日、考えましょう)

 昨日までなら、考えることをやめる方が難しかった。

 けれど、その夜は違った。

 眠りは、すぐにやってきた。

 休暇の一日目。

 ソフィアは何も成し遂げなかった。

 誰も救わず、何一つ前へ進めなかった。

 それでも、眠りの中へ置いてきたものが、ほんの少しだけあった。

 そのことを、ソフィアはまだうまく言葉にはできなかった。

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