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猫などは、昼間眠って腹が空いたら目を覚まして、人間に餌を媚びては可愛い可愛いとちやほやされて、気まぐれに甘えて来たかと思えば、何があったのだと思うほど一瞬でそっぽを向いて去ってしまい、再び風通しの良い柔らかな日差しの差し込む場所で昼寝をする。
そんな、気まぐれでマイペースな暮らしができていいわね、なんて皮肉を込めて羨む輩が、人間の中には多くいる。
しかし、そんな事はないと、一度声を大にして言っておかねばなるまい。
メトロの猫代表として、いや、そんな大層な輩では無いのだが、少なくとも、全ての猫がそんなのんべんだらりと生活で来ているわけではないのだと、人間達は知るべきである。
特に、奴らの周りでは、そうゆっくりまったりとした生活など不可能なのだ。
<Cookie 5> The Noisy Lullaby
窓辺から差し込む柔らかな日の光を浴びながら、両腕の中に顔を埋めて眠る俺の安眠を妨害したのは、すぐ傍から香って来る香ばしいバターとバニラの香りだった。
嗅ぎ慣れた臭いだ。焼き立てのホームメイドクッキーの香り。俺を目覚めさせるのは、大体このクッキーの香りか、メトロの騒がしい喧騒と決まっている。
鼻孔が覚醒すると、次には聴覚視覚、そして脳が目を覚まし始める。そして本能的に、ほぼ習慣の様に、俺は目が覚めると欠伸をしてその場で大きな伸びをした。フルフルと足先や耳を痙攣させ、むにゃむにゃと眠気眼で起き上がる。
目覚めた場所は、相変わらず、いや、いつも通り。奴の膝の上だった。目に入ったアンティーク調の、洒落ているはずなのだが古ぼけたガラクタを連想させるテーブルの上には、案の定、焼き立てのクッキーが乗った皿が置かれていた。
そういえば、クッキーの香ばしい香りのせいですっかり忘れていたのだが、自己紹介がまだだった。
俺の名前はコルト。喫茶店『Arms』に入り浸っている野良の黒猫だ。俺を見た奴は大体、身体の大きさから『子猫だ』と思うようだが、俺はもう一歳だ。子猫では無い。身体が少し小さめだから、子猫に思われがちだが大変失礼なことだ。恐らく、この喫茶店に入り浸っている奴らも、同様に俺の事を子猫だと思っているだろう。全く、俺がクチを利けたら大声で訂正しているところだ。
まあ、それはともかく。クッキーの香りに腹の虫を刺激されて起きたはいいが、どうにもまだ眠い。あまりシャッキリとしない気分でいると、不意に頭上から大きな手が降って来た。
慣れたその掌の感触に、俺は目を細めて成されるがまま、その掌の感触を堪能する。
しばらくして、慣れた手つきで頭や耳の裏、喉元を撫でていたその手が、スッと引いて行く。俺は名残惜しそうに頭をその指先に押し付けるものの、硬いグローブが嵌められた指先は俺の頭から離れて、片手に持った文庫本のページへと吸い込まれていった。
手を見上げると共に、俺の目に良く見慣れたフードを目深に被った防毒マスクが映った。カーキ色のフードから覗く、防毒マスクのカラーガラスに隠された瞳は、どうやら今は俺では無く本の文面を追うのに夢中らしい。
こいつはツキシマ。喫茶店『Arms』に入り浸ってる男だ。腹が減った時はとりあえずこいつの周りで何度か鳴いていると、硬いパンだとか甘いクッキーだとかが降って来る。眠るにも、こいつの傍が一番快適だ。メトロは広いが、俺はメトロ一居心地のいい場所がここだと思っている。
とはいえ、こいつが俺の飼い主であるとか、そう言うわけではない。常に俺とツキシマは対等なのだ。友達と言った方が正しい。
というわけで、腹が減った俺はとりあえずツキシマの服に僅かに爪を立てながら立ち上がって、何度か鳴いて空腹をアピールした。
「……!」
俺の主張に気がついたツキシマは、本の文面から視線を俺に移して、相変わらず無言のまま片手で俺を抱き上げてテーブルの上に乗せた。
喫茶店『Arms』の、いつもの窓際の席。日当たりの良好の四人席だ。客の少ない喫茶店だが、ツキシマはこの席を気に入っているのか、他の席に座った事はない。ここを気に入っているのは俺も同様なので、全く問題はない。
恐らくツキシマは、腹が減ってるならクッキーを食べろ、と言いたくて俺をテーブルの上に乗せたのだろう。ツキシマは言葉を発さないが、意外にも意志疎通の面ではそれほど問題にはなっていない。俺が人間の言葉を感覚で理解できるように、ツキシマの言いたい事も『なんとなく』理解できるのだ。フィーリングと言うやつだ。あまり、気にしてはいけない。
クッキーは、当たり前だが硬いパンよりも美味しい。俺は、寝起き直後にご馳走に有りつける喜びに気を良くしながらクッキーが乗っている皿を見た。
未だ温かいサクサクのクッキーが乗っている。がしかし、どことなく量が少ない。いつもは五枚一皿で運ばれてくるはずなのに、既に三枚無くなって、残り二枚になっている。俺は、用意されていたはずのご馳走に、既に何者かに手をつけられていたというショックを隠しきれず、皿をじっと見つめたまま硬直してしまった。
「はい、フルハウス。まーた私の勝ちね」
ショックに石化している俺の耳に、愉快そうな女の声が聞こえて来た。テーブルの上に、綺麗な役の揃ったトランプを並べ、にんまりと笑みを浮かべた赤いゴーグルの茶色い髪の女が、ツキシマの隣の席に座って得意げに言っていた。
こいつはカグラだ。いつだか、突然『Arms』にやって来たと思ったら、色々あって勝手にツキシマと賞金稼ぎのコンビを組むと言って喫茶店に入り浸る様になった、金にがめつい賞金稼ぎだ。一見、グラマラスな体型の良識ある女かと思われるが、ここはメトロ。守銭奴という言葉が服を着て歩っているような人物で、金の事になると見境なく周りを巻き込んで暴走するので恐ろしい。
「……ねーよ」
カグラの対面の席に視線を移すと、カードを片手に持って、カグラが机の上に並べたカードを睨みつける黒髪の男の姿があった。提示された役に不満を持っているようで、眠そうな半眼が苛立ちに燃えている。
こいつはヨツヤ。こいつは、少し前に『Arms』のマスターにお使いを頼まれた先で出くわした奴だ。ツキシマと殺し合いをする、という目的の下、出遭った後も色々あったにも関わらず着いてきて、最終的にこのサースメトロにまで着いてきて、ツキシマやカグラと同様『Arms』に入り浸る様になった賞金稼ぎである。普段はテンションの低いだけの普通の男に見えるが、所謂戦闘狂と言うやつで、戦いになると暴走して手がつけられなくなるので恐ろしい。
俺は二人を見て、五枚あったはずのクッキーが何処へ行ったのかを推理する。恐らく、奴らの胃袋の中だ。こいつら(マスターのお使いの行きずりで着いて来た奴が、他にも二人いるが、今はいないようだ)が『Arms』に入り浸る様になってから、俺のクッキーの取り分が大幅に減った。五枚全部食べきれるわけではないが、今まで当然の様に目の前にあった物が取られると、ちょっとムカつくものだ。
「はぁ? なにが無いのよ。三勝したんだから、向こう一週間の昼食代奢ってもらうわよ? いいわね」
「冗談じゃねーよ、テメェ、絶対イカサマしてんだろ」
片眉を吊り上げながら、ヨツヤが不審げに向かいのカグラを見て問いかける。卑しい心当たりがあったのか、カグラはどきりとして両肩を跳ねあげた。
「な、何言ってんのよバッカじゃないの? 自分の運の無さを人のせいにしないでほしいわ」
「じゃあこのカード見せてみろ」
「あ、わっ、ちょっと待った!」
テーブルの上に並べたカードを回収したカグラの手から、ヨツヤが素早くカードを奪った。
慌てて静止の声を上げて手を伸ばすカグラだが、既にカードはヨツヤの手中である。
じっと鑑定する様にそれを見つめていたヨツヤは、カードの四隅に爪を立ててみた。すると、ペリペリと乾いた音を立てて、カードの背面から別のカードが剥がれおちる。二枚のカードが、器用に糊で貼り合わせられていたのだ。
ヨツヤのジト目がカグラを見る。カグラは、知らない振りをして素早く視線を逸らした。
「ほらな! このクソ女やっぱイカサマしてんじゃねーか!」
「チッ。バレちゃしょうがないわね。はいはいやりました。イカサマしてすいませんでしたー。奢りの話はもういいわよ。あー、詰まんない」
「ふざけんなよテメェ。端から奢る気なんかねえよ。三度も俺が味わった敗北感に対する詫びはねーのかよ、ええ?」
「はぁ? 謝ったじゃないのよめんどくさいわね。これだから男って嫌だわ。めんどくさい事をネチネチネチネチ…、靴の裏に着いたガム並みのウザさだわ」
恒例行事と化したクチ喧嘩が勃発する。ツキシマも、最初こそはこの喧嘩に割って入って止めようとしていたが、最近では自然鎮火が最も有効的であると理解したようで、口論を横耳で聞きながらも我関せずの態勢を取っている。寧ろ、喧嘩数が多すぎるので単に呆れているだけかもしれない。
しかしこの二人は、事あるごとに口論をしている割には、今回の様にポーカーしたりチェスしたりしているので、仲が悪いのか良いのかよくわからない。まあ多分、良くはないのだろう。
「もぉー、また喧嘩ですかぁ? あんまし大声出さないでくださいよぉ、お客さん達が引いてますよぉ」
睨みあう二人の頭上から、溜息交じりの高い声が響いた。声に反応して、ツキシマと俺を含めた四つの視線が上にあがる。
そこには、珈琲カップの乗った銀色のトレイを片手に持って『Arms』のウェイトレスの制服を着た金髪の少女が立っていた。
長い金色の髪は高い位置で二つに結われており、白いレースの着いたカチューシャを付けている。困った様な顔をしながら金髪の少女は、トレイに乗った珈琲カップを二つ、カグラとヨツヤの前に置いた。
彼女はパティ。以前のアルバイト、ケイナの後釜として『Arms』のマスターに雇われた、アルバイトのウェイトレスだ。
パティに言われて、カグラとヨツヤは店内を見渡す。確かに、ここから離れた席に座る数人の客たちが、怪訝そうな目でこちらを見ているのが見えた。
「何言ってんだ。俺ら以外の客なんて数える程度しかいねえだろ」
「いるにはいるんです! もー、ツキシマさんも何か言ってやってくださいよぉ!」
パティが頬を膨らませながらツキシマに訴えるが、ツキシマは肩を竦めてとぼける様に首を傾げただけだった。
その反応に、パティはがっくりと肩を落とす。
「ま、いいんですけどねぇ。お客が減れば、私の仕事も減るだけですしねぇ」
「そんな事言ってたら、給料も減らされるわよ」
「じょ、冗談ですよぉ」
ニヤリと笑うカグラの言葉に、パティは肩を震わせて引き攣り笑いを浮かべた。アルバイト少女の彼女にとって、稼ぎが減るのは死活問題であるらしい。
「でもでもカグラさん! 私が来てからこれでもお客さんは増えた方なんですよ! いやぁ、やっぱり人々が求めるものと言ったら、若くて可愛い看板娘って奴ですよねぇ。ムッサイオッサン一人で経営する喫茶店に、誰が好んで入るってゆーんでしょうねぇ」
「おいパティ! 何か言ったか!?」
キメ顔を浮かべてペラペラと得意げに喋るお喋りなウェイトレスの声を聞いて、カウンターの方から罵声が飛んできた。
喫茶店『Arms』のマスターの声である。今日も、色黒の厳つい強面に、フリルエプロンというアンバランスな装備が、何故か良く似合っている。
「あ、マ、マスター…。いえ、なんでも…」
「馬鹿共と話す暇があったら働け。給料減らすぞ!」
マスターの心無い一言に、パティは更に顔を蒼白にして苦笑いを浮かべて返事を返した。
「ちょっと、馬鹿とは随分ね。こっちは客よ? お金落としてってるんだからもっとご奉仕してほしいわ」
「毎日珈琲一杯で夕暮れまで居座る奴を、俺は客とは認めん」
「クッキー頼んでんじゃねえか。ツキシマが」
「食ってるのはテメェ等だがな」
正論だ。俺の食料を勝手に食べた奴等だ。マスターはもっと言ってやればいい。
「とにかくパティ、暇なら店の前掃除して来い。アレだぞお前、ケイナちゃんは言わなくても自分から掃除してたからな」
「知りませんよぉそんなこと! 私だってちゃんと働きます!」
「ええ、ケイナは良い子だったわ。私に昼食を奢るくらいの器量があった」
「……」
「うわっ! ツキシマさんまで無言で頷かないでください!」
本の文面に視線を走らせつつも、縦に何度か頷くツキシマを見て、パティは衝撃を受けた様な声を上げた。
パティはどうやら、前のアルバイトだったケイナと色々と比べられている節があるらしい。当然だろう。俺もケイナの方が、少なくともパティよりは良く働いていた記憶がある。
「ううっ…、可哀想な私。出来る先輩と毎日比べられて、上司と客にはいびられ、もう私の味方はコルトちゃんしかいませんね!」
勝手に味方扱いしないでほしい。
「どうでもいいからさっさと厨房でハンバーガー作ってこいよ、パティ」
「肉料理って意味じゃありませんよぉ!」
しっしとヨツヤに追い払われ、パティはウワーンと声を上げながら、用具入れから箒と塵取りを引っ手繰って喫茶店の出口に向かって駆けだした。
もはや他に客がいる事など忘れているようだ。また、新規顧客の開拓に失敗して肩を落とす哀れなマスターが見られることだろう。
外に出ようと、パティが店のドアに手を掛けた時、そのドアが店の外側から、元気の良い声と共に勢い良く開いた。
「ハロー! サースメトロの市民の方々! ヒーローがパトロールから帰ったぞ!」
「帰ったぞ!」
「ぎゃふっ!」
威勢の良い声と共に、一人の少年と少女が入店してきた。二人が勢い良く開けたドアの縁に顔をぶつけ、パティが不細工な悲鳴を上げて顔を覆いながらうずくまる。
「あれ? ごめん、パティさんいたのか! ドアの前に突っ立ってるなんて危ないじゃないか!」
「入室退室はすみやかに! 通行のジャマになります!」
少年と少女の声が、交互にパティに浴びせられる。
少女の名前はタツミ。元はイースメトロの孤児だったのだが、まぁ色々あってここまで着いて来た。少女は、その幼い見た目からは想像できないほどの優秀なメカニックであり、無駄に行動力のある少女だ。マスターのお使いの道中は、俺は何かと彼女に好かれてしまい、行動を共にしたが、その行動力には肝を冷やすことが多々あった。
それから、少年の名前はカナメ。元はノアメトロの治安を守るヒーローだったのだが、上記のタツミ同様、色々あってここまで着いて来た。ヒーローとは言っても、やっている事は破壊屋の様なものであり、ノアメトロ市民にありがたがられていたかと言われれば中々素直には頷けない。現在は、その『治安維持』の標的がサースメトロに移ったようだ。サースメトロが荒れないことを祈る。
「お二人がいきなり入って来たんじゃないですかぁ…。なんで私ばっかりこんな目に…」
涙目で訴えるパティの声は、当の二人には届いていないようだ。清々しいばかりの笑顔を浮かべたまま、顔を見合わせて首を傾げている。
喫茶店内の騒がしさを見て、若干席を遠くに移動し始めた客達を横目に見ながら、マスターはカウンターの中で重々しい溜息をついた。
「ったく…。騒がしい常連ばっかり連れて来やがって、なぁツキシマよ」
「……」
マスターの突き刺さる様な視線がツキシマに向いた。
強面のマスターだ。性格はそれなりに温厚と言えど、睨みを利かせればそこら辺のチンピラよりも恐ろしい。
マスターの鋭い眼光に気付いたツキシマは、びくりと震えてそっぽを向いた。まあ確かに、彼らがツキシマに着いて来たのは事実だが、それは勝手に着いて来ただけなのだ。ツキシマ自身が連れて来たわけではないので、マスターに睨まれているのは少し可哀想に感じた。
「あ! 丁度皆揃っているじゃないか! パトロール中に聞いた面白い話があるんだ。聞かないか?」
マスターの視線を追って、喫茶店の奥の席に見知った顔を見止めたカナメは、愉快そうに飛び跳ねながらこちらに駆け寄り、嬉々とした表情で問いかけた。
いつも思うのだが、この溌剌とした元気の良さはどこから生産されるモノなのだろうと疑問を浮かべる。
「何? お金になる話なら聞くわよ」
「市民の平和の話さ。平和はお金では買えないよ」
「仕事の話か? って事だろ」
カグラとヨツヤが、駆け寄って来たカナメに胡散臭そうな視線を向ける。
日々、サースメトロ内を飛び回りながら平和を守るパトロールをしているカナメの情報網は、そこら辺の情報屋よりも広いだろう。しかし、その情報を『正しく』伝えるスキルが彼にあるかどうかと問われれば、素直に頷くことはできない。なので、カグラ達がカナメから話を聞くとしても、殆ど半信半疑なのだ。
「お金になるかどうかはともかく、メトロで生活する以上は余り無視できない話さ。特に、賞金稼ぎなんかはね」
人差し指を立てて、カナメはどこか意味深に言った。意味ありげなカナメの話ぶりに、怪訝そうに顔をしかめていたカグラとヨツヤは、僅かに興味を持ったようで顔を上げて首を傾げた。
人間のビジネスの話などに俺は興味はない。目の前の皿に乗った、十分に冷めたクッキーに齧りつくと、残っていたもう一枚のクッキーが横手からスルリと奪われた。
彼女も、大人の仕事の話には興味が無いのか、ニコニコと能天気な笑みを浮かべたタツミがクッキーを頬張っていた。大切な食事が四方から奪われて、俺は不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、周りの事など気にせず我道を突き進む彼らは誰一人としてその小さな不満に気がつかない。
「何よ勿体ぶっちゃって。さっさと喋んなさいよ」
「あ、聞くんだ。……えーと、何から話したらいいのか。簡潔に言うと、最近サースメトロ郊外の炭鉱で、鉱石が盗まれる事件が発生してるらしいんだ」
説明する、と言うことに慣れていないカナメは、本当に端的に、結論から述べた。
正しい判断だと思う。カナメに順序良く物事を説明する力があるとは思えない。
「鉱石?」
カナメの話を聞いて、ヨツヤが更に不思議そうに首を傾げた。それを見て、カナメはこくりと頷く。
「メトロの銃器や火薬を造る為の鉱石だよ。僕は火薬を買ったことが無いから良くわからないけど、銃火器を造る為の原料は、街の外の荒野から発掘するんだろう?」
カナメはツキシマとカグラを見て問いかける。説明を求められてもそれに応えられないツキシマは、視線をカグラに向ける事で説明役を任せた。
「そうね。いくらメトロ内で毎日銃弾が飛び交ってるとは言え、それが何処からともなく自然に入手できるわけじゃない。銃器全般、鉄や硫黄なんかの原料は、街の外の荒野で発掘してるわ。クリーチャーも多いけど、銃器はメトロじゃとても重要な物だから、大きなギャングや組織が発掘場を買い取って鉄を生産してる。まあ、鉄は生活必需品だから、必然的に発掘場の主は金持ちになるわね。忌々しい」
カグラが唇を噛みしめて憎々しげに言う。彼女の他人に対するイメージは、相手が持っている資産の大きさに依存する様だ。
「なるほど? でも、鉱石ってのは唯の岩石だろ? そんなもん盗んでどうすんだよ」
確かに、精製技術が無い限り、鉱石は唯の岩石のままである。
「ギャング同士の怨恨とか、もしくは発掘所主に恨みを持ってたとか。商品が盗まれたら、発掘場の経営は破綻するわ。」
「いやそれが、盗難に遭った発掘場は一つじゃないらしいんだ」
「はぁ?」
次いでカナメから提示された情報に、カグラは驚いた様に目を丸くして言った。
「しかも、一度に盗まれたわけじゃないんだ。確か、ここ数年で色んな発掘場の鉱石が盗まれてるとかなんとか…」
「じゃあ、似たような被害が以前にも各地であったって事?」
「そう言うことらしい」
「何年も前から…って、犯人の目星は着いてねぇの?」
「それが全く」
「警察は仕事してんのか?」
呆れた様な溜息と共に吐き出されたヨツヤの蔑みに、その場にいた四人は肩を竦める他なかった。
「ああ、その話なら、前に客から聞いたことがあったな」
彼らの嘆息を聞きつけて、マスターが白い皿を泡のたっぷりついたスポンジで擦りながら声を上げた。
「その客は、炭鉱を首になってメトロでも仕事が上手くいかねぇってんで怒鳴り散らしてた。多分その話じゃねぇか? 泥酔状態で店で暴れてたから良く覚えてるぞ」
「首切られたって…。発掘場の経営が回らなくなるほど被害に遭ったって言うの?」
「精製に出そうとしてた鉱石がごっそり盗まれちまったらしいからな。相当だろ」
マスターの答えに、流石のカグラもその客を憐れむ様に顔をしかめさせた。
「人間万事塞翁が馬。禍福は唐突にやって来るとは言っても、そりゃ災難ね」
たった一度の事件で、職を失ってしまったその顔も知らぬ喫茶店の客の心中を察してか、カグラがしみじみと言う。
このメトロで、手に着いた職を手放すことは良くある話だが、その原因が窃盗事件とあっては声を大にして文句を言いたくなるだろう。しかも、その泥棒の正体については何もわかっていないと来た。理不尽なこの世の中に絶望して、酒浸りになりたくもなる。
「インゲン万死最高の馬? なんだそれ?」
「それから、鉄鉱石を盗まれたところもあれば、他の鉱石を盗まれたところもあったらしいぞ。でも、一番の商品になるはずの鉄が盗まれちゃぁ、大騒ぎだろうな」
「盗まれたのは、鉄だけじゃねぇのか」
カナメが首を傾げるのを無視して、マスターが記憶を辿るように言うと、ヨツヤがそれにのって怪訝そうに顔をしかめた。
「あ、そうそう。盗まれた物がどこも同じだったわけじゃないんだ。鉄鉱石だったり……ええと、後なんだったっけ?」
「鉄鉱石ー、鉛鉱ー、硫化鉄鉱ー、ウラン鉄鉱ー、ほかいろいろー」
カナメの問いに、クッキーを齧る俺を興味津津と見つめてくるタツミがつらつらと答えた。見られると食べにくいのだが、大きな緑色の瞳を輝かせる少女にそれを訴えるすべは無い。
「それそれ。だから犯人は、鉱石欲しさに炭鉱を襲ったのではない、と思うんだ」
「ごっそり全部盗んで行ったのを見ても、怨恨の可能性が高いんじゃない? 金持ちを憎んだ貧乏人の仕業とか」
「お前じゃあるまいし…。狙われた炭鉱に共通点とかはねぇのかよ」
「特にないなぁ。どの炭鉱も、サースメトロ近辺だってことくらいかな」
「……」
犯人の目的もイマイチはっきりしない発掘場鉱石泥棒事件に、タツミ以外の四人は腕を組んで首を傾げた。
俺はクッキーを齧っていたが、途中で甘さに飽きて食べるのをやめ、伸びをして一欠伸した。
「わぁー、なんだか皆さん、頭なんか使ってらしくないですね! 探偵ごっこですか? 私も仲間に入れてくださ…」
「パティ! 遊んでないでオーダー取ってこい!」
中々話が進展しない窓際の席に、店先の掃除を終えたパティがひょっこりと顔を出して騒いだが、マスターの一喝によりすぐに首を引っ込めてオーダーを取りに走り出した。お喋りウェイトレスめ。
ふと顔を上げてみると、喫茶店内は客の姿がチラホラと見え始めており、時間がちょうど昼食時であるらしいことが覗えた。
「まぁでも、犯人も特定されてないって事は、賞金もかかってないってことでしょ? まだ私たちの出る幕じゃないんじゃないの?」
カグラが、椅子の背もたれに寄りかかって諦めたように言った。金に成らない話、と早々に割り切ったようだ。
現金なヤツである。
「それもそうだ。イマイチ面白い事もなさそうだしな」
ヨツヤも、考え込んでみた割には興味をそそられなかったのか、思考を投げる様に言ってテーブルに肘をついて溜息をついた。
「うーん、でもメトロの平和が…」
「っていうか、被害に遭ってるのはギャングの発掘場なんでしょ? ヒーロー様にとっては敵なんじゃないの?」
「発掘場が襲われて、善良な市民が困るなら、鉱石泥棒はそれ以上の悪だよ。僕はギャングと戦ってるんじゃなくて、悪と戦ってるんだ」
「あー、アンタの理論は全然わかんないからいいわ」
カグラが話題を放り投げる。彼らは、答えの見えないこの怪事件に、既に見切りをつけているようだった。
そんな不穏な空気を感じてか、または発言の機会を覗っていたのか。じっと俺の食事風景を見つめていたタツミが、勢い良く片手を挙げて満面の笑顔で発言した。
「はいはい! タツミはねー、犯人は、プルトニウムがほしいんだとおもいまーす!」
「……!」
元気よく言い放ったタツミの言葉に、ツキシマが若干驚いたように仰け反った。
しかし、他の三人は怪訝そうに顔をしかめて腕を組んで見せる。
「ぷると……」
「……にうむ?」
まるで、それが何なのか心当たりがまるで無い、と言った様な反応だ。当然、猫の俺にそんな魔法の様な言葉など理解できるわけもない。彼らは互いに目配せして、それが何なのかの説明を求めるも、誰もが首を横に振って肩を竦めた。
「なんだそりゃ。新しい玩具か?」
「機械の部品とか?」
「いや! きっと悪い怪人の名前だろ!」
カグラ達が口々にそれの正体を言い当てようとするが、それはどれも見当違いの答えだったようで、タツミは不満そうに頬を膨らませて目を細めた。
「ちがうよー。武器の原料だよ。大量殺戮兵器!」
「大量殺戮兵器? また随分物騒な名前だな」
ヨツヤが、タツミを馬鹿にしたように乾いた笑いを上げた。ムッとしてタツミが言い返す。
「ゲンスイバクだよ! すっごいんだから! 爆弾で、一発あったらメトロなんて簡単に吹っ飛んじゃうよ!」
タツミが息を巻いて言う。
何かの、本で見た話なのだろうか。そんな恐ろしい物は俺は聞いたことが無い。
カグラもそう思ったのか、力説するタツミを可笑しそうに笑う。
「そんな物騒な兵器聞いたことないわよ。武器なんて、メトロじゃTNT爆弾とか、ロケットランチャーがいいとこじゃない。まあそれも、アンタが造った奴しか見たことないけど」
「そうだよタツミ。そんな恐ろしい兵器なんかがあったら、この世はとっくに滅びているさ!」
カラカラと、愉快そうなカナメの笑い声が店内に響いた。全くタツミの話を聞こうとしない彼らに、タツミは益々頬を膨らませて不満を露わにした。だが確かに、メトロが吹っ飛ぶくらいの爆弾、と言われても、規模が大きすぎてイマイチピンと来ない。俺たちが知っている爆弾と言うのは、せいぜい家を吹き飛ばすのが精いっぱいだ。
「……ほんとにあるのに! 信じてくれないならタツミが犯人捕まえてショーメイしてやるから!」
己の考えを馬鹿にされてしまい、不満が爆発したタツミは座っていた椅子から飛び降りると、喫茶店の出口に向かって走り出した。
バタバタと慌ただしく出ていった小さな影を、マスターや客たちが不思議そうに視線で追っていた。
「行っちゃった。なんだったのかしら。ゲンスイバクって」
カグラがテーブルに肘をつきながら問いかけた。尽かさず、カナメがビシッと人差し指を立てて答える。
「モンスターの名前じゃないか? ゲンスイバク、なんてなんかおどろおどろしいじゃないか。メトロを破壊する破壊光線、プルトニウム光線がメトロの空を覆って……」
「お前はそんなんばっかな」
くだらない会話が、テーブルの上で繰り広げられている中、ツキシマの視線だけが、タツミが走り去った喫茶店の出口に向けられていた。
恐らく、心配しているのだろう。子供とは言え、タツミの行動力はたまに度肝を抜かれるほど高い。しかし、それでいて余り心配しすぎるのもどうかと思っているのだ。先日、カグラに心配症を指摘されて気にしているのだろう。そう言うところが、この友人は面倒くさい。
ならばここは、この俺が動くしかあるまい。タツミとは縁もあるし、食事を貰った恩もある。何をしようとしているかはわからないが、彼女に着いて行くくらい訳ないのだ。
俺は、一度盛大に伸びをすると、人知れずテーブルの上から飛び降りて、素早くタツミの後を追って出口へと向かった。




