ひまりの敗北
「おはようございます」
ひまりがはじめて雑談部屋に現れてから数日が経ったこの日は学校が休みだった。
朝から鳥栖がゲームにログインし、ウィンドウのルーム一覧を確認してみると時間帯としては珍しく雑談部屋が立っていた。
「部屋主は……太公望さんか
なら安心かな」
数日前の雑談部屋でカズヤと話しこんでいた彼もまた、鳥栖が信頼しているメンツの1人だった。雑談部屋で彼女が会話する相手は橘や七彩といった大人しめ、悪く言えば陰寄りの同性とが多い。そんな中で太公望は異性という括りの中では珍しく波長が合った。
「橘の腰巾着」「橘の奴隷」などという蔑称がつく程太公望と橘との距離が近く、話す機会が多かったのもあったが、何よりも「自分を必要以上に曝け出そうとしない」という太公望のスタイルが何となく自分に通じるところがあるなと感じていた。
もっとも向こうからも「ミステリアスガール」などと思われているみたいだが。
とにかく、鳥栖は安心して雑談部屋のルームに入室した。
が
「あれ、太公望……さん??」
部屋主の太公望はルームの壁に寄りかかって俯いたままの状態でいる。
このゲームでは、ルームを建てた状態でログオフするとこのような状態になるのだ。
「用事でしょうか?」
鳥栖が首を傾げていると、入室を知らせる軽快な機械音がピコンと辺りに響き渡る。
「おっはよー!!」
直後、甘ったるいロリータ風の汎用ボイスと共に長髪のスラリとした女性アバターのプレイヤーが入ってきた。
有栖川ひまりだ。
「おはようございます、ひまり……ん」
「おはよー」
ひまり=ネカマという固定概念が既に自分の中で確定事項と化していた鳥栖の挨拶は、ぎこちないものになってしまう。
それに対してにこやかに返してくるひまりに鳥栖は少し申し訳なさを感じていた。
フレンドリーに接してくるひまりを鳥栖はある種の鑑賞…いや観察対象としか見ておらず、直接接する可能性を想定していなかったからだ。
「ところで……あ、何て呼べばいい?」
「何でもいいですよ?」
「じゃあ加奈ちゃんにするね
早速だけど、加奈ちゃん、今から2人でグランドオーダー行かない?」
ルームで行えるマルチは大まかに通常マルチボスと特殊マルチボスの2種類があるが、グランドオーダーは通常マルチボスの最強クラスの1つだった。討伐報酬もその分おいしく、「水天の涙」と呼ばれる高級アイテムが手に入ることがあった。
「い、今からですか?」
「うん? 今からだよ
私のランクならソロも出来るし、加奈ちゃんをキャリー出来るよ。加奈ちゃんは何もしなくて良いからさ、行かない?」
ひまりのランクは雑談メンバー数十人の中でも3番目くらいの高さであり、キャリー……鳥栖が放置した状態でもソロ出来るという言葉には説得力があった。
「じゃあ、行きます!」
申し訳なさもあるにはあったが、この時、鳥栖はひまりに対して
〝ネカマという以外は普通の人で、いい人なのでは〟
と思い始めていた。
「うん、じゃ、行こっか!
マルチボス自発したら、ボスのIDを雑談部屋に貼るね!」
「わかりまし……」
鳥栖が返事をしようとした時、再び入室を告げる音が鳴る。
「おっ、鳥栖じゃん、朝早いな」
やや渋めの男性汎用ボイスと共に入ってきたのはリムル。〇心教という架空宗教で有名な炎上弁護士に似ていると自称する男性プレイヤーである。
悪ふざけの多い成人メンバーや年下キッズの多い雑談部屋の中でも彼の大人びた年上特有の頼もしい雰囲気はよく目立ち、そして男性の雑談メンバーの中で鳥栖が最も信頼を置く程の良識派だった。
「リムルさん! おはようございます」
「おはよう 鳥栖は学校は休み?」
「はい。 リムルさんは役所は休みなんですか?」
リムルは公務員で、社畜ならぬ公務員畜、〝公畜〟を自称している。
そんな彼が平日からゲームにログインしていることは奇跡とすら呼べるレベルだった。
「有給だよ
久々過ぎて、前いつとったのか忘れたくらいだけどな。
…………ところで、そちらは?」
「はじめまして~ 有栖川ひまりです。
宜しくお願いしますね☆」
「…………よろしく。
って太公望は居ないん?」
リムルは何かを察したのか、ひまりから顔を背けて太公望の方を振り返る。
「多分、太公望さんは……」
「早速ですけど、リムルさんもグランドオーダー行きませんか?
加奈ちゃんと行くことになったんですけど、リムルさん1人じゃ寂しいかなーって思いまして」
ひまりが鳥栖の言葉を遮るようにリムルに声をかけた。
「グランドオーダー? か……」
ひまりからの提案への驚き半分、ひまりの恩着せがましい口調への不快半分といった表情を浮かべるリムル。
「良いよ ちょっと水天少なくなってたんだわ
行くか」
「じゃ、決まりだね☆」
ひまりの目を見つめながら少しばかり考えこんだ後、彼は口元を少し緩めながら快諾した。
「じゃあ早速、行きますか
太公望が戻ってきてたら悪いけど」
「そうですね サクッと行ってきましょう」
鳥栖とリムルは手持ち武器の所持一覧のウィンドウを展開させ、早速武器状態の最終確認に入った。
「だね☆ ふふ、楽しみ」
そんな2人を後ろから見つめながら、不敵に笑みを浮かべ、ルームの共通ウィンドウにIDを貼るひまり。
この時点で化けの皮の最初の1枚が既に剥がれつつあることには気づけていなかった。
「加奈ちゃん、リムルさん、やっほ~」
鳥栖とリムルが準備を終え、IDからグランドオーダーのマルチフィールドに入ると、ひまりはウォーロックという女性用服のデザインがフリフリのスカートで有名なジョブに着替えて2人を待っていた。
目の前には美少女の姿形をした巨大なマルチボス__グランドオーダーがこちらの攻撃を今か今かと待ち構えている。このゲームのマルチはターン制が採用されているため、こちらから攻撃しないと戦闘が開始されない。その巨体が自らを見下ろす様は、鳥栖に緊張感を与えた。
グランドオーダー自体に挑むのもクリアも鳥栖も初めてではない。ただ単にゲームを始めて日が浅い鳥栖がまだこのゲームのマルチの仕組みには慣れていないのである。
〝2人とも、余裕そうですね……〟そんなことを言いたげな表情でリムルとひまりを見つめていた。
「張り切ってるねー ひまりさん
わざわざウォーロックで行くなんて」
そんな鳥栖の表情を察してか、率直な感想がリムルの口から漏れる。ジョブは攻撃・防御・回復・特殊の4つのタイプのいずれかに必ずシフトしているが、ウォーロックは攻撃タイプに分類されるジョブだった。対するリムルはスパルタ。70%のダメージカットが出来るジョブで、防御タイプの中でも最も防御に特化したジョブだ。
「そうかな?
私からすればリムルさんの方が張り切って見えますよ♪
女の子の前だからかは知りませんけど」
「で??」
「まあ、私には関係ないですけど…………ならリムルさん、私と勝負してみませんか?
どちらがMVPを獲れるか」
リムルの口調に「似合っていない」というニュアンスを感じたのか、ひまりは眉を顰めつつリムルの方を振り返った。
だが、手元ではステッキを弄んでいたし、何よりも口元は笑っている。
そこに挑発の意図があるのは明らかだった。
「俺的には構わないんだが…………俺、ひまりさんよりランク下なんだけど、いいの?」
「そういうのは、勝ってから心配して下さいね____〝ブラックヘイズ〟」
そういうとひまりはよーいドンの合図すら言わずに呪文の詠唱をはじめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お疲れーっした」
「お疲れ様です! 流石リムルさん!」
グランドオーダーのマルチボスの討伐の結果は______リムルの圧勝だった。
ランクに比例して最大HPの上限やプレイヤー自身のアビリティ強化の上限が開放されていったりするこのゲームにおいて、その高低は少なからぬ意味合いを持つ。しかもひまりの攻撃タイプのジョブよりもダメージ・貢献度共に出しにくい防御タイプのジョブでである。この2つの不利をひっくり返しての勝利はまさに鮮やかとしか言い様がなかった。
「う、まさか負けるなんて…………」
そしてリムルのランクはひまりより10も低い。しかも鳥栖の目の前でイキっていたにも関わらず完敗したことでひまりは完全に落ち込んでいた。
「グランドオーダーの光属性に有利な闇属性。
それ、俺の一番得意な属性なんだよね
まあ、でも、俺が言うのも何だけど、ひまりさんもランクに見合った以上の強さだったとは思うよ。
だから、あまり落ち込むなって」
ひまりの背中に投げかけられる慰めの言葉。
現実で教育実習生だった頃に数人の女生徒からラブレターを貰ったという武勇伝を持つリムルは、ひまりへのアフターフォローも欠かさなかった。
「そ、そうですよ!
ひまりんも頑張ったのは見てましたから!」
自分が励ましている理由がよく分からないながらも、鳥栖も励ましにかかる。
「そ、そうかな……
また一緒に行ってくれる?」
すっかり弱気になるひまりの言葉に鳥栖が頷くと、ひまりはようやく笑顔になった。
「じゃ、また行こうね☆」
「は、はい…………」
「俺はパスするわ 2人でいってらっしゃい」
子供みたいに喜怒哀楽が極端なひまりのキャラクターにリムルと鳥栖が戸惑いを隠せないでいると。
「ごめんよ、寝てた。
リムルさん、鳥栖さん、ひまり、おはよう 何かあった?」
そんな声と共に3人のいる場所に太公望が近づいてきた。
ようやくログオン状態になったものの、展開についていけない様子だ。
「相変わらずですね……太公望さんは」
「太公望らしいっちゃ、らしいよな」
「リムルさんと加奈ちゃんとグランドオーダーに行ってきたんだよ。
で、リムルさんが強くて強くて。 MVP取られちゃった」
「そうだったのか……」
雑談部屋の大事な場面が起こる時に限って太公望は席を外していたということが多い。
「てか、太公望さんってそういうキャラなんだね」
「それも太公望の魅力だと思うよ、俺は。
ところでさ_____」
橘が「同業者」と認める程の腹黒さとはとてもかけ離れたその天然っぷりは、グランドオーダーを巡っておかしくなった空気を一気に和やかなものとした。
その後の話題はリムルの好きになった職場の女性が婚約者がいる女性だった話や、荒れていたという太公望の中学、リムルの高校、ひまりの高校の話といった他愛ないものへと移っていく。
____当然、ひまりとリムルの対決の話はそこで完結したはずだった。
それから数日後、雑談部屋にとある噂が流れた。
「リムルって、仕事してないニートらしいよ」
この悪質な噂は尾ヒレをついて広がっていき、「ヒモ」だの、「生活保護不正受給者」だのといった噂まで囁かれるようになる。
奇しくもリムルは職場先の地方自治体のイベントの事前準備で忙殺されており、ログインして弁明の機会すら与えられることなく、噂そのものが事実として定着してしまう。
事情を知った橘や太公望の追跡をもってしても噂を流したアカウントが捨て垢だったことまで辿り着くのが限界であり、結局は自供を得られず仕舞に終わったのだが。
これが鳥栖の身に巻き起こる一連の事件のはじまりであることなど、本人さえも知る由はなかった。