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空腹は、人間が最も回避すべき体調不良の一つである。
腹が減っては戦は出来ぬ、とよく言う。これはまさにその通りで、空腹ではむさくるしいギャングを相手に拳を振りあげる事も出来ないし、足元の土煙りを巻き上げながら走り回る事も出来やしない。
何処にいても喧騒の音が鳴り止まないこのメトロでは、一瞬の隙が命取りになる。
しかし、彼にとって、その空腹は並大抵の物では無かった。ここ数日、まともな物をクチにしていない。一番最近で胃の中に入れた物と言えば、ベーカリーで廃品になった賞味期限切れの食パンの…耳だ。それも何日も前の話。
彼が、そこまで空腹なのは、ひとえに金が無いせいである。この超資本主義社会のメトロでは、金の無い人間は屋根の無いダンボール製の家の中でひっそりと飢えて死ぬしかない。
しかし彼は、死ぬわけにはいかなかった。何故ならば、彼には守るべきものがあったからだ。一体何かと問われれば、一言で答えられる。それは平和である。悪を駆逐することだけが、彼の生きる意味なのだ。
だが、そうは言って意気込んでも腹が満腹になるわけではない。
「もう……ダメだ…」
ばたりと、彼は限界を感じその場に倒れた。朦朧とした意識の中で辿り着いた場所である。そこが何処だか、今の彼には見当もつかない。というか、場所が分かったってどうする事も出来ない。腹が減って減って、仕方ないのだ。
「……あの、もし? もしもし?」
もうダメだ。ヒーロー死す、と、心の中でらしくもなくネガティブに呟きながら、覚悟を決めて目を閉じかけた時。不意に頭上から、高い声が降って来るのを聞いた。
ついにお迎えが。天使の声と言うやつは、こんなにも澄んだ声なのか、などと考えていると、声の主は次は困った様な声を落とした。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「……へ?」
地面に無様に転がった彼を気遣う様な言葉に、彼は驚いて力無く顔を上げて声の主を探した。
視線を挙げると、彼は更に驚いた。声の主は、思っていた以上に近くにいたからだ。
そして、その上、その声の主は、驚くほどに美しかったのだ。
<Cookie 6> White lie.
「ふんふふーんふーん、ふふーん」
陽気な鼻歌が響くのは、曇天から差し込む日光が生温かい午後の喫茶店『Arms』。
昼食も終えて、一息ついた静かな喫茶店内は閑散としていて、店のウェイトレス、パティの奏でる弾んだ鼻歌がのんびりと響いていた。
長い金髪を頭の高い位置で二つに結って、黒と白の制服を着た少女、パティは、ニコニコと楽しげな笑みを浮かべながら、喫茶店内のテーブルの上に装飾を施している。
安物の、一輪挿しの花瓶をテーブルの真ん中に置き、水を差して花を生ける。名前もわからない様な、薄い桃色の花だった。テーブルクロスも無い様な質素な木製のテーブルの上では、その名の無い地味な花も際立って見えて、何処か粋である。
テーブルの様々な角度から、その花瓶を見つめて最も良く見える様に位置を調節すると、パティは腰に手を当てて満足そうに息を着いた。
「……何やってんだぁ? あいつは」
柔らかな日差しの差し込む、喫茶店の窓際の席。完全に『詰み』の状態になったチェス盤を睨みつけながら、ベージュのマントの下で腕を組んでいたヨツヤは、今はまるで殺気という物の感じられない緩みきった赤眼を怪訝そうに細めてパティを見た。
ヨツヤのダルそうな声を聞いたパティは、ごきげんな笑みを浮かべると、踊る様に床を蹴りながら花の活けられた花瓶を持って窓際の席に歩み寄る。
「ふふふー。装飾ですよ、ソーショク! この喫茶店、まるで花が無いですからねぇ。アットホームな雰囲気を醸し出すための涙ぐましい努力ですよぉ」
そう言ってパティは、テーブルに頭を乗せて眠りこけているタツミの横から手を伸ばし、ヨツヤの座る席にも花瓶を置いた。
日の光を反射して、キラリと眩く光る花瓶に気付いて、ヨツヤの対面に座っていたツキシマも読んでいた本から視線を上げる。
「ほらほら! かわいーでしょう? 素朴な飾りつけでも、なんの変哲も無いテーブルの上じゃこんなにも映えるのです!」
「あー…、まぁ、確かにいいんじゃねぇの。花を飾るってのは悪くない」
「えっ…、ヨツヤさんが花を語るとか、なんか気持ち悪いですね」
「そのクチ切り刻むぞ」
ヨツヤが凄んでも、能天気なパティはヘラヘラと笑いながら気にした様子はない。
「入口にも植木鉢置いちゃいましたよぉ。小さいのが何個かですけど、良い感じですよ。店内ももっと、お洒落な感じにしたら若い人も来てくれると思うんですけどねぇ」
質素な店内を見渡しながら、パティは物憂げに溜息を着いた。
ヨツヤは『Arms』と掘られたいかつい看板の下に、可愛らしい色とりどりの花が飾られているのを想像する。なんというか、アンバランスだった。無骨なんだか少女趣味なんだか、どちらかにした方がいい。花を飾るのはいいが、店の雰囲気に合っていなくては本末転倒だろう。
「ったく、女ってのはどいつもこいつも着飾るのが好きで嫌だね。男は黙って、ありのまま素材の良さを生かして勝負よ。チャラついてちゃしょうがねぇ」
「マスターがそんなだから、お客さんにオジサンしかいないんですよ! この前もセクハラされそうになって大変だったんですよぉ!」
「物好きもいたもんだ」
「うわぁん! ひどい!」
仕入れの仕事を終えて、店の奥から顔を出して不満を述べるマスターを見て、ヨツヤが先程心に思い描いていた違和感は綺麗に払拭された。
なんだ。無骨さと少女趣味のメルヘンは、この喫茶店にはピッタリのイメージではないか。今日は、ピンクのチェック生地にフリルのついたエプロンを着たマスターを見て、ヨツヤは深くそう思った。
「それは着飾ってるとは言わねぇのか」
「あ? なんか言ったか?」
「別に」
片眉を吊り上げて、カウンターの中から問いかけるマスターに、ヨツヤは苦笑いを浮かべて視線を逸らした。
喫茶店の外装と内装をどうするかよりも、彼とっては目の前のチェス盤が陥った、絶望的な状況を覆す一手を考える方が大切なのである。
対戦相手は、話を聞くのに飽きたようで再び本に視線を走らせている。ツキシマとの対戦は、もう数えるのを忘れてしまったが、〇勝全敗だ。一勝でもしないと気分が晴れない。
「ハロー……、ってあら、アンタ達も居たの」
喫茶店の入口のベルが高い音を立てて鳴ると、軋んだ音と共に驚いた様な女の声が店内に響いた。
「あ、カグラさんいらっしゃいませー。お仕事帰りですかぁ?」
「買い物帰りよ。ま、銃のカスタマイズだけどね。威力を高めたの。その分反動が重くなったけど」
「ひゃぁ…。ご苦労様です」
買い物帰りで機嫌の良いカグラは、凶悪な笑みを浮かべながら肩に掛けたライフルをパティに見せた。とはいえ、銃に疎い彼女が見てもそのすごさがわかるわけもなく、取り合えず暴力度が上がった、と言うことだけを理解して震えあがる。
「うわ、アンタまだそれやってんの? 飽きないわねぇ、全く」
カグラは窓際の席に歩み寄ると、ツキシマとヨツヤが囲むチェス盤を見て半笑いで言った。それにヨツヤは不機嫌に眉を吊り上げて舌打ちをする。
「うっせーな。負けっぱなしじゃ気になって殺し合いも出来ねぇんだよ」
「あ、それ完全に詰みよ」
「黙ってろバカ!」
チラリとチェス盤を見て、二ヤつきながらカグラが言う。実際その遊びの詳しいルールはよくわからないが、連戦連敗続きのヨツヤに、ツキシマに勝てる様な希望は、カグラには絶望的に見えない。
強化したての銃に傷がつかない様、丁寧に肩から降ろしてテーブルに立てかけた後、カグラはツキシマの隣の席に腰を降ろしてパティに珈琲を注文しようと、ふぅ、と小さく息を着いた。
いつどこで、流れ弾に当たって死に耐えるかわからないメトロで、この静かな喫茶店は割と安心して休息がとれる場所だとカグラは思う。
「さーてパティ、とりあえずブレンド珈琲ひと…」
「ぁぁぁあああああ!!」
カグラが、ホッと一息ついてメニューも見ずに注文しようと声を上げた時。とても遠くから、叫び声の様な雄叫びが聞こえて来た。
「なんだ? 強盗か?」
「……さぁ?」
カウンターから顔を出して、怪訝そうに窓の外を見るマスターに、ヨツヤとカグラはさして興味もなさそうに言った。
しかし、空気を僅かに振動させるその声は、どこか聞き覚えのある声で、徐々にこちらに向かって近づいてきている様な気がする。
「た、た、た、た、たいへん! ……たいへ…ぐぇあ!!」
喫茶店の外で、ズザザザザ、という大地をすべる音がしたかと思うと、鈍い悲鳴と共に、グシャァ!とトマトが地面に落ちて潰れた様な音がしてしばらく静かになった。
一同は目を見合わせ、互いに何が起きたか説明を求めるも、何となく喫茶店の外で起きた悲劇に心当たりがあったのであえて目を逸らして黙ることにした。
「……大変! 大変なんだ!」
トラブルは御免だ、とばかりに誰も外の様子を見に行かなかったのにも関わらず、騒音の主は飛び込む様にして喫茶店に入店した。
色褪せたマントは更にボロボロになり、曲がったヘルメットを頭に被って、顔には擦り傷を作った少年は、息切れしながら酷く慌てた様子で現れた。
どう考えても、店先で盛大にすっ転んだ後の少年、カナメの登場を見て、一同は酷く面倒くさそうな顔をして彼を見る。
「すごい! すごいよ! すごいものを見たよ僕は!」
見知った顔を店内で見つけると、カナメは履き古した便所サンダルで床を滑りながら窓際の席に飛びついた。
いつも以上に黄土色の両目を爛々と輝かせた彼を見ては、カグラ達は怪訝そうな視線をカナメに向ける。
「アンタ生きてたの。最近静かだからてっきり死んだもんだと思ったわ」
「うん! そうなんだ! 死にかけてそれで、すごいものを見た!」
「すごいすごいって、馬鹿の一つ覚えみてぇに…。一体何だよ?」
「すごいんだ! ほんと、天使だ!」
キラキラと目を輝かせて力強く答えるカナメに、一同は『ハァ?』と言わんばかりに首を傾げた。
「天使だよ! 艶やかな長い黒髪、優しげな温かい双眸、透き通る様な白い肌、そして純白の衣装……、あの子は正しく天使だ! 空高く響き渡る鈴の様な声は万人を優しく包み込む…絶対そうだ! 天使はいたよ!」
「あー、待て待て、わけわかんね。誰か通訳してくれ」
「私みたいな平凡で可愛いウェイトレスに、ヒーローさんの崇高なお言葉が理解できるわけないじゃないですかぁ」
強く拳を握りしめてまくしたてる様に語るカナメの言葉は、この場にいる人間には理解不能の言語と化していた。
「落ち着きなさいよ全く。説明はわかりやすくが基本よ。でもアンタに対してはそんな効率は求めないから、まずはそこ座って、最初に何があったのかを教えなさい」
ビシリ、と鼻先に指を着きつけられれば、カナメはとりあえず少し黙って、火が消えた様に大人しくなると、空いていた席にストンと腰を下ろした。
テンションが上がり過ぎて暴れ出した犬は、とりあえず座らせて落ち着かせるに限る。カナメにもそれは適用されたようだ。
「まずは、僕があまりの空腹に行倒れていた所から話は始まるんだが…」
「おいおい、行き倒れとかみっともねぇなぁ」
カグラがカナメの姿を最近見ていないというのは、そのせいだったのだろう。腹が減り過ぎてマトモに街を見回れなかったということだ。
ヨツヤがからかう様に笑いながら茶々を入れるのを聞いて、カナメがムッとする。
「平和のための借金さ。仕方ないよ。だって、犯罪者は決まって複雑な建物の奥に逃げるんだ。奴らを一網打尽にするには、建物を全壊させるのが一番早いだろう?」
「そ、その発想が恐いですよぉ…。生活費くらいは溜めておけなかったんですか?」
「う…、それが、支払いの期日がギリギリで……」
「少しくらいカグラさん達に借りればいいのに」
「いくらでも貸すわよ。利子つきだけど」
「闇金くせぇ」
「だー! 違う違う! そういう話じゃなくって!」
脱線しかけた話の中で、カナメは話題を振り払う様に首を横に振って話の路線を正そうと声を荒らげる。
はいはい、と渋々頷きながら、一同はカナメを見た。
「それで、その、ええと。空腹で、どうしたらいいんだと考えを巡らせながら街を彷徨っていたんだけど、本当にもうダメだと思ってついに僕は倒れてしまったんだ。これは人知れずこっそり路地裏で死ぬしかない、と命を諦めかけていたその時。僕の頭上から声が降り注いだ」
恐らく、その時は意識も朦朧としていたのだろう。記憶の海を探る様にカナメは頭を抱えながら言い、そしてパッと顔を上げて、感激した様に明るい笑みを浮かべて言い放った。
「女の子がいたんだ。真っ黒い髪の、僕と同じくらいの歳の女の子! 良く見ると僕が倒れていたところは、小さな病院の前で、その子はその病院の患者だった。彼女は窓から顔を覗かせて、心配そうに僕を見ていた。そして……」
「あ、なるほど。その子にパンでも分けて貰って命を救われたって事ですね!」
「パティ! それは僕が一番語りたかったところだよ!」
話の顛末を、あっさりとパティにまとめられて、カナメは悲痛な声を上げてテーブルに突っ伏した。
「話なげーよ。語り口調でウゼーし。で、その女の子って言うのを天使だと勘違いしたお前がバカってことでいいのか?」
「違う! 彼女は本当に天使なんだ! 少し話した。病弱で、あまり外には出られないんだそうだよ。でも優しくて、明るくて、僕がお礼を言うと嬉しそうに笑ってくれる。笑顔が可愛い素敵な人で……」
ヨツヤの言葉を大きく否定したカナメは、心の中のその『天使』とやらに想いを馳せる様に視線を宙に浮かせながら、しみじみとした口調で言うと、ふと視線を落として、何処か嬉しそうなほどにはにかんだ笑顔を浮かべて続けた。
「華奢で儚くて、だから本当に、守ってあげたくなるような人なんだ」
人の笑顔には、様々な種類がある。喜びから産まれる笑顔であったり、楽しさから産まれる笑顔であったり、余りに逆鱗に触れすぎて、逆に笑うという事もある。狂気的な笑みもあれば、淡い恋心から産まれる笑みもある。
そして、それを言うカナメの表情は、それまでに彼らが見た事の無い様な物で。いつもの無邪気な笑顔とはまた違う、なんだか何処か照れた様な微笑みだった。
そんな彼を見て、一同は驚いた様に目を丸くして顔を見合わせる。
「ええと……、それはつまり、アンタ、全面的に、その子の事どう思ってるの?」
「どう? すごくいい人だよ。女神と言うよりは、天使だな! それくらい優しくて眩しい! みたいな!」
「あー、と、その、カナメさんは、つまり、その女の子にどんな感情を抱いているのかと……」
「感情…? ええと、例えば?」
「えっと…その…ねぇ!?」
「あ? あー…例えば…、例えば…、安直に、好きか嫌いかとか…」
「……好き…? そりゃ当然好きだけど」
ポンポンと発言者の変わる卓で、年齢だけは先輩のカグラ達の話を聞きながら、カナメは不思議そうに首を傾げて即答した。
それはどういう意味での好きだよ、とその場にいた全員が思うも、カナメはどうしてそんな事を聞くのかと、実に不思議そうに首を傾げる。
彼らが何を疑問に思っているのかはさておき、そんな問題を一掃するかのようにテーブルの上で片手を大きく振ると、グッと拳を握りしめて身を乗り出した。
「とにかく! そんな彼女に僕は、お礼がしたいんだ。だから、何か女の子が喜びそうなプレゼントって何かないかな? イマイチ自分じゃピンと来ないから、皆の意見を聞きたいと思って飛んで来たのさ」
カナメの話をそこまで聞いて、一同は揃って、なるほど、と深く頷いた。
つまりカナメ自身は、一飯の恩としてその女の子に何かプレゼントをしたいわけだ。本人の気付かぬ場所で、また違った感情があるかもしれない、という可能性は置いておいて。一般の、普通の女の子に何か贈り物をしたいというのだ。
そんなモノ、世間で言う『一般』とは対極の位置の存在であるカナメには思いつきもしないだろう。
普通の女の子が欲しがる物。貰って嬉しい物。
カナメ自身が少なからずその少女に好意を寄せている可能性がある以上、渡してドン引きされない様な、無難な物がいいに決まっている。気持ち的に、重すぎず、かといって軽すぎない。思いつく物はいくらでもあるだろう。
だがしかし。この場にいる彼らが、そんな『無難』なアドバイスを出来るかと言ったら、それは完全に勘違いである。
「アンタ女心わかんなそうだもんね。良いわ、教えてあげる。プレゼントを考えるなら、高級品よ。これに尽きるわ。良い物を貰って喜ばない女はいない。これはイイ男になる為の常識よ」
カナメの対面に座っていたカグラは、腕を組んで胸を張ると得意げに鼻を鳴らして言った。
それを聞いて、カナメは眼を大きく見開いて驚きの声を上げる。
「なるほど! 高価なモノか…。高いモノ……高いモノ……、でも、今の僕の全財産八〇〇Eなんだけど」
「そりゃ全然だめよアンタ。男の価値は所有してる財産で決まるの。気の利いた高価なプレゼントくらい出来ないようじゃ、男じゃないわ。アンタゴミ以下よ。生ゴミのが役に立つわ!」
「そ、そんなものなのか…!? そしたら僕は一生男になれない気がする…」
カグラの無慈悲な言葉に、ズゥン、と肩を重くするカナメを見かねてか、それともカグラの提案に意義あってか、今度はカナメの隣のヨツヤがクチを出した。
「ハッ! 着飾るような街に出る女ならともかく、病人だぜ? もっと気の効いたもんがあるだろうが」
「高いモノじゃなくてもいいのか? 何がいい?」
テーブルに肘を立てて、ヨツヤがカグラを嘲りながら言った。ヨツヤを睨みつけるカグラを横目に、カナメが身を乗り出して問いかける。
「武器に決まってんだろ。ここはメトロだぞ。いつチンピラに絡まれるかわかんねぇんだ。身を守る術を与える事が一番相手の為になるだろーが」
「な、なるほど! そうだよなぁ、病院なんて閉鎖された空間でギャングなんかに襲われたらひとたまりも…」
「はっ! 何かと思えば、アンタどこまで前衛的なのよ。武器なんかプレゼントされて喜ぶ女の子が何処にいるのよ」
頷きかけたカナメの言葉を遮って、カグラが馬鹿にしたように笑った。
「女は誰だってね、飾るのが好きなの。イイもの綺麗なもので飾りたいの。ね、わかるでしょ? パティ」
「えっ…、あ、まぁそれは…」
「テメェの意見が女代表みたいに言うなよな。女が何が好きか、よりも、相手に必要なモノは何か、だろーが」
「だとしても、武器貰って喜ぶ人なんかいるわけないじゃない。どんだけ野蛮人なのよ」
「はいはい! タツミは銃とか貰ったらうれしーよ!」
「アンタは黙って寝てなさい」
目まぐるしく回転するカグラ達の会話を聞いて目を覚ましたタツミが、話の趣旨もわからずに思った事を思ったまま発言すると、カグラがピシャリとそれを跳ね退けた。
話の前後はわからないが、シャットアウトされたことは理解したらしく、しょんぼりとして俯くタツミが残念そうに首を傾げる。
「黙って聞いてればお二方。全っ然ダメですよ! 高価なアクセサリーも武器も、そんなモノ貰ったら普通の女の子ならドン引きですよぉ! そういうのは、ある程度親しい仲になってからのがいいんです!」
カグラとヨツヤの、明らかにカナメの為にならないアドバイスを後ろで聞いていたパティが、グッと拳を握りしめて力説するのを聞いて、一同は怪訝そうな視線を彼女に向けた。
「なによ小娘のくせに。わかったようなクチきいちゃって」
「じゃぁお前は何がいいと思うんだよ」
パティは問われると、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりにフフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「プレゼントは、ただ渡すだけじゃぁダメなんです。相手の心に残る様な、ある程度インパクトのあるモノにしないと! その点高価な品や武器なんかはインパクトあっていいんですけど、インパクトだけじゃダメです。正直、引かれるだけなんです」
「ふむふむ、なるほど」
高説するパティの言葉を、カナメはどこからともなくメモとペンを取り出して走り書きで記録する。実のところ、書いた本人しか解読できない様な難解なメモであったが、彼の勤勉さに気を良くしたパティは更に胸を張って続けた。
「大事なのは、想いです! 心をこめたプレゼントに勝るものはありませんよ! 自作モノがいいと思います。手作り小物とか、手軽なら手作りお菓子なんかどうでしょう!? 家庭的な一面を見せれば、相手の好感度もぐーんとアップ……」
「今時手作りお菓子とか。重っ」
徐々に乗ってきて、興奮した様にアドバイスするパティにぼそりと呟いたヨツヤの一言がぐさりと刺さった。
「同意。手作りとか重いわ。私が貰ったら絶対引くわね。気持ち悪い」
「何入ってるかわかんねーしな。食えたもんじゃねぇよ。食い物やるなら既製品に限る」
「確かに」
「お、お二人にそこまで否定されるとすごくショックなんですけど…」
自分のアドバイスに超絶なる自信を持っていたパティは、しょんぼりと肩を落とすと涙目で言った。しかし素直な感想であるため、誰もフォローに回らない。
「……で、結局何がいいんだ?」
案はでたが、それに納得する以前に否定的な意見しか飛び交わないこの卓上では、カナメが彼女にお礼としてプレゼントする品を決定するのは不可能、というか自爆行為の何物でもない。
困った様なカナメの問いかけに一同は首を傾げ、タツミはコルトと遊び出す始末。
そんな光景を横目で眺めながら、遂にツキシマは、呆れた嘆息の後に開いていた本をパタンと閉じた。
これだけ良い歳の大人が揃っていて、良案が出ないというのは、少し、かなり問題である気がする。お前たちの二十年前後の人生は一体何だったのだと問いただしたい。
まさか、これが所謂、フリというやつなのか。誰かが正しい答えを言うのを待っているのだろうか。変な意味で疑心暗鬼にすらなってしまう。
「……」
目の前で、本気で首を傾げて考え込んでいる大人たちの問題的な人生を考察しながら、ツキシマは不意に、テーブルの上に置かれた花瓶に活けられた花を手に取った。そして、それを無言のままカナメに向ける。
「あ」
「おお」
「あー…!」
「なるほど」
ツキシマが手に取った花を見て、各々納得した様な声を上げるのを聞くと、ツキシマは再び花を花瓶の中に戻し、本を開いた。
女の子、お礼、病人、とくれば、普通最初に出てくる贈り物は、やはり花だろう。安直だが、無難でわかりやすく、高価と言うほどでも無く、重いわけでもない。
ほんの気持ち、を現す際に、花は最適だ。何故彼らは、こんなにも簡単な答えにたどり着けないのか。ツキシマは甚だ疑問で仕方ない。
「花か! いいアイデアだ! ありがとうツキシマ! これだったら彼女も喜ぶよ!」
ツキシマのアイデアに感激した様に、カナメはテーブルの花瓶を両手で掴んで立ち上がった。
お礼を言われるほど、ナイスナアイデアだったわけではない。ただこれが普通だと思っただけだったので、ツキシマはカナメに顔を向けると、気にするな、と言わんばかりに緩く首を横に振った。
「あー、お花、いいですよねぇ。いやぁ、私も考えてたんですけど、余りに普通すぎちゃこう、インパクトが……はは、お仕事してきまーす」
いちゃもんを付けようとクチを開いたパティだったが、偉そうに力説したアドバイスを皆から否定された手前、自分が言えた事ではないと察したのか、バツが悪そうに視線を泳がせると逃げる様に喫茶店のカウンターの中に走り去って行った。
「花かー…。気が付かなかったけど、うん。これがいい! 早速届けてくる! ありがとう皆!」
花瓶を手にしたカナメは、いつも以上に嬉しそうな笑顔を浮かべると、周りの声も聞かずに颯爽と走り出して慌ただしく喫茶店の出口から飛び出して行った。
まるで、小さな嵐が過ぎ去って行ったかのような騒がしさであった。飛び出して行ったカナメに一拍遅れて、カグラがにやにやと意地の悪そうな笑みを浮かべて椅子に深く腰掛ける。
「いやー、若いっていいわねぇ。まー、あんなに喜んじゃってさぁ」
その発言自体が老いを加速させるのだ、と言う事を知らないのか、と、口角を吊り上げて笑うカグラの隣でツキシマはこっそりと思った。
「若い? 若いのいいの? じゃあカグりんはいくない?」
「失礼ね。私だってまだまだイケイケよ」
「イケイケってなぁ……」
自意識という内側の時間と、外界という外側の時間の進み方は、必ずしも同じではない。中には、とある一定の時間で内側の時間の経過が止まってしまう人間もいる。
しかし、外側は情け容赦なく老いてゆく。体力は落ち、思考は鈍り、目に見えて衰えていく。人間が、最も輝ける時間など、遅かれ早かれ一瞬の出来事でしか無いのだ。人間の人生は、かくも儚いと、ツキシマはぼんやりと思った。
ヨツヤは胡乱気な視線をカグラに送った後、それ以上は何も言わず、腕を組んで目の前のチェス盤に視線を向けた。
どうやら彼は、まだ諦めていないらしい。そろそろ席を立ちたいツキシマは、困った様に肩を落とした。




