表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
橘フレンズ!  作者: 柊ナツキ
有栖川ひまり編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/7

ひまり、豹変す 前編

「実は……」


 鳥栖は二人に話した。


 リムルが、自身に流れた悪質な噂の出所をひまりだと考えていること。


 その原因が、鳥栖を誘ったグランドオーダーのマルチで、リムルに負けたことではないかと推測していること。


 そして、そのひまりが、何の前触れもなく鳥栖の所属する空艇団に移ってきたこと。


 話しながら、鳥栖は自分の声が少しずつ小さくなっていくのを感じていた。

 言葉にしてみると、あまりにも状況証拠ばかりだったからだ。


 確実な証拠はない。

 けれど、偶然と呼ぶには出来すぎている。


 その中途半端さが、鳥栖の不安を余計に膨らませていた。


「やっぱりね」


 鳥栖が話し終えた後、橘の反応は意外にも落ち着いたものだった。

 驚くでもなく、騒ぐでもなく、ただ何かの答え合わせを終えたように頷いている。


「橘さんは、全部ご存じだったんですか?」


「まさか」


 橘はあっさり首を振った。


「でも、それで辻褄が合うんだよ。欠けてたピースが、気持ち悪い形ではまった感じ」


「気持ち悪い形……」


「そもそも僕の記憶だと、ひまりはリムルさんと同じ団にいたはずなんだよね」


 橘は指先で宙を叩くようにしながら、思い出すように続ける。


「リムルさんの団って、美和さんのところでしょ。あそこ、雑談部屋のメンバーが何人か所属してるし、イベントも毎回最上ランクのA帯を突っ走ってる。そこから鳥栖ちゃんの団に移るメリットってある?」


「……ないと思います。私の団は、雑談部屋のメンバーは私一人ですし、イベントもB帯上位くらいです」


「だよね」


 橘は頷いた。


「もちろん、ガチ寄りからまったり寄りにしたいって理由なら分かるよ。でも美和さんの団って、別に空気がギスギスしてるわけじゃないんだよね」


 美和。

 雑談部屋にいる社会人勢の中心人物の一人である。


 雑談部屋には、大きく分けて二つの空気があった。


 一つは橘や太公望、鳥栖たちに近い学生・若年層寄りの空気。

 もう一つは、美和やリムルを中心とした社会人寄りの空気である。


 ただし、二つの派閥は決して仲が悪いわけではない。むしろ比較的良好だった。


 単に、社会人勢の話題が攻略情報、仕事、酒、グルメに偏りがちで、学生側がそこに混ざるには少し敷居が高いというだけの話である。


 金銭的余裕もなければ、酒の味も知らない鳥栖からすると、社会人勢の「この前食べた牡蠣が」みたいな話題はもはや異国の風習に近かった。


「美和さんの団は、A帯だけど空気はまったりめ。雑談部屋の知り合いもいる。報酬もおいしい。人間関係もある」


 橘は一つずつ指を折る。


「で、鳥栖ちゃんの団は、鳥栖ちゃん以外に雑談部屋のメンバーはいない。報酬も下がる。知り合いもほぼいない」


「はい……」


「普通に考えたら、移る理由がない」


 橘が悪戯っぽく笑う。


「──鳥栖ちゃん以外にはね」


 その一言で、鳥栖の背筋が少し冷えた。


「やっぱり怪しいんだよね。リムルさんの言う通り、鳥栖ちゃんを狙ってる可能性が高い」


「で、問題はここからなんだけど」


 そこで太公望が口を開いた。

 いつも通り、少し眠そうな声。


 けれどその瞬間、鳥栖は背筋に薄い冷たいものが走るのを感じた。


 太公望の表情から、先ほどまでの柔らかい雰囲気だけが、音もなく消えていた。


 鳥栖が知っている太公望は、よく寝落ちして、橘の隣でゆるく相槌を打ち、たまに妙な冗談を言う人だった。

 壁際で置物になっていた時の方が、まだ理解しやすい。


 だが今の太公望は違う。

 目が、状況を見ていた。人ではなく盤面を見ていた。


 誰がどこにいて、誰が何を言えば、どこが燃えるのか。

 その先まで、最初から見えているような目。


 鳥栖は思わず橘の方を見た。


 橘は驚いていない。

 つまり、これは橘にとっては見慣れた太公望なのだ。


「正直、今できることは少ない」


 太公望はの声は、淡々としすぎてかえって怖かった。


「少ない、ですか?」


 鳥栖が聞き返すと、太公望は軽く頷いた。


「ひまりがキモいのと、潰せるかどうかは別問題なんだよね」


「言い方」


 橘が笑う。


「いや、そこ分けないと事故るでしょ」


 太公望はだるそうに返した。


「ワタシも、ひまりが鳥栖さんを狙ってる可能性は高いと思う。というか、状況だけ見たらほぼ黒寄り。でも、今のところ鳥栖さんには実害が出てない」


「……はい」


「状況証拠はある。でも証拠はない」


 その言葉に、鳥栖は何も言えなくなった。


 正直、偶然とは思えない。

 だがひまりはまだ鳥栖に何かを強要したわけではない。暴言を吐いたわけでも、個人情報を聞き出したわけでも、現実で会おうと迫ったわけでもない。


 今あるのは、気味の悪い偶然の積み重ねだけだった。


「今こっちから殴ると、鳥栖さんが悪役になる」


 太公望は淡々と言った。


「ひまりを追い出そうとする。ひまりが『私、何もしてないのに』って被害者面する。鳥栖さんの団員からすると、よく知らない新規団員が、よく知らない理由で責められてるように見える」


「……」


「そうなったら、団内では鳥栖さんの方が面倒な人に見える可能性がある」


 鳥栖は思わず俯いた。


 嫌な想像だったが、想像できてしまう。


 新しく入ったひまりが泣きそうな声で「私、何かしましたか?」と言う。

 鳥栖は説明しようとする。

 けれど、証拠はない。


 グランドオーダーでリムルに負けたこと。リムルのデマ。団移籍。距離感。


 一つ一つを並べても、ひまりを知らない団員には「考えすぎでは?」と思われるかもしれない。


「つまり、今はどうにも出来ないってこと?」


 橘が腕を組みながら言う。


「疑わしきは罰す、で行くなら出来るよ」


 太公望はあっさり言った。


「一番早いのは、こっちも噂を流すこと。『ネカマが女子プレイヤーを狙ってるらしい』って話なら、すぐ広まる。ひまりは雑談部屋からいなくなると思う」


「じゃあ、それを……」


「やめた方がいい」


 太公望は即答した。


「リムルさんにやられたことを、今度はこっちがやるだけになる。証拠なしで噂を流したら、やってることは同じだよ」


 鳥栖はそこで初めて気づいた。


 リムルを傷つけたのは、証拠のない噂だった。

 それを利用してひまりを追い出せば、自分たちも同じ種類の刃を握ることになる。


「それに、ひまりが鳥栖さんを逆恨みする可能性が高い」


 太公望は続けた。


「特に今、ひまりは鳥栖さんの団にいる。雑談部屋から追い出されたとしても、団内で反撃できる位置にいるんだよね」


「反撃……」


「たとえばだけど」


 太公望は少しだけ目を細めた。


「『私は何もしてないのに、鳥栖さんが雑談部屋の人たちと一緒に私の悪い噂を流しました』って言う。で、『謝ってください。雑談部屋での噂も否定してください。あと、変な入れ知恵をしてくる人たちとは距離を置いてください』みたいな方向に持っていく」


 あり得ないとは、言い切れない。

 ひまりの甘ったるい声で、それを言う姿が容易に想像できてしまったからだ。


「そうなると、ひまりは鳥栖さんに対して優位に立てる。鳥栖さんが悪いことをした、謝る側になった、という形が作れるから」


「うわ、嫌な手口」


 橘が顔をしかめた。


「最悪寄りって言ったでしょ」


「言ったけど、太公望が言語化すると余計に嫌だね」


「それは申し訳ない」


 全く申し訳なさそうではない声だった。


 鳥栖は二人のやり取りを聞きながら、改めて太公望を見る。


 普段の彼は、どこか抜けていて、よく寝落ちして、橘の隣でゆるく話している印象が強い。


 だが今は違った。

 表情こそ穏やかだが、言葉は淡々と最悪の道筋をなぞっている。


 まるで、燃えそうな場所と、燃えた後に延焼する方向を最初から知っているかのように。


「別に今の団に思い入れがないなら、方法はある」


 太公望が鳥栖を見る。


「さっさと退団して、距離を取る。その上で、必要なら雑談部屋側で注意喚起する。鳥栖さんが団内で反撃される心配は減るし、ひまりも追いにくくなる」


「今の団を、ですか」


 鳥栖は少し考え込んだ。


 今の団は、彼女にとって二つ目の団だった。


 だが、一つ目の団は全員無言の非アクティブ団で、ログインしても誰も話さず、団チャットには数ヶ月前の挨拶が化石のように残っているだけだった。


 だから実質、今の団が鳥栖にとって初めての団と言ってよい。


 初めて挨拶が返ってきた団。

 初めて名前を覚えてもらえた団。

 初めて、ログインした時に誰かがいると思えた団。


 そこを、まだ何もされていない相手のために捨てるのは、どうしても嫌だった。


「……やっぱり、ちょっと難しいです」


「だよね」


 太公望はやや残念そうに、しかし納得したように頷いた。

 橘は柔らかく笑って言う。


「鳥栖ちゃん、そういうタイプだもんね。居場所を捨てて逃げるより、居場所を守りながら何とかしたいタイプ」


「それが面倒なルートなんだけどね」


 太公望は言った。


「言い方」


「事実だし」


 太公望は全く悪びれない。

 だが、その言い方に鳥栖を責める響きはなかった。

 ただ、盤面が面倒になったと確認しているだけだった。


「じゃあ、次善策」


 太公望は少し姿勢を正した。


「というより、後々のダメージを最小限に抑えるための予防策かな。今できることは、ひまりを潰すことじゃなくて、鳥栖さんが孤立しないようにすること」


「孤立しないように……」


「そう。ひまりが団内で何かしてきた時に、『鳥栖さん一人の思い込み』にされないようにする」


 太公望は指を一本立てた。


「まず、団内で一人だけ話を通しておく」


「団長さんですか?」


「いや、副団長」


「副団長?」


「団長って基本、最終決裁役なんだよね。いきなり持っていくと話が大きくなるし、証拠がない段階だと動きにくい。だから、普段から団内を見ていて、かつ鳥栖さんの話を冷静に聞ける人がいい」


「でも、誰に……」


「鳥栖さんの団に、柏陽さんっているでしょ」


 その名前に、鳥栖は少しだけ目を見開いた。


 柏陽。

 鳥栖の所属する空艇団の副団長の一人である。


 団チャットでの発言は多くないが、イベント前の確認や新規団員への案内、トラブル時の連絡などを淡々とこなしている人物だった。


 口調は丁寧で、温度は低い。

 鳥栖から見ると、優しいというよりは正確な人という印象だ。


「柏陽さんに、相談するんですか?」


「相談というより、共有」


 太公望は言った。


「『ひまりが怪しいから追い出してください』じゃなくて、『新規団員のひまりさんとの距離感に少し不安があります。今後トラブルになるかもしれないので、念のため把握しておいてほしいです』って形にする」


「なるほど……」


「ここで大事なのは、断定しないこと。ひまりを犯人扱いしないこと。あと、感情で殴らないこと」


「それ、橘さん苦手そうですね」


「僕を何だと思ってるの?」


「性格が悪い味方」


「リムルさんの評価そのままじゃん」


 橘は不満そうにしつつも、否定はしなかった。


「柏陽さんに話を通しておけば、少なくとも団内に一人、鳥栖さんの違和感を知っている人ができる。ひまりが距離を詰めてきたり、外部SNSを聞いてきたり、二人きりにこだわったりした時に、相談できる相手がいる」


 太公望は続ける。


「あと、今後のやり取りはできるだけ記録。スクショ。日時。誘われた内容。断った時の反応。全部」


「全部ですか」


「全部。面倒だけど、揉め事の時に記憶だけで戦うと死ぬ」


 太公望の言い方は物騒だったが、妙な説得力があった。


「それと、二人きりのマルチは避ける。誘われたら団チャットに流す。『せっかくなので団の人も誘いますね』でいい。そこでひまりが嫌がったら、それも記録」


「……分かりました」


「外部SNSを聞かれても教えない。通話もまだしない。リアルの学校名、最寄り駅、住んでる地域は絶対に言わない」


「はい」


「それと」


 太公望は少しだけ声を低くした。


「──空気を収めるために、先に謝らないこと」


「謝らない?」


「鳥栖さん、揉めたらすぐ謝りそうだから」


 図星だった。


「謝ると、相手によってはそこを掴まれる。『謝ったってことは悪いことしたんだよね』って形にされる。だから、事実確認が済むまでは不用意に謝らない」


 橘が頷く。


「そこ大事。鳥栖ちゃん、たぶん『私の勘違いだったらごめんなさい』って最初に言うタイプだから」


「言いそうです……」


「言うな」


 二人に同時に言われ、鳥栖は思わず背筋を伸ばした。


「まずは柏陽さん」


 太公望は結論を出すように言った。


「その人に話をつけてほしい。鳥栖さんの団の中に、鳥栖さんが一人じゃない状態を作る。話はそこから」


 鳥栖は小さく頷いた。


 怖さはまだ消えない。

 だが、何をすればいいのかが少しだけ見えた気がした。


 ◇◇


「それで、話とは何でしょう? 鳥栖加奈さん」


 コンコンコン、と小気味よいノックとともにその人物が鳥栖の団内プライベートスペースを訪ねてきたのは、それから三日後の土曜日のことだった。


 木造風の小さな個室に入ってきたのは、落ち着いた色合いのアバターを身にまとった女性プレイヤーである。


 名前は、柏陽。

 鳥栖の所属する空艇団の副団長の一人だった。


「柏陽さんですね。お待ちしてました」


 鳥栖は少しだけ緊張しながら、頭を下げる。


「相談したいことがあるんです。新規団員の、ひまりさんについて」


 柏陽は一度だけ瞬きをした。

 驚いたのか、驚いていないのか。その表情からはよく分からない。


「分かりました」


 柏陽は静かに言った。


「では、順番に聞きます。まず、現時点で鳥栖さんに実害は出ていますか?」


 どこまでも事務的な声だった。

 けれど今の鳥栖には、その事務的さが少しだけ心強い。


 橘や太公望のような悪い笑みはなく、リムルのような苛立ちもない。

 ただ、必要なことを聞き、必要なことを判断しようとしている声だった。


 鳥栖は息を吸う。

 そして太公望に言われた通り、感情ではなく事実から話し始めることにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ