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ヨツヤは、地獄がどんなものかを知らない。
死んだことが無いのだから、当然と言えば当然であるが、だからこそ『地獄の様な風景』という比喩があまり好きではない。きっと、陰惨で惨たらしい、えげつない風景の事をそう言うのだろうが、如何せん見たことがないので断定できない。かといって、極楽浄土で楽しい場所であるならば『地獄』なんておどろおどろしい名前は付かないだろう。恐らく、恐ろしい場所であることには違いない。
だが、だからと言ってヨツヤ自身が、地獄を恐ろしい場所と認識するかどうかと言ったら、それは別問題なのである。ヨツヤにとっては中々面白い場所かもしれないし、恐ろしい場所というのは唯の一般論にすぎないのだ。
つまりは、認識の相違だ。そこを素敵だと思う人間にとっちゃ、その場所は素敵な場所なのだろう。しかしそうでない人間だって、大勢いるのである。
だから、つまり、人と人の、その価値観というのは、決して交わることの無い平行線なのだ。肉を裂き、骨を砕く瞬間の快感などは、決して誰かに伝えられるものでは無い。だから、それがいい、と言っても、理解されないのは当然の事なのだ。この快感は、誰のものでも無いヨツヤだけのものなのだから。
死屍累々、血の池地獄の様に真っ赤な鮮血滴る牢獄の真ん中で、ヨツヤは足元の死体に深く深く鉄の棒を突き刺しながら、グルグルと考えていた。
鉄の棒は、鉄格子の一部である。密かに脱獄を企てようとしていた犯罪者が、食事時に出された小さなナイフで鉄格子を取り払おうと、地道に削っていたのである。繋ぎ目がもろくなり、簡単に外れたそれを構えて向かって来た男は、今や冷たい灰色の留置所を彩る赤い肉塊の一部に成り果てた。
「あー、あーあーあー……。馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しいなおい。どうでもいいんだよそんなこと。楽しけりゃいいだろ、面白けりゃ充分だろ。考えるのは嫌いなんだよ」
苛立ったように呟き、ヨツヤは先程の思考に無理矢理区切りをつけて立ちあがる。
この檻から抜け出さんがために、猿の様に飛びかかって来た犯罪者たちを薙ぎ払うのは、それはもう楽しかったのだが、最後に可笑しな思考が頭を巡ってしまい、どうにもすっきりとした気分に成り損なってしまった。先刻、シティがどうだこうだとカグラと話したせいである。シティの事など、本当にどうでもいいのに。
「あ、あ、…うう、地獄だ…。ここはぁ…地獄だァ……」
牢獄の隅で、頭を抱えて震える影がチラリと見えた。
狂った様な壮絶な殺し合いを目の前で見て、肩を抱きながら震える男の姿がある。
赤く染まった牢獄の真ん中に立ち、それと同じくらい返り血で赤く染まったヨツヤの顔を見て、男は更に震えた。
「……これが地獄の風景ってんなら、『地獄』っつーのはさぞ素敵な場所なんだろうなぁ」
ヨツヤは、牙をむき出しにしてニタリと笑う。男がソレにビクリと震えた。
恐怖に怯えるその様は実に愉快だったが、身の程をわきまえて、自分の命可愛さに戦いを放棄する腰抜けを殺すのはヨツヤの主義に反する。どうせ震えるならば、死にたくないと叫んで無我夢中で殺しにかかってきてくれれば良いものを、とヨツヤは心中で毒つき、牢獄の隅で震える男に一瞥くれて視線を逸らした。
「うわぁ!? な、何が起こっているんだこれは!」
今度は牢獄の通路の出口の方から、驚愕の声が上がった。ヨツヤが視線を向けてみると、いつもは看守が見張っている鉄格子の嵌められた出口の傍に、白衣を着た中年の男が二人、酷く驚愕した顔をして立ち竦んでいた。
医者だろうか、ヨツヤは、男たちの身なりを見て怪訝そうに首を傾げる。しかし二人は片手に、医者と言う職業には不釣り合いな凶悪な形状の拳銃を握っている。それを見て、ヨツヤの不信は殺気に変わった。
「何が起こってるってひでぇじゃねーか。殺し合いしろつったのはテメェらだろ?」
「なっ……!」
白衣の男たちが、牢獄の真ん中に立つヨツヤに銃口を向ける。それと同時にヨツヤが動いた。一直線の通路、身を隠すオブジェクトなどは一つもない。そんなことは百も承知で、ヨツヤは正面から男たちに向かって走る。
そして当然、男たちは向かって来たヨツヤに向けて発砲する。迫り来る凶器を持った犯罪者に慄き、白衣の男たちは震える手でトリガーを引いた。
発砲音が反響する。それとほぼ同時に、放たれた弾丸をヨツヤの鉄格子が弾き飛ばす鋭い音が響いた。
銃など扱いなれていない男たちにとっては、己が放った銃弾が、細長い鉄の棒如きに弾かれたなど夢にも思わない。銃を撃っても、動きを止めないどころか更に加速して突き進んでくるヨツヤに、男たちは唖然として目を丸くする。
「ゲッ…!」
ヨツヤの鉄格子が、白衣の男の腹に深々と突き刺さった。次いでヨツヤは、その後ろで銃を構えていた男の手首を蹴り飛ばす。銀色のリボルバーが宙を舞い、色白の男の骨ばった首をヨツヤが強く掴んだ。赤く濡れた片手に喉を圧迫され、男はぐもった呻き声をあげる。
「ぐ…ぐう…」
「なんだテメェら、医者か? 医者にしちゃあ、やることがえげつねえよな。何者だ?」
問いかけるヨツヤに、男はもがきながら恐怖に震える瞳で彼を見た。見たところ、戦闘に免疫の無い人間の様である。看守や、警察官はどうしたというのか。
「そ、それは…言えない…。私たちは、唯の研究者で…」
「言えよ」
苛立ったヨツヤの声が響き、ゴキン、と鈍い嫌な音がした。震える唇から絶叫が上がる。あり得ない方向に曲がった男の手の指が、赤く腫れ上がって痙攣していた。
「ひっ…ギギ…う、う…い、言えん…それだけは…。ぐ…私たちの、け、研究の、ためにも……」
痛いに耐えながら呻き声と共に言う白衣の男を、ヨツヤは興味なさそうな冷やかな目で見る。
どうやら、ギャング共と違って力こそないものの、クチは硬い様だ。もう二本ほど、指を折って問い詰める事も出来るが、それも面倒くさい。だったら、何が起こっているか自分の目で確かめに行くのが断然早いし面白いだろう。
「あっそ。じゃあいいや」
ヨツヤは、ニタリと笑って男の首を圧迫する手に力を込める。恐怖で青ざめた男の顔が、赤くなって両の眼球が飛び出しそうになるほど見開かれ、呻き声と共にクチから白い泡を吐き出し始めたあたりで、骨の折れる音がして男の肩がダラリと垂れた。窒息する前に、首の骨が折れたようである。
動かなくなった白衣の男の身体を床に捨て、ヨツヤは鍵の開けられた留置所の出口から外に出た。白い壁の通路があり、刑務官たちの職務室に繋がっているものと見える。
この白衣の男たちも、この通路から来たのだろうか。左右に扉が無いので、そうとしか考えられないが、だとしたら、白衣の男たちと警察はグルだったということになる。普通なら驚くべき事態だが、残念ながらここはメトロだ。そんなこともあるだろう、という理由でヨツヤは納得した。
「と、止まれ貴様! 止まらんと撃つぞ!」
通路の先の曲がり角から慌てた様な男の声が聞こえて来た。一瞬、こちらに向かって叫んでいるものだと思いヨツヤは身構えるが、どうやらそうではないらしい。叫んでいる男の姿も見えないのだ。そしてその直後に連続的な銃声が鳴り響き、ヨツヤは顔をしかめた。
「ひっ! うわあッ!」
「ぎゃあああ! 腕が…腕がぁ…!」
曲がり角の先から、男たちの悲鳴が上がり、それと同時に大量の弾丸が壁のコンクリートを削って床に転がった。なんとも不穏なその空気に、ヨツヤは早足で曲がり角の壁に走り寄り、そっとその先の様子を覗う。耳が痛くなるほどの発砲音は空気を揺らし続け、目の前を弾丸の嵐が過ぎ去った。
「……し…の……ね……どこ……やったのよぉ……」
通路の先の様子を覗ったヨツヤは、その光景を見て驚きのあまり目を丸くし、そして己の想像をはるかに超えた執念を持った彼女に関心を通り越して呆れた。
通路の先に居たのは、全自動式のアサルトライフルを片手に一丁ずつ構えたカグラの姿であった。肩で息をしながら、濁った光を燈す両眼で通路を見渡しながら、マガジンの中身を全弾撃ち尽くしたのか、立ちこめる硝煙の真ん中に立っている。彼女の周りには、肩やら腕やら足やら身体中に銃弾を受けてうずくまる警察官の姿が見えた。
左右の銃のベルトを肩に掛けて固定するカグラは、ブツブツと何かを呟きながら手慣れた動作で弾丸の装填をする。
「私の金、私の金私の金! どこやったのよ、誰が持ってんのよ、早く出さないと……死体の山から探す羽目になるわよ…?」
「ひっ…ヒイイ!」
焦りと苛立ちの入り混じった蒼白な表情で、コクリと首を傾げてカグラは周りで呻いている男たちに問いかける。
しかし、彼らも彼女の求める物の所在を知らないらしく、返って来るのは低い呻き声だけだった。その反応に更にカグラは苛立ちを感じたようで、舌打ちをすると再びアサルトライフルのトリガーに手をかけた。
ヨツヤは再び弾幕を張られては動き様が無くなってしまう。ヨツヤはとしては、カグラが探す金券の所在はともかく、先程の白衣の男たちの正体が知りたいわけで、この通路を安全に通り抜けたいだけなのだ。
「おい! 一人ちゃっかり脱獄したと思ったら、何やってんだよお前は!」
カグラがトリガーを引く直前に、ヨツヤは壁の陰から通路に飛び出した。
ヨツヤの存在に気がついたカグラは、一瞬動きを止めるとゆらりと動いて彼を見る。
「アンタ…、なんで」
「うわあああああ!」
不思議そうに呟いたカグラの背後で、片腕に銃弾を食らった警察官が、自棄の気合いと共に立ちあがって警棒を振りあげた。
カグラは瞬時にそれに気が付き、素早く身体を反転させる。立ちあがった警官の姿を視界にとらえた瞬間、カグラは軽やかに足を振りあげて警官の顔面を横から蹴り飛ばした。
「グギッ!」
警察官の咥内から、血と共に数本の黄色い歯が吐き出される。男の身体はそのまま壁に叩きつけられ、ずるりと床に転がった。
「……なんで、アンタ出てきてんのよ」
「は?」
問われて数秒後、ヨツヤはカグラが自分に問いかけている事に気付いた。
しかし、何故と言われてもヨツヤ自身イマイチ良くわかっていないのだ。ヨツヤが牢から出られたのは、あの白衣の男たちのせいで、奴らが何を企んでいるかも彼は知らないのである。
「説明するとめんどくせえんだけど、まあ上手い事あって出られたんだよ。色々あんだよ俺にも」
「……そうか、そういうこと」
「……はぁ?」
ヨツヤの、説明とも言えない答えを聞いて一人不気味に笑って頷いたカグラに、ヨツヤは首を傾げた。言っておいて何だが、納得してもらえる様な説明をした気はないからである。
「アンタ、ここの税金泥棒たちとグルだったんでしょ。それで私を無理矢理窃盗犯に仕立て上げて、私から金を奪ったんだ。そうだ、絶対そう……」
「おいおいおい……」
カグラの持つ、フルオートアサルトライフルがワナワナと震える。俯いて低い声で唸るカグラは更に続けた。
「そうよね、だってアンタ、あの金山分けしろって煩かったもんね。一人占めした私を恨んで、私からあの金を奪ったんだわ。回りくどく警察と手を組んでまで……、絶対許さない……」
「んなわけねーだろーが。なんで俺がそんなめんどくさい事を……」
「嘘つくなこの裏切り者ぉ!!」
途端に、カグラの構えるアサルトライフルが火を吹いた。軽快な発砲音が鳴り響き、ヨツヤは慌てて壁の陰に隠れる。さすがに丸腰では、トリガーを引いているだけで攻撃可能なフルオート小銃に勝ち目など無い。耳を塞ぎたくなるような破壊音を立てて、カグラの放つ銃弾はコンクリートの壁を見る見るうちに削って行く。
今のカグラに、話が通じないのは明白な事実である。というか、何の約束もした覚えもないのに裏切り者とはどういうことだ。身に覚えの無い罵声に、ヨツヤは悔しげに顔をしかめた。
「そうだ、そう! ここに居る奴ら、全員私の金を狙ってたのよ! だから適当な事言ってここに私を閉じ込めたんだ。あは、あはははは! わかった! だったら全員ぶっ殺せばいいんだ。そうすれば、私の金は…金は守られるんだ! あはは…なぁんだ、簡単な事じゃない!」
カグラの被害妄想は、銃声と共に更に膨れ上がる。狂気に身を任せたまま大きく見開かれた茶色の瞳で銃を乱射するカグラに、ヨツヤは困った様に苦笑した。
「アイツ、頭可笑しいんじゃねぇの」
ヨツヤが呟いた直後、巨大な爆音と共に、爆風と地鳴りが同時に起こった。熱い熱風が吹いたかと思うと、足元を揺らす地鳴りが、コンクリート製の壁に亀裂を走らせる。
ヨツヤが身を隠している曲がり角の向こうで、ガラガラと建物が崩壊する様な破壊音が鳴り響いた。爆弾でも爆発したのか、と思い、ヨツヤはそっと通路の先の様子を覗ってみる。
「……こりゃあ」
ヨツヤは驚愕に顔をしかめた。先程まで屋内であった通路は、天井が吹っ飛ばされ、空を仰げば薄い雲のかかったメトロの夜空が広がっている。そして、まるで爆撃でも受けたかのように大きく陥没した通路は硝煙の臭いが立ち込める大惨事となっていた。元より、カグラの暴走で大惨事だったわけだが、今や通路そのものの見る影すらない程に破壊されている。
その爆心地から少し離れた場所で、アサルトライフルを両肩に掛けたカグラがうつ伏せで倒れていた。
「う…う……」
死んだかな、と思って傍に寄ってみると、しぶとくうめき声を上げながら動いたので、ヨツヤは僅かにガッカリして溜息をついた。
カグラの銃撃が止まって、ホッとしたのもつかの間。更なる爆音と地鳴りが響く。そして、通路の天井が吹っ飛んだことで留置所の外で鳴り響いていた、エンジンを盛大に空ぶかしした様な騒音がヨツヤを襲った。
「な、何なんだよったく……!」
脳味噌を揺らすような騒音と、夜風にしては強すぎる風圧に目を細めながら、ヨツヤは顔を上げて空を仰ぐ。
空を見上げてヨツヤは仰天した。この騒がしすぎるエンジン音の元凶が、月明かりに照らされてヨツヤやカグラに大きな影を落としていたのである。
ヨツヤは、それの真下にいるので正面からそれを認識することはできない。しかし、彼はそれを昼間に見た覚えがあった。
それは、鉄の塊だった。白い蒸気をそこかしこから吹き出しながら、ガクガクと痙攣し、今にも墜落しそうな鉄の塊だ。
空飛ぶ鉄の塊を見上げ、唖然としているヨツヤに向かってそれは空中で旋回し、凶悪な光を放つヘッドライトを彼の立つ方向へと向けた。
『全弾めいちゅう! めいちゅう! いいぞいいぞRPG! この調子で建物全部吹っ飛ばせ!』
鉄の塊から、苛立たしいまでに楽しげな、そしてどこか聞き覚えのある少女の声が、拡声器を通して夜空に響き渡った。そしてその直後、鉄の塊の下部に設置された、凶悪な鉄の筒がギラリと光り、絶望的な黒色を携えてヨツヤに向けられた。
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目にも留まらぬ素早い蹴りが、まるで瞬間移動でもしたかのように真横に現れた時、ツキシマは銃を抜く暇も防御態勢を取る暇も間々ならず、脇腹に鈍い衝撃を受けて、気付いた時には部屋の壁際に並んでいる、モニターや様々な入力装置やレバー等の取り付けられたディスクに叩きつけられていた。
背中と腹部に鈍くも強烈な衝撃が走る。息が詰まって、噎せ込んでしまいそうな痛みだ。慣れた痛みではあるが、できる事なら痛覚など感じたくない。
ツキシマの背中の機器類は、モニターのブラウン管を破壊するにとどまったが、一つも言葉を交えずに、どうしてここまで凶悪な攻撃を人に加えられるのか、ツキシマは不思議で仕方ない。尤も、言葉を交えるための声を持っていないのはツキシマの方であるが。
「とう!」
カナメが、拳を握りしめ地面を蹴って、壁際の機器類を背にへたり込んでいるツキシマに向かって距離を詰める。
また、瞬きする瞬間の出来事である。一瞬にして迫ったカナメの右拳が、この理不尽な状況に鬱々としているツキシマの目の前に空を斬って現れた。
「!?」
ドゴォッと、ツキシマの耳元で強烈な破壊音を響かせながら、その拳はツキシマの頭の真横に突き刺さり、機器類を破壊してその中のコードをぶち抜き、火花をバチバチを光らせた。
目標を見誤った様である。もう数センチずれていたら、ツキシマの頭部は豆腐が砕けた様に四散していたかもしれない。
「外したか。でも、次は外さない」
カナメはにんまりと笑って、今度は左拳を振り上げた。
それを見てツキシマは背筋をゾッと凍らせる。拳で頭が砕けるなんて恐ろしすぎてツキシマには想像できない。想像したくもない。
カナメの拳が、ツキシマ目がけて放たれた瞬間、ツキシマは背中を滑らせてずるりと下方に避ける。再び目標を見誤ったカナメの拳は、高度な機材に突き刺さった。
頭上で恐ろしいほどに凶悪な破壊音を聞いて、ツキシマは一人知れずゾッとすると、反撃の為素早く両膝を折った。
攻撃を避けられて、目を丸くしているカナメの胸めがけて、ツキシマは硬い皮の靴底のアーミーブーツを放つ。
「ぐっ……!」
胸部への攻撃に、カナメは噎せて後方へ吹き飛んだ。薄暗い室内に埃が舞う。機械の乗ったディスクや椅子を、四方に吹っ飛ばして散らかしながら床に転がったカナメを見て、ツキシマはコートの裾についた埃を叩き落としながら立ちあがった。
人がいた形跡はあるのだが、どうにもこの部屋は埃っぽい。掃除を怠っていたに違いない。
「ゲホッ…、は、はは! タツミの言うとおりだ。やっぱり貴方達は、すごく強い」
床に転がったカナメは、咳をしながら上体を起こし、曲がったヘルメットの方向を正すと顔を上げてツキシマを見た。不気味なほど無邪気な笑顔を浮かべたカナメの黄土色の瞳には、希望と共に、どこか、眩しすぎるが故の狂気を感じる。
「強い人は…だめだ、倒さないと。強者は悪党の予備軍だから。僕が倒せない様な人がいてはいけないんだ。メトロを守るためにも、悪を滅ぼすためにも…」
そう言って、カナメは立ちあがる。彼の、悪への強烈な潔癖は、悪を産む可能性すら許さない。
産まれてからでは遅いのだ。被害が出てからではダメなのだ。悲しむ人が出る前に、少しでもではない。全ての悪を、カナメは滅ぼしたいのである。
「だから、ヒーローは負けちゃいけないのさ」
カナメが拳を握りしめて地を蹴った。やはり、速い。真正面からのシンプルな攻撃のはずなのに、ツキシマにはその動きを視覚では無く気配でしか感じ取れない。
一瞬にして、カナメの姿がツキシマの目の前に現れる。銃を抜いてる暇などない。素手はどんな武器よりも速い。いい例だ。
彼の攻撃が終わった瞬間、動きが一瞬停止する時を狙わねば、カナメの動きを補足することはできないのだ。
ツキシマは、全身の力を抜いて全神経を視覚に集中させる。動きに着いていけないからと言って、サンドバックに成りたくなどない。
カナメの黄土色の瞳が、眼前でキラリと煌めいた。しかしその瞬間、ツキシマの目の前からカナメの姿がフッと消えた。
「……!?」
「そっちじゃないよ」
足元で、クスリと微笑む様な声が聞こえる。声に反応して、反射的に視線を落としたツキシマ目に映ったのは、腰を落としてしゃがみこみ、低めの体躯を利用してツキシマの死角へと入りこんだカナメの姿だった。
寸瞬前と同様に、にんまりと笑って瞳を煌めかせるカナメは、握りしめた拳をさらに強く握り締め、両足に力を入れて勢いよく跳ねあがった。
「喰らえ! 必殺剛殺、フレイムバーストキャノンカナメスペシャル!!」
笑ってしまう様な掛け声とともに放たれた拳が起こした衝撃は、それに反して実に笑えない物で、カナメの拳がツキシマの胸部と腹部の間に炸裂すると、ゴシャァ! という音と振動がツキシマの体内に鳴り響いた。
カナメの放った拳の衝撃は、慣性に従ってツキシマの身体を後方に吹っ飛ばすことは無く、その衝撃はツキシマの身体の内に留まり、彼の体内を悉く破壊する。
ゴポッと、ツキシマの咥内に冷たい血の味がひろがり、カナメの拳によって砕かれた肋骨と肺と、潰れた胃などその他諸々の臓器が『体』という皮の中でシャッフルされたような感じがした。否、されたのだ。
「……あれ?」
しかし、そんな痛みも衝撃も受けても尚、死ねないのが彼の憂いで。
自分でも驚くほど拳が目標にクリティカルヒットしたのを見てにんまりと笑ったカナメであったが、それと同時に可笑しな違和感を感じた。この技、フレイムバーストカナメスペシャルは、前にも街の悪党に放ったことがあるのだが、その時は相手の心臓を潰した上で体内の臓器を粉々にしたのだ。しかしどうにも、今回はその感触が薄い。
心臓を潰せた気がしないのだ。
「…心臓が、ない?」
怪訝そうに顔を上げたカナメの手首を、ツキシマががしりと掴んだ。
普通の人間が受けて、到底生きられるはずもない衝撃を受けて尚、動くことのできるツキシマにカナメは驚き大きく目を見開いて言葉を失う。
動きが止まった。それをツキシマは見逃さなかった。
防毒マスクのフィルターから、どろりとした血を吐き出しながら、ツキシマはカナメの腕を掴んで力ずくでその身体を振り回す。年相応というよりは、少し細い彼の身体は、空気抵抗すら受けていないかのようにぐるりと宙を舞うと、部屋の奥の実験室を見下ろす大きなガラスに叩きつけられた。




