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Crazys!  作者: ノンアルコール
C,6 White lie.
41/65


 ***



「あー……、かわいい」

 カナメが、ミコトに救われて数日後の喫茶店『Armsアームズ』。

 今日も客足の少ない喫茶店の経営は、果たしてアルバイトを雇っているほど余裕のある物だとは思えないが、今日も喫茶店は数人の面倒くさい常連を抱えて、通常営業を頑張っている。

 いつも空く事の無い店の奥の窓際の席では、まるで骨を与えられて御満悦極まった犬の様に、ふやけた顔をしたカナメがテーブルの上に頭を置いてうわ言の様に呟いた。

「ニヤニヤしてんじゃないわよ。気持ち悪いわね。こっちはロクな賞金首が捕まんなくて苛立ってるって言うのに」

 にやけきった顔で周囲に目には見えない幸せの花を撒き散らしているカナメに、悶々と苛立っていた様子のカグラが新聞を広げながら毒ついた。

 自分の機嫌が悪い時に、他人の幸福を見ることは実に気分が悪い。タイミングが悪い、と言うやつだが、そんなことをカナメが気にするはずもない。

「ふふふふふ…。昨日もさ、ミコトさんのお見舞いに行ったらさ『カナメさん! 今日もいらしてくださったんですか!? 今日はどんなお話をしてくださるんですか?』だってさ。嬉しそうに言うんだ。あんなかわいい人見たことない」

「チッ…。惚気話なら余所でやりなさいよ。このハードボイルド極まった喫茶店で酸っぱい話しないで」

「それでそれで『調子が良い日にはカナメさんと街を歩いてみたいです』だって。う……ふふふふふ、ミコトさんとどこ行こうかなぁ。どういうとこが好きなのかなぁ。それまでにサースメトロのギャングとクリーチャー共を根絶やしにしないとなぁ」

「……聞いてないしコイツ…」

 数日前まで、若いっていいわね、などと年上らしい余裕を見せていたかと思えば、今ではカナメの色恋ネタは、カグラにとってうっとおしい以外の何物でもないらしい。心が狭いというか、余裕の無い奴だなぁ、と、カグラの隣でコルトに鶏肉の骨をやっていたツキシマは心の中で呟いた。

「くふふふふ。だって黙っていられないよ! ミコトさんが笑うと僕は百キロ走れる。ミコトさんにありがとうって言ってもらえると千キロ走れる。だから今日も彼女の元に花を持って行くんだ!」

 カナメはそう言って、勢いよく立ちあがると弾む様に地面を蹴りながら席を立った。

 それと同時に、カウンターの奥から品入れの作業を終えたパティと、その手伝いをしていたタツミが顔を出す。

「あ、パティ! 今日も外のプランターを一個貰うよ。心配しないでくれ! あとで代わりの物を買ってくるから!」

「え! またですかぁ? せっかく並べたのにぃ! カナメさんは自分で花屋で買えばいいじゃないですか!」

「花の善し悪しなんてわからないからね! 女の子が選んでくれた物のほうが良いに決まってる!」

「うぅ…、そう言われちゃ止められませんけど…」

 それは、店頭に置く花はそんなに良い物でなくてもいい、と言うことだろうか。パティが突っ込みそこなった分、ツキシマがぽつりと心の中で呟く。

 すると、踊る様な足取りで喫茶店の出口に向かったカナメを見て、カウンターから小さなタツミが飛び出して来た。慌てた様に彼の傍に寄ったタツミは、バタバタと手をばたつかせてカナメを見上げる。

「カナメちゃんカナメちゃん! 今日はタツミとロボメンテするよね! 新しいジェットエンジン積んだから、乗り心地を試しに……」

「ごめんタツミ! それはまた今度にしよう! 夕方からミコトさんの診察が始まるから、その前にお見舞いに行かないと!」

「あっ……」

 早口でカナメを引きとめようとするタツミにくるりと背なかを向けると、カナメは颯爽と店の扉を開けて出て行ってしまった。

 カナメのマントを掴みはぐったタツミの手が虚しく宙を掴むと同時に、カナメと入れ替わりでヨツヤが店のドアをくぐった。

「あ? アイツまた外のプランター持ってったぞ。誰かアイツに花屋の住所を教えてやれ」

「えぇ~…、ヨツヤさんお願いしますよぉ」

 くぃっと、親指で背後の店の入り口を指差して言うヨツヤに、カウンターの中のパティは呆れた様な溜息をついて答えた。しかし、パティとしては毎日楽しそうなカナメを見るのが苦ではないのか、どこか満更でもなさそうである。

 対してヨツヤは、人のプライベートに興味がまるで無いらしく、どうでもよさそうに眠そうな半眼で店のドアを一瞥すると、午後の緩やかな時の流れに一欠伸して店の奥に進んだ。

「ってうわっ。あぶねぇな。店の真ん中に突っ立ってんじゃねぇよ」

「……」

 ヨツヤの腰より身長の低いタツミの姿は、ヨツヤの目に留まり辛い。ヨツヤが視線を落として見ると、先程カナメに振りきられたタツミが、店の真ん中で頬を膨らませ、不機嫌極まりない顔をしていた。

「むー…、しらん! タツミはしらん!」

 キーキーと猿が喚く様にばたつくと、タツミは店の隅に寄せられた子供用椅子を両手で抱え、えっちらおっちらと窓際の席に運び、眉間にシワを寄せてめいっぱい頬を膨らませ、不満そうに両腕を組みながらその椅子の上に腰かけた。

 遅れて、ヨツヤが窓際の席に座る。

「うわぁ、ブッサイクな顔」

「うっさい! ヨツヤにはカンケーないでしょ!」

 下唇を噛んで、椅子の上に踏ん反り返っているタツミは、ヘラヘラと笑うヨツヤにからかわれて更に癇癪を起した。とは言っても、じたばたと手足をばたつかせるだけタツミの癇癪は、暇を持て余す大人たちにとっては日常の中の愉快なスパイスでしかない。

 新聞を読んでいたカグラは、風船の様に膨らんでいるタツミの頬をじっと見つめると、なんとなく、吸い込まれる様にしてその片頬を人差し指で突いてみた。

「プスッ…」

「ふっ……」

 空気の抜ける音がタツミのクチからして、カグラが思わず噴き出す。

 不機嫌極まった様子の割に、思っていた以上に間の抜けた音がタツミからしたのを聞いて、思わずヨツヤも、タツミの膨らんだもう片方の頬を指で突いてみた。

「プフッ…」

「くっ……」

 再び、空気の抜ける間抜けた音と、ヨツヤの噴き出した笑い声が上がる。それを合図に、堪らずタツミが拳を握った両手をあげた。

「もー! なんなの! なんなの! くだらないことしてたのしいの!? オトナでしょ!」

「ふっ…ふふふふふ…! くだらなっ! アホ過ぎて可笑しい…っ!」

「くくくく…っ! 何やってんだお前っ…くくっ…馬鹿じゃねぇの…」

「きぃー! タツミのことバカにしてるでしょ! 全然おもしろくないよ! フユカイだよ!」

「……」

 腹を抱えて笑い転げるカグラとヨツヤに、更に怒りを露わにして顔を赤くしながら声をあげるタツミを見ながら、ツキシマは、くだらな過ぎてどうしようもない遊びをする大人達に呆れた溜息をついた。

 暇が極限まで達すると、人はわけのわからない行動に出るようだ。

「あはは、ごめんごめん。馬鹿にはしてないわよ。まぁ構ってもらえなくて退屈なのはわかるけど、今はちょっとはしゃいでるだけよ。すぐ落ち着くって」

 一息ついたカグラが、目尻に浮かんだ笑い涙を拭いながら言った。しかし、からかわれた手前カグラの言う事を素直に信用できないのか、タツミはテーブルの上に顎を乗せて半眼でカグラを睨んだ。

「でもでもでも、毎日毎日病院病院病院ビョーイン! タツミは今日もひとりで機械いじり…。つまんない!」

「だったらお前もそのお見舞いってヤツに着いてけばいいだろ。いっつも無意味に着いてってるんだし」

「う……それは…」

 ヨツヤの提案に、タツミは言い淀む。

 クチをへの字に曲げながら、狼狽したように視線を彷徨わせるタツミの反応に、ツキシマは心当たりがあった。

 以前、ツキシマがタツミと出遭った時の事。タツミの故郷では、幼児誘拐事件が流行っており、その犯人はタツミのいた孤児院が懇意にしていた小児科医であった事がある。当時、タツミは犯人が見知った人物であった事など気にもかけていない様子であったが、どうやらそれは違ったようだ。

 タツミは、メトロの医師達に対してあまり良い印象を持っていないのだ。それは、その誘拐事件に遭遇したツキシマとて同じである。全ての医者が、そのような腐った人間だとは思わないが、あんな事があってからでは偏見くらい持つのが普通である。

「……」

 胸の内にある、確かな不信感を言葉にできずに、困った様に眉を寄せて唸りながら、苛立ちを表すかのようにガリガリとテーブルの縁に齧りつくタツミを横目で見ながら、ツキシマはふと、以前の誘拐事件の顛末を思い出すと無言のままに席を立った。

「あらめずらし。出掛けるの?」

 立ち上がったツキシマを見上げて、カグラが驚いた様に目を丸くして問いかける。

 大体ツキシマは、カグラ達が喫茶店に入るよりも前に店内に居座っている。誰がどこに行こうと、何処で暮らそうと気にしない詮索しないのが暗黙の了解となっているが、まるで石像の様に喫茶店に入り浸っているツキシマがいきなり動いたので、さすがのカグラも問いかけざるをえなかったのだ。

 立ち上がったツキシマはカグラの声を聞くと、コクリと頷きながらヒラヒラと手を振った。そしてそのまま、テーブルに齧りついているタツミの頭にその手を乗せる。

「んう?」

「……」

 頭を急に撫でられて、タツミは目を大きく見開いてツキシマを見上げた。沈黙したままの防毒マスクは何も語らないが、ツキシマの冷たい掌が頭に乗ると、どことなく安心する様な気がした。言葉には表せない、妙な安心感がある気がしたのだ。

 僅かの間の後、ツキシマの手がタツミを離れると、ツキシマは硬いアーミーブーツで喫茶店の床を軋ませながら店の入口へと向かって行った。



 *


 カナメが、やたら興奮気味に説明していた道順が、確かに合っているのならば、この道で間違いはないはずなのだが、とツキシマは腐った木目のつり橋を渡っている様な不安定な気分で住宅街の続く路地を歩いていた。

 メトロの路地は入り組んでいる。この路線の傍とか、駅の傍だとか、そんな気の利いた物を目印としてカナメが道を説明してくれるのならばわかりやすいのだが、あの少年にそんな効率を求めてはいけない。

 しかし、かと言ってツキシマも、目印が全くないまま、当てもなく路地を彷徨っているわけはなく、ちゃんと行く方向と目的地はきちんと把握しているのだ。

 いざ、病院へお見舞いに行くと言えど、カナメが場所や空気を読んで大人しくしていられるとは考えにくい。おおまかな場所さえつかめれば、あとは騒がしそうな場所に向かって歩けばいいのである。幸い、場所は閑静な住宅街だ。ツキシマの読み通り住宅街を彷徨っていると、聞きなれた少年の声が響いて来た。

「それがすごいのさ! 警察署の地下施設で研究されてたのは、クリーチャーだったんだ。人型なのに目がびっしりあって、動きも驚くほど速いんだ。署長は、そいつを使ってメトロを支配しようとしてたんだ!」

「まぁ、それは怖いです。この世の物とは思えないお話ですね」

 溌剌とした少年の声の後に、驚いた様な、恐怖に震える様な少女の声が聞こえて来た。

 ツキシマは、その声を辿ってさらに住宅街を進んでみる。すると、色褪せたコンクリートの住宅に並んで、白い建物が見えて来た。窓は閉まっており、声はその建物の中から聞こえてくる。カナメは病院と言っていたが、この規模だと診療所と呼ぶのが相応しい。患者が入院できるようなベッドだって、二床くらいしかないだろう。

 ともあれ、ツキシマはガラスの嵌めこまれた軽い木製の扉を開いて、中に入ってみることにした。

「はーい、こんにちは。診察ですか?」

 入ってすぐの、受付に座っていた、白い清潔感のある看護服を着た看護師が、ツキシマを見るとにっこりと優しげな笑みを浮かべて問いかけた。

 一見したところ、普通の診療所の様である。規模も小さいし、待合室には患者の姿はない。患者はいないようだが、室内は清潔で、汚れている様子もなく、何処にでもある小さな街医者と言う感じで、以前出くわした変態医師の陰鬱とした病院とは違う雰囲気である。唯一、普通と違うと言えば、病室の奥から元気な少年の声が響いてくることくらいだろうか。

「……」

「あら? それじゃぁお見舞いかしら?」

 看護師の質問に首を横に振って答えると、気の利く看護師は思いついた様に言って問いかけた。

 その問いに、ツキシマは何度か首を縦に振って頷くと、少年の声のする方向を指差して見せる。

「ミコトちゃんのお見舞い…? ああ、もしかしてカナメ君のお友達かしら?」

 重ねられた質問に、ツキシマは再度頷いて答えた。すると、看護師は納得したように頷いてツキシマを見上げる。

「ああ、やっぱりね。丁度、あの子も今来てくれたところなんですよ。病室、そこの通路入って右手のドアです。どうぞ、話相手が増えたら、あの子もきっと喜ぶわ」

 果たして、その期待にツキシマが応えられるかは絶望的であるが、ツキシマは看護師に一礼すると通路に向かって歩き出した。

 通路はそう長くない。待合室から入ってすぐ、目的のドアまでたどり着いた。ドアの前に立つと、ツキシマは控えめにドアを数回ノックする。するとすぐに、中から少女の声で、どうぞ、と返事が届いた。

「あ! ツキシマ? ツキシマじゃないか! どうしてここに?」

 病室のドアを開けて中を覗きこんでみると、早速カナメの驚いた様な声が響いた。

 白いカーテンの掛かった窓辺には、パイプのベッドが置かれていて、その上にキョトンとした顔をした黒髪の少女が座っている。この少女が、カナメが言っている『ミコト』だろう。華奢な黒髪の少女、カナメが話していた特徴と一致する。

 ツキシマは、病室内に入り、ベッドの傍に立ってペコリとミコトに挨拶をした。つられてミコトも頭を下げる。

「ミコトさん、彼はツキシマ。僕の友達と言うか師匠と言うか、仲間だよ!」

 師匠はないと思うが、そういえば前に、不死身を教えろとわけのわからない事をカナメが言っていた気がする。思い出して、少し疲れた様にツキシマは肩を落とした。

「ああ、貴方がツキシマさんですね。お話は聞いています。不死身なんですよね? すごいです」

 変なことを話されていないと良いが、とツキシマは心の中で危惧して、ミコトを見た。

 年の割に、大人びた少女である。柔らかな笑みは、何処か達観しているようにも見え、落ち着いた物腰はカナメと同年代とは到底思えない。カナメと違い、利発そうな少女だ。それを確認して、ツキシマは安心したように息をつくと懐から一冊の本を取り出してミコトに差し出した。

「あら。お見舞いの品ですか? ありがとうございます。退屈しのぎにはもってこいですね」

 ミコトは病院で退屈している、とカナメが日頃言っていたのを思い出し、ツキシマが選んだ見舞いの品だった。古書だが、喜んで受け取ってくれた様で良かったとツキシマは安堵する。

「ツ、ツキシマっ! 本とか、なんて気の利いた物を選ぶんだ君は…! うぐぅ…、でも僕は負けないからな! 今度は店にあった大きいプランターを貰ってこよう!」

 わけのわからない事を喚きながら、カナメは病室の窓辺に並べられた小さなプランターや花瓶を背に、ビシリとツキシマを指差した。謎の対抗心を燃やされて、ツキシマはわけもわからず首を傾げる。

「ふふ、カナメさんのお花も嬉しいんですよ。お花に囲まれて寝ていると、なんだか花畑にいる様な気になりますもの」

「えっ? 本当かい? あ、はは…、なら、明日は水やりができる様にジョウロを買ってくるよ」

 カナメが、照れたように頭を掻いて笑う。

 見たところ、ミコト自身に気になる点は見当たらないし、何日もここに通っているカナメも、特に異変がある様に思っていないらしい。受付の看護師の対応も普通だった。つまり、この診療所はよくある普通の診療所以外の、何物でも無いようである。ツキシマの心配は杞憂に終わった様だ。

「それに、私はカナメさんの話してくれるお話も大好きなんですよ。まるで、小説の物語の様な、嘘みたいなお話ばかりですけど。それが楽しくて仕方ないんです」

「喜んでもらえるのはありがたいけど、嘘なんかじゃないさ! どれも本当に、メトロで起きた事件の話なんだ。信じられない様な出来事が、外じゃ毎日起こっているのさ」

「まぁ。そうなんですか? そうですよね。カナメさん、嘘をつく様な人には見えませんもの」

 ミコトは、驚いた様に片手をクチ元に添えて言った。年中病室で寝起きしている彼女には、街で起こる事件などは遠くの国の出来事の様に思えるらしい。

「そうさ! 嘘はダメだ。嘘は絶対後でばれるし、嘘をついた方もつかれる方も悲しい思いをする。僕は人が悲しむのは嫌だから。だから、嘘をつくのは悪人だけだよ!」

 カナメは険しい顔をして、ぴしゃりと言い切る。カナメの極端で横暴な正義論は今に始まった事ではないが、改めて聞くと溜息が出るほど感情的な意見だ。ツキシマは呆れた様な溜息をつくが、ミコトはクスクスと可笑しそうに笑う。

「ふふ、カナメさんは、なんだか私の兄によく似ています」

 笑い声と共に零されたミコトの言葉に、カナメが驚いた様に目を丸くした。

「兄? ミコトさんには、兄弟がいるんだね。家族か…。いいなぁ」

 カナメはパイプ椅子に腰かけながら、微笑ましげに目を細めて笑った。ツキシマの知る限りでは、カナメの傍に家族や兄弟と言った存在は見当たらない。タツミ同様、孤児なのだろうか、とは思うが、メトロでは珍しくない分別段驚く事も無かった。

「はい。両親は、幼い頃別れてそれっきりなのですが、五つ上の兄がいます。でも今は、私の入院費を稼ぐためにメトロを旅しているんです」

 ニコリと、ミコトが微笑みながら話と、カナメが感心したように頷いた。

「へぇ…。良いお兄さんだね。入院費を稼ぐための旅って…武器商人とか?」

「いえ。ミュージシャン、だそうです」

「ミュージシャン?」

 これはまた、個性ある職業の名前を聞いて、カナメは驚いた様に声をあげた。

「はい。兄は昔から楽器を弾くのが得意で、それを仕事にしているんです。私が入院する前は、サースメトロで少しずつ稼いでいたんですが、私の治療費が必要になってからは色んな場所を渡り歩いています。私が早く元気になれば、兄もこの街に戻ってこられるのでしょうが…。中々上手くいかなくて…」

 そう言いながらミコトは、視線を落として悲しそうに呟いた。

 たった一人の肉親と離れて暮らすのは、幼い少女にとっては苦痛でしかないだろう。しかも、こんな閑散とした住宅街で、街にも出る事もできずに一人病室に閉じこもっているミコトは、確かにとても寂しそうだ。カナメが、彼女を放っておけない気持ちも、ツキシマにはわかる様な気がした。

「あ、じゃ、じゃぁ! そのミュージシャンのお兄さんが歌ってる曲とかあるのかな? ほら! 僕丁度ラジカセ持ってるし! ミコトさんのお兄さんの歌なら、ぜひ聞いてみたいんだ!」

 自分が振った話題のせいで、悲しげな表情をするミコトを見て、カナメは慌てて、いつも登場シーンで騒音と変わりないヒーローソングを流しているラジカセを、肩から外して膝の上に乗せた。

 差し出されたラジカセを見て、ミコトは顔をあげて嬉しそうに笑うと、両手を合わせて思い出したようにベッド横の棚の中を探った。

「それなら、前に兄さんが送ってくれたカセットテープがあります! 待ってください、今出しますね」

 先刻の憂鬱など吹き飛んだかのように、嬉しそうに棚の中を漁るミコトを見て、カナメは安堵したように小さく吐息を零した。ミコトの兄の歌は、確かに気になるのだが、それ以上に彼女が悲しげな顔をしているのが耐えられなかったようだ。

 カナメにしては、空気の読める行動だったのが、ツキシマには驚きだった。

「あ、ありました! これです」

 棚の中から、一つの古ぼけたカセットテープを引っ張り出したミコトが、嬉しそうな笑顔を浮かべてそれをカナメに差し出した。背面に、タイトルの書かれたシールが貼られており、何度も聞いたのか、それとも録音したテープが古かっただけなのか、色褪せたプラスチックのカセットテープは年期が入っている。

「よし、じゃあ早速かけてみ……」

「……」

 テープを受け取ったカナメが、嬉々としてそれをラジカセの中に入れるのを見て、空かさずツキシマがラジカセの音量調節ツマミをひねった。

 いつも通り、馬鹿でかい音で鳴らされたらたまらない。一瞬驚いた様に目を丸くしたカナメだったが、すぐにツキシマの意図を理解して慌てて薄ら笑いを浮かべ、溜息をつくツキシマを誤魔化した。

「それじゃ、再生、っと」

 カナメが言って、ラジカセの再生ボタンを押した。ガチャン、とフックが何かに引っ掛かる様な音がラジカセから聞こえた後、数秒遅れてスピーカーからギターソロのイントロが流れ始めた。

 有り触れた歌だった。何処かで聞いたことのある様なメロディと歌詞。若者が好みそうな、明るい曲調の歌だ。しかし、テンポは軽快で、思わず口ずさんでしまいたくなるような娯楽音楽は耳に心地よく、洒落た演奏よりも、独創的な歌詞の歌よりも、音楽に詳しくない人にとっては良く馴染む曲だった。

 音楽を趣味とする人には、面白味のない平凡な曲に聞こえただろう。しかし、飾らずに、わかりやすいほど素直な曲調のその歌からは、歌う人間の生気が生々と感じられた。

 きっと、この歌を歌っている人は、とても楽しいのだろう、聞いているだけでそう思えてくる。そう思うと、不思議と聞いている方も嬉しくなってくるものだ。

「兄は、音楽が好きなんです。小さい頃からずっと、私は兄の奏でる音楽だけを聞いて育ってきました」

 ラジカセから流れる音楽に耳を傾けながら、ミコトは幼い日を思い出す様な、遠い目をして語った。

「ミュージシャンなんて、夢見がちな職業、ほんとなら笑っちゃいますよね。本当に、妹の…、私の治療費を稼ごうって言うなら、もっとちゃんとした職に就けって。でも、私は夢を追いかける兄が好きです。自分の好きなことをして、それで生きようとしている兄が大好きです。だから私は、兄に音楽をやめて欲しくない。私のせいで兄が音楽をやめる様な事があれば、それは、私にとって死ぬよりも辛いと、そう思います」

 遠い目をして語るミコトは、そう結ぶと顔をあげ、ニッコリと病人とは思えないほどの明るい笑みを浮かべてカナメを見た。

「…って、そんな事を言ったら、兄さん、勢い良くサースメトロを飛び出して行ってしまいました。ふふ、しょうがない兄ですよね。行動だけはいっつも早いんです。すぐにコケて転んでしまうのに」

 そう語るミコトの顔は、寂しさ、などと言う感情は一切ないように見えて、ただひたすらに、兄について話すのが堪らなく楽しいようだった。

 ミコトは、たった一人の肉親である兄に、敬意と好意を抱いているのだ。兄の話をするミコトの表情は、いつにも増して輝いて見え、誇らしげだ。そんな風に、大切な人の話を楽しげに語れて、自分の兄弟を素直に好きだと言って、好意を表す事の出来るミコトが、カナメは好くて好くて堪らないと同時に、心の中に、巨大な越えられない壁ができたように感じた。

「そんなこと、無いよ。とても素敵なお兄さんだ。妹のミコトさんにもそんなに想われて、きっと、本当に素敵な人なんだろうね」

「…! はい。兄さんは、世界で一番素敵な人です」

 カナメの心内など気付けるはずもなく、明るい笑顔を浮かべて言った彼の言葉に、ミコトはニッコリと笑って頷いた。



 *


 日も沈みかけた頃。

 ツキシマとカナメは面会時間終了ということで診療所を追いだされ、灰色の濃いオレンジ色の夕日を背中に浴びながら、静かな住宅街を歩いていた。

 ツキシマは『Arms』を目指していたが、カナメはどこを目指しているのかわからない。街のパトロールを始めるのかもしれないし、それにツキシマが着いて行く理由も無いが、どうにも病室を出た時からカナメの足取りが重い様な気がして、気になってカナメに付き添っているのだ。

 何処となく元気が無くて、口数も少ない気がするが、理由は大体把握できる。ミコトが、あまりにも彼女の兄の事が好きすぎて、カナメの無意識の恋心と言うヤツに軽い傷が付いたのだ。無理も無い。あんなに楽しそうに話されたら、自分では手の届かない位置というのが、嫌でも見えてしまう。

 こういう、デリケートな問題に触れるのは、自分には荷が重すぎる、とツキシマは思う。かといって、喫茶店に入り浸っている彼らに相談するとしても、昼間の話し合いを見ている限りだと任せる事も出来ないし。困ったものだ、と一人腕を組んで思案していると、ツキシマより僅かに前を歩くカナメが、不意に声をあげた。

「ミコトさんはやっぱりすごいよ。たった一人の家族が遠くにいて、寂しくないはずが無いのに、それが嬉しいことだって言えるなんてさ。本当に、その人の事を考えないと出来ない事だ。人をそんな風に想えるのは、人の事を考えられる証だよ」

 カナメは、空を仰いで嬉しそうな笑顔を浮かべて言った。

 家族の事も、兄妹の事情も、それを持たないカナメには詳しい事はわからないかもしれない。それでも、嬉しそうに兄の事を語るミコトの姿は、カナメにとってとても眩しいものだったのだろう。

 守りたくなってしまうほど華奢で健気で、それでも微笑む彼女の笑顔はとても強くて、兄の事を慕って語る姿も全部魅力的で。だから、強く眩しく笑う彼女をずっと見ていてしまいたくなる。ずっと、笑っていて欲しいと思ってしまい、その笑顔の為なら何だってやる気になれるのだ。

「僕は、やっぱりミコトさんが好きだなぁ。笑ってるミコトさんも、楽しそうなミコトさんも、ちょっと苦しいけど、お兄さんについて嬉しそうに話すミコトさんも。全部好いんだ。好きなんだ。だから、彼女が『世界で一番素敵な人は兄さんだ』って言っても、彼女が嬉しそうなら、僕もとても嬉しいんだ」

 嫉妬という複雑な感情は、カナメには難しすぎる代物だったらしい。

 落ち込んだ様子も見せず、無邪気な笑顔を見せるカナメのヘルメットの上に、ツキシマは安心したように掌を被せた。

「はは、ありがとう。ツキシマに話したら、なんか心が軽くなった気がするよ。……よし! このまま適当なギャングでもぶっ殺して、メトロを平和の街にしてやろうじゃないか! ツキシマ! さぁ行こう!」

「……」

 ツキシマの意図とはまた違った意味で、俄然やる気を出して道を走り出したカナメを、ツキシマは疲れた様な溜息をついてから追う事となった。



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