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Crazys!  作者: ノンアルコール
C,7 Birds of a Feather.
44/65

 日常と言うのは、早々変わる事が無いために日常と言う。

 今日も空は灰色、日常だ。今日も空気が乾いている、日常だ。酸素と一緒に吸い込んでしまった砂で喉を痛める、日常だ。

 変わらない愛しい日々。これで、金があればもっと素晴らしいのだが。彼女は自分の財布の経済状況を見て、その現実を、埃が舞い上がって白く濁った虚空の中へ吹き飛ばす様に頭を振る。

 いかんいかん、こんな時にまで、嫌なことを考えるのはよくない。そう、こんな時にまで。

「そうだ。金が無いなら、稼げばいいのよ」

 人っ子一人いない街道の真ん中で、彼女は思いついたように言った。

 そうだ。金が無いなら仕事を探せばいい。コンビを組んだと宣言したはいいものの、イマイチやる気に欠ける相棒を無理矢理立ち上がらせて、犯罪者共をぶっ殺しに行けばいいのだ。

 フフン、と鼻を鳴らす。名案。足取り軽く、彼女はいつもの場所へと向かう。

 視界が、何故か明瞭でない。埃が舞って、空気が淀んでいるのだ。きっとそうだろう。

 彼女は、足が赴くがままに喫茶店『Arms』の入口にたどり着く。白い。彼女はいつの間にか、店内に入っていた。

「ハロー! さぁ、ツキシマ! 今日こそ大金稼ぐわよ!」

 なんだか、楽しい気分だった。何時もはこんなにテンションの高い事は言わないはずの彼女だが、なんとなく気分が明るい様な気がして、店に入るなり大きな声を上げた。

 憂鬱とした防毒マスクの男が、いつもの窓際の席にいるはずだ。突然大声を出して入店してきた自分に、いつもの様に大げさに肩を跳ねあげて驚いている事だろう。彼女は、心の中でにんまりと笑う。

「ああ、カグラ。今日はいつになく元気だね」

 しかしながら、彼女の予想は外れた。そして、聞き慣れない声が彼女の耳に届く。

「……あれ?」

 誰の声だ今のは。不機嫌そうな皮肉屋の馬鹿の声でも、うっとおしいヒーローの声でも、煩いお子様の声でも無い。

 知らない声だ。彼女は、店の窓際に視線を向ける。視界が不明瞭。埃のせいだ。

「おはよう、カグラ」

 再度、その人物は彼女を名前を呼んだ。

 見慣れたフード付きのロングコートの男が、席に座っていた。でも、顔は知らない。そいつはツキシマの服装で、ツキシマが読んでいた本を開いて、ツキシマと同じ席に座っていて。でも、フードが、顔が、声が。

 何か可笑し

「ツキシ……」



「ぎゃあああああああああ!!!」

 絶叫と共に、覚醒は訪れた。

 大きく瞳孔を開いて、薄い毛布も萎んだ枕も全てふっ飛ばしながら、バネの緩んだベッドから跳ね起きたカグラは、ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返し、張り裂けそうになっている心臓をおさえながら辺りを見渡した。

 いつもの、七畳半の狭い下宿部屋である。足の踏み場もないほど、床に散乱した衣類やゴミは昨夜のままで、別に泥棒が入ったわけではない。ベッドの傍のテーブルに置いてあった目覚まし時計は、部屋の隅にまで飛んでおり、ネジや金具がその辺に転がっていて、カグラは瞬時にタツミをお菓子で釣って直してもらう算段を頭の中で立てた。ぼったくりの電機屋に頼むより、飴玉一個で直った方が遥かに安い。

 冷静になり、心臓の音も大分ゆっくりになってきたところで、カグラは漸く自分が今まで眠っていた事に気付いた。

 ああ、では、さっきの出来事は。

「……夢か」

 理解すると同時に、覚醒時の自分の悲鳴が余りにも色気の欠片も無いものだった事にも気付き、カグラはがっくりと肩を落とした。



<Cookie.7> Birds(バーズ) of(オブ) () Feather(フェザー)



 場所は移って、ここは現実世界の喫茶店『Arms』。すっかり彼らに拠点とされてしまった哀れな街の喫茶店は、本日もまだ昼間だというのに、客は見慣れた常連客しかいなかった。

 こうなっては、さすがのマスターも暇を持て余す。カウンターの端で心地よい西日に当たりながらまどろんでいるマスターを背に、丸椅子の上で足を組みながら、不機嫌そうな顔で女がテーブルに肘をついていた。

 カグラである。茶色の短めの髪は、お世辞にも艶やかとは言い難いが、一見女性らしい曲線の多い体型と、大きな瞳のバランスの取れた整った顔立ちは、そのマイナスポイントを十分にカバーできるほど優れている。しかし、今はその整った顔も、不機嫌色に染まってしまって勿体無い事になっていた。

「はぁ、夢でねぇ。とりあえず男みてぇな悲鳴で起きる女ってどうよ」

 不機嫌な顔をしているカグラの隣で、男が冷めた珈琲を啜りながら言った。

 短い黒髪に額の上にはゴーグルを乗せ、だるそうな半眼が僅かに愉快そうに揺れる。楽しげに薄く笑みを浮かべたクチ元からは、獣の様に尖った歯がチラついた。

 ヨツヤである。自分が面白い事には、野生動物の如く敏感な彼のそのセンサーは、どうやらカグラの夢の話に向いていたらしい。感心半分、皮肉半分で呟いた彼の言葉に、カグラは耳聡く反応してヨツヤを睨みつけた。

「しょうがないじゃないの、びっくりしたんだから。っていうかそこじゃないのよ引っ掛かって欲しい点は」

 確かに、寝起きの悲鳴に色気が無かったのは、自分でもがっかりすることではあったのだが、何もそんな不本意な失態を笑い話にするために、カグラはヨツヤに、今朝の夢の話をしたわけではないのだ。

「気にならない?」

「……何が?」

「とぼけんじゃないわよ。ツキシマの、す・が・お!」

 窓際の席で、一心不乱に毛繕いをしているコルトの様子を、何が楽しいのか無言で見つめている防毒マスクの男をチラリと見ながら、カグラは出来るだけ声を殺しながらヨツヤに言った。

 防毒マスクの男、ツキシマは、少なくとも着込むほど寒くは無いメトロで、常にロングコートとフォーマルパンツ、革製の黒いミリタリーブーツで身体を固め、両手には厚手のグローブを嵌め、厳ついフォルムの防毒マスクとフードで頭部を覆っている。

「っていうか、なんで今まで一度たりともあのガスマスク外さないのよ。可笑しいじゃない」

 興味なさそうに首を傾げるヨツヤに構わず、カグラは顎に手を当てながら考える。

「顔に傷があるとか? 容姿にコンプレックスがあるとか?」

「常時フルフェイスマスク装備しなきゃいけねぇほどの、かぁ?」

「実は有名な賞金首で、顔を隠さないと生活できないとか?」

「あいつは『賞金稼ぎ』のほうだろ」

「逆に、美形すぎて目立たない様にとか!?」

「……想像つかねぇな」

 息を巻いて可能性を述べるカグラに、ヨツヤは肩を竦めた。かといって、これと言う理由が見当たらない。

 しかし『実は有名な人物だった』という可能性はあり得る。身分を隠すために顔を隠している、と言うのは、実に納得のいく理由だ。

「実は名の知れた資産家だったりして? 何かから身を隠すため、ってのはありそうよね。顔に傷…とかも十分あり得るけど」

「お前の夢じゃどうだったんだよ?」

「それを覚えてたら、ここまで気になってないわよ」

 ツキシマは、話しかければリアクションはあるものの、言葉は一切発さず、今の今まで無言を守ってきた。感情表現が多彩なので、喋らない、のではなく、喋れないのではないか、と言う事は薄っすらとわかってはいるものの、はっきりとした所はまだわからない。

 わかっていることといえば、小動物が好きな事と、最近は本ばかり読んでいる事。チェスがえらく強い事。お人好しの温和な性格のくせに、怒ると面倒くさい事。意味も無くこの喫茶店に入り浸り始めたのは、ツキシマが最初だという事。そして、これが一番不可解な要因なのだが。

「そういえば、素顔もそうなんだけど、なんであいつ死なないの?」

 そうなのである。ツキシマは、いわゆる不死身だった。

 不老なのかどうかはわからない。何せ顔が見えないからだ。ただ、不死ではある。カグラもヨツヤも、恐らく、今窓際の席で一緒に駄弁っているタツミもカナメも、一度は『常人ならば無事では済まされないダメージを負っていてもなお、倒れないツキシマ』の姿を見ているはずである。

 頭が吹っ飛んでも、首を落とされても、壁に叩きつけられても、心臓が潰されても、死なない人間などいるだろうか。

 冷静に、今一度よく考えてみて、カグラは思ったのだ。

 ツキシマは、果たして何者なのだろうか。

「……今更過ぎるだろ、その疑問」

 ヨツヤが、若干呆れた様な視線をカグラに送る。人間という存在の定義を問う疑問だというのに、乗り気でないヨツヤにカグラは顔をしかめた。

「じゃぁ、アンタはあいつが何なのか説明できるわけ?」

「……メトロなら、死なない人間も、いる……?」

「ほんとにそれで納得できる?」

「……」

 ヨツヤは、バツが悪そうに視線を逸らした。

 そりゃ当然、ヨツヤも気にならないと言ったら嘘になる。しかし、疑問に思ってはいけない話題の様な気がするのだ。これは、そう言うものだと理解しておいた方が、良い様な気がするのだ。理由はわからない。勘である。

 しかし、人の好奇心とは恐ろしいもので。他人に禁忌を問われると、余計気になって気になって仕方無くなってしまう。『禁忌』と言うスペシャルな感覚も手伝って、更に気になってしまう。

「そりゃ、俺も気になるけど」

「でしょ! 誰も気にしなかったから無視してたけど、やっぱり可笑しいのよ!」

 自分以外の同意を得られたカグラは、水を得た魚の様に元気になって力強く拳を握りしめた。

 渋々ながらも思わずして頷いてしまったヨツヤは、苦虫を噛み潰した様な複雑そうな顔をする。

「だからって、ツキシマ本人に『お前なんで死なないの?』って聞くのか? 今さらアイツが答えるとは思えねぇなぁ。喋る気があるんなら、もうとっくに何らかの話は聞いてるはずだぜ」

 ヨツヤが首を傾げて言う。

 お前は、そんな込み入った話を聞けるほど、ツキシマに信頼されていると思っているのか? という的確なツッコミが出来る人間は、残念ながらここにはいない。

 同様にして、カグラも怪訝そうに顔をしかめて首を傾げる。

「それもそうよね。相棒の私にさえ話さないってことは、きっと言いたくないのよ」

「そうだな。相棒の俺でさえ聞いた事無いからな」

「なら、私たちが取るべき行動は一つしか無いわ」

 そう言ってカグラは、ニヤリとあくどい笑みを浮かべた。

「とりあえず不死身云々の話は後回し! まずはツキシマの素顔を拝む事から始めましょ。手始めに、アイツのガスマスクを剥ぐのよ!」

 カグラは、いつになく気合いを入れて力強く言うと、両目をギラリと輝かせてにんまりと笑った。

 結局のところ、カグラはそれが気になって仕方が無い様だ。そりゃそうである。不死身云々は、いくら不思議がったとしても、既に彼女らの目によって確実に存在する物とされてしまった。どんなに常識を超えたイカれた現象であれ、それは実際現実に起こっている事なのだ。起こってしまった事は、受け入れるしかない。それが現実なら仕方ないのである。

 しかし、ツキシマの隠された素顔は違う。それと不死身云々は全くの別問題であり、真実はすぐ傍に存在するのだが、隠されているのだ。

 隠された物、というのは、人を惹きつける恐ろしい魅力がある。立ち入り禁止とされる場所に、ついつい入ってしまいたくなる欲求や、開けるな、と言われるとついつい開けてしまいたくなる様な好奇心と似ている。隠されると、堪らなく見たくなってしまうのだ。

 さらには、今朝意味深な夢を見たせいで、カグラの好奇心が一段と膨れ上がっているのも、彼女を行動させる要因の一つでもある。

「ってお前、やっぱそれが狙いなんじゃねぇか。……まぁ」

 呆れた様な視線をカグラに向け、いまいち乗り気でない声をあげるヨツヤだったが、カウンターテーブルに寄りかかって天井を見上げ、僅かに考えると、ニタリ、と愉快そうで更に凶悪な笑みを浮かべてカグラを見た。

「面白そうだ。乗るぜその話」

「そうこなくちゃ」

 恐ろしげな笑みを浮かべたカグラとヨツヤは、人知れず顔を合わせて頷き合った。



「とはいえ問題は、どうやってツキシマからマスクを奪うかよね」

 カグラとヨツヤが話しあった結果、正面から馬鹿正直に『素顔を見せろ』と言っても逃げられる可能性が大である。というか、面白くない。そんなんで解決してしまったら、今の今まで隠していた意味がわからない。という結論に達し、いかに強引にツキシマからマスクを剥ぎ取るかが議題となっていた。

「要は、あれだろ。アイツが自らマスク取る瞬間を見られればいい。四六時中付きまとうのはさすがにダリィし、サクッと素顔を拝むためには、これしか方法はねぇな」

「どんな方法よ?」

 問いかけるカグラに、ヨツヤはにんまりと笑みを浮かべ、カウンターの中でまどろんでいるマスターの肩を何度か叩いて起こした。



『Take1』


「えーと、五人の客が、一人三つずつケーキを頼みました。うち二人が二個ずつ追加注文して、うち三人が一個ずつキャンセルしました。さて、ケーキの注文は全部でいくつあったでしょう」

 喫茶店『Arms』の窓際の席は、今日も客が少なくて暇をしているアルバイトのパティと、目の前に様々な数式が書かれた紙を広げて、考え込む様に目を閉じて腕を組んでいるカナメと、カナメの解答するのを固唾を呑んで見守るタツミとツキシマで満席である。

「…………わかった! 答えは大体二十個くらいだろう!?」

「うわぁー、惜しい! いや、合ってるんですけど大体とか言っちゃダメですよぉ!」

 しばらく考え込んだ後に、自信満々でビシリと人差し指を立てながら答えたのは、屋内にも関わらず青いヘルメットと色褪せた赤いマントをはおった、ジャージ姿のカナメである。

 カナメの答えを聞いて、長い金髪を高い位置で二つに結ったウェイトレスは、困った様に顔をしかめて言った。一緒に答えを聞いていたツキシマとタツミも、気が抜けたような溜息を大げさについた。

「ん? 近いのか。じゃあ十九か」

「違いますね」

「じゃあ十八?」

「カナメちゃん、ちゃんとケイサンしないと意味無いよ!」

 パティの様子を覗いながら、間違った答えを積み重ねていくカナメに、タツミが怒った様に言った。癇癪と共に白いサイドテールがふわりと揺れ、白く細い腕が小さな存在をアピールするかのようにじたばたと宙で暴れる。

「せっかくツッキーが問題作ってくれたのに! 消費税のケイサンくらいじぶんでやりたいって言ったのはカナメちゃんでしょ! なんでじぶんでがんばんないの!」

「そうは言ってもタツミ。これは消費税の計算じゃないよ。ただの掛け算と足し引き算じゃないか」

「カナメちゃんのレベルじゃ消費税以前の問題なんだよ!」

 キイキイと喚くタツミを見ながら、ツキシマは溜息をついた。

 傍から見れば、呆れた様な溜息であったが、当の本人は苦笑いのニュアンスを含んだつもりである。

 タツミの言う通り、カナメ自身が言い出して、それに合わせて問題を作ったのはツキシマだが、カナメが答えを間違えても、呆れた、とガッカリする事はない。

 大事なのは、向上心である。カナメが彼の意思で勉強したいと言い出したのだから、ツキシマにとってはそれが微笑ましい限りなのだ。

 ただ、もう少しやる気は出して欲しいとは思うが。

「まぁまぁ、とりあえずちょっとずつ見直して行きましょうよ。あ、図にしていった方がわかりやす……」

「ツーキシマぁー」

 癇癪を起こすタツミを宥めてペンを握ったパティの頭上から、間延びした声が落ちて来た。

 名前を呼ばれ、ツキシマはふと顔を上げ、声のした後ろに振り返る。

 すると背後には、にんまりと何か企んでいる様な、不穏な笑みを湛えてヨツヤが立っているのが見えた。瞬間的に、ツキシマの背筋に寒気が走る。

「マスター特製……、クリームパイお持ちしましたァァァ!!」

「……!!」

 出来事は、一瞬にして起こった。

 ツキシマが振りむいた瞬間、背にクリームパイを隠し持っていたヨツヤが、それをツキシマの顔面めがけて勢いよく叩きつけたのである。

 ベシャァ、という音と共に、クリームがツキシマの防毒マスクとフードの中にまで飛び散り、パイの乗った皿を顔に叩きつけられたツキシマは、背中を逸らして後ろにのけぞった後、驚きのあまり静止した。

「うっわぁツキシマ大丈夫ー!? あー、これは洗面所で顔洗った方が良いわねー!」

「悪ィ悪ィツキシマぁ。いや足元滑ってよォ、マスター洗面所借りるぜ!」

 突然の出来事に、クチもきけず唖然とするパティ達など気にするそぶりも見せず、突然湧いたカグラはヨツヤと共に仰々しいほどの棒読みでツキシマを労り、二人はツキシマの両腕をがっしりと掴んで彼を引きずった。

 視界も明瞭でなく、慌ただしく動くカグラとヨツヤに引かれながら、ツキシマは覚束ない足取りでカウンターの奥に入る。

 まさか、自分が作ったクリームパイが、防毒マスクにぶちまけられるとは思っていなかったマスターは、ずかずかとカウンター奥のマスターのプライベートゾーンに侵入する三人の背中を、クチをあんぐりと開けて眺めていた。


 洗面所とバスルームに通ずる扉を、乱暴に蹴破る様にして中に入ったカグラとヨツヤは、洗面所の鏡の前にツキシマを立たせる。

「さー、ツキシマ着いたわよ。それじゃぁ早速……」

 思ったよりも体力を消耗した作戦に、カグラは息を荒立てながらクリームがついたツキシマの防毒マスクに手を掛ける。そして、同時にツキシマのフードを掴んだヨツヤに目を合わせた。

 二人は、ごくりと唾を呑んで頷く。この一瞬の後に、ツキシマの素顔が拝めるのである。果たして、この厳ついマスクと色褪せたフードの中には、一体何が潜んでいるのか。

 気持ちが高揚する。二人の頬にじわりと汗が浮かんで、ゆっくりと垂れた。

「せーっの……!?」

 カグラとヨツヤの声が重なり、防毒マスクとフードを掴んだ手に力が入る。

 しかし、その手がそれらをツキシマの頭部から弾き飛ばす寸前に、ツキシマの手が既に目標を定めていたかのように的確に、そして素早く動き出し、カグラとヨツヤの手首を掴んだ。

「え?」

「あ?」

 がっしりと掴まれた腕は、二人が力んで見るも一向に動く気配が無く、ツキシマの手にはいつにない力が込められているらしい事が覗えた。

 無言の上、更にクリームで防毒マスクが汚れたツキシマからは、何時も以上に感情が読みとれないが、彼がマスクとフードに触れられたくないという事実は明白である。

 しかし、それでも諦めまいと、カグラとヨツヤは数十秒ツキシマの握力と格闘した。だが、石に掴まれたのではないかと思うほどツキシマの手はぴくりとも動かず、カグラとヨツヤは互いに不満げに顔をしかめ合って目配せし、直後にはヘラリと愛想笑いを浮かべた。

 純粋な握力では、ツキシマには敵わないようだ。それを悟って二人は、何に未練も無いかのようにマスクとフードから手を離す。すると、ツキシマの手もパッと二人の手首を解放した。

「……」

「あ、あはは…、やっぱり人に見られるのは嫌よねーぇ?」

「んじゃ俺ら、先に店に戻ってるからな」

 手を離しても、依然として鏡の前で動かぬまま、無言で『出て行け』と圧力を掛けてくるツキシマに、カグラとヨツヤは顔を見合わせてそそくさと逃げるように洗面所を後にした。

 だが、洗面所を出て、カウンターの中に繋がる廊下に追い出されるも、カグラとヨツヤは諦めない。

 先程蹴破った事で、半開きになった扉を音も立てずにゆっくりと押す。広くなった扉の隙間から、縦に並んで二人は洗面所を覗きこんだ。

「あ…」

「……!」

 しかしながら、ツキシマの背後から洗面所を覗く二人の顔は、ツキシマが対面している鏡にばっちりと映っていた。

 マスクの両目の位置に嵌めこまれたカラーガラスのクリームを取り除いて鏡を見たツキシマと、更にばっちりと目が合ったカグラとヨツヤは、声をそろえて驚くと、慌てて廊下に引っ込んだ。

「……」

「あは、は…」

「あー、ツキシマ。俺達の事は気にしないで、ほら、マスク洗えって」

 慌てて言い繕う二人の前で、洗面所のドアが勢いよく閉められた。

 もう二度と開かないのではないか、と思われるほどの勢いで閉められた扉を前に、ヨツヤは低い沸点が早速臨界点を越えた様で、盛大に舌打ちをすると思い切り扉を蹴飛ばした。

「テメェ、ツキシマァ! 人が下手に出てりゃ調子乗りやがって! 見せても減るもんじゃねぇんだろーが! パイ代返せコラァ!」

 扉を蹴ってドアノブを回して見るも、洗面所への扉には上品にも内側に鍵が付いており、外から開けられる気がしない。

 当然、中からも何の反応も無いので、ヨツヤの苛立ちは更に募る。

「ちくしょー、もう少しだったってのに…」

「作戦失敗ね。こうなったら、次の手に出るしかないわ」

 悔し紛れにもう一度扉を蹴り飛ばすヨツヤの横で、冷静なカグラが思いつめた様に呟く。

「次の手って何だよ。なんか策でもあんのか?」

 ツキシマが、マスクやフードに触れられるのも拒むのだとしたら、彼の素顔を見るのは相当に難しい。

 怪訝そうに首を傾げるヨツヤに、カグラはにんまりと得意げに笑って人差し指を立てた。

「クリームパイなんかじゃなくて、もっと頭を使った方法よ。まぁ見てなさいって」



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