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人々の無遠慮な笑い声が、踏みしめれば軋んでしまう様な萎びた木材で囲まれた酒場の中を反響する。
店内に雑多に並べられたテーブルは、クチが裂けても清潔とは言えず、大口を開けて茹で蛸のように顔を赤くして笑う男達の、食べかすや唾がこびり付いて黒ずんでいた。
食い逃げ防止の為か、店の入り口の付近に設置されたカウンター席には、客と愉快に談笑しながらジョッキに酒をそそぐマスターや、やたらと露出度の高い服を着た豊満な胸の店員が立っていて、店員は、昼夜問わず目の前の客を誘惑し、あわよくばチップを稼ごうと、蠱惑的な笑みの下であくどく笑う。
そんな、ゴミの掃きだめのような酒場の片隅に、薄汚いその場所には酷く不釣り合いな、小さく細い肩が色の黒い男達と並んでカウンター席に座っていた。
「……よし、よし。……いける…いける……」
その小さな背中は、懐に隠した黒く厳つい鉄の塊を汗の滲んだ手で握りしめながら、まるで自分を奮い立たせるように何度か呟いた。
少女は、名をケイナという。メトロに蔓延る犯罪者を追う、新人の賞金稼ぎである。
細い肩が何度か揺れても、左右の大木のような腕を持った男達の前には、一瞬で粉々になってしまうような儚さしか感じられなかったが、呟く少女のような高い声音は、強い決意を秘めて辺りの空気を振るわせる。
最も、その空気の振動を感じたのは、その酒場の中では彼女自身のみであったが。
「大丈夫、大丈夫……。私なら…………」
手元で、忙しなく黒い鉄の塊を弄んでいた彼女は、一際力を込めてそう呟くと、逸る鼓動を押さえつけるように大きく息を吸い込んだ。
そして、一度きつく目を閉じて、彼女はそのままカウンター席から立ち上がり、持っていた鉄の塊を隣に座っていた大木のような二の腕を持つ男に向ける。
「しょ、賞金首ティスティ・クルート!……さん! ま、麻薬密売の罪でお縄をちょうだいいたしますっ!!」
「……」
ケイナが慌てふためきながら、麻酔針の入った麻酔銃を構え、男達の笑い声などかき消して、酒場内に響き渡るような大声で叫んだ。
その瞬間、酒場内がシンと静まりかえる。ざわついていた店内は騒然として、全ての客の視線が銃を構えるケイナの姿に注がれ、銃口を向けられた男は目を丸くして驚愕したようにそれを見た。
「…………違うけど」
「……えっ?」
大の男に銃口を向ける恐怖に、小刻みに震えながらきつく目を閉じていたケイナの耳に、不満げな声が聞こえた。
何やら、やたらと落ち着いているその低い声に、ケイナはおそるおそる片目を開いて、初めて目の前の人物を確認する。
「俺、賞金首なんかじゃないけど」
不機嫌そうに顔をしかめて、ケイナを睨む男は、彼女が頭の中で思い描いていた男の顔とまるで違っていた。
品が無いのは共通しているが、少女が思っていたよりも、ずっと細くてひょろ長い。彼女が探していた、巨漢の賞金首とは似ても似つかなかった。
「あ、あれっ……?」
銃口を引いて、ケイナは引きつり笑いを浮かべながら素っ頓狂な声を上げる。と同時に、彼女の背後でガタガタと椅子がひっくり返って、座っていた大男が床に転げ落ちてバタバタと喚いた。
「ち、畜生! こんなとこで賞金稼ぎになんか捕まって堪るかよ!」
床に転がった男は、ケイナを肩越しに睨むと転がるようにして駆け出しながら、突然の出来事に呆然とする客共を押しのけて、酒場の出口へと走った。
自分の背後から上がった声に、ケイナは混乱したように目を回しながらくるりと振り返る。
「えっ! え!?」
突如、慌てふためく男の声を背中で聞いた少女は、酒場の出口へと走る男の姿を見てハッとする。
己よりも、何倍も肉付きの良く、清潔感の無い黒髭に綺麗に剃られたスキンヘッド。見覚えのある、というか、彼女が探していた男の顔に瓜二つであった。それに銃を向けようとした瞬間、彼女ははたと気づく。
自分は、あろうことか銃を向ける相手をすっかり間違ってしまっていたのだ。
「ま、待ってください!」
気がついたケイナは、慌ててその場から駆けだした。
せっかく席の真横まで接近したにも拘わらず逃げられてしまうだなんて、自分は本当にドが付くほどの間抜けである。と、自分を叱責しながら、ケイナは酒場の外へと急ぐ。
幸いにも、巨漢の男は動きが鈍いようで、ケイナが外に飛び出すと、店の前に広がる通りを歩く通行人を押しのけながら、必死で逃げている後ろ姿が見えた。押しのけられた人々が、驚愕のあまり悲鳴を上げるのを見てケイナは慌てて男を追う。
「と、止まってください! じゃないとう、撃ちますよ!!」
男を追いかけながら、銃を構えてケイナが叫んだ。すると、男はニタリと笑みを浮かべて再び肩越しにケイナを見る。
「止まれと言われて止まる馬鹿がどこに……、ふぐぅ!!」
余裕の笑みを浮かべ、軽い挑発の言葉を零した男の顔が、一瞬にして血の気が引いたように青くなった。人々が、怯えた表情で道を空ける中で、男に何が起こったのか、膝から崩れ落ちるようにしてぐしゃりとその場に倒れ込む。
「え! ええ!?」
本日の、何度目かわからぬケイナの困惑した声が上がった。
両腕で腹を抱えるようにして地面に転がった男に追いついたケイナは、何が起こったのかもわからずオロオロとしながら男の傍に寄る。
「は、腹がぁ……! さっき酒場で食ったタマゴが……腐ってやがったのかぁ……!?」
「えええええ!?」
真っ青な顔をして、口元から泡を零す男が嗚咽混じりに憎らしげに言うのを聞いて、ケイナは驚愕の声を上げた。
すると、そんな驚愕の余韻にも浸る暇も無いまま、逃走劇の一部始終を見ていた街人達が明るい声をケイナに掛けはじめる。
「なんだお嬢ちゃん、賞金首を捕まえるなんてすげえな」
「え!」
「すごいのう……。ワシらなんぞ、道端に突っ立てるだけで精一杯じゃったって」
「あ、い、いや、私は……」
「おねえちゃんすごーい! つよいんだね!」
「ち、ちが……」
事の真相を知らない人々は、口々に感嘆の言葉をケイナに投げかける。しかし、それは身に覚えの無い賞賛だ。寧ろ、残念な失敗しかしていない。見当違いな喝采を受け、ケイナは戸惑いながらも自分に群がってくる人々に向かって声を上げた。
「わ、私じゃ無いんですよおおおおお!!」
男のうめき声と、人々の拍手と共に、ケイナの悲痛な叫び声がイースメトロの空高く響いた。
<Cookie 8―B>Good Bye My Sweet Song.
「はあぁぁぁ……」
人の多い街道の真ん中を、酷く不景気なため息をつきながら、肩をがっくりと落として歩く少女の姿があった。
薄汚れた丈の長いローブを羽織り、その下にしわくちゃになった茶色いブラウスと七分丈の黒パンツを履いた少女は、息と共に魂すらも吐きだしてしまうのでは無いか、と思うほど深いため息を何度も零す。
項垂れる少女、ケイナは、先程自分が起こした失態を思い出して、更に深く気分を沈めていた。結局、酒場の前で腹痛により倒れた賞金首は、ケイナの手柄となった。自分は何もしていないし、むしろ取り逃がしそうになってしまったのだから、それはいらないと拒否したものの警察は「規則だから」という理由で報奨金をケイナに押しつけたのである。
確かに、賞金首を捕まえたいとは思った。逃げる男を追いかけたのもケイナだ。しかし、実際に男の逃走を止めたのは酒場の腐った卵であり、ケイナの力で男を捕まえたわけでは無い。だから、ケイナにしてみれば、何もしていないのに大金を手にしてしまったものだ。
やたらと重い金の入った麻袋を懐に抱えながら、ケイナは罪悪感で更に消沈する。
また、上手くいかなかった。
とある人物に命を救われ、メトロにとって壁の向こう側にある楽園『シティ』を夢見る馬鹿な小娘だった自分を成長させる為に、意を決して賞金稼ぎになろうとメトロの街に羽ばたいたケイナであったが、今の今まで、様々な出来事があったものの『自分だけの手柄』というものを一度も得たことが無かったのである。
一人で、何度か賞金首を追いかけることはあった。しかし、賞金首を追いかけた回数だけ、失敗したのも事実である。
先程のように、対象を見誤ることもあったし、見失う事なんてザラだ。彼女が気づかないうちに、命の危険に晒されていたことも多々あった。しかしその度に、ケイナは己の身の内に潜む幸運に助けられていた。
ケイナの背後から、銃を持った犯罪者が近づけば、銃がジャムって使えなくなったり、突如上空から植木鉢が落ちてきて、犯罪者の脳天を直撃したり、先程のように、唐突な腹痛や頭痛に襲われて倒れ込む者もいた。その度にケイナは命拾いをし、何もしていないのに賞金首を捕らえることが出来たのである。
しかし当の本人は、その状況を良しとしていなかった。自分が今までメトロで生きてこられたのは、いつぞや誰かに言われたとおり『運が好かった』だけなのである。ケイナに運が無かったら、何百回と死んでいたことだろう。賞金首を捕まえて、手柄を得たとしても、それは自分の力で得た物では無い。達成感など微塵も感じることが出来なかった。
ケイナは、この陰惨で理不尽なメトロの街でも、一人で生きていけるような強さが欲しかった。そして、目の前の誰かを救うことが出来るだけの、力が欲しかった。
いつかの自分のように、夢ばかり見て警戒心の薄い人々が、悪い人間に騙されて利用されるのを止めることが出来るような、優しい人間になりたいのである。
そう思ったから、勇んで故郷であるサースメトロを飛び出してきたのに。やっていることと言えば、無駄に息を切らしながら犯罪者共を追いかけているだけである。サースメトロでやっていた喫茶店のウェイトレスのアルバイトよりも役に立たないだろう。
「……何やってるんだろ。私」
ケイナは呟いて、とぼとぼと歩きながら不意に顔を上げた。イースメトロの街道は、いつになく人が集まっており、どことなく賑やかな感じがする。
このメトロらしからぬ賑やかさは、明日の『記念祭』の為だ。市民達の希望の象徴でもあるエクスプレスの、完成二十周年を祝う大きな祭典があるのである。街道に店をかまえる人々は、こぞって店の前に露店を出すのだ。
昔、まだケイナがシティコンプレックスを煩っていた頃。この時期は、変わりなく砂っぽいメトロの一年の中で最も楽しくて充実する時期であった。メトロの科学力の発展を祈り、いつかシティの中へと入れることを夢見て、ケイナも祭典に参加していた。
しかし、今は違う。確かに、お祭りは楽しいし、賑やかな町並みを見ているのは退屈しないのだが、それ以上にケイナは、自分の平凡さに憂鬱になる。
「……私、やっぱり才能が無いのかなぁ」
人は、普通は何度も失敗して経験を積み、能力を身につけていくものである。しかし、こうも失敗に失敗を重ねると、自分の素質を疑いたくなるのも無理は無い。
ケイナは、いつぞや金に煩い賞金稼ぎの先輩に言われたことを思い出した。
『お前は、賞金稼ぎには向いていない』と言われたことがあった。その言葉の意味が、今になってようやくケイナの身に染みる。
人生とは、かけ算なのである。どんなに努力しようにも、素質がゼロでは伸びるはずが無い。人生が加算方式だったらどんなに楽だろう。
「……はぁ…」
そんなことを思うと、ケイナの気分は地底のどん底にまで落ち込んだ。
才能が無い、向いていないと言われてしまうと、もう自分ではどうしようもなくなってしまう。努力云々でどうにかなる問題では無いのだ。
そう落ち込んでいると、ケイナの足は自然と賑やかな街中を避け、人通りの少ない街角へと向かっていた。街角ともなれば、商店の数も一気に減り、寂れたコンクリート製の住宅が目立ち始める。
遠くで賑やかな人々の声が聞こえ、ケイナは自分だけが世の中から爪弾きにされたような感覚に陥った。頬を撫でる乾いた風がやけに痛い。
自分は、これからこのメトロでどうやって生きていけばよいのだろう。そんな根本的なところにまで考えが及んでしまう。
ぼんやりと、心ここにあらずといった状態で街道を歩いていたケイナの耳に、不意に空から舞い降りたように、心地よいメロディが聞こえてきた。
そのメロディを聴き取ると、ケイナはハッとして顔を上げる。聞いたことの無いメロディだが、何故か耳に好く馴染む音階だった。目を閉じて、ゆっくりと聞き入ってしまいたくなるような音楽だ。
ケイナは、数秒だけ目を閉じ、立ち止まってそのメロディを楽しむと、辺りを見渡してその音源を探した。俯いて、考え込みながら歩いていたケイナは気づかなかったが、その音源は、驚くほど彼女の傍にあった。
細い路地を挟んだ街角で、黒ずんだ木材の上に腰掛けた一人の青年が、古ぼけたクラシックギターを抱えて唄を歌っていた。
短い、黒髪の青年だった。藍色のジャケットをはおり、深緑色のカーゴパンツに、汚れたスニーカーを両足に履いた青年の足下には錆びた底の浅い缶が置かれていて、その中には申し訳程度の小銭が何枚か入っているのが見える。
いわゆる、路上ライブというやつなのだろう。缶の中に入れられたお布施は僅かなもので、しかも道行く人は誰も青年に見向きもしないのに、ギターを奏でる青年の表情は、とても穏やかで柔らかなものだった。
「……」
ケイナは、青年の前に立ち止まって、今にも泣き出しそうに顔をくしゃりと歪めながら、その音楽に聴き入っていた。
とても、平凡な音楽だ。まるで自分のような。音階も歌詞もありきたりで、どこにでも転がっていそうな唄。だからこそ、道行く通行人は誰もその存在に気づかなくて、誰も気にもしない。個性のまるでない存在、他の大多数に埋没してしまうような存在。独りぼっちじゃ生きていけない存在。弱く、なんの取り柄もない存在。
その唄は、自分に似ているとケイナは思った。そしてそんな唄を歌う青年は、まさに自分なのだと思った。
必死で叫び声を上げても、世界には何も届かない。街角で、頑張っていますと主張しても、結果が残せなければ意味がない。無意味な努力。この唄は、いやケイナは、誰かを救うことすら叶わない。
悲しくなった。こんなにも穏やかな顔で唄を歌う青年の表情が、ケイナには理解できなくて。誰のためにもならない、誰も救えないのだと知ったら、ケイナはこんなに穏やかには笑えない。きっと途中で、ギターの弦を切って泣きながら逃げ出してしまうに違いない。今まさに、そうしようとしていたように。
ケイナは、そう考えながら唇を噛みしめて拳を握りしめた。
悔しい。自分で決めた道から、逃げようとしていた自分が情けない。
「……さん? ……ぇさん……、おねーさん?」
「ひぇっ!?」
考えながらじっと俯いていると、不意にケイナの視界に怪訝そうに顔を歪める青年の顔が飛び込んできた。
急に声をかけられたケイナは、その場を飛び退いて驚き、目をぱちくりとさせる。本人は決してそんなつもりはないのだが、ケイナの過剰なリアクションを見て、青年は可笑しそうに吹き出した。
「ははっ。君、驚きすぎだろ。ずっと立ち止まってるから聞き入ってくれてるのかと思えば、なんか知らんけど泣きそうな顔してるし。俺は泣けるバラードのラブソングを歌ってたわけじゃないんだけど」
「あ、えっ、すす、すみません! そ、そういうわけじゃなくって! 唄に泣きそうになってたわけじゃなくって……」
「あ、なんだ。唄に感動してくれてたのかと思ったのに、違うのか」
「ちっ違っ……か、感動してました! 本当です! 本当に、唄がすごく好くって、演奏も上手でしたし、曲も耳に馴染んで……! だから思わず聞き入っちゃって……」
言い繕うように慌ててしゃべり出したケイナに、青年は再び吹き出したようにくしゃりと笑った。
歌っている最中は穏やかで、大人びた印象を受ける青年の顔は、笑うとどこか子供染みた無邪気さを発して眩しいオレンジ色に輝いたように、ケイナは感じた。
「あはは、ごめんごめん。からかってみただけなんだ。……俺の名前はミカド。好かったら、数少ない視聴者としてお姉さんの名前を教えてくれないかな?」
無邪気に笑う青年は、微笑みながら首を傾げてケイナに問いかけた。暗く陰っていたケイナの心も、一気に晴れ渡ってしまうほどの明るい微笑みだった。




