2
*
ツキシマが通された場所は、見るからに一癖も二癖もありそうな、警察署の地下に作られた小部屋だった。
人目についてはまずいと、まずは警察署の裏手にこっそりと積み荷を積んだライトバンは停車した。下っ端のギャングたちと共に積み荷を降ろしていると、署内から制服を着た若い警官が出てきて、積み荷共々、ツキシマ達はその地下の部屋に通されたのである。
しかし、警察署の地下とは言ったが署内に隠された階段を下り、さらに長いこと歩かされたので、確実に警察署の施設の真下の部屋、とは言い難い。歩いた方向、時間を考えるに、警察署の敷地から出たということはなさそうだ、とツキシマは推測する。だが、ツキシマ自身もこの建物の外観をハッキリと見た事があるわけでは無いので、その推測も信憑性に欠ける。
「ったく、警察署の地下にこんな胡散臭せえ場所があったなんて驚きだぜ」
積み荷をともに運んできた長髪のギャングが、溜息交じりに言った。
室内は、そう広いものではないが物が無い為に実際以上に広く感じる。部屋の奥に積み荷を運ぶ仕事を終えたツキシマは、ぼんやりと室内を観察しながら男の声に耳を傾けた。
「ホントっすよ。まあ俺らみたいな犯罪者と取引しようって奴らですしね、マトモなわけねぇや。しかもそれが警察なんて公共の組織とは……世も末っすよ」
黒髪の男の舎弟の様な、背の低い短髪の男は愚痴る様に言った。
確かに、マトモな組織ではないだろうが、だからと言って地下に部屋を作る事に何の意味があるのだろうか、ツキシマは疑問に思う。そんな彼の疑問を、長髪の男が親切にも代弁してくれた。
「確かにそりゃそうだが、だからってなんで地下にこんな部屋があるんだ? しかも相当広そうだぜ」
「あれ、先輩知らないんスか?」
不思議そうに問う男に、落ち着きが無いのかそれとも元からなのか、よく喋る短髪の男は驚いた様な声をあげた。
「警察署の噂。街の住民共が良く話してますよ」
「なんだ? 知らねえな」
そんな噂は、今日の昼間にノアメトロに来たばかりのツキシマも知らない。
お喋りな舎弟は、何故か得意そうに答えた。
「警察が持ってる、研究施設の噂ですよ。メトロの安全を守るための研究なんだそうで」
「ハッ、俺たちと取引なんぞしながら、ご苦労なこった」
長髪の男が、馬鹿にしたように笑う。全くその通りである。いかがわしい薬と引き換えに、メトロの安全を売ろうとする輩が今さらその安全を謳うとは、ツキシマは、防毒マスクの下で嗤った。
しかしそんな事は気にせずに舎弟は続ける。
「いやそれがまた、不気味な研究だそうですよ。なんでも、人とクリーチャーをどうこうする研究だとか」
「……」
舎弟が、住民たちが口ずさんでいた噂話を思い出す様に言うのを聞いて、ツキシマの注意が全て、その話に向いた。
「はあ? なんだそりゃ。化け物と人間が、どうするってんだ?」
長髪の男が、馬鹿げた話だと哂った。
「だから、噂話だって言ってるじゃないっすか。夜な夜な警察署の地下では、不法な人体実験が繰り広げられていて……」
「イースメトロのオカルト雑誌にも載らねえよ、そんな馬鹿げた話……あ?」
顔をあげて笑う長髪の男の視界が不意に暗くなった。そもそも、部屋には少し大きめの電球が一つしかなく、椅子すらない室内で、積み荷の木箱の上に腰かけている男の前に人が立てば、簡単に視界の光は遮られるのである。
要は、笑う男の目の前に、不意にツキシマが立ちはだかって、無骨な防毒マスクの下から男を見下ろしていたのである。
「なんだ、おま……ゲッ!」
唐突に、視界に入る光を遮ったツキシマに、男が怪訝そうな顔を向けると、ツキシマは静かに腕を引き、男の喉仏めがけて勢いよく手刀の突きを放った。
空気すら射抜くほどに、強烈な勢いで放たれたツキシマの手刀は、男の喉を抉り、薬指の第三関節の辺りまで突き刺さると、ビュ、と再び空を切って引き抜かれた。
呆けた様な顔の下の喉には、真っ赤な穴がクチを開け、正常にクチから抜けるはずだった空気が喉に開いた穴から血液と一緒にゴポリと音を立てて溢れだした。
「ヒュ……ごぽっ」
陸にあげられた魚の様な音を立てて、呼吸の出来なくなった男は目を回しながら、血の溢れる喉を押さえて床に倒れた。ツキシマの背後で、僅かに動揺する声が聞こえる。
「な、なにしやがんだテメェ!」
舎弟が、懐からナイフを取り出してツキシマに切りかった。部屋の電灯の光を反射し、キラリとナイフが光る。
男の動揺する音を聞いて、ツキシマはくるりと身を翻した。目の前に迫ったナイフを、ツキシマは迷うことなく手で受け止める。ざくりと、ナイフの刃が厚手のグローブを切り裂いて、数センチばかりツキシマの手に食い込んだ。
ひやりとした冷たい血液が、ナイフの柄を握る男の手に滴る。その冷たさに気を取られていると、ナイフを持つ男の手がツキシマに握られ、あらぬ方向へと捻り曲げられた。
「ぎゃああああああ!!」
あまりの痛みに男は絶叫し、ナイフから手を離した。それを見逃さず、ツキシマはナイフを奪い取り男の胸倉を掴みあげる。背の低い男と、異様に背の高いツキシマ。男の身体が宙に浮いたのは当然の事であった。
「ぎっ…うぎ…て、テメェ! いったいなんなんだ…!」
男が、虚勢を張ってツキシマを睨む。だが彼はその問いに応える気などさらさらない。
ツキシマは、奪ったナイフの刃を男に口端に添える。今にもクチを裂かんと光るナイフを見て、男は縮み上がった。
「ヒ、ヒィ! や、やめてくれぇ! こ、殺さないで!」
男が情けない悲鳴をあげて目ときつく閉じた。
はて、どうしたものか、とここでツキシマは困りこむ。何故なら、ついつい勢いで動いてしまったものの、ツキシマは先程この男が話していた『警察署の研究所の噂話』について知りたいのである。彼から話を聞きたいのだが、如何せんツキシマには『噂話について教えろ、そうすれば命だけは助けてやる』などと交換条件を男に突き付ける事ができない。
筆談なども思いついたが、そう都合よく紙やペンなど持っていない。何より、目の前のチンピラが文字を読めるかどうかすら危うい。
「…………」
「ひ、ヒイイイイイ!」
どうにか空気で要求を察してはくれないだろうか、とツキシマはナイフを男に向けたまま、ジッと沈黙してみた。
しかし、男は当然怯えるばかりでツキシマの無言の防毒マスクを見ようとすらしない。これはなんだか、どうしようもない様な気がツキシマはしてきた。
結果。
「ヒッ……! ぎっ」
ツキシマは、無慈悲にナイフを男の額に突き立てた。ドスッと重い音がして、額の上に真っ直ぐにナイフが突き刺さると、ツキシマは男の身体を無造作に床に落として部屋を出た。
噂話について、詳しい話が聞けなかった。ならば、直接確かめてみればいいのだ。ここは警察署の地下、研究施設とやらが本当に存在するならば、自力で確認することが可能である。というか、その方が手っ取り早い。
ギャングと警察の麻薬取引についても気になるが、クリーチャーと人間、人体実験、などと言ういかにも怪しいワードを聞いたツキシマは、嫌な予感しか感じない。
もし仮に、その噂が本当だとしたら。男の想像した通り、人体実験なるものが行われているとしたら。許されないことである。そんな実験は、あってはならないのだ。
ツキシマは、強くそう思った。
部屋の外に出たツキシマは、先程この部屋に来る際に歩いてきた方向とは、逆方向に伸びている通路を歩いた。
それなりの広さを保たれた通路は、簡素なコンクリート製ではあるが、照明が燈っているのでまだ明るい。
部屋に案内された際は、案内人の警察官に『部屋の外には出るな』と念を押されていたが、その割には部屋の前に見張りなどはなく、通路も不気味なほどに音が無い。その上人の気配もない。
と、そこへ。通路を歩くツキシマの頭上から何やら連続的な銃声の様なものが、天井を通して響いてくるのが聞こえた。
地上で、何かがあったのだろうか。ただ事ではないのは確かだろう。
不審に思ったツキシマの前に、一枚の扉が立ちふさがった。
ツキシマが案内された部屋とは、全く異なった形状の扉だった。鉄製なのだが、ドアノブなどはなく、一見したら行き止まりにも見える様な扉だ。
「……!」
不審がってツキシマがそのドアの前に立つと、扉は彼の存在を感知して自動で開いた。
自動ドアである。こんな代物は、メトロでは見た事が無かったのでツキシマは酷く驚き、怪訝そうに暗い室内を覗き見ながら、そぅっと室内に足を踏み入れた。
室内に入ると、今度は部屋の照明が自動的に点灯した。ヴン、と電気の走る音が聞こえて、暗い室内を人工的な光が照らしだす。
部屋の内部も、また異常であった。部屋の入り口から向かって縦に長い部屋の側面には、ブラウン管のモニターが埋め込まれた様々な機械類が並んでおり、電源の入っていないテレビの様なモニターがたくさん並んでいる。機械が乗ったディスクと大量の椅子が、この部屋に幾人もの人間がいた事を証明していた。しかし、今この部屋には人の気配はない。がらんとした室内に、動いていない機械が大量に並んでいるだけである。
室内の最奥は、ガラス張りになっていた。ガラスの奥に、更に広い実験室の様な物が見える。ガラスの向こう側が暗くてよくわからないが、この部屋から、奥の実験室を見下ろす形になっているようである。観察室とでも言おうか、この部屋は、ガラスの向こうの実験室を観察するために造られたような部屋らしい。
ツキシマは、観察室の様子をざっと見て、思わず立ち竦んでしまった。
自動ドアの外の通路とは、全く異なる空間。それどころか、メトロでよく見かける様な、錆ついたジャンクメカの類でなく、見る人間なら分かる高性能な機械の数々。そして、電気の点いていない不気味な実験室。
それらを見て、ツキシマはゾッとした。無いはずの心臓を鷲掴みにされた様な不快感と、喉を絞め上げる様な圧迫感で呼吸が止まってしまう。床をしっかりと踏みしめているはずの両足は僅かに震え、気を抜けばその場に膝をついてしまいそうな緊張感を感じる。
嫌な感じがする。とても嫌な感じだ。腹の中には何も無いはずなのに、そのどうしようもない不快感に胃液を吐きだしたくなった。今にもここから飛び出して、メトロの乾いた風に当たりたい。そうツキシマは思う。
誰もいない、無音の機械だけが並ぶ室内を見て、幾人もの白衣の人間が忙しなくディスクの上のモニターを睨みつけながら、高速で手元の入力装置を叩く姿が目に浮かんできた。幻覚だとわかっているのに、それは圧迫感のある重量感を持ってツキシマの目の前に広がる。
そして、最奥のガラスの向こう側の、実験室を見下ろす白衣の人間たちがいる。彼らは、実に興味深そうに頷きながら、狂気を孕んだ双眸で、向こう側を見下ろしている。
その目は、とめどなく溢れる好奇の目である。狂った研究者の、残酷な恐ろしい両眼である。
彼らの視線の先にあるのは……。実験室の中に、ぽつりと佇んでいるのは……。
アレは。
「チェストオオオオオオオ!!!」
「……!」
湧きあがる嘔吐感に胸を押さえ、僅かに後ずさりしていたツキシマの背中に、強烈な衝撃が走った。
蹴りか打撃か、詳しいところはわからないが、あまりの衝撃にツキシマは身体を逸らせて機械の乗っていたディスクや椅子を吹き飛ばしながら、大げさなまでに部屋の真ん中あたりまで吹っ飛んだ。
衝撃を受けた瞬間、ゴキィと嫌な音がしたので背骨が折れたものと思われる。立てるかどうかわからなかったが、ツキシマは痙攣してうつ伏せで倒れた状態からなんとか上体を起こして復帰し、一体何が起こったのか状況を把握しようと顔をあげた。
「ん? あれ、ガスマスク? ああ、もしかして貴方が例のツキシマか!」
顔をあげたツキシマに、やたら元気な少年の声が聞こえて来た。聞き覚えのある声である。部屋を見たときとはまた異なる意味での嫌な感じに、ツキシマはよろよろと立ち上がった。
先程まで、ツキシマが立っていた部屋の入口に、ヘルメットを被った少年の姿が見えた。色褪せた赤いマントに水色のジャージ、昼間、強盗たちのバンを追いかけてきていた少年である。
例のツキシマ、と言われてもどの『例の』だかはツキシマの知る所では無い。というか、彼はタツミと一緒に居たはずなのだが、さて彼女はどこに行ったのだ。
やっとのことで立ち上がったツキシマは、真っ直ぐに少年を見据えた。
どうか、少年がタツミから『ツキシマは悪い人じゃないからやっつけちゃだめ』と気の利いた事でも聞いていて、ここは穏便に解決してくれたら嬉しいな、などと考えていたツキシマに、少年はニッコリと、年相応の人懐こい笑みを浮かべながら、ツキシマに向かって拳を向けた。
「だとしたら、ちょっとばかりぶっ殺させてくれ!」
どうやら、ツキシマの思う様に事は動いてはくれないようである。
どうしたらそう、物騒な言葉を発するに至るのか、実に興味深いところではあるが、少年にマトモな言葉が通じるとは到底思えなかった。
ツキシマは、諦めた様に肩を落として少年と対峙した。
嫌悪感から起こった吐き気は、いつの間にかとまっていた。




