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「貴方が…ミカドさんを殺したんですね」
ギリ、と唇を噛み締めながらケイナが問う。放たれた声音は震えていたが、恐怖心からの震えではない。まるでレストランで注文をするように、何の躊躇いもなく人を殺せと命令できるアカバネが、許せなくて腹立たしかったのだ。その震えは、怒りから起こる震えである。
しかし、忌々しげに自分の名前をクチにするケイナに、アカバネは眩いほどの笑顔で答えた。
「その通りだ。僕がジンに殺せと命令した。彼は僕らを裏切ったからね。粛清しただけさ」
「粛清……? いっている意味が、わかりません。ミカドさんは、街の人を救うために動いただけです。彼は何も、悪いことはしていないのに。罰せられる理由なんてないのに!」
ケイナが声を荒らげて反論する。先程飲み込んだ怒りが爆発する。
そうだ。ミカドが殺される謂われなんて無かった。彼は、確かに間違いを犯したかもしれない。だが、彼はそれを償おうとしていた。殺されていい理由なんて無かったはずだ。
「むしろ罰せられるべきは、貴方たちじゃないですか! 街にクリーチャーを放ったり、訳のわからない話でみんなを惑わせたり、貴方たちのような人がいるから…罪のない人たちが……!」
ケイナが言いは掛けたときアカバネが、にたりと口角をあげて愉快そうに笑った。
その笑みに、ケイナはゾッとする。その楽しげに歪むアカバネの笑みを見て、ケイナは言葉が次に繋げなくなって一瞬息を飲み込んだ。
その瞬間に、アカバネはディスクの前から抜け出してゆっくりとケイナに歩み寄る。
「なあ、君。幸せかい?」
にっこりと悪意なんか微塵も感じさせないような子供の様な微笑みを浮かべて、アカバネはケイナに問いかける。
何の脈絡もない唐突な質問に、ケイナは訳がわからず怪訝そうな顔をして顔をあげた。
「はあ?」
目の前のアカバネを見上げながら、ケイナは呆けた声をあげる。
どうやら自分の問いかけがよく飲み込めていない様子のケイナを見て、アカバネは首をかしげて再度問いかけた。
「幸せか? と聞いたんだ。単純明快で、シンプルな質問だろう? どうだい? 君、幸せかい?」
再びアカバネの質問を聞いて、ケイナはギリッと奥歯を噛み締めた。
馬鹿に、されているのだろうか。こっちが必死で怒りを叫んでいるのに、何を訳のわからない質問をしてくるのだ。
「貴方の目から見て、私は幸せそうに見えますか?」
相手を睨み付けながら、棘のある口調でケイナが答える。馬鹿にされているという恥ずかしさよりも、アカバネに対する怒りの方が勝ったのだ。
ケイナの返答を聞くと、アカバネは驚いたように目を丸くして、思い詰めたようなため息をついた。
「そうかい、それは残念だ。君のような素敵な人には、是非とも幸せであってほしいのに。ん? ああ、つまりこういうことか! 君を幸せにするのは僕だと! なるほど、それなら不幸な君が常に幸せの絶頂にいる僕の前に現れたことにも合点がいく!」
「……」
一人で疑問に思い、一人で勝手に自己解決するアカバネに、ケイナは戸惑いを浮かべて顔をしかめる。しかし次の瞬間には、首を横に振ってじろりとアカバネを睨んだ。
ここばかりは、相手のペースにのまれてしまうわけにはいかない。
「そんなことはどうでもいいんです! 私は、貴方がミカドさんを……」
「なぜ殺したかって? いい質問だ!」
アカバネは、ケイナの言葉を無理矢理さらってびしりと人差し指を立てながら高らかに言う。
室内に響き渡るその声に、ケイナはびくりと震えた。
「僕はね、この世の何よりも、幸せが好きなんだ」
にっこりと微笑みながら、アカバネが言った。再び脈絡のない言葉を返してくるアカバネに、ケイナは声をあげようとするが、それよりも早くアカバネが口を開いた。
「幸せが好きだ。自分の幸せも、人の幸せも、世界の幸せも。誰もが楽しく笑って優しくなれる幸せが大好きだ。みんなもそうだろう? 隣人が微笑んでくれたら嬉しいし、大切な人が幸せならそれだけで自分も幸せになれる。幸せって、そういうものだろう?」
問い掛けるようにアカバネがいう。
ケイナが思っていたよりも、ずっと尤もな彼の意見に、アカバネの真意が読み取れず、ケイナはあっけにとられてポカンと口を開けた。
「それってすごいことじゃないか。人が、みんな幸せになるだけで、人は優しくなれる。幸せなら人は誰かを傷つけない。奪ったりもしない。なぜなら満たされているからさ。傷つけ奪うのは心が乾いているからなんだ。だからさ、人々が幸せになれば、世界が平和になるのさ!」
楽しそうに語るアカバネの表情は、ヒーローに憧れる子供のように眩しかった。
その眩しさが、ケイナには違和感でならない。そんな眩しい笑顔を浮かべて幸せを語る人間が、テロリストのリーダーという物騒な地位についていることに、違和感しか感じない。
「でもね、悲しいかな。このメトロは、どこを見ても幸せそうには見えない。メトロの街も、そこに住んでいる人々も。皆化け物や犯罪者の影に怯え、陰鬱とした表情を浮かべながら街を徘徊している。僕の求める幸せが、どこにもないんだよ。路地裏を探してもゴミ箱の中を覗いてみても一向に幸せが見つからない。あるのは硝煙の臭いと血生臭い死体ばかりだ。僕は気づいたよ。ああこれじゃぁ、この街は平和になんかなれっこない。幸せな世界になんてなれるわけない。ってね」
ひどく残念そうにため息をつきながら、アカバネは言った。深いため息をついて項垂れたアカバネに、ケイナは言葉を失う。
そんな彼女の気など知らず、アカバネは一気に顔をあげて閃いたような眩しい表情を携えてケイナを見た。
「そうして僕は思ったんだ! そうだ、僕が皆を幸せにすればいいんだ! 僕が思い描く幸せな世界を、僕が現実にすればいい。そうすれば、人々はみんな幸せになって世界は平和になる。素晴らしいじゃぁないか。そんな幸せな世界。誰もが望んだその世界を、僕が創り上げるのさ」
アカバネは、大きく両手を広げて語るように言った。
呆れるほど子供じみた理想の世界。誰もが笑って幸せに暮らせる世界をこうも堂々と望む人間が、メトロにいるとはケイナは思っても見なかった。それこそ、いつぞや彼女の先輩が漏らしたような『笑っちゃうくらい甘い考え』なのだから。
アカバネの言いたいことはわかる。実際ケイナも、不幸な人を救いたいと思ったことがあるから。誰もが幸せになれたらどんなにいいかと思っているから。
だが、アカバネの本心が本当にそれだというならば。違和感がある。ならばなぜ彼は、人を殺すのか。
「だったら、何で……殺すんですか……どうして、あんなひどいことが……」
ケイナは見た。クリーチャーに襲われた人々の恐怖にひきつった顔を。徐々に死の海に沈んでいくミカドの顔を。
そんなものを見せておいて、何が幸せだ。
アカバネを睨み付けながら、振り絞るように声をあげたケイナに、アカバネはキョトンとして首をかしげた。
「酷い? とんだ誤解だ。死んだ君の友達は、幸せだったろう?」
何の疑問もないかのように、アカバネはあっさりといい放つ。
その無責任な言葉に、ケイナはキッとアカバネを睨みあげた。
「幸せなわけがないでしょう! ミカドさんはもう一度妹さんに会いたかったのに……!会って本当のことを言えるはずだったのに! 貴方が殺したから……。死んで、幸せになれるはずないじゃないですか!」
確かにミカドは、許されないことをした。しかし、やり直すことだってできたはずだ。もしかしたら、もう一度妹のために歌を歌うことだってできたのだ。
そのチャンスすらも、死はあっけなく刈り取ってしまう。ミカドが、幸せだったはずがない。
しかし、そんなケイナの主張など、微塵も堪えていないかのように、淡々とした口調でアカバネは問い返した。
「彼は、本当にもう一度、妹に会いたいと思っていたのかな?」
「!?」
アカバネの問いに、ケイナはグッと言葉を飲み込む。
そんな当然のことを、問われるとは思っても見なかった。
「彼が言ったのか? 妹に会いたいと。自分のためだけに散々人を不幸にしておいて? おめおめと家に帰りたいと? 本当に彼は思っていたのかい?」
アカバネの赤い瞳が、ケイナを写して鋭く細まる。
ずい、と近づいた、その怪しげな瞳にケイナはびくりと震えるも、唇を噛み締めて再度果敢に声をあげた。
「確かに、ミカドさんは罪を犯しました。でも、償えないことはなかったはずです! チャンスはたくさんあるはずだった! それを」
「それって、君が勝手に思っていたことなんじゃないか?」
ざくり、と大型のサーベルナイフが胸に突き刺さったような音が、ケイナの頭に響いた。
「勝手に、彼は悪いやつなんかじゃない。本当はいい人間なんだと思い込んで。罪は償えると無責任にいい放って。自分の価値観を押し付けて。なあ、君は、人を救った気になりたいだけじゃないのか?」
「ちが……私は……」
「違わないな。君は、経験も力もないのに、無神経に彼の心に踏み込んだのさ。君が、彼に『貴方はなんて好い人なんだ』という度に、彼は何を思っていたんだろうね。自分が罪深いことは、彼自信が一番よくわかっているはずなのに。そんな自分が、イイヒトだなんて言われていいはずがないのに。さぞ辛かったことだろう。イイヒトといわれる度に、彼は心の中で罪の数を数えていたのさ」
「そんな……わ、私……」
ケイナが、顔を青くしながら半歩後ろにのけぞる。
違うと、アカバネに言い返せなかった。自分の言葉が、ミカドを追い込んでいたかもしれない。だからミカドは、いつもあんな諦めたような笑みを浮かべていて。
ケイナの頭が混乱する。自分の放った言葉が、ミカドの顔が。そこへ、アカバネの声が加わった。
「教えてあげようか。彼を助ける方法は、死ぬことだったのさ。汚れた手で妹に触れることもなく、犯した罪を償う唯一の方法。それが死だった。彼は、本当はそれを望んでいた」
「う、嘘です! そ、それこそ思い込みです! 貴方がそう思い込んでるだけ……」
「じゃあ何で、彼は僕らを裏切った?」
どきりとケイナの心臓が跳ね上がる。唇が異様に渇いていた。唾すらも飲み込めなかった。
考えたくなかった。ミカドが『そんなこと』を考えていたなんて。
「僕の組織にいた彼なら簡単にわかったはずだ。僕らを裏切ればどうなるか。今日を生き延びることができたとしても、故郷に帰ったあとも、僕らの追っ手が執拗に彼を追ったことだろう。それを承知で、彼は妹のもとに帰ろうとしたのか? 大事な妹が危険な目に遭うかもしれないと承知で? 彼は、そんなにも無責任なやつなのかい?」
「違う!」
「違うよね。彼は、とても妹思いの優しい人だったから。罪深い自分が、妹に触れるのは許されないからって、自分を責めて、手紙さえ送れないような善人だったから」
何故、そんなことまで。
喉から出かかったケイナの声は、アカバネの言葉に押し返される。
「優しい彼は、どうしたら許されたのだろうね。いや、どうしたら自分を許せると、思ったのだろう。考えてだした答えが、死だった。死ぬことで彼は許されると思ったし、自分を許せた。残してしまう妹への懺悔を含めて、罪滅ぼしのために彼は死んだ」
アカバネの言葉が、ケイナに重くのし掛かる。
ミカドの願いは、死ぬことだったのだろうか。だから、あんな諦めたような顔をしていたのだろうか。彼は、もう既に自分を諦めていたのだろうか。
だとしたら、ケイナがミカドに掛けた言葉は、何も産み出さなかったのだろうか。
彼女が必死で叫んだ声は、誰も救わず、ただ無意味にこだましていただけなのだろうか。
そうだったら余りに、虚しい。
「だから、ね。言ったろう? 彼は幸せだったろう、と。彼は望むものを手に入れた。例えそれが死だったとしても、彼はそれで幸せだった。僕は、彼を幸せにするために殺したのさ。彼にとって、死こそが幸せなのだと思ったから」
にっこりと、まばゆい笑みを浮かべながらアカバネが言った。
まるで罪悪感のない、寧ろ善いことをしたのだとでも言いたげな笑みだった。
その笑みが、アカバネの言うことが、どう考えてもおかしい事だとケイナは思ってはいるものの、彼の言葉に反論することができなかった。ケイナは、結局ミカドを救うことができなかったから。彼が死を望んでいなかったと、言い切ることができなかったからだ。
「僕はね、君とちがって、いつでも誰かの幸せを考えているんだよ。どうしたらメトロが幸せになれるのか、何が彼らを幸せにするのか、ずっと考えているんだ。文句を言うしか能のない無力な偽善者にかわって行動しているのさ」
アカバネが言う。悪意のない笑みをたずさえて。
彼は、ケイナを罵っているつもりはないのだろう。ただ、自分が正しいと思ったことを、素直に言っているだけだ。
「僕は、世界にとって正しいことをしているんだよ。幸せな世界のためになることをしている。今回のテロだって、メトロが幸せになるために必要なことなのさ。そのなかで不幸が起こっても、それは皆の幸せのために必要だったことなんだ」
「犠牲の上に、成り立つ幸せ、ですか……? そんなもの、本当の幸せとは言えません」
「ならば、不幸な人間が量産されるこの世界を、黙って指を加えて見てろというのか? 君のような偽善者は皆そう言うね。そういう人間は、大抵動かない。クチばかりだ。そして何も成し遂げられずに死んでいく。いや実に、意味のない人間だ」
侮蔑のこもった声音で、アカバネが嘲笑するように言った。
震える声のケイナの精一杯の反論は、意図も容易く砕かれてしまった。
「君のような人間は、実に馬鹿で可愛らしいね。人を救うという行為が、どんなに傲慢なことかをまるで知らない。平和と幸せが、どんなに尊いものかを知らない。だから簡単に言ってのける『他人の不幸と引き換えに得た幸せなど要らない』とね。君らの様な馬鹿の意見なんて、聞いていないんだよ。それ以外の、多くの人が幸せを感じることができればそれでいい。たくさんの人が救われればいいんだ。結局君らは、自分の意見が通らないことに腹を立てているだけなんだからね。そんなんで『誰かを救いたい』だなんて、可笑しな話……」
「こら」
畳み掛けるように喋りだしたアカバネの声を遮って、気だるげな声が割って入った。
アカバネの肩を軽く叩いて、カサイがどこか呆れたような半眼を湛えて、ケイナとアカバネの間にヒョイと怠惰に緩んだ顔を出した。




