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今度は扉のドアノブを壊さずに規定通りノブを捻って扉を開けてホール部屋から抜けると、その先にはさらに通路が続いていた。
通路の壁にはいくつものドアがあったが、タツミが『犯人は、きっと一番奥にある一番大きな部屋にいるはず! そういうものだ!』と豪語するので、俺は彼女に着いて行くことしか出来ない。
しかし、先へ先へと進んでも、一向に人の気配と言うモノがしない。果たして、ここに本当に犯人がいるのだろうか。
いよいよ無駄足運んだだけだった、と思われ始めたその時、前方から何やら切羽詰まった様な男の声が、地下の冷たい空気を伝って聞こえて来た。
「クソッ…。どうしてこう上手くいかないんだ。何もかも全部…! クソ……!」
暗く、冷たい空気の漂う通路内には、声や足音は良く響く。タツミは、肩に俺を乗せながら、細心の注意を払ってその声のする方へと歩み寄った。
ホール部屋で機械を破壊した時に使ったエネルギーガンはそのまま、彼女の小さな両手に握られている。
声がしたのは、通路の両側に並ぶ部屋の一室からだった。声の漏れている部屋のドアは、タツミを誘い込む様に僅かに開いていて、その隙間から溜息交じりの景気の悪い男の声が流れてくる。
「……ハァ。まぁわかってはいるんだけどさ。そんな愚痴を零していても仕方ないって。でも、何かにあたらなくちゃぁモチベーションも上がらないというか。でもそんな事より、これからの『身の振り方』を考えないといけないんだが……」
聞いているだけで気が滅入ってしまいそうになる様な、ネガティブな独り言である。俺は思わず顔をしかめてしまう。
開いた扉の隙間から室内の様子を覗ってみると、薄暗い部屋の中に、背中を丸めた一人の男が、壁に埋め込む様にして造られた機械に寄りかかる様にして座っているのが見えた。
薄暗くてよく見えないが、独り言のせいもあってあまり裕福そうには見えない。髪はぼさぼさで、服装は小汚い様に見える。スラム街に跋扈しているホームレスの様な感じだ。室内はボロボロだが、機械だらけで制御室を思わせる雰囲気な為、男の姿はこの部屋にマッチしていなかった。
男が座りこんでいる机の周りには、何かが詰め込まれて大きく膨らんだ、色褪せた白い袋がいくつも規則性なく放り投げられていた。その袋の内の一つの『クチ』が開いていて、中に詰められている物を埃っぽい床の上に零していた。
遠目からでも、袋の中から匂う土っぽい臭いでわかる。あれは、袋に大量に詰め込まれた鉱石だ。
「みつけた! みつけたぞ鉱石泥棒! おなわをちょうだいしろっ!」
袋から零れた鉱石を見るや否や、タツミは銃を構えながら勢い良く扉を開けて室内に飛び込んだ。
突如として現れた、銃を構えた少女に、座りこんでいた男は驚きのあまり慌てて立ち上がる。
「なっ…!? 誰だ君は…!」
「賞金稼ぎだよ! さあ、タツミのエネルギーガンで粉々のニクヘンににされたくなかったら、大人しくトウコウするのだ!」
「賞金稼ぎ…。そうか、ついに俺も年貢の納め時って奴か……」
男は、驚くほどにしおらしくがっくりと肩を落とすと、再び景気の悪い深いため息をつきながらずるずるとその場に腰を下ろした。
想像以上に大人しく投降した男に、流石のタツミも不審に思ったのか、首を傾げて顔をしかめる。
「え? おじさんトウコウしちゃうの? 抵抗して逃げ惑ったりしないの?」
「はは、こんな地下の何処に逃げ場があるっていうのさ。それに、俺は今丸腰だからね。銃なんか向けられたらたまったもんじゃないよ」
「まるごし…?」
「ああ。君は、発掘場の鉱石泥棒を捕まえに来たんだろう? 大当たりだ。俺がその犯人だよ。捕まえたきゃぁ、捕まえればいい」
やけに自嘲に満ちた、乾いた笑みを浮かべながら言う男の眼には、諦めと絶望の二つしか映っていない様に見える。
張り合いのない犯罪者を前にして、タツミは詰まらなそうにクチをへの字に曲げる。
「でもでもでも! おじさん、たっくさん鉱石盗んだんだよね? 仲間もいたんじゃないの? 一人じゃいろんなとこから盗めないよね?」
「いや。俺は一人さ。盗んだ量もそう多くない。そこら辺に散らばってる袋分だけだよ」
男がそう言うので、俺は部屋の中を見渡してみる。男の周りには、確かに片手で数えられる程度の量の袋があるだけだった。これならば、大きめのジープでも使えば、一人でも発掘場から運び出せるだろう。
しかしタツミは納得できないようで、ムッと顔をしかめると更に反論する。
「ここにある鉱石の量は少ないけど、おじさんが盗んだのはもっと多いはずだよ! だって、いろんな発掘場から鉱石が盗まれたんだもん! 泥棒の被害にあったのはひとつの発掘場だけじゃないもん!」
「何を言っているんだ。それは濡れ衣だよ。俺が盗んだのは、ここから南西に少し行った所にある発掘場だけさ。他で盗みなんか働いていないよ」
ここより南西の発掘場と言えば、さっきタツミが立ち寄った発掘場の事だろう。この近辺では、発掘場はそこしか無い。あそこの警備員は、盗まれたのはウラン鉱石だと言っていたから、袋の中身は恐らくそれだろう。
「だ、だけど…、おじさん、たくさんのウラン鉱石を盗んで、それでゲンバクつくるんじゃなかったの? そ、それでメトロを吹っ飛ばしてせんそうにしようと……」
「ゲン…? なんだって? よくわからないが、俺が鉱石を盗んだのは、メトロを吹っ飛ばそうだなんて大それた目的じゃぁなく、ただ単に、あそこで働いてる奴らにギャフンと言わせたかっただけさ」
どこか遠い目をして語る男は、哀愁漂わせる顔で小さく息をついた。こんなにも諦めた目をした男が、今さら嘘をつくとは思えない。
それはタツミも察したようで、がっくりと見るからに残念そうに肩を落とすと、項垂れて気の抜けた様にその場に両膝を突いた。
「なぁーんだ。タツミの推理は大外れかー…。ガッカリ」
「なんだかわからないけど、ガッカリさせてごめんよ。全く俺は、子供一人喜ばせる事も出来ないダメな人間だね」
鬱々とした口調で男が言うも、タツミは特にその男のネガティブな発言を気に掛ける事も無く、あからさまに不機嫌そうに頬を膨らませて男に問いかけた。
「じゃあなんで、おじさんは鉱石泥棒なんかしたの? 炭鉱のおじさん達をギャフンといわせたかったって、どういうこと?」
タツミの問いかけに、男は一瞬間をおいて彼女に視線を向けると、少し考える様に黙り込んでからクチを開いた。
「……とても、情けない話になるよ。聞いてくれるかい?」
「いまのおじさんのカッコウも、じゅうぶん情けないと思うよ」
「はは、手厳しい」
不機嫌なタツミは、初対面の中年男性に向かって遠慮を知らない言葉を投げる。
器が大きいのか、それともただ単に意気地が無いだけなのか、笑ってタツミの暴言を許した男は、昔を思い出す様に室内の天井を見上げて語った。
「俺はね、昔、メトロ郊外の発掘場で働いていたんだ。来る日も来る日も、重い石を積んだリヤカーを引いて、先端の折れたツルハシを振りおろして、今にも壊れそうなトロッコに乗って、あの薄暗い穴の中を往復していたんだ。飽きもせずに、安い賃金とまずい弁当の為に」
時折、男のクチから吐き出される溜息は、悲壮な絶望しか感じられない。
その溜息が、暗く冷たい地下室の空気を一層重くした。
「そんな、永遠とも思える作業を、何百日も過ごして来た後、ふと気付いたんだ。自分は一体、こんな所で何をしているんだろう、とね」
幼子に、昔話を語る様に話す男の口調は、憐れみに満ちていて、どこか悲しげだった。
「毎日毎日同じ作業の繰り返し。俺たちが掘り出した鉱石は、メトロの人々にとっては必需品だが、鉱石を加工して武器を造る武器商人はありがたかられても、メトロの人々が俺達に感謝する事は決してない。俺たちがいなきゃメトロは回らないし、人々は自分の身を守る事も出来なくなるというのに。勿論、俺達は『誰かの為に』なんて理由で働いているわけじゃない。生きるために働いているのさ。当然だ。そんな綺麗事はいらない。でも、何故かな。それに気付いた時、俺はどうしようもなく…、空虚な気持になったんだ」
悲しげな男の口調は、そのせいだったのか。と、俺は一匹納得する。
生きるために働く。それは、人が持つべき最低限の『目的』だ。この男は多分、炭鉱夫という仕事でその目的を『達成』してしまったのだ。
一定の充実感に満足すれば、人は、更に上の充実感を欲する。金持ちが、更に金持ちを目指すためにケチになるように。平和に飽きた人間が、普段では味わえないスリルを体験するために犯罪に手を伸ばそうとする様に。それらは、等しく同じ、人間の本能的な行動なのだ。
『飽きる』と言う行為は、時にその人間に破滅を齎すキッカケとなる。
「そんな虚しさを仲間と相談したくて、俺は友人にその話をしてみた。すると友人は、まるで俺を小馬鹿にしたように嗤ったのさ。『そんなこと気にするなんてアホらしい』ってね。俺は、友人は馬鹿だと思った。なんて視野の狭い男だと。それと同時に俺は思った。同じ環境で、同じ仕事を同じ量だけ続けてた仲間が気付けない事を、俺は気付く事ができた。俺は、この機械的で延々と続くループから抜け出して、何か、仲間たちとは違うことをするために選ばれた、特別な人間なんじゃないかと思ったんだ」
妄想は肥大する。どんな人間でも必ず持ち得る、傲慢に触れて、とめどなく膨れ上がる。
「俺は仕事をやめた。メトロの街で、何か大きなことをしようと思ったんだ。ギャングでもいい、起業でもいい。俺の人生を、もっと意味のあるモノにしようと思って、俺は外に出た」
そう語る男の眼には、過去の希望が蘇ってか、僅かな光が射していた。しかし、過去に在ったはずの希望の光は、今は彼の眼にはない。それが意味するのは、暗く残酷な現実だけなのだろう。
「……それで、おじさんはどうなったの?」
タツミが首を傾げて問いかける。それに男は、俺の予想した通りの自嘲に満ちた笑みを浮かべて答えた。
「大失敗さ。元からそんなに金があったわけじゃない。いつの間にか借金まみれになって、ギャングに追いかけ回される毎日になった。何処かの喫茶店で、世の中の不条理を嘆いて暴れ回った事もあったっけ。少なくとも、炭鉱夫生活の方がよっぽど安定していた」
「しっぱい……」
「その後は、またすごくカッコ悪いんだが、こんな惨めな生活をしている俺よりも、意味の無い流れ作業を繰り返している炭鉱の友人たちの方が良い暮らしをしているのかと思うと、無性に腹が立ってね。『気付いてない』奴らに、どうにか一泡吹かせてやりたいと思って盗みを働いたのさ。でも、俺は意気地無しだった。最初は炭鉱の経営に影響する様に、鉄を盗んでやろうとしたけど、それをする事で俺が多くの人間に恨まれることになるかと思うと、怖くなってしまった。結局盗んだのは、金にもならないウラン鉱石だった。とことんダメだと思ったね。いざ行動に移しても、結局心の中の恐怖に勝てない。また失敗するかもしれないって恐怖に、だ。結局俺は、重いだけのウラン鉱石を盗み出して、身を隠せるこの建物の地下に身をひそめた。長らくメトロには戻ってないよ」
こんなダメな俺には居場所も無いしね。と、男は乾いた笑いを浮かべて言った。
男の言う恐怖の正体とは、きっと、仲間たちとの間で感じた優越から来る『プライド』だろう。プライドの高い人間は、総じて失敗する事を恐れる。一度やらかしてしまうと、トラウマになったかのように更に怯える。男の言葉の節々からうかがえる自虐も、そのプライドから来るものなのだろう。批判されても良い様に、まず最初に防衛の保険をかけておくのだ。
「じゃぁおじさんは、ここ何年かに起きたメトロ郊外の鉱石泥棒事件とは、カンケイないんだ? おじさんが泥棒したのは、おじさんが働いてた炭鉱だけなんだ?」
「そうなるね。昔にも、同じような事件が起きていたのかい?」
「うん。鉱石泥棒は、おじさんのほかにもたくさんいたみたい」
「……そうか」
何処か落胆した様に、男は落ち窪んだ目で俯いて、再び景気悪く呟いた。
「もしかしたら、俺と同じような事を思って、外に出て、失敗した人がいたのかもしれない。彼らは、俺と同じように、変化の無い生活を甘んじて受け入れている奴らを憎んで、一泡吹かせてやろうと盗みを働いたのかもしれないね。そしてその中の誰かが、この場所に同じように身を隠したのかもしれない。電気が通っているのもそのせいか。そうか…、俺はやっぱり、特別なんかじゃなかった。『自分はこの状況相応しくない』だなんて、誰でも一度は思うことだったんだ。それを大きく勘違いした、間抜けな人間の一人だったんだな」
「……」
男が言うのを、タツミと俺は黙って聞いてた。
人間と言うのは、いつもこうだ。面倒くさい事ばかり考えて、回りくどい方法で幸せになろうとする。もっともっと幸せになろうとする。
現在の状況に十分満足して、飯を食って昼寝するだけの生活こそ至高だということに、彼らはまるで気がつかない。俺は、それが意味不明で仕方ないのだ。
「それじゃぁ、おじさんがこの場所に隠れたのも全部偶然ってことかぁ。絶っっっ対ワルイやつらの隠れ家だと思ったのになぁ。だって変な機械ばっかり置いてあるもん。タツミにもわかんないなんてオカシーもん!」
「機械…?」
不機嫌そうに被りを振って声を挙げるタツミに、男は不思議そうに問いかけた。
「そーだよ。爆弾みたいなおっきいクロいヤツ! タツミは、おじさんが鉱石を集めて、あの爆弾をつくろうとしてるんだとおもったんだよ。ぬすまれた鉱石は、爆弾の材料にもなれたから……」
「爆弾、か…。そんな爆弾のスイッチは、きっとこんな感でガラスカバー付きの、見るからに危険そうなスイッチなんだろうね」
「きっとねー。あからさまに赤くて、『危険《Danger》』とかかいてあるよーなスイッチだろうねぇ」
のったりとした会話が冷たい室内を行き交い、数秒遅れて俺はその違和感に気付き、そして凍りついた。
男が寄りかかる机の上に、埋め込む様にして取り付けられた赤いスイッチ。ガラスのカバーで誤まって押してしまわない様に守られて、そのガラスの上にはわかりやすく赤色で、『危険《Danger》』と書かれている。
誰がどこからどう見てもそれは、爆弾の起爆スイッチであった。
「これが、もしかしたらその爆弾のスイッチかな」
男は、既にそれの存在に気付いていたようで、立ち上がってまじまじとそのスイッチを見つめる。
しかも、そのスイッチの上には文字が削れていて全ては読めないが『Little……』と見える。あのホール部屋で見た黒い巨大な弾丸の様な物体に掘られていた名前と同じ綴りだ。このスイッチは、あの物体を動かすための起動スイッチと考えて間違いないだろう。
まさか、まさかとは思うが、押したりしないだろうな? 不安が俺の心を過ぎった。
「どーみても爆弾のスイッチだ! 地下室は電気も通ってるから、使えるやつかもしれないよ!」
この少女は、危険の背中を体当たりでもするかの様に後押ししてくれる。しかも状況が分かっているのかいないのか、彼女の顔は興味津津と言わんばかりに輝いていた。
それに対して、スイッチを前にした男はやつれた顔でそのスイッチを見下ろして、大きく溜息をついた。
「起爆スイッチか。押したら、こんなひび割れだらけの地下室はあっと言う間に崩壊してしまうだろうなぁ…。……それもいいか」
冗談ではない。あの爆弾(恐らく)の威力など知らないが、大きさからしてメトロのグレネードの何百倍以上はあったはずだ。あんなものが爆発したら、この地下室どころかここら辺一帯の土地が丸々吹き飛ぶ恐れだってある。勿論、それ以上の大災害になる可能性もあるが。地下室にいる俺達からすれば、威力など関係なく生き埋めになってしまう。
俺は姿勢を低くして、男を威嚇する様に低く唸った。
「ヴゥ~……」
「はは、猫にすら威嚇されて…。俺は本当にダメダメだ。生きてても何の意味も無い。今も昔も、俺の人生に意味なんてない。なら最期くらい、派手に逝きたいもんだ……」
何故だ。何故か、男の背中を押してしまった気がする。
嫌な予感がして、俺は唸るのをやめて隣でじっと男の様子を覗っているタツミを見上げた。何を考えているのか全く分からないこの少女は、無表情に男を見つめていて、更にその心中が読みとれない。
「おじさん、自殺するの?」
キョトンとした顔で、タツミは能天気な声を挙げて問いかけた。
起爆スイッチと言うやつが、今の状況でどんなに危険な物かは彼女だってわかっているはずなのだが、何故かタツミの口調は落ち着いていて焦りが無い。
「自殺か。そうなるな。俺なんか、これから生きていてもいい事あるようにも思えないし。失敗ばかりのこの人生、自ら幕を下ろすのが賢明なんだろう」
起爆スイッチを指先で撫でながら、男は呟いた。
タツミは相変わらず無表情のまま、じっと男を見つめる。
「死にたくないなら、お嬢ちゃん、さっさと逃げた方がいい。巻き添えを食らうのは御免だろう?」
言い聞かせるような優しげな男の言葉に、タツミは無表情でカクンと首を傾げる。
「…んー、でもタツミは、おじさんを捕まえないとだから」
「捕まえるって…。聞いてるのかい? おじさんは、今から爆弾の起爆スイッチを押そうって言うんだよ?」
「大丈夫だよ。おじさんは死なないよ」
首を傾げた少女は、今度はニッコリと無邪気な笑みを浮かべて言った。
彼女が何を言っているのか、男は当然ながら、俺ですら理解できない。
「おじさんは自殺できないよ。タツミも死なないよ。おじさんは、タツミと一緒にケーサツに行くんだよ」
ニッコリと、変わらずの笑顔を浮かべているタツミに、男は僅かに苛立ったように眉を寄せて彼女を睨んだ。
「まさか君は、俺がスイッチを押せないと言っているのか? 意気地なしでなにも出来なかった俺じゃぁ、自殺すらできないって? それとも、失敗ばかりの人生だ。また失敗すると思っているのか?」
「……」
怒りを露わにした男の言葉は、ニコニコと笑みを浮かべたままのタツミに突き刺さる。
男の言葉に、タツミは頷こうともしない。それを肯定と取ったのか、男は苛立ちに萌えた目をタツミに向けてきつく奥歯を噛みしめた。
「子供にまで馬鹿にされちゃぁ、俺もとうとう終わりだな。いいさ。押すよ。君を巻き添えにして、最期くらい派手に死んでやる…!」
男が、スイッチの上で握りしめた拳を振り上げた。
炭鉱で鍛えられたあの大きな拳が叩きつけられたら、薄いガラスカバーはその役目を果たせずに粉々に砕け散り、その下の真っ赤な死のスイッチを深く押しこむことになるだろう。
ああ、もう駄目だ。無力な猫の俺にはもうどうする事も出来ない。せいぜい、慌ててタツミのサイドバックの中に隠れることくらいしか出来ないのだ。
楽しそうに笑みを浮かべるタツミは、男を止めようともせずに男の腕が振り下ろされるのを見つめていた。
ガシャン、とガラスの割れる音がして。男の拳は赤いスイッチに叩きつけられた。
すぐに、室内の警報機が作動して、爆発のカウントダウンが始まる。と思われた。
しかし、そんな不穏な気配が始まる様子は一切見えず、地下室は一向に、薄暗くシンと静まり返っているだけだった。
「……失敗。失敗か。はは、自殺にさえ失敗するとは、なんとなくそんな気はしてたが、本当に俺はダメな奴だ」
落胆したのか、それとも心のどこかで死を恐れていた為の安堵か。男は、急に力が抜けた様にその場に膝をつくと、深いため息をついて乾いた笑いをあげた。
「良かったねお嬢ちゃん。君の勝ちだ。スイッチが起動しなかったのかな? 俺はまた、失敗した」
あのスイッチは、見る限りでは先程ホール部屋で見たあの物体の起動装置だったはずだ。特に何も起こらないということは、電源が入っていなかったのか。すでに機能していなかったのか。
もしかしたら、タツミがあの物体を銃で攻撃した時に、床ごと電線を吹っ飛ばしていたのかもしれない。タツミは、それを知っていて動かなかったのだろうか。
何も起きず、今もなお自分の胸にある心臓が脈を打っているのを聞いて、俺はようやく安心すると、タツミのバックの中から顔を出した。
「……失敗したっていいんじゃない?」
ゆっくりと、膝をついて蹲った男に歩み寄りながら、タツミはニッコリと笑みを浮かべて言った。
「前に、孤児院の院長さんが言ってたよ。失敗したら、何で失敗したのか考えなきゃダメなんだって。なんでできなかったのかを反省しなきゃいけないんだって」
「何で…出来なかったのか」
「タツミねー、おじさんのことすごいなーって思ったよ。だって、ひとりでお仕事やめて、街でがんばろ!って言って、何でもひとりでやろうとしたの、すごいと思う。タツミは、誰かと一緒じゃないと、抜けだせなかったからー…」
タツミは、遠い目をして膝を抱えながら呟く様に言った。
少し前までいた、孤児院の事を言っているのだろう。俺が知る限りでは、タツミはあの場所で、いつも独りぼっちだった。俺やツキシマと出遭った時も、独りで公園で遊んでいたのだ。あの時は、独りでも遊べる子供なのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
院長は、確かにいい人だった。タツミがあの院長に話しかける時の眼は、本当に親しい者に向けられる眼だった。しかし、タツミにとってあの場所は、あまり合っていなかったのだ。
「ひとりって、けっこーきつい。いろんな皆と一緒にいるようになって、まえはすごくさびしかったんだなーって、思うんだぁー」
タツミは俯いて床を見つめながら、ゆらゆらと身体を揺らしながら言った。
俯くタツミの表情は、はにかむような笑顔で、ひょっとしたら顔を上げて言うのが少し気恥ずかしかったのかもしれないと思った。
「だからね! おじさんも、友達が一緒だったら、違ったとおもうよ! 一緒にわらったり、ないたり、あとあと、おこってくれる人がいたら、きっともっと違うふうにがんばれたんじゃないのかなぁ」
「友達……か」
男は不意に顔を上げると、在りし日の思い出に想いを馳せる様に、ぼんやりと虚空を見つめた。
炭鉱夫時代、きっと彼にも、支え合う仲間がいた事だろう。人は、支えなしでは生きていけなど行けない。どんなにダメで失敗ばかりの人間にだって、そういう存在はいるはずだ。
ただ、近すぎて気付かないだけなのだ。
「友達か。懐かしい響きだよ。彼らは、俺の事をまだ覚えていてくれるかな?」
「その人たちは、一緒にいた友達をすぐにわすれちゃうほどわすれっぽい人だったの?」
「……いや、とても気の良い…仲間だよ」
男の答えを聞くと、タツミはにんまりと笑って男を見上げた。
「じゃあ大丈夫だよ! きっとちゃんと、おじさんのことをむかえてくれるはずだよ!」
「そうだと…いいなぁ」
クスリと男が笑う。つい先ほどまで影ばかりを落としていた男の眼は、いつの間にか白い一筋の光を燈してタツミを映してフラリと揺れた。
「でもその前に…、俺はちゃんと罪を、償わないといけ…な……」
「あ! おじさん!」
息づく様に男は言うと、力無く瞼をとして糸が切れた様に唐突に倒れた。
どさり、と埃を巻き上げて、男の身体が床に転がり、慌ててタツミが男の傍による。
「あわ……、生きてた! 気絶してるだけみたい。こんな暗いとこにばっかりいたから疲れちゃったのかな」
タツミは男のクチ元に手を当てて、呼吸を確認した。弱々しいが、呼吸が感じられる。
この男は長らくメトロに戻っていないとも言っていた。かなり衰弱していた事だろう。良く生きていたものだ。というか、その根気をどこか違う方向に向ける事は出来なかったのだろうか。
「おじさん背負って外に出るのはシンドイなー…。ここの鉱石を外に出さなきゃなんないのに…。あ、そーだ!」
困った様に息をついて首を傾げたタツミは、何か思いついた風に、ぽんと手を打ってにんまりと笑った。何処までも楽しげな、明るすぎて、逆に不安に駆られてしまう様な笑顔だ。
俺は、なんとなく背筋を走る悪寒を感じた。大体、タツミがこんな風に笑う時と言うのは、恐ろしく破壊的な妙案を思いついた時なのである。




