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Crazys!  作者: ノンアルコール
C,8-B-1 Good Bye My Sweet Song.
61/65

 ケイナは、ミカドに言われた通り、小銭の入った缶を両手で抱えながら街角で待っていた。

 正確に言えば、立ちつくしていた、と言うべきだろう。今、自分が何をすべきか彼女はよく理解していなかった。

 微笑まれれば、意味も無くホッと一安心してしまいそうになる笑みを浮かべながら、ケイナに背を向けたミカドは、確かにケイナに『ここで待っていて欲しい』と言った。

 しかし、そんな彼の願いを理解した中で、ケイナの心の中には原因のわからない漠然とした不安があった。

 見送ってしまって、好かったのだろうか。この街で、世話になった人に挨拶をしてくる、と彼は言った。確かに、音楽を辞めて故郷に帰ると言うならば、街で出会った人に別れの挨拶をするのは筋だろう。だが、いくらなんでも唐突過ぎやしないだろうか。

 今、街は祭りの最中だ。湿っぽい挨拶など誰も聞きたがらないだろうし、空には夕闇が迫りつつある。なのに今から挨拶だなんて、なんだか可笑しい。違和感を感じる。

 ケイナは、妙にそわそわした。ミカドが何を考えているのかわからないのだ。何故そんな事を言い出したのか。

 ミカドは、ケイナの知る限り妹想いで自分に正直な、優しい人間だ。しかしそれは、つい昨日会ったばかりのケイナの、ミカドへの表面的なイメージにすぎない。

 そ思うとケイナは、ミカドには自分の知らないもっと重い『何か』がある気がしてくる。考えたくは無いが、不穏な何かがある気がする。

 不安は加速して行く。やはりミカドの行動は何処か可笑しいと思う。ならば、自分はミカドを探しに行くべきだ。ケイナは、常人よりもワンテンポ遅れてその結論に至ると、不安げに俯いていた顔をキリッと上げて手元の缶を握る。

 掌に、錆びた鉄のざらりとした感覚を受けながら、ケイナは先程、ミカドが消えて行った街道の方向に視線を向けた。

 瞬間。唐突に、驚くほど何の前触れも無く、どこからともなく心臓を揺らす様な大きなチャイムの音が鳴り響いた。

「!?」

 ケイナはその音に驚いて、踏み出しかけていた足を引っこませた。

 ピンポンパンポーン、と、巨大な音量でありながら、間延びした呑気なチャイムの音は、ざわついていた街中に響き渡り、人々の動きを一瞬固まらせる。

 何事だろう、と怪訝そうに顔をしかめて辺りを見渡す人々と同様に、ケイナも困惑した顔でキョロキョロと首を振った。

『えー……、ごきげんよう。メトロ市民の諸君。我々は、シティアベンジャー。栄光ある正義の革命軍である』

 困惑し、不思議そうな顔をして顔を見合わせる人々の注目を攫おうとするかのように、チャイムの音の後に一拍置いて、ノイズ交じりの男の声が響き渡った。ノイズ越しからでもハッキリと聞き取れる、よく通る男の声だった。

 どうやら、街の至る所に取り付けられたスピーカーから、この音声は放送されているらしい。ガサガサとしたノイズ音も、その古めかしいスピーカーのせいの様だ。

「シティ……アベンジャー」 

 男の声に復唱するようにケイナが呟く。

 その名前は、ケイナも良く知っていた。重度のシティコンプレックスを患い、歪んだシティへの憎しみを暴走させた民間人による団体である。その憎しみは次々とシティへの妬みを持つ人々を扇動し、昨今ではテロリスト集団として名を冠する事も珍しくなくなってきている。

 シティコンプレックスを患っていたケイナだからこそ彼女は周りにいる人々の中の誰よりも、敏感にその名前に反応した。もしも、自分もシティへの羨望を屈折させ、いつの間にかそれを妬み、憎む様になっていたら、彼らと同じテロリストになっていたかもしれないのだから。

『……猛々しい闘争心を持ち、世界と戦う意思のある者は、喝采を以て我々に賛同してほしい。そんな彼らには、我々は誠意を以て応えよう。我らの同志として……』

 ぼんやりと、昔の事に想いを馳せている間にも、スピーカーから流れ出る男の声は長々とした演説を続けていた。

 同志、そんな言葉を使えるほどに、シティコンプレックスを持った人間がメトロに居るのだろうか。ケイナがそれを患っていた時は、身の回りにその手の悩みを打ち明けられるような人間はいなかった。そのせいで、人身売買を商売とする悪人にあっさりと騙されてしまったわけで、しかし、だからこそケイナは、あの病から逃れられたのだと言える。シティが羨ましい、憎らしいと、志を同じくした人間が自分の周りに大勢いたら、きっと自分の過ちに気付けないままいただろう。

 彼らは、シティアベンジャーの人々は、ケイナが歩み損ねた未来の形なのだ。

『我々の目的は、平等な世界を創ることである。差別や劣等感の無い世界を創造し……我々は、我々を貶めて来たシティへ復讐をするのだ』

 ケイナは、目を細めて立ち並ぶ露店に取り付けられたスピーカーを見つめる。

 なんだかスピーカーから流れる男の声が、まるでケイナの意識の後ろ側を通り過ぎて行く様な気がした。つまり、まるで気に掛からないのである。

 確かに男の声は、ハッキリとして聞きとりやすい。話の間の取り方も絶妙で、彼女の周りの人々など固まって思わずその声に聞き入ってしまうほどである。

 しかし、その声は、ケイナの心を掴みはしなかった。ケイナは、未だ完全に、シティへの憧れを捨てきれたわけではない。あまりにダメな自分を見ると、思わず『シティだったらこんな想いをしないで済むのだろうか』と考えてしまう事もある。

 だが、ケイナはその想い以上に、シティアベンジャーへの同情を感じていた。

 彼らは恐らく『あの時』救われなかったケイナ自身なのだ。ケイナは、自分の弱さに気がつけなかった自分自身を見ている様な気がした。しかし今の彼女は、シティコンプレックスは、自分の弱さが引き起こした、陽炎の様な幻影であった事を知っている。だからこそ、男の演説を、一歩退いた視点から見る事が出来ている。

 きっと、昔の自分だったら『平等』や『復讐』という男の言葉に耳を傾けていたかもしれない、と背筋を凍らせながら。

『……ば、どうしたらいいだろう。我々は、シティへの憎しみを抱いたまま、ゴミの様に朽ちハ…テッ…………』

 ケイナが、昔の自分を思い出して複雑そうな顔をして唇を噛みしめていると、唐突に、スピーカーからの音声が途切れた。

 ブツン、と回線が切れた様な切断音が響き、先程まで、おどろおどろしい演説を行っていたスピーカーが沈黙する。

 辺りの人々は狼狽した。怪訝そうに顔をしかめて、互いに顔を見合わせて首を傾げる。

 それを見て、ケイナはハッとした。そうだ、今の放送は何だったのだろう。賑やかな祭りの最中で何が起きたというのだろう。ケイナは、無意識から感じる悪寒に冷や汗を流しながら、先程のお祭り騒ぎとはまた違った騒々しさに包まれる街道を見つめた。

「きゃああああ!!」

 ケイナの耳に、まるで落雷でも落ちたかのような女の悲鳴が届いた。

 反射的にケイナは、声のする方向へ視線を向ける。露店と露店の間の路地の前で、一人の女性が、幼い子供を庇う様に抱きしめながらへたり込んでおり、その二人の前には、凶悪な牙をねっとりとした唾液で濡らした、獰猛な四足歩行の生物が迫っていた。クリーチャーである。

 何故、突然こんな街中に。ケイナは疑問に思ったが、それ以前に身体が勝手に懐の麻酔銃へと伸び、両足は大地を蹴って大声を上げていた。

「伏せて!」

 叫ぶと同時に、ケイナは走りながら麻酔銃を構え、女と子供に迫るクリーチャーに照準を合わせると、息を呑んでその引き金を引いた。

 バシュッ、と空気の抜ける音がして、麻酔銃の銃口から麻酔針が飛び出す。その針が、一体どんな軌道を描いたのかはケイナにはわからなかったが、約一秒後、ケイナが銃口を向けていたクリーチャーが、力が抜けた様に泡を吹いて地面に倒れるのを見て、運よく針がクリーチャーに着弾した事を知る。

「だ、だいっ、大丈夫ですか!?」

 ケイナは麻酔針がクリーチャーに当たったことに安堵して、どもりながら女と子供に駆け寄った。

 女は、子供を庇ったせいか腕や足に擦り傷を創っていたようだが、他に目立った外傷も無いようで、両目に涙を浮かべながらケイナを見上げる。

「あ、ありがとうございます! 助かりました……!」

「そ、それより! このクリーチャー……、一体何処から?」

 足もとで痙攣しているクリーチャーを見ながら、ケイナは女に問いかける。すると女の腕の中にいた子供は、震える手で目の前を指差した。

「そこの……路地から、いきなり……」

 よほど怖い目に合ったのだろう。ガチガチと歯を鳴らしながら、女の腕の中で震える子供の姿を見て、ケイナは強く奥歯を噛みしめる。

 先程の放送と言い、クリーチャーの出現と言い、偶然起こった事とは思えない。何か、街で大変なことが起こっている気がした。それはもう、今までに無いような恐ろしいことが。そこで、ケイナはハッとして顔を上げた。

 ミカドは、何処に行ったのだろう。 街中にはなにやら不穏な空気が漂っている。クリーチャーも放たれ、シティアベンジャーが他にも好からぬ企みをしているかもしれない。

 街の方も不安だが、ケイナは何処か思いつめた顔を笑顔で隠して背中を向けた友人の安否が気がかりで仕方が無かった。何かを、決意した様なミカドの笑顔。ケイナの中で、嫌な予感が膨れ上がる。

 ケイナは、焦燥に表情を曇らせると、慌てて地面を蹴って路地に向かって走り出す。

 当てなど無いが、クリーチャーが出現した方向に向かえば手掛かりがつかめる様な気がしたのだ。というか、それしか手立てが無かったのだ。

 向かった先に何があるのかなど、ケイナはまるで何も考えていなかった。今はただ、走る事しか出来なかった。




  **



『わたし、にいさんのウタがだいすき』

 最初に『好きだ』と言ってくれたのは、そういえば自分が一番大切にしていた少女であった事を、ミカドは思い出した。

 病院の、白いベッドに横になった少女が、薄く目を閉じながらそう嬉しそうに笑って言うのを聞いて、言葉にし難い、溢れ出る様な喜びを感じていた事を思い出した。

 自分は、何故音楽を始めたのだろうか。考えてみると、そうだ。大切なその少女が『好きだ』と言ってくれたから。自分が歌うと彼女が嬉しそうに笑うから。それが嬉しくて、自分は音楽を始めたのだ。

 自分は『音楽』が好きだったわけじゃない。自分の歌を聞いて、その子が笑ってくれる事が嬉しかったのだ。大切なその子の、笑顔が好きだったのだ。その為に、歌を歌い続けようと思った。

 何処で、想いがすり替わってしまったのだろう。何時の間に、思い違いをしていたのだろう。あの子を、妹を笑顔にする事が出来たらそれでよかったのに。そんな事なら、妹の傍でも出来た筈なのに。

 けれど、もう遅い。罪を重ねた自分には、もう妹に歌を聴かせる資格は無い。そんな人間の歌で、笑顔になれるはずもない。だから、これはせめてもの罪滅ぼしなのだ。




 何匹か逃してしまった、と、ミカドは人通りのまるで無い暗い路地の中で思った。

 片手にショットガンを握り、深緑色のカーゴパンツと藍色のジャケットは、大量の血液によって黒く塗れている。

 彼の足もとには、身体に巨大な穴を開けた人間とクリーチャーの屍が散乱している。その傍には、大型のワゴンがあり、その中にクリーチャーを乗せて来たようである。

 人間の屍は、そのワゴンを運転してきた本人であり、同時に、シティアベンジャーの構成員でもあった。

 ミカド自身も、よく見知った顔であった。その男は、よくミカドと組織の仲介役を務めていた人物であったから。

「…………ミカド、さん」

 街の騒ぎからは外れ、閑散とした路地に震える声が響いた。

 ミカドは、その声を聞くと目を閉じて小さく息を吸い、ニヘラ、と笑みを浮かべてその血に塗れた顔で振り返る。

「……待っててって、言ったのにさ。なぁ、ケイナちゃん」

 振り返ったミカドの視線の先には、額に眉を寄せ、今にも泣き出しそうに瞳を揺らしながら、拳を握りしめて震えるケイナの姿があった。

 よくここがわかったな、とでも言いたかったミカドだが、走って来たのか、肩で息をするケイナを見てしまっては問いかける気すら失せてしまう。

「……これ、これは、一体どういう事なんですか…? ミカドさんは、どうしてそんな怖い物を持っているんですか? その、その人たちは……いったい……」

 震えるケイナの視線が、ゆっくりとミカドの足もとに転がる屍を見て、すぐにミカドに戻った。

 問わずとも、わかっている目だ。こんな現場を見てしまっては、気が付かない方が可笑しいだろう。

「敬語はもういいって言っただろ?」

「……茶化さないで、ください」

 軽い口調で言うミカドに、静かな声で語気を強め、ケイナが返した。

 そんなケイナの声を気にする事も無く、ミカドは苦笑いを浮かべて答える。

「大方、ケイナちゃんが考えてる最悪のパターンだよ。俺は、シティアベンジャーの末端の……えーと、掃除屋みたいなものかな。シティコンプレックスじゃないんだけど、まあ、金を貰って仕事をする、そんな仕事をしてたんだ」

「……」

 ミカドが淡々とした口調で語れば、ケイナは何か言いたげに唇を動かしながら、両目に涙を溜めてゆっくりと首を横に振る。

「うそ……、ですよね。ミカドさんが、テロリストだなんて……」

「今更、そんな嘘をついてどうする?」

 無意味に、救いの道を探そうとするケイナに、ミカドは笑みを浮かべながら目を細めて答えた。ケイナの知らぬ冷たい顔に、ケイナはびくりと身体を震わせる。

 怯えるケイナを見ると、ミカドは再び優しげな笑みを浮かべて言った。

「ごめんな。でもさ、本当なんだ。今まで、色んな人を不幸にしてきた。殺したりもした。数え切れないくらい、悪い事をして来たんだよ」

 ミカドが、実に落ち着いた口調で言った。対してケイナは、だんだんと速くなる鼓動を自らの頭の中に響かせながら、ミカドの言葉を理解しようと必死に努める。

 いや、理解はしていた。今、目の前で何が起こっているのかも、大方予想はついていた。ただ、認めたくなかった。肯定したくなかった。こんな暗い路地にいるのではなく、ショットガンを持っているのでもなく、明るい表街道でギターを弾きながら、陽気に歌を歌っている彼を知っているからこそ、理解したくなかった。

「どう……して」

 喉から声を絞り出す様に、ケイナは問う。

 それしか言えなかった。頭の中が混乱して、認めたくない事実とケイナが見たミカドの優しげな微笑みが錯綜する。どちらが本当のミカドなのか、それとも、どちらもそうなのか。

「……金の為。売れないミュージシャンなんて、一本生活で、食っていけるわけないだろ? その為の生活費稼ぎ……」

「そうじゃないです」

 肩をすくめながら諦めた様な口調で答えるミカドの言葉を、ケイナは強い声で遮った。

 怪訝そうなミカドの視線が、ケイナに刺さる。ケイナは、戸惑い狼狽する気持ちを抑えつける様に拳を握り、その視線に負けじと、額に眉を寄せてミカドを睨んだ。

「誰の為に、やったんですか」

 唇を噛みしめて、震える声で問いかけるケイナをミカドは目を細めてジッとケイナを見る。

  黙り込んだミカドに、追撃するようにケイナは更にクチを開いた。

「病弱な、妹さんの為でしょう? まるで、何でも無い事みたいに、悪ぶらないでください。音楽を辞めるわけにはいかなかったから、でも、その上で大事な妹さんの病気を治したいと思っていたから……だからこんな仕事をしているんでしょう?」

 ケイナは問いかける。ミカドは、頷く事は無かった。ミカドの返答が無いのに、ケイナは唇を噛みしめると、再度問う。

「他に…他に方法は無かったんですか? こんな事をしなくても、お金を稼ぐ方法はあったはずです。なのに、どうして……」

 ケイナが知っているのは、昨日今日でのミカドの人柄でしかない。ケイナの知らない、彼の暗い部分があるのかもしれない。しかし、例えそうであったとしても、それだけではないとケイナは思う。そんな事は無いと信じている。

 だが、ケイナの問いに肯定も、否定もせず、ただ彼女の言葉を茶化すだけで、今は無表情に目を細めているだけのミカドに、ケイナは腹が立ったのは確かだ。

「黙ってないで……何か言ってくださいよ! 私は、ミカドさんがそんな事を意味も無くやる様な人じゃないって思っています。だから……ミカドさんが何を考えているのか…教えてください!」

 ガチガチと不安に歯を鳴らして、悲痛な叫びの様にケイナは震えた声をミカドにぶつけた。静まり返った冷たい空気が、ケイナの叫ぶような声で激しく揺れる。

 ミカドは、ケイナの声を聞いて、静かに薄く目を閉じた。そしてすぐに目を開いて黒の双眸でケイナを見る。一切の濁りの無い、純真すぎるほどの強い意志を秘めたその瞳は、思わず息を呑んでしまいそうになるほどに眩しい。

 そんな彼の瞳が、薄く細められて、怖いほどに無表情だったその顔が、ニコリと陽気に微笑んだ。

「……メトロではね、この方法が、金を稼ぐのに一番手っ取り早いんだ」

 見ていて、胸が苦しくなるような、諦めた苦笑を浮かべてミカドはケイナの問いに答えた。

 ミカドの声に、ケイナは目を大きく見開いて短く息を吸う。

「音楽と並行して、地道に働く道もあった。けどさ、人生、そう簡単にはいかないんだよ。俺がサースメトロを出てから、妹の病状は悪化した。一刻も早く金を稼ぐ必要があった」

 ミカドは、その当時を思い出す様な遠い目をして言った。

 懺悔でもする様な口振りだった。自分の罪を顧みる様に、ゆっくりとした口調でミカドは語る。

「その時は、びっくりするほどの金が稼げた。俺は、手紙と一緒にその金を妹に送った。しばらくして、主治医の先生から返事が来た。妹の病状が、快復に向かってるってさ。俺は、とても嬉しかった」

 くしゃり、と笑ってミカドが言う。妹の事を語るミカドは、本当に嬉しそうに見えた。しかしそれでいて、ケイナは言い知れぬ胸のざわめきを感じてもいる。

「けど、一度その沼に足を踏み入れてしまったら、もう抜け出せないんだ。メトロの裏の世界に踏み込んで、他人を不幸にしておいて、素知らぬ顔で表に出て行けるわけが無い。結局俺は、何度も『そういう』仕事を受ける事になった。金はどんどん堪った。それに比例するように、俺の両手は汚れていった」

 ショットガンを握る片手に視線を落としながら、ミカドは額に眉を寄せて忌々しそうに言った。

 それを言うミカドの姿は、返り血で赤黒く染まっている。ケイナには、彼の全身が地に塗れている様に見えた。

「引き金を引くのは、意外と簡単だった。誰かの為に、って言い訳をすれば、見知らぬ他人を犠牲にしようとも、言うほど心は痛まなかったんだ。そうさ、妹の為にってね。俺は、妹を、殺しの理由にしていたんだよ」

 再び静まり返った路地に、喉から絞り出すようなミカドの声が響く。嘲笑しながら語るミカドの声に気押され、ケイナはじくりと胸を痛ませながらも、クチを出す事ができなかった。

「それを自覚してから、俺はもう、アイツに手紙を出せなくなった。ただ、金だけ。主治医の先生に送るだけになった。でも結局、その金も送れなくなった。だって、他人を犠牲にして得た金で、アイツの命が助かっても、アイツはきっと喜ばないと思ったから。アイツは、そんなつもりで、俺を見送ったわけじゃないって、わかってたから……」

 ケイナは、昼間、ポストの前でたじろいでいたミカドを思い出す。

 あれは彼が妹に書いた手紙を、出そうとしていたのだ。そして、本当はそれを今までに何度も繰り返しては、その手紙を懐にしまい続けていたのである。

 妹を、罪の無い人を殺す理由に使った自分が、彼女に再び触れる事など許されないと思ったのだ。

「だから俺は、罪深い人間なんだ。どうしようもなく愚かで、馬鹿で夢見がちな、クソ野郎だ。わかっただろ? ケイナちゃんみたいな『良い子』に、信じてもらえる様な人間じゃない」

 ミカドは、諦めた様な切ない笑みを浮かべてケイナに顔を向けた。

 出遭った時から、彼の笑顔の片鱗に感じていた、どこか諦めた様な微笑みの意味が、ケイナは漸くわかった。

 ミカドは、自分の行いを後悔し、そして自分を諦めているのだ。自分のしてきた事は、許されないことだから。だから、彼は今日何の未練も無い屈託のない笑顔で、自分の大好きな『音楽』を辞めると言えたのだ。

「ケイナちゃん、君は言ったね。『後悔しないでくれ』って。ごめん、俺、今もずっと後悔してる。例え、この街で俺の歌を聞いてくれた人がいたとしても、ここに来なきゃよかったと思ってるよ」

 申し訳なさそうに笑いながら、ミカドは言った。残酷な言葉をいとも容易く言ってのける。

 ミカドが、ケイナを傷つけたいと思ってそんな事を言っているわけではない事は、ケイナも良くわかっていた。申し訳なさそうなその笑顔には、悪意など欠片も見えないのだから。だから、その言葉は、ミカドの本心なのだ。ミカドの、想いそのモノだ。

「どう……してですか。どうしてそう、諦めてしまうんですか」

 ぽろりと、ケイナの瞳から涙がこぼれる。

 自分にはわからない、重い業を背負っているミカドに、どんな言葉を掛けたらいいのかわからない。わからないけれど、想いだけは溢れだす。その想いが、無理矢理言葉となって零れてくる。

「諦めないで……くださいよぉ……。やってしまった事、それがどんなことでも、罪を償う事、できるはずです。なんでそれをしないで、諦めちゃうんですか……。生き急いでるのは、ミカドさんのほうですよ!」

 ボロボロと、ケイナの目から涙がこぼれる。

 ああ、カッコ悪い。いつも、ここぞと言うところで震え声になって、子供の様に泣きじゃくってしまう自分が情けない。

 くしゃくしゃと顔を歪めて、泣きだしながらも声を上げるケイナに、ミカドは驚いた様な目を向けた。

「大体……、よく考えてくださいよ! 妹さん、ミカドさんのこと大好きなんでしょう? ミカドさんがどんなふうになっていようと、待ってるに決まってるじゃないですか……! 妹さんの傍にいる事が一番大事なんだと思ったら、そんな嫌な仕事放り投げて、会いに行けばいいじゃないですか! なんでですか……。なんで自分ばっかり責めて、諦めて笑っちゃうんですか!? 馬鹿です、ミカドさんは、本当に大馬鹿です!」

「……ケイナちゃん」

 涙と鼻水で顔を濡らしながら、泣きわめくケイナに、ミカドは困惑した様に声を掛ける。

 困った様な表情は、本当に、ケイナの知っているミカドの顔なのに。あの優しいミカドが、こんな暗い路地で銃を抱えて、血まみれで立っているのは可笑しなことだとケイナは思う。

「一緒に、妹さんに会いに行きましょうよ。私も、皆に呆れられちゃうかもしれないから、怖いけど、大切な人たちに会いに行きます。一緒です。私も怖いです。だから……」

 二人で、一度サースメトロに帰りましょう、そう言おうとして、ケイナは涙で滲んだ顔を上げた。

 その瞬間、ケイナの視界に入ったのは、微笑みを浮かべるミカドの顔だった。嬉しそうで柔らかな、ケイナの知るミカドらしい、眩い笑みだ。しかし、その穏やかな笑顔も、ケイナがミカドを見た瞬間、申し訳なさそうな微笑みに代わった。

「ありがとう、ケイナちゃん。ああ、でも」


「もう遅い」


 ミカドのクチが、ケイナの眼にはスローモーションで動いた様に見えた。

 次の瞬間、空に轟く様な、脳を揺らさんばかりの発砲音が、ケイナの耳に響いた。冷たい空気を揺らした発砲音は、それと同時にケイナの視界を赤く染める。

 染まったのは、ケイナと向かい合っていた、ミカドの胸だった。ミカドの藍色のジャケットが、返り血では無く彼自身の血液で黒く滲み、細い血柱を何本も立てながら宙にはためく。

 ジャケットの裾が、ひらりと宙を舞ったのは、それを着ているミカドが膝から崩れ落ちる様に地面に向かって倒れたからだ。

 自分の胸から血が噴き出すのを見る様に、視線を下方に落としたミカドは、瞳孔を開いたまま無表情で地面に膝を着く。

「あ……あああ……」

 撃たれたのだ。ミカドが。それをケイナが理解した時、ケイナの視界に、人影が映った。

 倒れたミカドを挟んだ路地の奥に、カーキ色のロングコートを着た、金色の髪の人影が見える。その人影は、硝煙の上がるリボルバー式の拳銃をケイナに向けて、切れ長の鋭い瞳を細めて淡々と呟いた。

「まぁた、派手にやってくれたもんだ」

 銃を持った人影は、淡々とした声音で言った。やってくれた、というわりには、感情の篭っていない声だった。

 しかし、今のケイナにはそんな事はどうでもいい。

 地面に倒れ伏したミカドを見て、ケイナは声にならない悲鳴を上げながら、震える足で彼に駆け寄る。

「ミカ……ミカドさ……ミカドさん!!」

 唇が渇き、酷く喉が痛かった。それでもケイナは、精一杯彼の名前を呼ぶ。力なく倒れたミカドの肩を抱え、涙を零しながら彼の体をゆする。

 抱えたミカドの胸から、どめどなく血が噴きこぼれていた。眩しいばかりの強い意志を秘めていた瞳は、光を無くして黒く濁り、口元からは一筋の血が流れている。

 その光景が信じられなくて、信じたくも無くて、ケイナはその現実を否定するようにボロボロと涙を零した。

「嘘……ですよね? ミカドさん! 帰りたいんでしょう……!?妹さんのところへ……帰りましょうよ……!」

 ついさっきまで、陽気な笑みを浮かべていたのが嘘のようだった。ケイナの抱えるミカドの身体は、重く冷たい。それが嘘としか思えなくて、ケイナは叫ぶようにミカドに語りかける。

 はたはたと、ケイナの涙が濁った瞳のミカドの頬を濡らした。その水滴に反応してか、それともケイナの声に気がついてか、ミカドの瞳が、機械仕掛けの人形の、眼球のように、ぎこちなく動いて宙を見る。

「……れ……を」

 焦点の定まらない瞳を、不安定に揺らしながら、ミカドは震える手をケイナに伸ばす。その手には、赤い血に染まった封筒が握られていた。

「こ、これ……!」

 震えるその手を、ケイナは強くつかんで泣きそうな声で言った。

 ケイナの手の温もりを感じてか、青ざめた顔に少しだけ安堵の笑みを浮かべて、ミカドは弱弱しい息と共にクチを開く。

「アイ……つに」

 今にも消え入りそうな、酷く弱々しい声。

 ミカドの胸に開いた大穴は、絶望的なまでの赤で染まり、先ほどまで優しげに微笑んでいた彼の顔は、今や目や頬が落ち窪んで生気が無い。

 それを見て、ケイナはゾッとした。今まで、ケイナが見てきたどんな死よりも、リアルに、そして残酷に、死を感じた。

「っ……! ダメですミカドさん! しっかりしてください! 今、今血を止めますから……! 大丈夫ですから……!」

 ケイナは、自分の着ていたローブの裾を破いてミカドの胸に押し付ける。ローブの切れ端は、見る見るうちに赤く染まり、ケイナの手までも濡らした。止まらない、絶望的なほどに、鮮血が地面を赤く濡らすほど、ミカドの身体が重くなる。

 それが恐ろしくて、ケイナはガクガクと震えながら必死で止血を試みる。

「ミカドさん……! ミカドさん!」

 名前を呼びながら、ケイナは手紙の握られたミカドの手を掴む。人のものとは思えないほど、その手は冷たかった。どこかで感じた事がある様な、悲しい冷たさだった。

 ケイナが手紙を握ると、ミカドは彼女の温度を感じたのか、それとも、気配で察しただけなのか、血の気の引いた虚ろな目で引き攣らせるように口角を上げながら、僅かに微笑んだ。

「あ……りが……」

 語尾は、暗闇に消えゆく灯火の様に、ゆっくりと空気に溶けた。

 ミカドの両目が、驚くほど穏やかに閉じる。ケイナが握っていたミカドの手から、力が抜けて重くなる。ミカドの呼吸が停止する。

「あ……あう……」

 もう、枯れ切ってしまうのではないかと思うほど、ケイナの両目からはとめどなく涙があふれた。

 冷たく、重くなった手をケイナはきつく握った。そうしていれば、もしかしたら目を開けてくれるのではないだろうかと、淡い期待を持っていた。

 いつかのように、心臓がとび上がるほど唐突に、血まみれになりながら跳ね起きてくれたら……。

 しかし、どんなに強くミカドの手を握っても、その手が温度を取り戻す事は無かった。ミカドの目が開く事も無かった。彼は、今、たった今。ケイナの目の前で死んでしまった。


 そうだ。死んでしまった。胸を撃ち抜かれて、血をたくさん流して、ああ、死んでしまった。

 人間は、脆いのだ。さっきまで微笑みを浮かべて、言葉を交わしていた相手が、かくもあっさりと死んでしまう。

 ケイナは、勘違いをしていた。人は死ぬのだ。とても簡単に。驚くほどあっさりと。死なない人間こそが可笑しいのだ。だから、本当は、ケイナの周りでは常に死で満ち溢れていた。

 人は死ぬ。この頭の可笑しな世界に馴染めずに、取り残された人から順番に。生き残るためには、理性を置き去りにして、無理やりにでも吹っ切れるしかないのだろうか。

「誰かと思えば、まさか昼間の嬢ちゃんか」

 ミカドの屍を前に、眩暈がしそうなほどの思考の海におぼれていたケイナの頭上から、低い声が落ちて来た。

 反射的に、ケイナは顔を上げる。

 見覚えのあるカーキのフード付きコートに、口元の半面型ガスマスクが特徴的な、身長の高い女がケイナを見下ろしていた。

 昼間、ケイナが街道で人違いをしてしまった女だ。名前は、確か、ジンと呼ばれていた。

「あ……貴女は……!」

 メトロで生きる事について、深い思考の沼に飲みこまれていたケイナは、ジンの顔を見ると途端に怒りがわいて、涙で滲んだ目で頭上の彼女を睨みつけた。

 ジンの片手には、厳ついフォルムのリボルバーが握られている。その銃口から飛び出した弾丸が、ミカドの胸に穴を開けたのだ。

「どうして……どうしてミカドさんを……! どうして彼を…こ、殺したんですか!? ミカドさんは……ただ、妹さんの為に……」

 やるせなかった。ミカドの生い立ちを知ったからこそ、ケイナは、こんな暗い路地でミカドが死んだ事が悔しかった。

 もっと、他の道もあったのだ。むしろ、これから歩んで行ける道もあった。なのに、一発の銃弾が、それを粉々に破壊してしまった。

 怒気を含んだケイナの声を聞いて、ジンは棒立ちのまま、無表情でケイナを見下ろして首を傾げた。

「だから?」

「……っ!」

 ゾッとする様な、鈍い光をともした金色の瞳が、ストンとケイナの目線に落ちてくる。

 ケイナと視線を合わせる様にしゃがんだジンは、冷たくなったミカドにちらりと視線を向けた後、フィルター越しのガサついた声で言った。

「その男が、どんな人生を歩んで、どんな想いを抱いていようとも、アタシには関係ないだろう」

 女性とは思えない低い声で、ジンは語る。その目は、ケイナを嘲笑しているわけでも、侮蔑しているわけでもない。ただひたすらに、無感情であった。

「アタシがそいつを殺した理由は唯一つ。『邪魔をしたから』。アタシの人生の障害になったから。それだけさ。他に意味なんて無い」

「……!!」

 酷く、冷たい声だった。背筋に寒気が走る様な、ゾワリとする様な声だ。

 こんな冷たい声を、ケイナは聞いた事が無かった。声と言うのは、それを発する人間の心の映しだ。第三者にとって最もわかりやすく本人の感情を映しだす。だから普通、人の声と言うのは、何処か温かくて、どんな人間でも彼らの声は『生きている』音がする。

 しかし、ジンのそれは違った。昼間は気にも留めていなかったが、今のケイナにはよくわかる。ジンの声は、生きている音がしない。

冷え切っていて、無感情で、抑揚のない、まるで死んでいる様な声だ。

「だからって……殺すんですか……? その人が、どんな場所で生きて、どんな想いでここにいるかも知らないで、邪魔だからといって、殺してしまうんですか?」

 わからない、とでも言いたげに、ケイナは青ざめた顔で首を横に振りながら言った。

 彼女にとって、人の命とはそんなものなのだろうか。まるで路傍に咲く雑草の様に、あっさりと狩り取って好い物なのだろうか。

 ケイナが問うと、ジンは小首を傾げて金色の前髪から覗く片目を驚いたように大きく見開いて言った。

「面白い事を言うな、アンタは」

 面白く無さそうな声でジンは言う。

「アンタは、目の前で自分に銃口を向けられていても、相手が難病を患った家族の為に銃を取っていると知っていたら、反抗しないのか? 優しく相手の気持ちを組んで、その銃弾を受けようってのか?」

「…………」

 ケイナは、答えられない。ただ唇を噛み締めて、泣き腫らした目でじっとジンを見ることしかできない。

 そんなこといわれても、わからないのだ。そんな時、どうしたらいいか。どうすることが正解なのか。

 死にたくない。でも、誰かを傷つけたくも無い。こんなにも単純でわかりやすい思いなのに、この世界では、それは酷くわがままで愚かな意見でしかない。

 わかってはいるのだ。でも、だからといって割り切れるわけでもない。

「……悪いな。少し苛めすぎた。気を悪くしないでくれ。譲ちゃんは、ただそういう人間だってだけだ。そしてそこの男も、そういう人生を歩まざるを得なかっただけ」

 ジンはそう言って、目を伏せてケイナの腕の中で冷たくなっているミカドを見た。

 先ほどまでの冷たいだけの言動と違う、ジンの柔らかな言葉に、ケイナは困惑する。そんな彼女を気にかけることもなく、ジンは続けた。

「彼の名誉のために言っておくが、彼は、譲ちゃんの思っているようなテロリストじゃない。むしろ逆だ。その男は、アタシ達を裏切ったんだからな」

「え……?」

 続くジンの言葉に、ケイナはさらに戸惑う。

 ミカドは、メトロを陥れるために動いていたテロリストの一員だったのではないのか。少なくとも、さっき彼はそう言っていた。

「今日、ここで解き放たれるはずだったクリーチャーを、その男が殺しちまってね。おかげでこの一体の地区は被害ゼロだ。ウチのボスは、今頃それを知って地団太を踏んで悔しがっているだろうよ」

 淡々とした声音の中で、注意して聞いていないとわからないような弾んだ声でジンが言う。

 ケイナは、混乱する頭の中で必死に情報を整理した。

 ミカドは、テロリストの一員だったにもかかわらず、仲間を裏切ってクリーチャーを殺した。それによって、街の被害は減り、そのせいで、彼はジンに殺された。

 何故ミカドは、そんなことをしたのだろう。テロリストなんて犯罪者組織で、裏切りという行為を行うにあたってのリスクは、ケイナなんかよりもずっと彼のほうが知ってたはずなのに。

「……どう、して」

「どうしてそんなことしたのかって? 知らないな。アタシは、別にその男を知っているわけじゃないから」

 興味なさそうにジンは言って、すくりと立ち上がった。

 何故彼は、そんなことをしたのか。ミカドは言っていた。後悔をしていると。妹の傍を離れなければ良かったと。そうすれば、罪の無い人々を不幸にすることも無かったから。

 彼が、この街に来て犯してしまった罪、取り返しのつかないそれを、彼は、仲間を裏切るという形で清算しようとしていたのではない

だろうか。過去の過ちは消すことができないから、だから、今守れるものは守りたいと。

 罪滅ぼし、という言葉がケイナの脳裏に思い浮かんだ。それを思った途端に、再び胸がどうしようもなく苦しくなった。

「んじゃま、納得してくれたとこでそろそろさよならだ」

 ガチャリ、と、鉄の鳴る凶悪な音がケイナの頭上で上がった。ハッとしてケイナは顔を上げる。立ち上がったジンが、無感情な瞳と共にリボルバーの銃口をケイナに向けていた。

「!!」

「悪いね譲ちゃん。これもアタシの仕事だ。見られちまったら生かしちゃおけない。譲ちゃんは、どうやら賞金稼ぎだって言うしね」

 何の躊躇いもなくジンは言ってのける。

 恐ろしいほど深い暗闇を覗かせた銃口が、じっとケイナを睨み付けるように見つめてくる。

 ケイナは、恐怖で言葉が出なかった。ジンの言いたいことが、余りにも良くわかったからだ。いわば、ジンはテロリストという名の犯罪者、対してケイナは賞金稼ぎ。クチを封じる理由はあっても、生かして帰す理由は無い。

「殺……すんですか…。私……も」

「そうなるね。恨みがあるわけじゃないが、これも仕事だ。憎むなら自分の不運を憎みな」

 実にあっさりと。ありがちな台詞を何でもないことのようにジンは言い放った。

 まただ。価値観の相違を感じる。ケイナの人の命に対する考え方と、彼女らのそれはまるで違うのだ。そんな風に、簡単に人を殺していいことなど無いのに。仕方ないから、と割り切れるものなはずが無いのに。

 この世界では、そんなケイナの考え方のほうが異端なのだ。そんな考えでは生きてはいけないと、ケイナはようやく気がついた。


 ケイナの視界で、厚手のグローブに包まれたジンの指が、グッとリボルバーのトリガーを握るのが見えた。向けられた銃口から目が離せない。怖くて、逃げ出したくてたまらないはずなのに、何故か心音は酷く穏やかだった。

「あ、そうだ」

 ケイナの目の前のトリガーが、完全に引かれる寸前。思いついたように声を上げた。

 その声に、びくりとケイナの身体が震える。そんなことはお構いなしに、ジンは小首を傾げてケイナに問いかけた。

「譲ちゃん確か、シティコンプレックスだったな?」

「え……」

 唐突な問いかけに、ケイナは引きつった声を上げる。

 そういえば、昼間ジンとカサイとの会話でそんなことを零したような気がする。回答しないケイナだったが、ジンは一人興味深げに続けた。

「この街にいたなら『アカバネ』の演説は聴いてるはずだ。にも拘らず、譲ちゃんのシティコンプレックスは再発していない。そこら辺の常人より、よっぽど発狂率は高かったはずなのに。ふぅん、なるほど」

 銃口をケイナに向けたまま、ジンは考えをまとめるように呟いた。

 彼女が何を言っているのかまるでわからず、ケイナの鼓動は、先ほどまでの落ち着きが嘘のように高鳴り始めた。

 死ぬ寸前だった。今もだが。死と直面するという非現実染みた場所から、一気に現実に引き戻された気分だ。

「よし、止めだ」

「!」

 ケイナの額に突きつけられていた銃口が、ジンの低い声と共にくるりと反転してコートの裏のホルスターにしまわれる。

 ようやく外された脅威にケイナが目を丸くしていると、ずい、とジンの顔がケイナの視界に迫った。へたり込んでいるケイナの顔を、ジンが腰を曲げて、覗き込んだのである。

「譲ちゃんをここで殺すのは止めだ。アンタには一緒に来てもらうことにする」

「……なっ」

 ジンの唐突な提案に、ケイナは驚きの声を上げた。

 さっきから、彼女が何を言っているのかわからない。何をしたいのかさえもわからないのだ。

「わ、私を殺さないって……。何で……」

「ん? 殺して欲しいのか?」

 そういうわけではないが。悪意の無いジンの問いかけに、ケイナは慌てて首を横に振る。

「ただ、面白そうだと思っただけさ。あのボス、自分の力に絶大な自信を持ってるナルシストクソ野郎が、自分の能力でどうにかならなかった小娘がいると知って、どんな顔をするのか。見てみたいと思ってね」

 薄く、目を細めながらジンが言う。

 笑っているのか、とケイナは思う。防毒マスクに隠された彼女の表情は推測しがたいが、先ほどまでの死んだような声とは違い、どこか楽しげな、弾んだようなその声に、ケイナはびくりと震えた。

「貴女は……一体何者なんですか…」

 震える声でケイナは問う。

 自らのことを『テロリスト』と称しながらも、仲間であるカサイに辛らつな言葉を投げ、あまつさえ組織のリーダーと思われる人物を『クソ野郎』と称する。それに、シティアベンジャーの一員であるにも拘らず、シティへの羨望などあるようには見えない。

 そういう組織の人間もいるのかもしれない、だが、ケイナには、彼女がシティアベンジャーの一員だとは思えなかった。

「アタシか? アタシは、ただの情報屋。そして、ただの『見張り』だよ」

 詰まらなそうに、ジンが答える。その声は冷たくて、無機質で、そして酷く乾いて、荒んだメトロの裏路地に響いた。

 街中で反響している悲鳴や叫び声が、まるで遥か遠くで起こっている雷鳴のようにぼんやりとしか聞こえずに、ケイナは鼓膜に響くその冷たいジンの声に、気が遠くなりそうな眩暈を覚えた。


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