ひまり、鳥栖の団に合流す
このゲームでは、強くなるために空艇団への加入がほぼ必須となっている。
鳥栖もまた、勧誘を受けて現在の団に所属していた。
しかし、その団は基本リアル重視のまったり団であり、外部SNSで全体招集がかかることはそう多くない。
考えられる理由は、ただ一つだった。
「新しい団員さんですかね?」
鳥栖の団は、良くも悪くもゆるい。
ノルマもない。団チャットの参加義務もない。イベント順位に血眼になる空気もない。
ただ、新規団員の顔合わせだけは別だった。
まったり団にも、数少ない『ちゃんとしなければいけない日』というものがある。
「正直、面倒くさいかも……でも、行かなきゃだよね」
とはいえ、この団はゲーム全体で見ればまだまだ新興の部類であり、団員の入れ替わりもそれなりに激しい。顔合わせは珍しいことではなく、むしろ団に所属している以上は避けて通れない行事でもある。
鳥栖は少しだけ面倒くさそうに眉を顰めながら、DM欄をそっと閉じた。
「こんばんは~」
その日の夕方、ログインした鳥栖は、一足先に団の集会場へと足を運んだ。
集会場は、空艇の中にある木造風の談話室だった。
中世ヨーロッパ風の船内をイメージしたのか、壁も床も木板のテクスチャで統一されており、少しだけツリーハウスに似ている。
もっとも、今はその温かみが逆に薄気味悪かった。
誰もいないからだ。
しかし、時刻はまだ五時を少し回ったばかり。
団のメンバーは大多数が社会人であり、定時上がりでもまだ家には帰り着いていない者がほとんどだ。
だから、誰もいないこと自体は不自然ではない。
それでも、鳥栖は妙に落ち着かなかった。
──誰もいないと、こんなに広く感じるんですね……。
そんなことを思いつつ、鳥栖が団員用のプライベート倉庫へと続く廊下を歩いていると。
突如、トントン、と肩に人の手の感触が走った。
「ひっ」
思わず情けない悲鳴を上げながら後ろを振り向くと、そこには一人の女性アバターが立っていた。
「あ、ごめ~ん、加奈ちゃん。私だよ、ひまりだよ」
甘ったるいロリータ風の汎用ボイス。
長髪のスラリとした女性アバター。
そして、名前は有栖川ひまり。
数週間前から雑談部屋に現れ、橘から「ネカマ臭い」と評され、リムルからは「出会い厨じゃないか」と疑われている、あのひまりである。
「あっ、ひまりんでしたか……ん?」
一瞬納得しかけた鳥栖だったが、直後、強烈な違和感に襲われた。
──何で、ここにいるの?
幾らこの団に入って日が浅いとはいえ、流石に鳥栖も団員全員との顔合わせは済んでいる。
団内でひまりと顔を合わせた記憶はないし、何よりあれだけ特徴的な甘ったるいボイスを使っているプレイヤーに気づかないなど、まずあり得ないはずだった。
考えられることは一つ。
「団長さんから団員召集がかかってたので、何事かと思ってたんですけど……ひまりんが新しく加入するってことだったんですね」
「多分せいか~い☆ それにしても偶然だね、まさか加奈ちゃんと同じ団になるなんて」
偶然。
その言葉だけが、妙に早かった。
鳥栖が疑問を口にする前に、ひまりは自分からそれを偶然と呼んだ。まるで、そういう名前を付けてしまえば、本当に偶然になるとでも言うように。
「じゃ、私は余った武器をプライベート倉庫に置いてくるから、またね☆」
そう言って、ひまりは四輪の箱車を牽きながら、にこやかに廊下の奥へと去っていった。
鳥栖は、その背中を見送った。
鳥栖は驚いた。
だが、ひまりは驚いていなかった。
その差が、妙に気持ち悪かった。
鳥栖がひまりに団を教えた記憶はない。
けれど、ひまりはそこにいた。
それだけで、リムルの忠告は急に輪郭を持ちはじめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日前。
「なんか、俺の変な噂が広がってるけど、何なんだろうな」
公務員の激務からようやく解き放たれたリムルが雑談部屋に戻ると、早速、界隈の中でも騒が……いや、賑やか勢であるれびーやほのるるから、盛大な洗礼を浴びせられることになった。
実年齢は恐らく同年代とはいえ、リムルに比べれば彼らの精神年齢は低い。
ニート、ヒモ、生活保護、平日朝ログインの罪。
どこかで聞いたような悪質なデマを、彼らは悪意半分、面白半分、そして残りの半分は何も考えていないテンションで擦り続けた。
ただ、リムルはそういう相手にいちいち反応するほど若くもなければ、優しくもなかった。
しばらくすると、れびー達はリムルの歯牙にもかけない態度に飽きてしまったのか、別のFPSのオンラインゲームの話へと逃げていった。
「大丈夫でしたか?」
そんな彼らが去っていくのを見計らって、鳥栖はリムルに話しかけた。
「平気だよ。ああいう輩はすぐに飽きるって分かってたし、傷ついたとかはないんだが……正直、迷惑はしてるわ」
リムルは少しだけ眉を顰める。
「一体どんな陰湿野郎なんだろうな、こんな嫌らしいことしてくれた奴は」
「心当たりとかはないんですか?」
「……あるっちゃある」
リムルは少し間を置いた。
「なんなら、ソイツしかいないと思ってる。鳥栖もよく知ってる奴だよ」
「ひまりん……ですか?」
「ご名答。やっぱり鳥栖の前でグランドオーダーに負けたことを根に持ってやがるわ、アイツ」
「え? でも……」
あの場では納得していたはず。
そんな言葉が、鳥栖の喉元まで出かかった。
ひまりは落ち込んではいたが、リムルに慰められた後は笑っていたし、鳥栖にも「また一緒に行ってくれる?」と弱々しげに聞いてきた。
少なくともその時の鳥栖には、ひまりがそこまで恨みを抱いているようには見えなかった。
けれど、同時に別の記憶も脳裏に浮かぶ。
やけに距離感が近かったこと。
グランドオーダーに誘ってきた時、最初から二人きりを前提にしていたこと。
そして、リムルが来た瞬間、ほんのわずかに空気が変わった気がしたこと。
結局、その反論は口から出ることなく、二人の間をしばしの静寂が支配した。
「──鳥栖は、出会い厨って生き物を知ってる?」
その静寂を破ったのは、リムルだった。
「橘さんから以前、クッキーさんって名前の出会い厨が雑談部屋にいたと聞いたことがあります」
「そっか。なら話が早い」
リムルは少し声を落とした。
「俺が見るに、ひまりもその類だと思う。ネカマ臭も凄いしな」
「ひまりんが……出会い厨?」
鳥栖には、リムルの言葉がすぐには理解できなかった。
ネカマ。
出会い厨。
どちらも言葉としては知っている。
だが、その二つがどう繋がるのかが分からなかった。
「ネカマやってる出会い厨は珍しくないよ。女のフリをした方が、女の子に近づきやすいからな」
「でも、男だってバレたら……」
「バレる頃には、もう逃げにくくなってるんだよ」
リムルは淡々と言う。
「最初はゲーム内で親切にする。次に外部SNS。次に通話。相談役。味方。理解者。そこまでやってから『実は男なんだ』って出す」
「……」
「で、引こうとしたら『今まで仲良くしてくれたのに?』って被害者面する。そういう手口」
鳥栖は何も言えなかった。
リムルの声は怒っているようで、しかしどこか冷静でもあった。
まるで、そういう人間を何度も見てきたことがあるみたいに。
鳥栖も、『ネット上で知り合った男に女子中学生・女子高校生が連れ去られた』というニュースを見たことはある。
けれど、それはあくまでニュースの中の話であり、自分のいる世界とは少し違う場所で起きる出来事のように感じていた。
少なくとも、自分がその当事者になるとは考えたこともなかった。
「他人事ではいられないよ」
「え?」
「奴のターゲットは、多分鳥栖だからな」
まるで心の中を見透かすかのようなリムルの指摘は、鳥栖にとってまさに青天の霹靂だった。
ヒナノのような圧倒的な陽キャでもなく、橘めるのように誰とでも上手くやれる人間でもない。
現実でも交際経験はなく、興味があるかないかはともかく、自分がモテるタイプの人間ではないことくらいは分かっているつもりだった。
だからこそ、自分が誰かに狙われるという発想そのものが、鳥栖にはなかった。
「ま、まさか……」
「ああいう出会い厨は、個人情報をホイホイ提供してくれるような隙だらけの子か、鳥栖みたいな大人しめの女の子を狙う生物なんだよ」
「……」
「ひまりの中身は多分おっさんだ。もし仮に鳥栖が狙われていないにしても、一度橘さんに相談した方がいい」
「橘さんに、ですか?」
「あの人は、そういう修羅場をかなり潜り抜けてきてるはずだからな。絶対に綺麗な対応はしないだろうけど、少なくとも鳥栖の力にはなってくれると思う」
「綺麗な対応はしないんですね……」
「しないだろ」
リムルは即答した。
鳥栖は少しだけ苦笑しそうになったが、笑い切ることは出来なかった。
「でも、こういう時は綺麗なだけの人間より、多少性格が悪い味方の方が役に立つこともある」
「……分かりました」
鳥栖は頷いた。けれど、心のどこかではまだ納得し切れていない。
ひまりは確かに距離が近かった。
だが、優しい。マルチにも誘ってくれる。今のところ、鳥栖に何かを強要してきたわけでもない。
グランドオーダー以降も何度か一緒にマルチへ行ったが、その時のひまりには特に異常らしい異常はなかった。
親切で、よく喋り、少し距離が近いだけ。
疑うには気味が悪く、断じるには材料が足りない。
──自分の心の中に留めておくだけにしておこう。
当時の鳥栖は、そう判断していた。
◇◇
「やっぱり、橘さんに相談しておこう……」
ひまりが団の廊下の奥へ消えていった後、鳥栖はその場に立ち尽くしたまま小さく呟いた。
やはり、自分は狙われているのではないか。
そんな疑念が、ここに来て初めて鳥栖の脳裏をはっきりとよぎった。
同じ団にたまたま来た。
言葉にすれば、それだけである。
けれど、どう考えても偶然が過ぎる。
もし本当に自分がいるからという理由でこの団に来たのだとすれば、事前に何らかの相談があってもおかしくないはずだった。
だが、そんな連絡は鳥栖のもとに一切来ていない。
ただ、いつの間にか同じ団に入っていて、何も知らない鳥栖の肩を、当然のように後ろから叩いてきた。
その事実が、妙に気持ち悪かった。
「こんばんは、橘さん」
その日の夜。
鳥栖はいつもより少し緊張した面持ちで、雑談部屋のルームに参加した。
「やあ、鳥栖ちゃん。どうしたの?」
橘はちょうど、太公望やカズヤと談笑しているところだった。
何の話をしていたのかは分からないが、カズヤがやたらと「台湾の屋台はいいぞ」と言い、太公望が「金と時間をください」と返し、橘が「財布に札束を入れてもらえ」と雑に流していたあたり、恐らく中身のある話ではなかったのだろう。
しかし、鳥栖の様子を見るなり、橘の声色がほんの少しだけ変わった。
「いつになくおどおどしてるね。何があった?」
「実は、リムルさんから『橘さんに相談した方が良い』と言われた件がありまして」
「……詳しく」
橘の目が、ギラッと変わった。
さっきまで人間の顔をしていたのに、急に猛禽類になった。
ただし、その隣にいた太公望は橘とは少し違う反応をする。
彼はワンテンポ置いてから、だるそうに息を吐き、いつもの柔らかい雰囲気を残したまま口を開いた。
「あー……それ、案件じゃね?」
声は眠そうだった。
けれど、目だけは全然眠そうではなかった。
「鳥栖ちゃん」
橘が笑った。
「安心して。たぶん最悪寄りの話だよ」
「安心要素どこですか?」
鳥栖はその瞬間、自分が相談相手を間違えたのか、それともこれ以上ない正解を引いたのか、少しだけ分からなくなった。




