表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Crazys!  作者: ノンアルコール
C,6 White lie.
42/65

 **


「ふーむ、最近のギャングの流行りは貧乏人からのカツアゲか…。えげつないことするようになって来たわねあいつらも」

 数日後の喫茶店『Armsアームズ』。

 仕事探しの途中なのか、最近はめっきり窓際の席で新聞を開くのが日課になってきたカグラが、新聞の記事を嘲る様に笑って言いながら椅子の背もたれに寄りかかった。

 客は、ツキシマとカグラ以外に数人、遅めの昼食を取っている男がいるだけである。やはり、特別忙しいというわけでもなく、小さな喫茶店は今日も通常営業だ。

「お子様と馬鹿はどこに行ったか知らないけど、お子様その二は相変わらず天使様の下に日通いか。日に日に店の前のプランターが無くなってくの見ればわかるわ。で、ツキシマ。少年の淡い恋の行方は、今どうなってるのよ?」

 開いていた新聞の端から目だけを出して、恐らくニヤニヤと野暮な笑みを浮かべているのであろうカグラが、テーブルを挟んだ向かいに座るツキシマを見て問いかけた。

 それを聞いて、小さな文庫本を読んでいたツキシマの肩がびくりと跳ねあがり、僅かな動揺を含んだ(様に見える)防毒マスクがカグラに向く。

 何だかんだと言って、その手の話は気になって仕方ないのかもしれない。自分への詮索は嫌う割に、他人の詮索はするようだ。いや、この手の話題限定か。

 話さないと、店内にいる間ずっと悪態つかれ続けそうなので、ツキシマは渋々と懐からペンとメモを取り出してテーブルの上に置いた。

「ほーん、なになに? へぇ、その子には兄妹がいるの」

 ペンを取ったツキシマは、メモ用紙にカナメ、ミコト、そして顔は知らないミコトの兄を描いてカグラに見せる。そして、三人の間に一方通行の矢印を描き足した。

「あ…。あーぁ…、なるほどね。ま、まぁ初恋は実らないって言うしね。今は恋に恋する状態でもいいんじゃないの?」

 ツキシマは、そこまでカナメの恋路に未来が無いと言っているわけではないのだが、メモを覗きこむカグラの顔は、好奇心いっぱいのにやける様な笑みから、同情する様な哀愁ある苦笑に変わっていった。

 情報の伝達に齟齬が発生した事に、ツキシマはじわりと汗を浮かべたが、誰もその焦りに気付く者はいなかった。

「いんだよ。男ってのはなぁ、壁にブチ当たるほど強くなるもんだ。なんでも最初っから思い通りになってたら、とんだ甘ったれ野郎になっちまうからな」

 カウンターから、クッキーの乗った皿を持って出て来たマスターが、その皿をツキシマ達のテーブルの上に置いてウンウンと頷きながら言った。

 それに、カグラは怪訝そうに顔をしかめてマスターを見る。

「そんなもんかしら。ま、その乗り越えられそうもない壁に落ち込んでなきゃいいけどね。失恋の瞬間ってのは、全くえげつないものよ」

「体験談か?」

「あのね。私だって人並みに人生歩んでるわよ」

 マスターが驚きの声をあげる。ツキシマも同様だった。

 金に塗れた聞くのも恐ろしいドロドロとした道を歩んでいる物だと思っていたので、恋やら失恋やらがカグラの人生に含まれているとは思えなかったのだ。

「でもま、アレは大丈夫だろ。相手の為なら、自分の事なんて置いてけぼりにする奴よ。それくらい相手が好きでたまらねぇんだな。恋は盲目、感情を自制できるほど、ありゃ大人じゃねぇ」

「それって、ダメなことなんじゃないの? 全然大丈夫じゃ無くない?」

「なぁに、今回ダメならそこから学習すりゃいいだけよ」

 そう言って、マスターはケラケラと笑った。

 本人のいないところで好き放題言われているカナメに、ツキシマは沈黙したまま同情する。

「でもま、青春なんぞとうの昔に置いてきちまったオッサンには、若造の色恋話は中々刺激的でいいもんだ。まぁそんなワケで、ツキシマ」

「……?」

 ニヤァ、と、赤とオレンジ色の可愛らしいエプロンを身につけ、色黒の岩の様な体格をしたマスターが、見るもの全てがゾッとする様な深い笑みを浮かべてツキシマに視線を向ける。

 マスターの意図の読みとれないツキシマは、なにやら薄気味悪い笑みを浮かべるマスターを、首を傾げて見上げた。

「お前、ちょっと様子見て来い。なに、あのガキが上手くやってるかだけ見てくればいいのさ」

「……」

 にんまりと笑うマスターの言葉を聞いて、ツキシマの防毒マスクからとてつもなく呆れた様な溜息が放たれた。

 どうしてここの人間は、こうも野暮ったいのだろうか。せっかく一人の少年が、微笑ましい限りの恋をしているというのに。なぜ周りの大人はそうも構うのだろう。そうっとしてやればいいのに。

 そんなツキシマの意図など気にもかけず、マスターの若干愉快そうな笑みを見たカグラも、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてマスターを見上げた。

「マスターも好きねぇ。カウンターの奥に引っ込んで興味ないフリしてるのかと思えば、やっぱり気になるんじゃない。このムッツリ」

「おめーにだけは言われたくねぇな。でも、人の恋路ほど面白いって言うしな」

「それは同感」

 人はいくつになっても、他人の芝が気になるということだろうか。含み笑いで顔を見合わせる二人を背景に、ツキシマは呆れたように思った。

 とはいえ、ツキシマ自身、ミコトのお見舞いに一度きりしか行かないというのも失礼である。日をおいて暇な時にでも行くのはいいか、と思っていたので、今カナメが病室にいるならば、丁度いいかもしれない。

 不本意ながら、マスターやカグラの思惑通り動いてしまう事となるのが気になるが、ツキシマは少しだけ考えて時計を見上げ、面会時間終了時刻より余裕があることを確認して、席を立つことにした。



 *


 午後の、診療所の病室にはラジカセのスピーカーから、静かなギターの音色が流れている。

 床や窓辺には、花瓶や小さなプランターに飾られた、色とりどりの花が置かれており、真っ白で色気の無い病室によく映える。白いカーテンが、僅かに開けられた窓から入る風に揺らぎ、その布の揺れすらも楽しむ様な柔らかな視線が、じっと窓のカーテンを見つめている。

 白いベッドに腰掛けながら、まるで時が止まった様に一点を見つめるミコトは、彼女を見るカナメにとっては絵画の一部の様に感じられた。

 現実とは思えないほど美しい、というのは当然なのだが、それ以上にその光景は、現実味が無いほどに儚かった。

 ハッとしたら、キャンバスの中に吸い込まれてしまうのではないか、と思うほどの危うさ、不安定さ。実は夢だったのだ、と言われてもなんら疑問では無いほどの不確定さがそこにはある。

 何故そんなにも危ういのだろう。カナメは考えるも、よくわからない。

 ただ、いつもよりミコトの表情が、心なしか暗い様な気がするだけだ。

「……この曲も、もう何度も聞きました」

 ラジカセから流れる音に耳を傾けていたミコトが、不意にぼんやりと呟いた。

 カナメに言っているのか、それともただの独り言なのか、彼にはわからなかった。

「これが、兄さんの新曲なんです。ずっと前、手紙と一緒に送ってくれた物です。それ以来は、手紙だけ。もう、テープが擦り切れるまで聞きました。歌詞も全部覚えるくらいまで聞きました」

 ミコトが言った。

 視線を、ずっと揺れるカーテンに固定したまま、声を震わせる事もせず、ただ淡々と呟く様に言った。

「兄は、本当に自分の好きな音楽ができているのでしょうか。私に構わず、ちゃんと自分の人生を生きてくれているのでしょうか。手紙には、毎日元気でやっている、と書かれています。でも、本当の事は文字ではわかりません。兄は嘘をつけない人ですが、それは目と目を合わせないとわかりません」

 ミコトの白い拳が、ギュッと固く握られた。

 彼女は、たった一人の兄の行方に、不安だと弱音も漏らさず、寂しいと泣く事も無く、理不尽だと嘆く事も無く。眩しいくらいの笑顔を振りまいて、身体を蝕む病と孤独に耐え続けている。

 まだ、年端もいかない少女だ。寂しくないわけが無かった。辛くないわけが無かった。いつだって、大声で泣き叫んで、嫌だ帰って来てくれ、と喚き立てる手紙を兄に送りたいに決まっている。

 なのに、彼女はそうしない。ずっと、自分の想いを押しこめて兄を待ち続けるのは、彼女が兄を想うからこそなのだろう。それほどまでに、ミコトは兄を慕っているのだ。

 自分は、ミコトの兄の顔など見た事も無い。どんな人間なのかさえ知らない。そんなカナメが、彼女に出来る事とは何なのだろう。どんな言葉が、彼女を奮い立たせるのだろう。ミコトの呟きを聞きながら、カナメは喉を締め付けられる様な息苦しさを覚えた。

「きっと、大丈夫だよ。ミコトさんのお兄さんは、絶対に元気さ。きっと曲が売れすぎて、忙しいだけかもしれないよ! そのうち、ラジオでもお兄さんの歌が聞けるようになるかも…」

 カナメはそうクチにしながら、なんという気休めだろう、と自分で自分を叱責した。こんな詰まらない言葉で安心する様な奴は、頭のおめでたい人間しか居ない。

 カナメは、こんな時の言葉の掛け方を知らなかった。語彙が少ない、という直接的な問題もあるが、カナメ自身、何かを心配したり、不安に思う事が無いせいである。そういう時の気持ちが、まるでわからないのだ。

 心配するよりも、不安に思うよりも先に行動するのがカナメだ。そんな状況に陥るよりも先に、多大な損失を払ってもゴリ押しで物事を進める。それが、彼の在り方だった。

 だから、こんな風に、誰かを気にするのもほとんど初めての様なものだった。言葉を選んで、彼女を悲しませない様な雰囲気を作る方法など、カナメにとって難易度が高すぎたのである。

「……そうですよね。忙しい、せいですよね。わかります。それなら、しようがない…」

 カナメの言葉に、驚いた様に目を丸くして、苦笑交じりに言ったミコトは、白いカーテンから視線をカナメに移すと、いつものようにニッコリと眩しい笑顔を浮かべた。

「ありがとうございます。カナメさんとお喋りすると、気が紛れますね。いつもお見舞いに来ていただいて、本当に助かります」

 微笑みを浮かべて言うミコトに、カナメはいつものように嬉しげに笑顔を浮かべる事も、照れたように頭を掻く事も出来なかった。ただ、無理矢理に口角を持ちあげて、眩しくも無いのに目を細めて、自分でも嫌になるくらい気持ちの悪い笑みを浮かべた。

 それしか出来ない自分に、初めて嫌気がさした。

「やぁ、ミコト君。調子はどうだい?」

 憂鬱としたカナメの心の靄を振り払う様に、病室のドアが開いて低い男の声が室内に響いた。

 カナメは、何故かどきりとして肩を跳ねあげて、慌てて後ろに振り返る。

「先生。お陰さまで、最近は気分が良いんです。もしかしたら、もう私治っているんじゃありませんか?」

 ドアを開けて病室に入ってきた人物を見て、ミコトは可笑しそうに笑いながら言った。

 先生、と呼ばれた白衣の中年の男は、この診療所の院長であり、ミコトの主治医、エドガー医師だ。薄い青色のシャツの上に羽織った白衣は、汚れているわけではないが年期が入っていて、長いこと彼と共に患者を診て来た歴史が覗える。白髪交じりで灰色になった髪は丁寧に整えられていて、優しげな笑顔を浮かべる男はゆっくりとミコトのベッドに歩み寄った。

「焦っちゃいかんよ。治りかけが一番肝心だからね。ああ、カナメ君、今日も来てくれていたのか。ありがとう」

 ニコリと微笑まれ、カナメは慌てたように椅子から立ち上がると、すぐさまお辞儀をして男に挨拶をした。

「あ、いえ。エドガー先生、お邪魔してます。あ、えっと、診察の時間ですか?」

 慌てて立ち上がったカナメは、エドガーの様子を覗う様に頭を掻きながらヘラリと笑みを浮かべて問いかける。それにエドガーは、クスリと可笑しそうに笑うと首を横に振った。

「いや、手紙を届けに来たんだ。さっき夕刊と一緒に届いてね」

「手紙…。兄さんからですね!」

 パァ、と光が燈った様に嬉しそうな笑みを浮かべるミコトに、エドガーはにこやかに頷いて白い封筒を彼女に渡した。

 ミコトはそれを受け取ると、早速封を開けて中身を確認する。よほど楽しみにしていたのだろう、ミコトの眼は、爛々と光に輝いていた。

 しかし、手紙の文面を追ううちに、その表情に影が現れ始める。

「……今回も、手紙だけ、ですね。相変わらず、元気でやっている様でなによりです。ふふ、兄さん、転んで高いギターをダメにしてしまったんですって」

 少女の唇から、笑い声が漏れた。しかしその笑みはどこか乾いており、寂しげに病室の空気に溶ける。

「はは、彼らしい。テープが同梱されていなくても心配ないさ。君の治療代は、毎月彼から送られてくる。それは、元気でやっている証じゃないかね」

「……そう、ですね。そうですよね」

 不安げな面持ちのミコトに気付いたエドガーが、彼女を宥めるような優しげな声で言った。それにミコトは頷くも、やはりその表情は優れない。

「きっと大丈夫。そう、私が信じないといけません。あんな兄さんだもの、私くらい信じて待ってあげないと、可哀想ですから」

 クスクス、とミコトが冗談交じりに言って笑顔を見せてみせる。

 いつもの笑顔だ。病室の色気の無い白さなど、一瞬で彩ってしまうほど眩しい笑顔。カナメの大好きな、力強くて嬉しそうな笑顔だ。

 しかし、カナメにはもう、その笑顔を見て今までの様に、腹の底からこみあげる様な感情を感じる事ができなかった。代わりに感じるのは、喉を掻き毟って暴れたくなってしまう様なもどかしさ。

 何とか、どうにかしたい。笑顔の裏で、寂しさをひた隠しする彼女を、どうにか本当に笑わせてあげたい。彼女の笑顔が見たいのだ。それだけだ。

 そう思ったカナメは、無意識のうちに、微笑みを浮かべるミコトの手を、両手でぐっと握っていた。

「……? カナメ、さん?」

 突如、手を強く掴まれて、ミコトは驚いた様に目を丸くする。カナメの隣にに立っていたエドガー医師も、突然のカナメの行動に虚を突かれた様な顔をした。

 そんな周りの反応など気にもかけず、カナメは真っ直ぐにミコトの黒色の瞳を見つめて、彼女の手を握る力を強めた。

「僕が、ミコトさんのお兄さんを探してくる。絶対に見つけて、絶対に帰ってくる。そして、ミコトさんを本当に笑わせてあげる」

「えっ…?」

 真剣な目をして言うカナメの言葉に、ミコトはキョトンとして驚いた声をあげた。

 しかし次の瞬間には、カナメの手はミコトからするりと離れ、同時にミコトの目の前にいたカナメは素早くマントを翻して、振り向きざまにニッコリと微笑むと、素早く病室のドアへと向かった。

「あっ…、カナメさん! 待ってください!」

 カナメを追いかけようと身を乗り出したミコトを、エドガーが支えた。ミコトの静止の声も虚しく、カナメはドアを開けて飛び出した。

「……!」

 カナメが出て行った瞬間、丁度お見舞いに来たツキシマと入れ違いになった。何やらただならぬ様子の病室内と、ツキシマに気付きもせずに病室を飛び出して行ったカナメの姿に、ツキシマは怪訝そうに首を傾げる。

「ツ、ツキシマさん! カ、カナメさんを止めてください! カナメさん、私の兄を探しに行くって…。メトロの何処にいるかもわからないのに…、私のせいでカナメさんが危険な目に遭ってしまいます!」

 ミコトは、心配そうな顔で必死にツキシマに訴えた。

 ツキシマ的には、メトロの危険などカナメにとってはあってない様なものだろうし、探して万一見つかったならば良いんじゃないか、と気楽に考えられたが、必死の様子のミコトを見てそう落ち着いた事も言ってられない気がした。

 ツキシマは、ベッドから飛び降りようと息を巻くミコトに、ぐっと親指を立ててみせると、足早にカナメの後を追う事にした。



 *


 しかし、冷静に考えて、カナメは顔も知らないミコトの兄をどうやって探すつもりなのだろうと、ツキシマは診療所を出て、カナメの背中が消えていった方角に向かって走りながら考えた。

 何を思ってそんな思考に至ったのかは知らないが、ミコトの言う通り、カナメを止めた方がいいだろう。病弱な少女は、ようやく出来た同年代の友人までもが、遠くに行ってしまうのが怖くて仕方ないようであった。

 ツキシマは、住宅街を抜け薄暗い路地を探しまわる。走り出したカナメに自分が追いつけるとは思わなかったが、そこは運だ。追いつくつもりで探し回るしかない。

 と、そこへ。ツキシマの勘が良かったか、はたまた天の導きか。薄暗い路地の奥から、苛立ったような少年の声が聞こえて来た。

「だから、退けと言っているんだ。いつもならお前らみたいな悪党は一人残らず息の根を止めている所だけど、今は時間が惜しいんだ。見逃してやるからさっさとそこを退いてくれ」

「そう言われて退く奴がいると思ってんのか? クソガキが! こっちもこっちなりの理由があんだよ」

 ツキシマが声のする方に走ると、色褪せた赤マントをはおった少年が、刃物や銃器をチラつかせるガタイの良い男たちに囲まれているのが見えて来た。

 カナメが屠ってきたギャングたちの仲間だろうか。ともかく、彼らに絡まれたおかげでツキシマは追いつくことができた様だ。

「時間が無いって、言っているじゃないか」

「あ?」

 ギロリと、ヘルメットの影に隠れたカナメの瞳が、怒りをたずさえて鋭く光った。

 その瞬間、カナメの前方にいた男の顔が歪んだ。いや、そうではない。カナメの拳が、真横から男の顔にめり込んだのだ。メキョ、と皮膚が歪み、眼球が飛び出さんばかりに目が大きく見開かれる。男の身体は、カナメから受けた衝撃により路地を造る灰色のビルの壁に叩きつけられた。

「野郎ォ!」

 男たちが、一斉にカナメに向かって武器を構える。

 しかしカナメはその一息早く、壁に叩きつけた男の身体をつたって壁に足を掛けた。重力をまるで無視して壁を駆けあがったカナメは、ゴロツキ達の照準を撹乱すると、くるりと宙返って足をのばし、アホの様に空を見上げている男の顔面に向かって踵を振り下ろした。

「ぐえっ」

「う、撃て! ガキの動きを止めろ!」

 蛙の様な鳴き声を上げて、カナメの踵を食らった男は鼻をあり得ない方向に曲げて沈んだ。

 見た事も無い様なカナメの軽やかな動きに恐怖したゴロツキ達は、慌てて銃を構えて一斉に引き金を引いた。

 しかし、相手が銃を持っていた時点で撃ってくることは大体予想済みである。カナメは、照準が自分に向かうのを気配で感じ取ると、瞬時に高く飛び上がり、交差する銃弾を回避する。

 ゴロツキ達から放たれた銃弾は、ある物は仲間の腹部に突き刺さり、ある物は仲間の腕や足を掠り、そしてある物は、その輪の後ろで見学していたツキシマの右目を貫通した。

「ぎゃあああ!」

「ぐ、ぐぅ…」

 あっけないほど簡単に撃沈したゴロツキの間に降り立って、カナメは痛みに呻く男たちを冷めた目で見下ろした。ゾッとする様な冷たい黄土色の目に射抜かれて、男たちは悲鳴を上げる。

「……見逃すと言ったけど…、やっぱり止めだ。今お前らを見逃したら、また今度何処かで悪事を働くんだろうからね。お前らは、人を悲しませる天才だからな。やっぱりここで殺した方が良いみたいだ」

 そう言ってカナメは、無邪気とも狂的とも取れる笑みを顔に浮かべ、ボキリと拳を鳴らして半歩前に踏み出した。履き古した便所サンダルが乾いた土を強く踏む。

 その音を聞いて、地面に転がった息のあるゴロツキ達は縮こまった。

「ヒッ、ヒィッ!」

「……!」

 両手にグローブをはめて、恐怖に竦んで動けないゴロツキ達を焼き殺してやろうとしたカナメの視界に、バタバタと慌ただしい人影が飛び込んできた。

 反射的にカナメが顔を上げると、何故かマスクのカラーガラスが割れて、右目から真っ赤な血をドクドクと流しているツキシマが、片目を手で押さえながら走り寄って来たのである。

「ツキシマ? なんでこんなところに…、っていうかその目はどうしたんだ!? 大丈夫か!?」

 驚いて目を丸くして、心配そうに問いかけるカナメに、ツキシマはひとまず首を縦に振って意思を示す。

 どう見ても大丈夫ではないだろうが、ツキシマは、溢れ出る血を押さえながら無言のまま診療所がある方角を指差した。

「戻れって? 嫌だよ。ミコトさんのお兄さんを探すんだ。ミコトさんに笑ってもらうために、僕は……」

「……!」

 カナメが不貞腐れた様に顔を背けて言いかけると、ツキシマはズィっと前のめりになって、勢い良くカナメの顔を指差した。

「え? 何だい? ツキシマ?」

「……」

 首を傾げるカナメの顔を、ツキシマは今度は両手でベタベタと触る。ツキシマの行動の意図がわからず、怪訝そうに顔をしかめるカナメだったが、すぐに何かに気がついた様に目を丸くした。

「あ。顔か! そうか。僕はお兄さんの顔を知らなかった!」

「!!」

 ツキシマの言いたい事を言い当てたカナメに、ツキシマは何度も頷いて肯定の意を表した。

 右目を撃ち抜かれた甲斐があったというものだ。それだけに、達成感が凄まじい。

「そっか…。はぁ、カッコ悪いなぁ。せっかく飛び出して来たのに、これじゃ僕の早とちりだよ。ミコトさんに写真でも見せて貰わなきゃ探すに探せない」

「……」

 恐らくミコトは、カナメに探しに行って欲しくないと思うが、とツキシマは心の中で呟く。強い様で寂しがり屋の少女は、たった一人の友人にも、連絡のつかない遠くへは行って欲しくないはずだ。

 そういう所で鈍いのだから、この少年はどうしようもない。

「……い、急いで連絡を…」

「……!」

 ぼんやりと考えていたツキシマの耳に、ボソリとした野太い声が聞こえて来た。

 先程、カナメに成敗されたゴロツキだ。カナメの気が逸れている間に、意識のある仲間内で集まって逃げる算段を立てていたようである。ツキシマの視線に気がついて、男たちはサッと青ざめた。

「待てぇ! 逃がすと思うのか!? お前らは今ここで……」

「ま、待て待て待て! アンタら、あの診療所の関係者だろ? へ、へへ…、面白いハナシ聞かせてやるから、どうか命だけは見逃してもらえねぇか?」

 ゴロツキの一人が、両手でごますりながら冷や汗を浮かべて問いかけて来た。

 診療所、と聞いて、カナメの眉がピクリと動く。ミコトが入院しているエドガーの診療所の事だろう。カナメが気にならないわけが無かった。

「……話は聞こう。見逃すかどうかは、その後だ」

「へ、へへへ…。利口なガキだぜ、アンタ」

 下品な笑いを浮かべる男たちは、安心したように息をついてじりじりとカナメから離れた。

「まずはな、俺らにアンタを殺せって頼んできたのは、あの診療所の院長なのさ」

 脂汗が滲んだ男のクチから放たれた一言に、カナメは驚いた様に目を丸くした。

「な…んだって…?」

 冷やかな瞳に動揺の色を浮かべたカナメを見て、男は意地汚く満足げに笑んで続けた。

「俺らぁ、見ての通りゴロツキ共の集まりよ。商店から維持費を巻き上げ…もとい、徴収するのが生業でね。あの診療所も、俺達の客ってわけだ」

 ツキシマは、昼間『Arms』でカグラが読んでいた記事を思い出す。

 貧乏人からのカツアゲが、ギャングの中で流行っていると言っていた。頼る場所も無く、規模も小さい街の商店や、エドガーの診療所の様に、住宅街にポツンと佇む収入の少ない施設を標的として、法外な維持費を要求するのが彼らのやり方なのだろう。

 乾ききった雑巾から、水滴を絞り落そうとする様な話である。

「クズだな」

「なんとでも言いやがれ。そういう世界なんだよこっちは」

 吐き捨てる様に言うカナメに、男は鼻を鳴らして不愉快そうに答える。男は悪態をついて続けた。

「ともかく、あの診療所は見ての通り立地が悪い。そう上手く儲からねぇから、維持費を俺らに滞納してるのさ。そこで何日か前、診療所の院長が俺たちに頼みごとをしに来た。隙を見て、診療所に通ってるガキを始末して欲しいとよ。それがテメェの事なわけだ」

「……けど、何故先生は僕を殺すよう、アンタ達に頼んだんだ? もしかして僕は、気付かないうちに先生の恨みでも買っていたのかな…」

 カナメは腕を組んで難しい顔をして言った。カナメは、エドガー医師から敵意を感じ取った事が無い。いつもにこやかに微笑んでいる彼は、カナメと出遭う前のミコトの一番の話相手だったそうだ。心優しいあの先生が、ギャングと繋がりがあるとは思えなかった。

 しかし世の中には、悪意を隠して人当たりの良い笑顔を振りまく人間がごまんといる。エドガーも、そんな人間の一人なのだろうかとカナメは思い、不安に唇を噛みしめた。

「恨みなんて腹黒い話じゃねぇさ。ただ、テメェがいると俺らに金が払えなくなるかもしれない、って話だぜ。そうなっちゃこっちも困るってんで、大人数でテメェを襲ったんだ。まぁ、へへ、結果は見ての通りだが…」

 男は、焦りと動揺を隠しきれないカナメの様子を覗う様に、諂いながらニヤケ面を浮かべて言う。

 自分がいる事で、金が入らなくなるかもしれない状況とは、一体どういうことだろう。カナメは考えるも、中々それらしい解答に思い至らない。

「僕は、ミコトさんのお兄さんを探しに出ただけだ。それと関係が…」

「ミコトってのは、あの入院してる嬢ちゃんの事かい?」

 ゴロツキが、下品な笑みを浮かべてミコトの名前をクチにするので、カナメは鋭い眼光で男を睨みつけた。それに男は竦み上がる。

「は、はは、そりゃ院長さんも困るだろうよ。なんせ、あの嬢ちゃんの兄ちゃんから送られてくる金が、俺らのとこに回ってたんだからな」

 くけけ、と虫の様な笑い声を上げて言う男の言葉に、カナメは頭の中で鐘が鳴らされた様な衝撃を受けた。

 眉を額に寄せ、険しい表情をしながらカナメは男を見下ろす。

「……は?」

「だから、あの嬢ちゃんの兄貴から送られてくる金が、唯一のあの病院の収入なんだっつーの。それが切れたら、院長は俺らに払う金が無くなるんだよ」

 男の言葉が、理解するのを拒むかの様にカナメの頭の中を反芻する。

 そんなわけがない。ミコトの兄から送られてくる金は、ミコトの病を治療する物だ。その為だけの物だ。その為だけに、ミコトの兄は妹に会うことなく、遠くの地で汗を流し、ミコトは孤独を耐えしのんでいるのだ。

全ては、あの兄妹が幸福になれる未来の為に、彼らが得たものなのだ。

 間違っても、こいつらの様な下賤な人間たちが手にして良いものではない。

「ああ、でも金が無くなるってこたねぇか。噂によるとあの嬢ちゃん、院長先生にゃでかい恩があるらしい。治ったら、先生の借金返す為ってんで、俺らにカラダ売るって事もしてくれそうだしな」

「へ、へへ…。そうだな。従順そうな箱入り娘っぽいしなぁ…。ミコトちゃんって言ったっけ? ひひ、汚し甲斐があ……」

 心に余裕が出来てか、下品な笑みを浮かべながら卑下た事を言いだした瞬間、ざわりとカナメの全身が嫌悪によって総毛立った。そして次の瞬間、そのゴロツキの両眼にカナメの指が突き刺さる。

「ぎゃあああああ! 目が!目がああああ!」

 そして一瞬としない間に、カナメは痛みにのた打ち回る男のクチに手を突っ込み、上顎と下顎を掴むと、両手同時に真逆の方向に向けて力を入れた。

ゴキン、と男の顎が外れる音がして、ぶちぶち、と皮の裂ける音を響かせながら、男は両の口端から鮮血を吹きあげた。

「げひっ!」

 そして一瞬の間の後、ブツンと肉が千切れる様な音がして男は動かなくなると、男の上顎より上部が、下顎から引きちぎられてカナメの手からごろりと落ちた。

 ずるりと、頭蓋骨に引きずられて身体の外に引っ張り出された男の背骨が、ねちょりとした粘膜と鮮血で乾いた砂の大地を濡らした。

「その汚いクチで、二度とミコトさんの名前を呼ぶな」

「!!」

 空気すら凍ってしまう様な悪寒が、ツキシマを含めその場にいた者の身体を駆け廻った。悲鳴すら喉の奥に消えてしまうほどの圧力だった。真っ赤な返り血を浴びたカナメの眼は、今やいつもの爛々と輝く無邪気な光は無く、鷹の様に鋭い眼光でゴロツキ達を睨みつけている。

 じり、とカナメの足が砂を踏んだ。それが合図となって、悲鳴上げることも出来ずに、捕食者に捕えられた小動物の様に硬直していたゴロツキ達は、突然火が付いた様に大声で喚きながら動き出した。

「う、うわあああああ!!」

「た、た、助けてくれぇ!!」

 バタバタと、転がる様にしてゴロツキ達は我先にと逃げ出した。情けないばかりの男たちの悲鳴は、日が落ち始めた夕闇のメトロに高く響いた。

 鮮血の滴る拳を握りしめていたカナメは、男たちが逃げると、横にいたツキシマには目もくれずに、くるりと方向転換をして走り出した。

 路地を抜け、先程出て来た診療所に向かってひた走る。じわりと浮かんだ汗が頬を伝い、自分が酷く焦っているのだとカナメは良くわかった。

 本当の事を、確かめなければならないと思った。そして、何よりもまず、彼女の安否が気になったのである。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ