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「それくらいにしときなさいな。女の子だよ?」
小さなため息を交えて、カサイはアカバネに視線を向けながら言う。
その声に、アカバネははっとして目を丸くした。そして、目の前のケイナを見て慌てたように言葉を並べる。
「す、すまない! 僕はまたやらかしてしまったようだね。話し出すと回りが見えなくなるのが僕唯一の難点で……。ああ、申し訳ない。謝るから、そんなに泣かないでくれ」
「!」
申し訳なさそうにケイナの顔を除き込んでくるアカバネに言われて、ケイナは慌てて両目をぬぐった。
気がつかないうちに泣いていたらしい。ひどい目に遭ったあととはいえ、こんなやつの前でボロボロ泣き出してしまっていたなんて恥ずかしい。
「バネさんの言葉攻めは容赦ないからなあ。ケイナちゃん大丈夫? ジン君もいい加減のとこで止めてあげろよなぁ」
「お前だって今の今まで止めなかった」
「屁理屈ゆーなよぉ。ったく若者の喧嘩の仲介はいっつもおっさんの仕事かよ」
のべっとした口調でカサイがいう。口元には、いつものにやけ笑いを浮かべてはいるが、疲れたようなため息は本物らしい。
散々言われたあとにこうも変な気遣いをされると、何がなんだかわからなくなる。それを考えて、ケイナは再び目頭がじんわり熱くなるのを感じた。
アカバネの言っていることはわからんでもないが、やっていることはどう考えても悪いことで。でもそれを悪いと指摘する権利がケイナにはなくて。けれどミカドのことを考えると、やはりアカバネやジンのことは許せなくて。
頭の中で、グルグルと考えが巡っていた。自分のしていることは正しいのか、間違っているのか。力も無いのに、人を傷つけたくない、救いたいと思うのは、ただの傲慢なのか、どうか。
そんなことは、わからなかった。鈍くて、世間知らずで弱い自分には、答えなんて出るはずも無かった。だが、それでも一つだけ、わかることがある。
それは他のどんなことよりも確実で、偽りようの無い想いだ。ケイナ自身のこの感情は、何よりもわかりやすく彼女の目の前に映し出されている。
「……嫌い、です」
こぼれた言葉は威勢の良いものだったが、その声は明らかに震えていた。
呟かれたケイナの言葉に、アカバネとカサイは驚いて目を丸くする。
「人の幸せを、勝手に推し量らないでください。貴方の物差しで測らないで。私は、貴方のように簡単に人を傷つけられる人間が、ヘドが出るほど、嫌いです」
嫌いだ。そうだ。ケイナは、アカバネが嫌いだ。
人を殺しておいて、それが人のためだと平気な顔をして言えるこの男が嫌いだ。ミカドを殺したこの男が嫌いだ。自分のことを、馬鹿だなんだといってくれたこいつが嫌いだ。
ようやくわかった。自分の考えや、アカバネの考え、世界にとって何が必要であるか、全て取り払って、見えてきたものは、歴然としたアカバネへの嫌悪の感情である。
頭のなかがスッとした。この男が、何を考え何をしようとも、ケイナはこいつが嫌いなのだ。
「そのっとおおおりいいい!! 人の禍福は個人の物差しじゃぁ測れやしない! 同時に絶望も、人間の短い物差しじゃ測れやしないんですよぉ!」
唐突に、ケイナの後ろで、廊下に繋がる両開きのドアが大きく開いた。
バンッと大きな音がして、やたらと張りのある声が室内に響き渡り、ケイナを始めアカバネやジンまでもがびくりと肩を跳ねあげた。
「一度死んだ私を、人は哀れだと同情するでしょう。しかしそれは違う! 私は死ぬことによって新たな生を受けたのです! 暗く冷たいだけだった世界が、今や眩く暖かく見える! ああ素晴らしい…この素晴らしさを、愛すべき可愛くも儚い無邪気な子供たちに味あわせてあげたいものだ!」
唐突に乱入してきた人物は、大袈裟に頭を抱えたり首を振ったりして喚きながら、硬直しているケイナたちなど気にすることなくズンズンと部屋の中に入ってきた。
そして、その人物の様相を見て一同はさらに絶句する。
裾がボロボロになったよれよれの白衣を着たその人物は、身体中を血の滲んだ包帯でぐるぐる巻きにしており、包帯の隙間から覗く口からは、鋭い牙が見えている。頭や顔全体に巻かれた包帯の隙間からは紫がかった黒髪が飛び出していて、その異様さを際立たせていた。
そして何より、ケイナたちの目を引いたのは、その人物の目だ。包帯に隠された左目の対は、暗闇の中に光る獣のそれのように金色に輝いていて、人間でいう白目の部分が真っ黒に染まっている。凡そ、人間がとる姿と大きく異なった形相の白衣の男に、ケイナたちは唖然として言葉を失っていた。
「ま、待て! コラっ! ふぎっ」
潰されたクッションのような音がして、ケイナとジンの足元でぐもった声があがる。
ジンに続いてケイナが足元を見ると、異様な風体の男の首から延びる包帯をつかんだ、長いクリーム色の髪の白衣の女が、力尽きたようにうつ伏せで倒れていた。
「シイナか。なんだこいつは。新種のクリーチャーか?」
ジンが問う。彼女の声に反応して、うつ伏せになっていた白衣の女が顔をあげた。
小顔に合わないサイズの大きな厚い丸眼鏡が、ずるりとズレて深い青色の瞳を浮き上がらせる。
「うひひ、ジンさん勘がヨイです。サンブンノイチ正解。答えは、いつぞやイースメトロで拾ってきたした……」
「貴女がジンさんですか! 私の命の恩人ですね!? まあ一度死んだのに命の恩人というのもおかしな話ですがねぇ。いやぁ助かりました! 貴女のお陰で私は蘇えることができたのです!」
シイナの声を遮って、包帯男がジンの手を握りながら嬉しそうに言う。しかし対するジンは、冷ややかな目で男を見た後、うっとおしそうにその手を振り払った。
「覚えのない礼を言われる筋合いはない。お前は何者だ? シイナ、何なんだこの化け物は」
ヨロヨロと覚束ない足取りで立ち上がったシイナに、ジンが問いかける。
しかし、シイナが回答するよりも早く包帯男が口を開いた。
「おっと、自己紹介が遅れて申し訳ありません。私の名前はアザミ。生きていた頃は、イースメトロでしがない小児科診療所を営んでおりました」
真っ黒な目を大きく見開いて、包帯男アザミが答える。その答えに、ジンはますます顔をしかめた。
「知らないな。誰だお前は。アタシにはお前みたいなミイラ男の知り合いはいない」
「ジンさん、ジンさん。ダから、ね。違うンですよ。ノアの警察署に行く前に、イースの列車ジャックの経過を見に行ったじゃナイですか。ソノ時、路線事故に遭遇シたでショ。その時の、ネ、死体」
シイナがぽつぽつというのを聞いて、ジンはしかめていた顔を緩めると、ああ、と合点がいったように頷いた。
「あの肉の塊か? 列車に轢かれた。目の前で吹っ飛ばされたから、せっかくだしってんで拾ってきた、あの?」
「デスデス。脳ミソは綺麗に残ってたンでね。研究の一貫デ、クリーチャーの肉体とか人工皮膚トカ、とりあえず有り合わせで縫い合わセてみたンですが……」
「奇跡だ! 紛う事なき奇跡ですよ! あああ、なんて素晴らしい気分だ! 生まれ変わったような、全くの別人にすっかり成り代わったような! とにかく清々しい! 過去の恐怖から解放されたような気分です。人間だったアザミは死んだ! もう私は、人の目を気にしながら子供たちと戯れなくてすむんです! 何故なら私は、もう人ではなくなったのだから!」
感極まった顔をして、くるくると陽気に回りながらアザミは室内を動き回る。手首や首から延びた包帯がくるくる舞い、呆然としているケイナやカサイの間を駆けた。
「……ありゃあ、元からあんななの? それとも、その列車事故の時に脳ミソは半分くらい落としてきちゃった感じ?」
「知りまセンよそんなコト。生きてたときの人となりを知ってるワケじゃナイですし」
陽気に駆け回るアザミを指差しながら、苦笑いを浮かべるカサイにシイナがそっけなく答えた。
「脳ミソはキチンと入ってるはずデスからね。ま、身体は有り合わせのツギハギなンで、そっくりそのまま同じ人間を作り出せたワケじゃぁありまセンが。一度死んだ人間が、思考し、会話でキるほどに復元できただけでも、奇跡といってイイ」
ぎらりと、シイナの瞳が怪しく光る。口角を吊り上げた口でにんまりと笑い、シイナは嬉々とした顔でアカバネを見た。
「アカバネさん、ワレワレは、また一つ命の謎を解き明かしたんデスよ。人は、何らかの条件により蘇ることが可能なンです。肉体の死は、必ずしも魂の死と同義でない! ワレワレは、死を克服するコトが可能かもしれまセン」
「死を……!」
シイナの言葉に、アカバネは大きく目を見開いた。その瞳に、いまだかつてないほどの歓喜の色が写る。
ごくりと緊張に唾を飲んで、アカバネは言った。
「死を克服…つまりコントロールすることが可能ならば、人々は、また平等になるということだよな? すべての人間が、平等な寿命を持ち、そして平等な生活を送ることができたなら、世の中の不平が消える。死への憎しみも、恐怖も消えて、僕らはまた一つ、幸せになれる」
「ゴモットモ」
シイナの返答を聞いて、希望の光が差し込んだような顔をしたアカバネは、零れ落ちる笑みをこらえきれずににんまりと笑うと、高らかと声をあげた。
「素晴らしい…素晴らしいぞ! ははは、世界には、そうさ、世界の幸せには、平等であることが必要だ! 貧富の差も階級も無い、そして平等な寿命! 金持ちがいるから不平が生まれるならば、人間は、資産を分かち合えばいい。飢える人間から羨望が生まれるならば、食料を分け合えばいい。無駄に長生きをする人間と胎児のまま死んでいく子供がいるならば、寿命を平等にしてしまえばいい! 皆が同じ基準の人生を送ればいいんだ! そうさ、皆が平民になればいいんだ。僕という存在の名の下に、人々は永遠の平等を手に入れる!」
アカバネは、酷く嬉しそうに肩を揺らして笑いながら、シイナの肩を軽く叩いてディスクの後ろの窓辺へと歩み寄る。
茶色に乾いた街並みを見下ろしながら、アカバネは狂喜に打ち震えた。震える指先で窓をなぞり、薄く目を細めてにたりと笑みを浮かべる。
「平面だ。スポンジケーキの上でクリームを均すように。平らな大地を創って行こうではないか。殺される人間も、事故で死ぬ人間もいない。悲しみも、憎悪も無い。意見の衝突も、論争も争いも無く、あるのは幸せな感情だけでいい」
窓の外を眺めていたアカバネが、そう言ってくるりと身体を反転させて、ケイナ達の顔を見た。
愉快そうに見開かれた赤い瞳が、室内を見渡す。その視線を向けられて、ケイナはゾッとした。言葉では言い表せぬ恐怖が、そして狂気が、ケイナの全身を駆け巡ったのである。
「その為に、人を殺そう。金持ちを、ギャングを犯罪者を、警察を。知ったかぶりの知識人も、社会不適合者の芸術家も、未来への前進の足かせにしかならない権力を持つ年寄りも、保護を求めてくる者から権利を剥奪しよう。生かすのは、健全な若者だけでいい。不平等の種になるものは全て排除しよう。完璧な『幸せ』の為に、君らの力を貸してくれ」
両手を広げて、アカバネは語る。
嬉しそうな笑みを浮かべながら、夢を語る若者のような声で言う。
ケイナは、意味がわからなかった。アカバネが、何を言いたいのかまるでわからない。彼の言葉は、既に彼女の理解の範疇外である。
にも拘わらず、ケイナの周りはアカバネの言葉を理解しているようで、不敵な笑みを浮かべてその考えに賛同する。
「トウゼン。ここまで来たラ、最期まデお付き合いしマスよ」
「俺も俺も。バネさんの話は聞いてて飽きないからねぇ」
「よぉくわかりませんが、ここにいれば健全な子供に会えるんですね? それならなんでも協力しますよ!」
「…………」
交互に快諾の声が上がる。それを聞くとアカバネは、思っていた通りといわんばかり満足そうに頷いて、にんまりと悪気無い笑みを浮かべて再度声を上げた。
「よし! それじゃぁ現存する予算の七割を研究費に回そう! シイナ、急ピッチで命の研究を続けてくれ!」
「うひぃ太っ腹! あ、アカバネさん、できたらデスね、双子のサンプルがほしーかなぁと。イヤ如何せん数が少なくて……」
「わかった。見つけ次第研究所に回そう。見付からなければ…時間はかかるが生ませる方向でもいいかい?」
「ヤッター! ありがたい限りデスよ」
「子供は? 子供はいますか? 私の子供は!?」
「ねーねぇしーなちゃん、遺伝子組み換えで美人のボイン量産とか出来ないの? それならおっさん張り切っちゃうけど」
やいのやいのと、シイナたちがアカバネの周りに集まって嬉々とした顔で意見をとばしあう。とはいえ、聞こえてくるものは意見とは名ばかりの非人道的要望ばかりであるが。
ケイナは、その声をききながら、気が遠くなるような思いを感じた。
彼らの言葉は、ケイナの理解の範囲外の言葉だ。どうしてそんなことを嬉々として語れるのか、そんな非道な発想はどこから出てくるのか。まるで理解できず、理解する気さえ起きず、ケイナは彼らと自分が同じ空間に存在していることに酷い目眩を感じる。
それを思った瞬間、ケイナの視界は暗転した。身体が急激に重くなって、目の前が真っ暗になった。




