第2話 読んだだけ
# 第2話 読んだだけ
放課後の教室で、俺は提出済みの応募作を読み返していた。
昨日の夜、学校の提出フォームから送った文芸コンテスト用の原稿だ。学校経由で応募する形式で、国語科が一度確認する。受賞すれば推薦資料にも添付できると、創作担当の榊原先生は言っていた。
本文とは別に、作品概要シートも提出した。タイトル、あらすじ、主要人物、制作意図。講評希望欄もあったが、そこは触らなかった。確認画面に何が出ていたかは覚えていない。
仮題は『透明な放課後』。
自分でつけたタイトルなのに、印刷してから少し嫌になった。綺麗すぎる。中身を隠したいときほど、こういう題をつける。
赤ペンで冒頭の二行に線を引いていると、教室の前のドアが開いた。
久我伊織だった。
久我は、うちのクラスで目立つ方ではない。けれど、発言は残る。国語の授業で教師が「この場面で、主人公は反省しているんだね」と言ったとき、久我は教科書を見たまま、「反省しているとは書いてありません」と返した。理由を聞かれると、「謝罪の言葉はあります。でも、自分が何をしたかは言っていません」とだけ足した。
文化祭の委員決めでも、誰かが「できる人でうまく分担しよう」と言ったとき、久我はすぐに「できる人って誰」と聞いた。その一言で担当表が作られた。
言葉は短い。
でも、言われた側が曖昧なままではいられなくなる。
その久我が、プリントの束を持って俺の席に近づいてくる。
机の前で止まり、持っていたプリントを置いた。右上に青いスタンプが押されている。
校内選考用。
タイトルが見えた。
『透明な放課後』
俺の応募作だった。
「それ、俺の?」
「うん」
「なんで久我が持ってるの」
「創作準備室にあった。講評対象の棚」
「俺、講評なんか希望してないけど」
「管理票には、講評対象って出てた」
久我は作品概要シートの裏を見せた。提出日時、クラス、氏名、作品番号。その下の講評対象欄に丸がついている。
「俺、ここ触ってない。初期設定のまま出しただけだと思う」
「なら、初期設定で対象になったのかもしれない」
「そんなことあるか?」
「分からない。私は入力してないから」
久我はそこで一度、原稿に目を落とした。
「あと、束に付箋が貼ってあった」
「付箋?」
「類似確認、って書いてあった」
すぐには意味が分からなかった。
「類似って、何に?」
「知らない。そこまでは書いてなかった」
「じゃあ、なんで持ってきたんだよ」
「本人に言った方がいいと思ったから」
久我は少し間を空けた。
「あと、読んだから」
「読んだのか」
「うん」
「読むなよ」
思ったより強い声が出た。
「俺は学校に出したんだよ。久我に読ませるために出したんじゃない。講評対象って言われても、俺は希望した覚えがない」
「そこは悪いと思う」
久我はあっさり言った。
「でも、読んだ。赤も入れた」
「赤?」
久我が原稿を開いた。
赤線が多かった。作品概要シートにも、本文にも、余白にも、短い書き込みがある。
「多いな」
「気になったところに引いた」
「全部気になってるじゃん」
「全部ではない」
「これで全部じゃないのかよ」
俺は原稿を見下ろした。
「久我、まさか全部説明する気だった?」
「そのつもりだった」
「やめろ。一個にしろ。一番気になったところだけ」
久我は数枚めくり、作品概要シートを前に出した。
主要人物欄。
――人の言葉を覚えすぎるせいで、いつも少しだけ遅れて傷つく少年。
そこに赤線が引かれていた。
「本文じゃないのかよ」
「ここが一番」
「主人公説明?」
「うん」
「なんで」
久我は赤線を指で押さえた。
「嫌だった」
俺はしばらく久我を見た。
「いきなり人の原稿持ってきて、勝手に読んで、赤線いっぱい引いて、一番気になったところが主人公説明で、理由が嫌だった?」
「うん」
「久我、それを言われる俺の気持ち考えた?」
「嫌だと思う」
「正解」
久我は少しだけ目を伏せた。だが、すぐに赤線へ視線を戻した。
「でも、嫌だった。この説明だと、主人公は傷つく側にいる。でも、この主人公がしていることは、人の言葉を覚えること。人が言ったことを持って帰って、あとで意味をつけること。覚えられた側のことは書いてない」
「主人公紹介なんだから、主人公側から書くだろ」
「それは分かる」
「分かるなら」
「でも、嫌だった」
同じ言葉が戻ってきた。
俺は息を吐いた。
「小説の人物は、現実の誰か一人じゃない。聞いた言葉とか、見た表情とか、何人かの態度とかを混ぜる。名前も変える。状況も変える。そうやって別の人物にしてる。だから、これは誰々のことです、みたいに読まれても困る」
久我は黙って聞いていた。
「分かる」
「ならいいだろ」
「でも、混ぜたら元の人が見えなくなる。誰か一人じゃなくなる。でも、どこかから覚えてきた感じは残ってる。そこが嫌だった」
教室の外から運動部の声が聞こえた。
俺は赤線を見た。
自分で書いた一文なのに、久我の線の方が目に入る。
「類似確認って、つまり盗作ってことか」
口に出してから、言葉が大きすぎたと思った。
久我も、すぐには答えなかった。
「そこまでは知らない。確認って書いてあっただけ。でも、読んだ感じでは、盗作には見えなかった」
「なんで」
「瀬尾の文章だったから。嫌なところも含めて」
「褒めてないな」
「褒めてない」
「分かってるよ」
久我は、校内選考用のコピーを俺の方へ押した。
「講評対象になってたことと、類似確認の付箋のことは、先生に聞いた方がいいと思う」
「榊原に?」
「うん。私は、その紙を見ただけだから」
久我はそう言って、教室を出ていった。
机の上には、校内選考用のコピーが残っている。
青いスタンプ。
大量の赤線。
講評対象の管理票。
類似確認の付箋。
自分で出した作品なのに、自分の知らない形で扱われている。
俺はスマホを取り出し、メモアプリを開きかけた。
――嫌だった。
――覚えられた側のことは書いてない。
――盗作には見えなかった。嫌なところも含めて。
打ち込む前に、指が止まった。
今の久我の言葉をメモしたら、また同じことになる気がした。
迷っていると、スマホが震えた。
学校ポータルの通知だった。
【進路指導部】応募作品の確認面談について
俺はしばらく、その文字を見ていた。




