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『Take2』
「で、これが、頭を使った方法だって?」
カウンター席に座るヨツヤが、氷のたっぷりと入ったグラスに注がれたアイスコーヒーを飲みながら、額から流れる汗を拭った。
その隣では、厚手の毛布にくるまったカグラがダラダラと汗を流しながらテーブルに突っ伏している。
「ツキシマへの、直接攻撃がダメなら、周りから攻めてけばいいのよ」
暑さのせいで、力なく呟くカグラのいる喫茶店内の気温は、通常気温よりも十度ほど高くなっている。というのも、カグラが店の暖冷房器具を操作し、設定温度を上げたのだ。しかも、窓際に座るツキシマに直接温風が当たるようにセットしてある。
「堪らないほど暑くなれば、ツキシマもガスマスクなんて付けてらんなくなるでしょ。それに、あいつはまだカナメの勉強を見てるわ。人が良いツキシマの事、自分の都合だけでその場をお開きにはできないはずよ。窓は嵌め込み式だから開かないし、完璧な作戦だわ」
そう言って、カグラはチラリと窓際の席を見る。相変わらず、数式の書かれた紙を睨みつけているツキシマ達の姿が見えた。
カグラ達よりもツキシマは厚着をしている。体感温度は中々のものだろう。
「ああ、そんで、お前は何でそんな暑っ苦しいモンに包まってんだよ」
「これは……」
ヨツヤの問いに答えようと、カグラが顔を上げた時、窓際から声が上がった。
「あっついなぁもう! こんなんじゃ問題なんて解けないよ! 僕の方が溶けてしまいそうだっ!」
「タツミもあっつーい! あついあついあつい!」
早速根を上げたのは、カナメとタツミだった。テーブルをひっくり返さんばかりに声を上げて、ダラリと椅子に寄りかかる。
「おっかしいですねぇ。ちょっと暖房の設定見てきます」
そう言って、パティが席を立とうとした瞬間、カグラの眼光がギラリと光った。
「あー寒い! 寒い寒いわー。風邪引いたかもしれないから暖房さげないでもらえる? パティー」
「えっ」
汗を流しながら、毛布を掴んで凍えるように震えるカグラの言葉を聞いて、立ちあがりかけていたパティは驚いた様に硬直した。
「ええっ! カグりん風邪!?」
「カグラさん風邪ですかぁ? だったら帰って休んだ方が……」
「いやー、動くのもダルイくらいなのよね。だから帰るのはきついわー」
ぐったりとしながら、間延びした声を上げて答えるカグラ。ああ、なるほどこの為の毛布か、とヨツヤは納得したが、なんと回りくどい作戦だろう。暖房器具を壊した方が早い気もする。
「風邪じゃぁ、しょうがないな。少しくらいなら我慢するしかないよ」
「うー、タツミアイス食べたぁい!」
「あぁ、この気温じゃお皿にアイス乗せた瞬間溶けちゃいそうですねぇ」
どうにもできない暑さとに、タツミ達はぐったりとテーブルに突っ伏した。
よしよし、この調子だ。ツキシマも反応こそ薄いが、奴も我慢できないくらい暑いに違いない、とカグラは毛布の中でほくそ笑む。
しかし、それにしても暑い。設定温度を上げ過ぎただろうか、それとも熱の篭った毛布のせいか。さっさとマスクを外せばいいのだ、と、早くもカグラが苛立ち始めた時、ツキシマが、不意に顔を上げて窓の外を見て、その先を指差した。
「……」
「あ! アイス屋さんだ!」
「はっ?」
身を乗り出して窓の外を見ながら声を上げるタツミに、毛布に包まっていたカグラは思わず間の抜けた声を上げた。
カグラの驚愕に気付くことなく、タツミ達は窓の外の街道に停まっている、カラフルなアイスクリームワゴンを見とめると、息を吹き返したように元気になった。
「わぁ、本当だ。絶好のタイミングですねぇ」
「アイスアイスアイス食べたい! タツミアイス食べたい!」
「わかったって。丁度いいし、ツキシマ、ちょっと休憩にしないか?」
「……」
暴れ出したタツミを宥めながら提案するカナメに、ツキシマは無言のまま数回頷いた。
すると、カグラの意図とは反してテーブル席に座っていた四人は各々立ちあがり、わいわいと席から離れる。
「えっ、あ、ちょ、ちょっと!?」
「えっとねー、タツミはねー、イチゴとチョコのがいいなぁ。ツッキーなにたべる?」
「……」
「あれれ? もしかしてツキシマさんの奢りですか? きゃー太っ腹ぁ!」
「あれパティ、仕事は?」
「どうせお客なんか来ないから良いんですよぅ!」
カグラの静止の声も虚しく、外の涼しい風とアイスクリームワゴンにしか注意が向かなくなったツキシマ達は、さっさと蒸し風呂の様な喫茶店を後にした。
楽しげな子供たちの声が遠ざかっていく中、毛布に包まったカグラは、虚しさに身体を震わせながら、俯いて拳を握りしめた。
しかし、哀愁に打ちひしがれるカグラの背後から、更に重く厳しいマスターの声が掛けられる。
「おい、勝手に暖房なんか使いやがって。電気代馬鹿になんねぇんだからきっちり払えよな」
「……」
無慈悲なマスターの言葉に、カグラは無言で硬直した。
何だか、同情するのもアホらしくなる様なカグラの惨状に、ヨツヤは無言のまま、アイスコーヒーで喉を潤した後、カウンターテーブルの上に放り投げられていた暖房のリモコンの電源を、そっとオフにした。
『Take3』
「もう、我慢ならん」
そう言ったのは、果たしてカグラだったかヨツヤだったか。
その後、何度か作戦を練ってツキシマのマスクを奪おうとした二人だったが、結局上手くいかず、無気力に項垂れてカウンターテーブルに突っ伏していた。
新しく、ツキシマについてわかった事と言えば、彼は、何があろうとも絶対にマスクやコートを脱ごうとしないということだ。恐らく、人前では、絶対にやらない。人がいなければ外すようではある。しかし、マスクを取る瞬間はツキシマの警戒心が最も高まっている為に、素顔を見る事は不可能だった。
そう隠されると、やはり見たくなる。しかし、カグラとヨツヤのボルテージはもう限界だった。見たい、という興味はあるのだが、見る方法がまるで思いつかない。
もはや彼らには、最終手段しか残っていないのだ。
「もう、こうなったら……」
「力ずくで奪いとる!」
立ちあがったカグラとヨツヤが、ゆらりと不気味に揺れる。
ぐるり、と窓辺でコルトを撫でているツキシマの方を向いた瞬間からの二人の行動は、速かった。
「……、……!?」
素早くそして音も無くツキシマの背後に移動したヨツヤは、背後からツキシマの両腕を押さえこみ、取り押さえたのである。
「ははっはァ! 悪いなツキシマ! もうまどろっこしい作戦練るのは止めだ!」
耳元で上がった声に、驚きのあまり本を投げ捨てて席から立ち上がるツキシマ。しかしその行動は、カグラとヨツヤの思うつぼであった。後から飛び出して来たカグラが、ニヤリと恐ろしい笑みを浮かべて両手をわきわきとさせながら、じりじりとにじり寄ってきたのである。
「さぁ観念しなさいツキシマ……。今度こそアンタの素顔を拝んでやるわ……!」
「……!」
目元に暗い影を落としながら、不気味な笑みを湛えて近づいてくるカグラにツキシマは戦慄する。
何かにとりつかれたかの様な二人の笑い声に恐怖して、ツキシマはヨツヤの腕から逃れようとばたつくも、背後から押さえられるという体勢の為上手く力が入らない。
そうしている間にも、カグラの手がついにツキシマのマスクに伸びようとしていた。
「今度こそ……!」
「!!」
カグラの手がマスクに触れる瞬間、ツキシマは肘を主軸に腕を回し、眼前に迫っていたカグラの両腕を掴んだ。
ニタリ笑いを浮かべていたカグラの顔が、驚きのそれに変わる。しかしここまできて譲れるはずもなく、カグラは指先の防毒マスクへと、掴まれた腕に力を入れて手を伸ばす。
「ばっか! 早くしろ! モタモタしてんじゃねぇよ!」
「うっさいわねやってるわよ! ……お、往生際が悪いわねアンタも! ささっとその暑苦しいマスク脱ぎなさいよ!」
「……!」
ギリギリ、と切迫した攻防が続く。
カグラの手から逃れようと、ツキシマは後ろにのけぞろうとするが、背中はヨツヤに押さえられていて動けない。脇下から取り押さえられているため、思う様にカグラの侵攻を食い止める事が出来ず、カグラの指は徐々にツキシマのマスクへと近づいた。
その時である。
「それまでええええ!」
「うぐっ!?」
「きゃぁっ!」
突如、カグラとヨツヤの視界の端から、元気のいい声と共に二つの影が飛んできた。
その影は、ツキシマを取り押さえていたヨツヤを蹴り飛ばし、マスクを奪おうとしていたカグラの腹部にタックルを決める。
「黙ってみていれば、いい加減にしろ! ツキシマが嫌がってるじゃないか!」
店の椅子を弾き飛ばしながら床に転がった二人を見て、自称ヒーローのカナメは、その色褪せた赤色のボロマントを華麗にはためかせながら、仁王立ちして怒った様に眉を吊り上げながら言った。
その足元から、タツミもムッと口を尖らせて二人を見ている。
「いってぇーなガキ共! いきなり何しやがる!」
「ほんとよ! もうちょっとだったってのに……あいたた……」
倒れた時に打ち付けた腰の痛みに顔をしかめながら、反省の色を全く見せずに文句を垂れるカグラとヨツヤに、カナメは更にムッとしてクチを開いた。
「それはこっちの台詞だよ! さっきから何だ! ツキシマは嫌がってるのに何度もマスクを奪おうとして! 酷いじゃないか!」
「そーだよ! ツッキーかわいそう!」
ビシリ、とカグラとヨツヤを指差して声を上げるカナメに、ヨツヤは不機嫌そうにカナメの手を払って立ちあがる。
「なぁにが酷いだ。ツキシマが強情にマスク外そうとしないから、仕方なしに強行手段に出ただけじゃねぇか」
「それがまず可笑しい! 何でツキシマのマスクを無理矢理外そうとするんだ! 意味無いじゃないか!」
「意味無いってアンタねぇ…。アンタ達は、ツキシマの素顔に興味ないの?」
「無い!」
立ちあがったカグラの問いに、カナメは敵意を剥き出しにして堂々と言い放った。
予想していなかった短い回答に、カグラとヨツヤはポカンとして、思わず顔をしかめる。
「何でよ? いーっつもあんな厳ついマスク被って、フードも被ってコート着込んで、しかも一言も喋らないで、挙句の果てに死なないのよ!? 可笑しいと思わない?」
「知るかそんな事! ガスマスクつけてフード被ってコートも着込んで一言も喋らない不死身なツキシマこそが、ツキシマじゃないか! 素顔がどうとかどうでもいい!」
カナメが、その黄土色の瞳を鋭くカグラ達に向けて言いきった。
「どうでもいいはねぇだろ。隠れてりゃ気になるもんだろーが。お前はツキシマの顔見たくねぇの?」
「無い! 見たからなんだって言うのさ。ツキシマはツキシマだ! それだけで充分なんだ!」
声を張り上げて怒るカナメの言葉を聞いて、その後ろでツキシマが、感極まって喜びにワナワナと震えていたが、口論が勃発している喫茶店内では誰もそれに気が付かなかった。
「はーぁ、お子様たちと喋っても言葉が通じないわ。パティ、アンタだって気になるわよね?」
「はっ!? え、え?」
カナメの理解に苦しむ反論に、カグラは面倒くさそうに頭を掻いて、カナメとタツミの後ろで放心していたパティに問いかける。
唐突に話を振られたウェイトレスは、瞬時に我に返って狼狽したように視線を左右に投げた。
「パァァティィィィ……」
「ああーあ! 気になりません! 全然っ! ツキシマさんはツキシマさんですよ!」
即答できないでいると、怒りの極地へと達していたカナメが何時にない低音で自分を睨みつけてくるのを見て、パティは慌てて言い繕った。
そしてその答えを聞いたタツミが、にっこりと笑みを浮かべて何度も頷く。
「そーそ! だから気になんないよ! タツミはツッキーと遊ぶの楽しいからいっしょにいるだけだもん!」
「……!」
タツミの言葉にも感動して、ワナワナと肩を震わせるツキシマと、無垢な子供たちの視線を受けてカグラはたじろいだ。
カナメやタツミは、まだ事の重大さが理解できていないのだ。そんな子供染みた理由で納得できるほど、カグラの心は幼くない。しかし、この場では完全に自分たちが悪者であり、実際、大人げない気分にもなってきたのは否めない。
「はー、アホくさ」
カグラがどうにかこの場を逃れる方法を考えていると、すぐ隣で脱力しきった溜息が上がった。
カグラが視線を上げると、身震いするほど冷めきった目をしたヨツヤが、彼らに怒りの視線を向けてくるカナメ達を見下ろして、くるりと踵を返した。
「ちょっと! どこ行くのよ!」
思わずカグラが慌てて引きとめる。
何を勝手に戦線離脱しようとしているのか、そんな事は許さない。
「ガキの仲よしごっこに付き合ってられっか。萎えた。帰る」
「何よ。逃げるわけ?」
喫茶店の出口に向かおうとするヨツヤに、カグラの刺々しい声が刺さった。
心外な言葉に、ヨツヤも足を止めてカグラと睨みつけながら振り返る。
「逃げる? クチには気をつけろよクソ女。詰まんねえから帰るんだよ。文句あんのか?」
「大ありよ。アンタだって事を大きくした当事者なんだから、収拾つける義務があるじゃない。勝手に逃げるなんて許さないわ」
「何が当事者だ。元はと言えばテメェが言い出した事だろうが。言いだしっぺのお前がどうにかすりゃいいだろ。俺にそんな義務はないっつーの。」
「はぁぁ? アンタあんなに乗り気だったじゃないの! 全部私のせいにしようってわけ? このロクデナシ!」
「誰が乗り気だって? ちょっと面白そうだから付き合っただけじゃねーか! なぁにがロクデナシだこのパラノイア女!」
「だ、誰が偏執病ですって!? アンタなんかキチガイジャンキーのくせに!」
突如、火を吹いた様に目の前で勃発したカグラとヨツヤの罵り合いを見つめながら、いつしか完全に蚊帳の外に投げ出されたカナメ達は、目を丸くしながら互いに顔を見合わせた。
苦笑いしてしまいそうになるほど口汚い罵倒が飛び交い、ツキシマは慌ててタツミの耳を塞ぐ。怒りが沸騰していたカナメも、二人の口論に圧倒され、消沈したように唖然としていた。パティなどは、半泣きで誰かに助けを求めようにも彼らの口喧嘩を止められるほど優秀な人間はその場にはおらず、狼狽している。
「この負け犬!」
「うるせー年増!」
「目つき悪すぎるのよアンタは!」
「関係ねぇだろ! 大体テメェは品がねぇんだよ!」
そしてしばらくして、カグラもヨツヤも終に互いに堪っていた鬱憤を吐き出しきった様で、ゼイゼイと肩で息をしながら火花が散らんばかりに睨み合う。
「……ふん!」
存分に視線で火花を散らせた後、二人は同時に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
どうにか今回は収まったらしい。周りを全く気にする事の無い口喧嘩に、周囲の人間はようやく安堵の溜息をもらし、落ち着く事が出来たのである。




