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「よくもまぁ、あんだけ騒いでおいて何事も無かったみてぇに顔合わせられるよな」
翌日の喫茶店『Arms』。
程良い昼下がり、数名の客を迎えた喫茶店のカウンターの中で、グラスを磨くマスターは目の前で頬杖を着いている二人の賞金稼ぎを見て、感心した様な呆れた様な声を上げた。
「は?」
「あ?」
突発性、無気力症候群にでも罹ったのか、と思うほど、まるでやる気の無い半眼で呆けた声を出すカグラとヨツヤに、マスターは疲れた様な溜息を洩らす。
「昨日、あんだけ口汚く罵り合ってたのによく隣に座れるもんだと思ってよ。神経が図太いのか、それとも仲直りでもしたか?」
「はっ、誰が!」
「するわけねーだろ」
指摘され、舌打ち交じりに顔をそむけ合う二人は交互に言った。
全くソリが合っていない様に見えて、こういう時は息が合う。互いにうっとおしがっているように見えて、別段避けるわけでも無い。最近の若いモンはわからん、と、マスターはグラスを念入りに磨きながら苦笑して肩を竦める。
「あのねマスター。勘違いされたくないから言っておくけど、私はコイツが大っ嫌いよ」
何やら、意味深に苦笑されたのが気に障ったのか、カグラがムッとして親指でヨツヤを示しながら言う。
「仲違いとかね、そういう次元じゃなくて人間的に嫌いなの。顔も見たくないって次元とも違うわ。私って言う個人その物から湧きおこる嫌悪なのよ」
「おーおー、言ってくれるね。不本意ながら俺もそれには同意見だぜ。テメェみてぇな計算高い女狐と仲良くなんか、こっちから願い下げだ」
「なんですってこの……」
「待て待て待て。喧嘩は昨日十分やったろうが。ったく、お前らがそんなだから、ツキシマが俺に履歴書送ってきたりするんだ」
困った様に肩を落とすマスターを見て、カグラとヨツヤは同時に目を丸くした。
「は? 履歴書?」
「そうだよ。賞金稼ぎ辞めてここで働きたいとさ。当然目の前で破り捨ててやったが、昔はそんなこと言い出さなかったぞ」
記憶を思い返す様に視線を宙に投げながら、マスターが言う。
履歴書を破り捨てられた後の、ツキシマの絶望した顔を、マスターは恐らく一生忘れないだろう。
「賞金稼ぎ辞めるって……、なんでよ?」
「さぁ? 面白くねぇ事でもあったんじゃねぇの」
「おいおい、お前らそれ本気で言ってんのか」
本気で不思議そうに首を傾げる二人を見て、マスターは呆れを通り越して落胆の溜息を零した。
とんだ人格破綻者どもである。ツキシマの意図など、賞金稼ぎをやめればこの二人から追いかけられる理由が無くなると思っての事に決まっているだろうに。それすらわからないとなると、重症だ。どうせ説明しても理解できないだろうし、追々身を以てわからせるしかないだろう。
「……まぁとにかく、もうアイツのマスクとろうとすんのは止めろ。誰だって触れられたくねぇ事はあんだろ」
「……わかってるわよ」
「……」
若干説教じみたマスターの言葉に、カグラとヨツヤは不貞腐れたように黙り込んだ。
これではただの子供である。今まで自分勝手生きてきた分、二人は、他人との拘わり方がわからないのかもしれない、とマスターは思った。どちらも、みんなと仲良く、など出来る様なガラでは無い。
しかし、居心地が悪い、と思っているわけではなだろう。そう思っているなら、さっさと何処かへ放浪しているはずである。クチにはしないが、この場にいても良いと思う理由が心のどこかにあるのは確かなのだ。
ただ、それを認めて、そんな気持ちがあると理解しているかどうかはわからない。
「なんだかなぁ。お前ら、そんなに互いが嫌いならなんで一緒にいるんだよ」
「好きでいるわけじゃないわ」
「好きでいるわけじゃねぇよ」
これである。己の声と二重に重なった相手の声に、二人のクチからは苛立たしげな舌打ちが漏れた。
「ツキシマ達が変なことやってるから、カウンターにしか座れないの。パティも一緒になって、何やってんのよあの子たち」
うっとおしそうにコーヒーの入ったグラスのストローを噛みながら、窓際の席を見るカグラの視線の先には、ツキシマとタツミとカナメ、それからパティが、何やら楽しげに騒いでいるのが見えた。
自分が憂鬱な気持ちの時に、他人が楽しんでいるのは見ていて面白くないカグラである。
「ああ、千羽鶴な」
「何それ?」
「願掛けだよ。折り紙で鶴を千羽折って、それを糸で繋げると、病気が好くなるって言われてるらしい。ほら、この前のカナメの診療所。あんまりにも殺風景な診療所だから、入院した患者の為に作って欲しいと頼まれたんだと」
「はっ! くっだらねぇ」
マスターの説明を聞いていたヨツヤが、思わず馬鹿にしたように失笑した。
「願掛けとかジンクスとか、占いを気にするのは馬鹿だ。何の根拠もねぇじゃねぇか。今日は何座は良い事ありますよ、ってか? ツキってのは自分で引き寄せるもんだ。お星様頼りなんて馬鹿げてるね」
「ほんとよね。子供騙しじゃない。っていうか、折り紙なんてそう安い物じゃないのに。それ買うお金を診療所に寄付した方が百倍有益だわ」
「お前らのそういう態度を、ツキシマが嫌がってるってなんでわからんかなー」
誰に言うでも無く、マスターはぽつりと呟いた。
その呟きは、残念ながら二人の耳には届かなかったようで、しがない中年の呟きは虚しく虚空へと溶けて行った。
「でも女ってのは、占いやらジンクスが好きなんじゃねぇのか?」
駅前の雑誌屋ワゴンに置かれていた奇抜なスタイルの服を着た女が表紙のレディスファッション雑誌を思い出して、ヨツヤが意外そうに問いかける。それにカグラは、馬鹿にしたように鼻で笑いながら肩を竦めた。
「その手の話には男も女も無いわよ。年食ったお偉いさんは神頼み好きだしね。私は、ビジネスとしての占いジンクスなら大好きだけど」
「呆れるほどがめつい女だな。神すら金稼ぎの道具ってか」
「使えるものは親でも使うわ」
「金の亡者め」
胸を張って堂々と答えるカグラに、ヨツヤは呆れた様に片眉を吊り上げて薄笑いを浮かべた。
ヨツヤにしてみれば、そこまで金に拘るカグラの気が知れない。当然、安定した生活の為に、最低限以上の余裕ある生活資金を溜めておきたいとは思うが、それはヨツヤにとってはさして重要なことではないのだ。
人生の中で満足感を得られる瞬間は、彼には別の物がある。カグラにしたら、そう言う意味で金を蒐集することが、人生における生き甲斐と言うやつなのだろう。しかし、カグラのそれは、ヨツヤのそれとはまた違った意味を持っている様な気がする。狂気的で、純粋な欲望であるとは思うのだが。
「お前、なんでそんなに金が好きなんだよ」
不意にヨツヤは、心に浮かんだ疑問をそのまま投げかけた。問われたカグラは、一瞬驚いた様に目を丸くした後、考え込む様に顎に手を当てて俯く。
「なんでって言われても……。好きじゃないの? お金」
「そりゃ人並みに好きだけど。お前のそれは次元が違ぇだろ」
キョトンとした顔で答えられ、ヨツヤはスムーズに会話が進まない苛立ちに頭を掻いた。
人との認識の相違を、相手に説明するのは酷く面倒くさいのだ。
「一定の金額を持ってれば良いと思うね。嵩張るし。少なくとも、お前みたいに年がら年中金の事ばっかりは考えられねぇな」
「……そう」
カグラは、思いつめた様に顔をしかめて俯いた。どうやら、そんな疑問は今まで一度も考えた事が無いらしい。
カグラは考える。何故、金が好きなのかと問われれば、それは金があれば何でもできるからだ。この差別社会の中で、金は持っているにこした事は無い。金があれば好きなことをして生きられる。綺麗な服も、可愛い靴も、ライフルのカスタマイズも何だってできる。生活だって、保障される。
しかし、カグラはこれまで、何度か驚くほど高額の資産を手にした事がある。これだけあれば、当分遊んで暮らせるくらいの金だ。普通の人間なら、十分満足してしまうほどの額である。だがカグラは、そんな時も一度だって金を蒐集するのを止めた事が無い。常に金を欲している。いつだって、仕事の話があればすぐに飛び付く。節約できる所は節約する。
いつまで経っても、欲が満たされることは無い。
自分が、今までそうしてきた原因を思い返して、カグラは目を細めて悲しげに唇を噛みしめると、手元にあった冷や水を一気に飲み干して答えた。
「……多分、落ち着くんだと思う。お金を集めてると、何があっても…とりあえずなんとかなる様な気がするから」
「落ち着くぅ?」
何処か、哀愁の感じられる視線を遠くに向けながら言うカグラに、ヨツヤは怪訝そうに問いを重ねた。
ヨツヤの語尾の上がる問いに、自分の発言が何だか女々しかったように思われて、カグラは慌てた様にヨツヤに向き直って言い繕う。
「ほ、ほら、こんな時代だし。いつどこで犯罪に巻き込まれるかわからないじゃない! 借金背負わされるかもしれないし! 犯罪者として追いかけられるのは御免だし、お金があれば解決できるかもしれないでしょ? その時の保険よ」
「んだよ、結局使う為か」
ヨツヤが、落胆したように溜息をついた。
ヨツヤは、あまりにもカグラが狂的に金を集めているから、もっと根幹的な部分での理由があるのかと思ったのだ。それこそ、ヨツヤにとっての戦闘本能の様な、制御できない欲求だとか、もしくは、叶えたい大きな野望だとか、そんな物があるのだと期待していた。
しかし、実際は実に普通の答えであった。メトロで、何か遭ったら怖いから、その保険だという。結局は、逃げ道を作っておきたいということだ。カグラは、金に依存しているわけでも無く、無我夢中で蒐集しているわけでも無い。彼女が欲するのは、安穏とした反吐が出る様な安全だけだ。
「詰まんねぇ理由だなぁ」
何のけなしに、ぼそりと呟いた一言に、慌てて視線を彷徨わせていたカグラは、その表情を凍らせた。
「……は?」
「あんまり狂ったように金稼ぎしてるから、なんか理由でもあんのかと思ってよ。お前にとっての金ってのは、結局保身の為だったわけだ。思ってたより普通じゃねぇか」
淡々と語るヨツヤの口調は、馬鹿にするでも無く、呆れるわけでも無く、ただ思った事をクチにしているだけのようである。
しかし、それを聞くカグラの心境は、また違っていた。
「なに……それ」
青ざめた顔で、僅かに震えた唇が小さく零す。カグラの変化に気付かないヨツヤは、彼女に視線を向ける事無くぼんやりと虚空を見つめながら答えた。
「なにって、深い意味はねぇよ。ただ、普通で詰まんねぇ理由で生きてんなぁと思っただけ……」
「普通を望んで……何が悪いのよ」
自分が言いかけた言葉を遮って放たれたカグラの声に、ヨツヤは不愉快そうに顔を上げ、そして驚いた。
どうしてそうなったのか、いつの間にそうなったのか彼にはわからない。しかし、カグラは確実に、溢れんばかりの敵意を双眸に宿して、薄い爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめながら、ヨツヤを睨みつけていたのである。
そして次の瞬間、怒りを露わにしているカグラを見て唖然としているヨツヤの胸倉に、カグラの手が乱暴に伸びた。
「できた! これでどうだツキシマ!」
そう高らかに言って、ツキシマの眼前に差し出されたのは、どう見繕っても紙くず以外の何物でもない、色のついた薄い紙であった。何重にかは折られているものの、折り目だらけでどうなっているのかわからない。
ツキシマはその紙切れを見つめた後、自分が糸でつなぎ合わせている完成品の折り鶴を見て、却下と言わんばかりに首を横に振った。
「な、なんでさ! タツミに教わった通りに作ったんだけど!」
酷くショックを受けた様に後ろに仰け反って、カナメが言った。
そうは言われても、どこをどう折ったら、一枚の折り紙がそのような変化を遂げるのか、ツキシマが知りたいところである。なので、今度はカナメが折り方を教わったというタツミの方を見た。ツキシマの視線に気づくと、タツミはにんまりと得意げに笑って、黒い折り紙を持った片手を突き出した。
「みてみて! アクマ! じょうずにできたでしょ!」
「……」
ツキシマは、悪魔を見た事が無いので何とも言えないが、確かに黒い折り紙が細かく折り重ねられたそれは、悪魔の形に見えなくもない。
すごいと言えばすごいのだが、ツキシマが作って欲しいのはそんな複雑な物では無く、もっと簡単な『折り鶴』なのだ。
「す、すごいですけど、二人とも、鶴を折りましょうよぉ。折り紙だってそう簡単に手に入らないんですから、無駄にしちゃ勿体ないですよぉ」
パティが、ツキシマの気持ちを代弁するかのように言った。
折り紙は、大昔の子供の玩具である。鉛玉やジャンク品が世の中の流通の殆どを占め、メトロの周りが荒野とくれば、紙を作る為の木は貴重な存在である。本や帳面としてはよく作りだされるものの、娯楽製品である折り紙などにはあまり作られない。ニッチな製品である為、そこら辺に売っている物ではないのだ。
「へへへー。いっかいつくってみたかったんだー」
「それじゃあ、それはミコトさんにプレゼントしよう。タツミが作ったって聞いたら喜ぶよ」
「折り紙で悪魔作ってプレゼント……、喜びますかねぇ?」
「……」
パティの胡乱気な問いに、ツキシマは無言で折り鶴の『腹』に糸を通す。細かい作業だが、慣れると中々面白いのだ、これが。
卓上に広げられた色とりどりの折り紙と、折り鶴を糸で繋いだ物がある程度束になっている上で、やいのやいの言っていると、ここ数日で何度目かの驚愕が、彼らに再び降ってきた。
文字通り、降ってきた。
「……!」
俯いて手元を見ていたツキシマの視界が、一瞬で陰ったかと思うと、カウンターの方から飛んできたソレは、狭い喫茶店の中で緩やかな半円を描いた後、重力に準じてツキシマ達の頭上からテーブルの上へと落下した。
「ひゃぁっ!?」
ガシャン、と音を立ててテーブルがひっくり返る。パティが悲鳴を上げて慌てて椅子から立ち上がり、タツミとカナメは驚いて目を丸くして、テーブルをひっくり返した落下物を見た。
「っ……てぇな…。何しやがるクソ女!」
落下物は、テーブルの上にあった熱いコーヒーや冷たいジュースを頭から被りながら、怒号と共に飛び起きた。
ヨツヤであった。彼の声に答えるように、カウンターからカグラが歩み寄ってくる。いつにない怒りをその目に燃やしたカグラは、大股でヨツヤに近寄ると、ギロリと彼を睨み上げて怒鳴った。
「何が…、何が詰まんない理由よ! アンタなんか私のこと何も知らないくせに、偉そうなこと言わないで! そういうとこがムカつくのよアンタは!」
ヨツヤの胸倉を掴みながら声を上げるカグラに、ヨツヤは酷く不愉快そうに顔をしかめる。
カグラが苛立っている理由が、まるでわからないのだ。自分は思った事をそのままクチにしただけで、カグラを貶めようとしたわけではない。それの何がそんなに気にくわないのか。ムカつくのはこっちだ。
「何勝手にキレてんだよ。それはこっちの台詞だぜ! 事あるごとにヒステリーみてぇに怒鳴り散らしやがって! キーキーうるせぇんだよ、発情期の猫かテメェは!」
苛立ったヨツヤが、胸倉を掴むカグラの手を弾いて、カグラの鼻先に人差し指を突き付けながら言った。
それにカグラは、更に片眉を吊り上げて不快をあらわす。
これがムカつくのだ。普段自分は冷静で、お前の半歩後ろから事の成り行きを見てますよ、みたいなアピール。何かと偉そうな発言も嫌いだ。年下のくせに。
「誰のせいだと思ってんのよ! アンタみたいな馬鹿と一緒にいるだけで苛々するってわかんないの!?」
突き出された指をカグラが弾き落として、ヨツヤを睨む。
「俺だってテメェみたいな守銭奴といると苛々するんだよ! 事あるごとに金金金! ギャングかてめぇは!」
「なっ! 私をあんなゴミ共と一緒にするんじゃないわよ!」
「はッ! 確かにギャングの方がまぁだ良識があるわな。テメェのはただの畜生だよ。 人間以下だぜ!」
「アンタみたいな快楽殺人鬼に、人間以下だなんて言われたくないわ!」
「だから俺を犯罪者と一緒にすんなって何度も言ってんだろーが!」
「……あ、あのさ…、二人とも……」
睨みあう二人の間に、おずおずとカナメの声が割入った。
カグラとヨツヤは、口論する自分たちの横から、片手を上げて仲裁を試みるカナメをギロリと睨みつけた後、ハッとする。
カナメの後ろで、思わず苦笑を浮かべているパティ。唖然としたまま、両手にコルトを抱いているタツミ、そして、ジッとカグラとヨツヤの足もとを見つめる、ツキシマの姿だった。
「あ……」
ツキシマの視線に気づいて、初めてカグラとヨツヤは自分の足元を見る。
先程、カグラに投げ飛ばされたヨツヤがテーブルをひっくり返したせいで、テーブルの上に乗っていた折り鶴や折り紙は床に散乱し、その上には零れたコーヒーが盛大に掛かっており、茶色い液体が床を濡らしていた。床に散らばった折り鶴や折り紙には、くっきりと足跡が付いていたり、踏み拉かれてくしゃくしゃになってしまっている。当然、カグラとヨツヤのブーツに踏まれた哀れな折り鶴たちは、規則正しく連ねられていた美しさは今や見る影も無く、くしゃくしゃの紙くずと化していた。
そんな惨状をジッと見つめながら、ツキシマは無言のまま、その場にしゃがみこんだ。
「……」
「あ、あー……」
「ツ、ツキシマ……」
床に散乱した折り鶴たちの惨状には、カグラもヨツヤも言い訳をする余裕も無かったようで、しゃがんだツキシマの顔色を覗う様に狼狽する。
対してツキシマは、まるで二人の声など聞こえていないかのように、床に散らばった折り鶴や、テーブルから落ちたコーヒーカップを拾い始める。
黙々と片付け作業を始めたツキシマを見て、まずはパティが、エンジンが掛かったポンコツ車のようにぎこちなく動き出した。
「あ、わ、私モップ持ってきますね!」
「ツ、ツキシマ、僕も拾うよ」
「タツミもタツミも!」
パティに続いて、呆けていたタツミとカナメも動き出す。
散らかった床を片付け始める彼らを見て、狼狽していたカグラとヨツヤはハッと我に返った。いくら馬鹿にしていたとはいえ、ツキシマ達が作っていた物を台無しにしてしまったのは、他でも無い二人である。この状況で、逆切れできるほど彼らは理不尽な性格をしてはいなかった。
「わ、私たちも手伝うわよ! ね! ほら!」
「お、おう……」
カグラとヨツヤが、ツキシマを挟む様に横にしゃがんだ。そしてカグラが、落ちたコーヒーカップに手を伸ばす。
するとその瞬間、ツキシマの温度の無いグローブが、鋭くカグラの手を振り払った。
「えっ……」
パシッ、と軽い音がして、振り払われたカグラの手は、行き場を無くして宙を彷徨う。ツキシマは、カグラが拾おうとしたカップを己で拾い、驚いて目を丸くしているカグラを無視して片付けの作業を進めた。
「おいツキシマ、これ……」
「……」
今度は、ヨツヤが数枚拾った折り紙をツキシマに手渡す。
するとツキシマは、ヨツヤに視線を投げることすらせずに、彼の手からそれをひったくる様にして乱暴に奪い取った。
思いもよらぬツキシマの乱暴な態度に、カグラ同様、ヨツヤも言葉を失う。
何とも言えない重い空気の中、カグラとヨツヤは片づけを手伝うことすら許されず、ツキシマの後ろで青ざめるばかりだった。
「あ、えっと……。あとはモップで拭くだけなんで…、その、大丈夫ですよ」
カウンターの掃除用具入れから、長いモップを持ってきたパティは、呼吸が出来なくなる様な重苦しい雰囲気を察して恐る恐るツキシマに声を掛けた。
パティが来たのを確認したツキシマは、顔を上げて彼女に頷くと、タツミとカナメが拾った折り鶴を無言で回収する。
「ツッキー、それどうする? コーヒーでびしょびしょだよ」
「……」
タツミの不安げな声を聞きながら、ツキシマはジッと自分の腕の中の折り鶴を見つめた。コーヒーの臭いが漂い、存分に水を吸った折り紙と折り鶴は、もう使い物にならないだろう。持っていても、意味が無い。
ツキシマは、それらを抱えたまま一直線に店内のゴミ箱に向かって歩き出す。タツミとカナメが残念そうにその背中を見守る中、ツキシマは店の隅に置かれたブリキ製のゴミ箱の中に、回収した折り鶴と折り紙を全て落とした。
バサバサと乾いた音がして、紙くずと化したそれはコーヒー豆の入っていたビニールや、生ゴミと一緒になってゴミ箱の底に沈んで行った。
「…………チッ」
「!!!」
控えめに、しかし明らかに、防毒マスクのフィルターから零されたツキシマの舌打ちは、青ざめて立ちすくんでいたカグラとヨツヤの心臓にダイレクトに突き刺さる。
舌打ちだ。恐らく、今までもこれからも、決してそんな物は聞く事はないだろうと思っていたのに。今まで、悲鳴すら聞いた事の無かったツキシマのクチから、舌打ちが漏れたのだ。
彼が、今までにないほど怒っているのは明白である。そして、誰のせいであるかも、また明らかなのだ。
ツキシマの舌打ちは、タツミやカナメ、それからマスターにとっても意外であった様で、驚愕の視線を背中に受けながら、ツキシマはスタスタと喫茶店の出口へと歩く。
高いベルの音が鳴り、扉を開けると、ツキシマは視線を店内に向ける事無く出て行ってしまった。
「……あーぁ」
「やっちゃったぁ……」
入口のベルの音が鳴り止んだ後、タツミとカナメにジト目で睨まれたカグラとヨツヤは、具合が悪そうに顔をしかめると、各々疲れ切った様に頭を抱えて、重苦しい溜息を吐いた。
「マジ切れだよ。マジ切れ。もうプッツンだよ。あんなツキシマみたことない」
一通り、騒動の片づけが済んだ喫茶店の窓際の席で、カナメが腕を組みながら呆れたように言った。
目の前には、さすがに反省しているのか、どんよりとした空気でテーブルに突っ伏すカグラとヨツヤが、呻き声の様な気の無い返事をしたので、カナメは更に呆れた様に溜息をついた。
「よくも、あの温厚なツキシマをあんだけ怒らせたもんだよ。舌打ちなんて初めて聞いた。ツキシマもするんだ。舌打ち」
「怒らせたくて怒らせたわけじゃねぇっつの。ったくうざってぇな…」
いつも以上に面倒くさそうな声音で、卓上に突っ伏したままヨツヤが頭を掻く。怠惰なその声を聞いて、カナメが怪訝そうに片眉を吊り上げた。
「何言ってるんだ。悪いのは二人じゃないか。ちゃんと謝りもしないでよく落ち込んでいられるよ。もうどうにもならないんじゃないか? ツキシマも愛想尽かしてるに違いない」
「……何よ。今日は随分言うじゃないの。まぁ、悪いのは確かに私たちだけど」
僅かに首をもたげて、不快そうに顔をしかめるカグラの言葉に、カナメは苛立ったように眉を寄せて二人を睨む。
大きく見開かれた両眼には、静かにほとばしる様な怒りの炎が燃えているように見えた。
「言うに言うさ! トコトン言うよ! 最近のカグラとヨツヤの行動にはがっかりしてるんだ! 軽蔑だよケイベツ!」
「なんでアンタにがっかりされなきゃなんないのよ」
どうやらカグラは、先日もカナメが二人に対して声を荒らげたことも忘れてしまったようで、気だるげに頬杖をつきながら視線をカナメに投げて言った。
その言葉に、カナメは驚いた様に眼を丸くすると、腕を組んでそっぽを向く。
「もう知るか!」
「あー、アホらしい」
ヨツヤは、肺の底から空気を吐きだす様な、深いため息をついてテーブルの上に頭を沈めた。
ヨツヤにしてみれば、率直な感想がそれである。アホらしい。確かに、ツキシマ達が作っていた物を台無しにしてしまったのは悪いと思うが、ツキシマも、そんな事であんなに怒らなくてもいいではないか。やってしまった物は仕方ないのだし、こちらが謝る暇も無く出て行ってしまったのである。それはちょっと、大人げないではないか。とはいえ、全面的に自分たちが悪い手前、居心地が悪い事は確かだ。
「……カグりんとヨツヤはさぁ、ツッキーが怒ってるの、ツルをダイナシにしたからだとおもってる?」
苛立ちながらも落ち込む二人を見ていたタツミが、キョトンとした顔で問いかける。
何を今さらな質問をしているんだと、カグラとヨツヤが顔を上げて、怪訝そうに顔をしかめてタツミを見た。
「他に何があんのよ」
「何言ってんだ。それしかねぇだろ」
ほぼ同時に答えたカグラとヨツヤの解答に、タツミは酷く残念そうな顔をして、あー…、と呟いた。
なにが、あー…、だ。こちとら、そのくだらない原因で頭を悩ませているというのに。と、カグラとヨツヤは心内で呟く。
「ツッキーが怒ってるのはさ、ふたりのツッキーの扱いだよ。ツルは、ただのヒキガネだよ」
「……はぁ?」
まるでわけがわからない、とばかりに声を上げるカグラとヨツヤに、タツミは困った様に腕を組んで、ううん、と呻いた。
「ええとねー、タブン、カグリンもヨツヤも悪い意味で言ってるわけじゃないとおもうんだけど、ツッキーは、化け物扱いされるのがすごくいやなんだよ」
頭の中で渦巻く言葉を、手繰り寄せて繋ぐタツミの言葉に、彼女の主張を半信半疑で聞いていたカグラとヨツヤは、僅かに驚いた様に眼を見開いて耳を傾ける。
「変だとおもってるんだよ。死なないのはイイことなのにね。変だって、人にもおもわれてるとおもってる。タツミたちは、ツッキーを変だなんて、おもってないのにね」
「……」
タツミの言葉が、カグラの胸に深く突き刺さった。
ああ、確かに何度も自分は、ツキシマを変だと、化け物だと言っていた。けれど、それは褒め言葉だ。変だと言ったのだって、そんなネガティブな意味を込めて言ったのではない。
カグラは、ツキシマが思っている様な意味で、ツキシマを変だとも、化け物だとも思った事は無いのだ。
「わかんねぇな。変なことの何が悪いってんだよ。化け物だから何が悪い? そんな言葉で傷付くほどツキシマはナヨっちい精神持ってるってのか?」
「そうだよ。ツッキーはああ見えて、心は弱いんだよ」
「なんでテメェがそんなことわかんだよ」
「なんでヨツヤはそんなこともわかんないの?」
タツミに、困った様に首を傾げて問われて、ヨツヤは苛立たしげに腕を組んで舌打ちをした。
心がどうとか内面がどうとか、考えるのは女々しいことだ、とヨツヤは思う。心や内面を測ったところで、人は人を理解するなど決してできない。小さなすれ違いによって簡単にその『理解』は破綻してしまう。他人と理解し合うということは、実に滑稽で愚かな行為である。
人は、いつだって一人なのだ。他人の思考も悦楽も価値観も、わかろうと思わないしわかりたいとも思わない、そして、自分のそれをわかって欲しいとも思わない。
どうでもいいのだ。こんな腐りきった世界で生きるには、自分のことだけを考えて生きるのが正解だと、ヨツヤは思う。
「わかり合えってか? くだらねぇな。それがわかったところで、今度は相手に気を使って付き合えって? 馬鹿馬鹿しい。そんな狭っ苦しい生き方はごめんだね」
そんな生き方は、面白くない。組織の一員の様に他人の顔色を覗いながら生きるなんて反吐が出るほどだ。
困惑したように首を傾げていたタツミは、意見を一蹴されて更に気落ちしたように肩を落とした。
「わかることと、わかりあうっていうのは、違うとおもうんだけどなぁ……」
タツミの呟きは、すっかり消沈して生気を失い、夕方の乾いた空気の中に溶けて行った。
そこへ、今まで不機嫌そうに腕を組みながら黙り込んでいたカナメが、僅かに額のシワを緩めて、無表情でタツミに代わってクチを開いた。
「結局二人は、今まで何を見て来たのかって事だよ。こんなくだらない争いで切れる縁だって言うなら、それもいい。それこそ馬鹿馬鹿しいと思うなら、それでもいい。元々、無理強いしてまで一緒にいなきゃいけない理由も無いわけだし」
「……カナメちゃん」
突き放すように言うカナメの言葉に、タツミは不安げな眼をして顔を上げた。
今日のカナメの言葉は、普段の能天気振りが嘘の様に辛辣である。それほどまでに、事態は深刻であるようだというのは、さすがのカグラとヨツヤにも理解できた。
カナメの声は、嫌な現実味を帯びてカグラとヨツヤの肩に圧し掛かる。何故ツキシマを怒らせてしまったか、は問題では無い。今は、これからどうするか、が問題なのである。そしてその選択肢は、圧倒的自由度で彼らの前に用意されているのだ。
どうしようと、当人の勝手。メトロでどう生きるも、当人の勝手。誰もそれを咎める事は出来ないし、誰もそれを責めはしない。責められたとしても、それはまったく、本人にとってはどうでもいいことなのである。
重苦しい沈黙が続く。時刻は、日も暮れかけた夕方。淡いオレンジ色の空は、不安になるほど気味が悪かった。
しかし、そんな重苦しい空気に耐えかねてか、それともつい気が緩んだか、その空気を作った本人であるカナメが、冷たい無表情を崩してくしゃりと笑った。
「でも、僕はできれば、皆一緒にいたいかな。こっちに来てから、前よりずっと楽しいんだ。それはきっと、皆が僕をノアメトロから連れ出してくれたからだと思うから」
肩を竦めてはにかむカナメの顔を見て、カグラとヨツヤはまるで虚を突かれた様に眼を丸くした。そしてその言葉に対して驚きの声を上げる前に、不安げな面持ちから一気に明るく表情を変えたタツミが、意気込んで身を乗り出しながら、眩しいくらいの笑みを上げて両手を上げる。
「タツミもタツミも! みんないっしょがいいじゃない! ね! ね!」
「そーですよ! 皆さんちょーっと騒がしいですけど、それくらいの方が落ち着きますって!」
椅子の上で飛び跳ねながら言うタツミに続いて、カウンターの中から湧いたパティも拳を強く握りしめて騒ぎ始めた。それに、ヨツヤは馬鹿にしたように息を吐く。
「女子供と慣れ合って、何が楽しいんだよ」
「その馴れ合いが面白くて、お前はここに通ってたんじゃねぇのかい?」
カウンターの中から、マスターがニヤニヤと笑みを浮かべて珈琲を挽きながら言った。
心にも無い不愉快な指摘をされて、ヨツヤはカウンターのマスターを睨みつける。
「おっと、独り言独り言」
「……」
ヨツヤが面白く無さそうに顔を背ける。
決してクチにはしないが、面白くなかったら、自分は既にこの場所にいないだろう、とは彼自身も思う。百歩譲っても、面白くないという事はない。
だが、ピンクのメルヘンなエプロンを身につけて、ニヤニヤ笑う中年や、子供らに指摘されてそれを認めるというのは、アホらしくて頷けない。
「はぁー、わかったわよ。しょうがないわね!」
最大限の期待がこもったタツミ達の視線に応えるように、カグラは観念した様にガリガリと頭を掻いて深く息を吐くと、足を組んで懐から数枚の紙を取りだした。
色褪せた乾いた紙に印刷されているのは、どれも厳つい顔をした男たちの写真である。指名手配書だ。最近、カグラがチェックしていた賞金首達のものである。
「やっちゃった分は取り返せばいいんでしょ。丁度ここに、印刷工場を牛耳ってるギャングの手配書があるわ」
カグラは、僅かに不服そうにクチをとがらせながら早口で言った。
カグラ自身も、実に当たり前で基本的な想いのすれ違いを、カナメやタツミに指摘されて気がついた事が、不満で仕方ないのである。
「手配理由は、殺人麻薬密売等々、ありきたりな理由だけど、街外れの印刷工場で手配書の偽装や偽札造りなんかもしてるって噂があるし、乗り込んで折り紙でもなんでも脅して造らせりゃ良いわよ。どうせ相手は犯罪者なんだから、文句ないわよね」
「それって強盗紛いじゃないか」
カナメが、愉快そうに笑いながら言った。カナメの笑い声を聞いて、カグラは面白く無さそうに眼を細める。
「相手が犯罪者なら何してもいいの。んで、勿論アンタも行くわよね?」
カグラは、横に座るヨツヤを半眼で睨みつけながら言った。渋ろうものなら、引きずってでも連れていくつもりである。ここまで来て、嫌だなどと空気の読めない事は言わないだろうとは思うが、気まぐれ屋のこの男では返答は読めない。
そんなカグラの不安に答えるように、ヨツヤは億劫そうに舌打ちをした。
「……ツキシマの事も、まだ殺したりねぇしな。…ったく、めんどくせぇ」
舌打ちと共に吐き出された言葉に、タツミとカナメは漸く安堵して、二人で顔を見合わせてにんまりと笑った。




