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<Cookie 8-B-2> Are You Happy?
ケイナがジンに連れられてこられたのは、イースメトロに住むものならば誰もが知る電波塔だった。
近くで見ると、それはケイナにしてみればシティの壁のように高く聳えたっているように見え、むき出しの鉄骨も何故か不気味に見える。
電波塔は、メトロの情報を司る、謂わば知識の宝庫のようなものなのに、それをおどろおどろしいと思うのは、ケイナがどこかで、電波という得たいの知れないものを恐れているからかもしれない。
よくわからない電気の波が、人の声や映像に変わるなんて意味がわからなかった。
場所を隠そうともせず、堂々とケイナの手を引いて連れてきた辺り、ジンがケイナを帰す気がないことがうかがえる。目の前の死の恐怖は去ったが、彼女の命が助かったと断言できる状況では、まだないようだ。
ケイナは、震える足取りでジンの後ろを歩く。ケイナが逃げようとすると、彼女はまるで背中に目でもあるかのような速度で反応し、ケイナの腕をつかんだ。
街は、何があったのかはわからないが酷く騒々しく、人々の悲鳴がこだましていた。そんな騒がしさに便乗して、ミカドを暗い路地裏に置き去りにしてしまったことが、ケイナは悲しくてたまらなかった。
「さ、ここだ」
言って、ジンが立ち止まる。人々の喧騒に巻き混まれないよう電波塔の裏口から入る。
無骨な鉄骨を剥き出しにした電波塔の、どこに人が入るスペースがあるのかと思ったが、塔の中はケイナが思っていたよりもきらびやかで、豪奢だった。
メトロの街では見られないような柔らかな絨毯と、キラキラと光る照明。壁は、色褪せた灰色のコンクリート等ではなく、清潔感のある白い壁紙に洒落た模様が浮かんでいる。
通路にはなんだかよくわからない金色の像が並べられたりしていて、ケイナは異世界に迷い混んでしまったかのような錯覚を覚える。「わぁ……」
ぼんやりとした意識のなかで、ケイナがうわ言のように呟いた。
壁や床には傷ひとつなく、埃すら落ちていない。眩しいほどの清潔さに満ち溢れている。
「見栄っ張りなんだ。ここの主は」
ジンが腹立たしげな声をあげた。その言葉の意味をケイナが理解するまもなく、ジンはきらびやかな通路を我が物顔で歩いて行く。
ここまで彼女についてきてしまったたケイナには、その先に何が待っていようともジンの後についていくことしかできない。ジンにとっては、ケイナを殺すことなど赤子の手を捻るよりたやすいことなのだから。
「入るぞ」
豪華な屋内の中の、一際大きな扉の前で、ジンが言う。
言うなれば、アンティークな様相の両開き扉。寂れてくすんだ木造のドアや、くもったほこりまみれの硝子戸が主流のメトロでは、そう見られないも品である。
ぼんやりとした顔でそんな豪華な扉を見上げているケイナを他所に、ジンは扉に向かって声をかけると、返事を待たずにその扉を開けた。
ガチャリ、と高い音がして扉が大きく開かれる。扉が開くと同時に、その扉の隙間から、白い光とほんのりと清潔なフレグランスの香りが漂ってきた。
「おや、ジン君お帰り。いいねえ若者は働き者で。おっさんはもーギブギブ」
ジンの背中に隠れたケイナの耳に、聞き覚えのある声が届いた。この気だるげでおちゃらけた声音は、カサイのものだろう。
声を掛けられたジンは、カサイの戯言を無視して小さく鼻をならした。
「遅かったじゃないか! 何かあったのかと思って心配してしまったよ。いや無事なら何よりだ。君の様な優秀な協力者がいて、僕は本当に幸せだよ!」
次に、仰々しいようで爽やかな声が聞こえた。
良く、通る声だった。恐らく声の主は、ジンに向かって言っているのだろうが、その後ろにいたケイナは自分に向かって話しかけられているように錯覚してしまう。
声が、ダイレクトに届くのだ。どこにいても、どこを向いていても、その声はその場にいる人間すべてに届くだろう。十人に語れば、十人が耳を傾けてしまいそうな、好い声だ。
「ああ。道中、面白いものを見つけてな。是非アンタに見せたいと思って連れてきたんだ」
「連れてきた?」
怪訝そうなその声の後に、ジンが身を翻してケイナの前から退いた。
そこで、ようやくケイナに室内の全貌が明らかになる。
応接室のような部屋だった。相変わらず、廊下と同じ眩しいほどのきらびやかで豪華な家具や装飾に彩られた部屋である。
二人がけのソファに挟まれて、背の低い洒落たテーブルが置かれている。ソファにはカサイが、色褪せたハンチング帽を脱いで萎れた煙草を咥えながら、驚いた顔をしてケイナを見つめながら腰かけている。
部屋の一番奥には、電波塔の頂上付近であるこの部屋からメトロを一望できる綺麗な窓がありもその手前には、新品張りに整備されたディスクが置かれていた。
そのディスクに付随するクロッキングチェアに、白い男が座っていた。その男を表現すべき言葉があるとするならば、白、その一言だ。
真っ白な髪は、とても長く腰ほどまであり、頭の高い位置でホーステールに結ばれている。まるで絹糸のようなその髪は、触れれば指先がつるりと滑ってしまいそうなほど滑らかだ。髪が垂れる肩は、清潔感溢れる白スーツに包まれていて、スーツの下の赤いワイシャツとネクタイが強調されて見える。
ケイナを見て驚いた男の顔は、ケイナがこれまでに見てきた誰よりも端正な顔立ちだった。
切れ長の瞳に長い睫は、男性と言うにしてはあまりに女性的で、鋭く光る銀色のノンフレーム眼鏡から覗く双眼は、宝石のように透き通っている。メトロの住民にしては清潔で白すぎる肌が、絹糸のような髪と合間って自然に見える。
ケイナは、その男を前にして言葉がなにも浮かばなかった。
この街で出会うような類いの人間ではなく、別次元から現れたようなその白い男に、現実味が感じられなくて沈黙してしまう。
「ケイナちゃぁん! ケイナちゃんじゃないの。なぁんでまたこんな悪趣味きわまりない場所に?」
ケイナの姿を見たカサイは、大袈裟なまでに両手を大きく広げて立ち上がると、ケイナのそばに歩み寄ろうと歩きだす。
発作的なカサイのテンションにびくりと肩を浮かせたケイナを見て、ジンが無言でケイナとカサイの間に立ちふさがった。
「アカバネさん。彼女の名前はケイナ。なんの変鉄もない、そこら辺に転がってそうな街娘だ」
ジンのざっくばらんな紹介に、ケイナは顔をしかめて無言で顔をあげる。視線が、ジンがアカバネと呼んだ白い男と交わる。驚いて目を丸くしていた男の顔が、怪訝そうにしかめられた。
「なんでまた、そんな辺鄙な女を連れてきた? 君に頼んでいたのは、裏切り者の粛清のはずだが…。この神聖な場所に、そんな汚い娘をいれないでほしいね」
苛立ったようにアカバネとが言う。そのクチぶりは、まるで虫けらを心の底から侮蔑するような言い方だった。
そして彼の言葉に、ケイナは腹のそこから煮えくり返るような怒りを感じた。
自分のことをとやかく言われるのにも腹は立つが、何より、この男がジンに命じてミカドを殺させたというのだ。黙っていられるわけもない。
しかし、ケイナが怒りを爆発させる前に、ジンがどこか愉快そうにクチを開く。
「それがな、この嬢ちゃん、ただの小娘じゃない。シティコンプレックス持ちなのさ。尤も、元、だけどな」
「何だって?」
アカバネの空気が変わる。それを見て、ジンが愉快そうに目を細目ながら続けた。
「シティコンプレックス持ちだ。どういうことだかわかるだろう? この嬢ちゃんは、アンタの演説を聞いても、なんにも感じなかったってことさ。そこら辺の人間よりよっぽど目覚める可能性があったにも関わらず。アンタの高尚な演説よりも、アタシに殺された友達のことで頭が一杯なんだ。どうだ? 面白いだろう」
煽るようにジンが言うのを聞いて、ケイナは顔を青くして彼女を見上げる。
本当に、ジンはアカバネにそれを言うためだけにケイナをここまで連れてきたのだ。その為だけに、ケイナは命を拾いをしたわけだ。
先程までのジンやアカバネの言動から察するに、ジンがアカバネの人柄を知っての行為であろう。それは、なんとも悪趣味かつ陰湿なことだ。
しかし、そんなケイナの思いとは裏腹にジンの報告を聞いたアカバネは、まるで感激したとばかりに表情を輝かせて、ディスクから身を乗り出してケイナを見つめた。
「そ、それは本当か!? は、はは! 素晴らしい! なんて素敵なことなんだ!」
唐突に、声を荒らげて嬉しそうに言い出したアカバネに、ケイナは面食らって目を丸くする。
アカバネの反応は、どうやらジンも予想外だったようで。金色の前髪から覗く片目を大きく見開いて問いかけた。
「おいアンタ、わかってるのか? それはつまり、アンタが日頃から自慢し腐ってる声が、届かなかったってことだぞ」
「わかっているとも。だからこそ、嬉しいんじゃないか」
言ってアカバネをは、ディスクに肘をついて悩ましげに、しかし満更でもなさそうに頭を抱えて見せる。
「ほら、僕って見ての通り愚民共が百万人ひれ伏しても足りないくらいの美形だろう? その上頭も良くて地位も金もある。加えて平民を惑わす美声もある。ここまで幸福で完璧な僕だ。今まで、口説いて振り向かなかった女性はいないんだ」
「……」
いきなり何を言い出すかと思えば。アカバネは、ハァと困ったようなため息をついて傲慢極まりない言葉を言い放った。
その言葉に、ケイナは生理的嫌悪から顔をしかめる。こういうことを真顔でいう人間は初めてだったが、ケイナの中で何かしらの越えちゃいけない一線が生まれた。
「だから、僕の思い通りにならない人間が、僕は大好きなのさ! 勿論君やカサイも含め、最高だよ! ありがとうジン!」
わはは、と笑いながらアカバネは立ち上がって切れ長の目を見開きながら盛大な感謝の言葉をのべる。
彼の前には、ジンの陰湿な嫌がらせも効果がなかったようだ。
「……詰まらない奴」
ジンは、誰にいうでもなく小さく呟いて、気をとり直す様にくるりとケイナに向き直り、今までと同様の無表情の中に不機嫌さを露にしながら続いて言った。
「この糞みたいにうざったいナルシスト気質の男はアカバネ。まあ、ここまで来て今さらって感じはするが、ここ、電波塔の支配者であり、テロリスト、シティアベンジャーのボスでもある」
「!! シティ、アベンジャーの……」
うっすらと気づいていたこととはいえ、改めてその事実を公表されると驚きを隠せない。
まさか、メトロの情報網を司る電波塔の主がテロリスト集団のリーダーだなんて。そんな事実、いったい誰が気づくだろうか。
「おいおいジン。ボスと呼ぶのはやめろって言ってるだろう。指導者様、だ。あとテロリストではなくて革命家」
「知るか。アタシにしてみれば、アンタは犯罪者を束ねるボスだし、革命というよりはテロだ。まあ、どっちも変わらんか」
馬鹿にしたようにジンは言う。それにアカバネは、困ったように首を振って肩をすくめた。
「まあいいさ。君らにそう呼ばれるのも嫌いじゃないしね。人が言ったことをそのまま鵜呑みにするのは、馬鹿と愚か者だけだ」
「だったら一々訂正するな」
「認識を改めただけだ。大事なことだからね」
そう言ってジンとの会話を一通り切り上げたアカバネは、後ろ手を組みながらケイナに顔を向けた。ケイナに向けられた瞳は何故か爛々と輝いていて、ケイナは気味の悪さを感じる。
「さて、女性を待たせてしまうなんて申し訳ない。僕の名前はアカバネ。概ね、彼女からの紹介通りの人物だ」
そう言ってアカバネは、紳士的な立ち振舞いで丁寧に頭を下げた。
ジンの言う通りということは、彼は自分がナルシストであることも自覚しているのだろうかで。そうだとしたらたちが悪い。
なんにせよ、いくら紳士的に挨拶をされようとも、ケイナにはそれに乗る余裕はなかった。




