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窓の無いメトロの留置所内は、昼と夜の区別が付きにくい。そのうえ、昼も夜も屋内に響くのは、檻の中に閉じ込められた男たちの喧騒ばかり。暇を持て余した犯罪者達は、同族を罵り喧嘩を吹っかける事でしか暇をつぶす方法を知らないのである。
そんな、周りの迷惑など顧みずに続けられる喧騒の中、ふてぶてしくもマイペースに、と言うよりも欲望に忠実に、冷たいコンクリート製の床に寝転がりながら寝息を立てるヨツヤの姿があった。
首に巻いた、ベージュの色褪せたマントはそのまま、愛用の人斬りカタナだけが、警察に連行された際に没収されてしまい、彼の手元には無かった。
「あああああああああ!!」
「!?」
しかし彼の安眠は、丁度心地よくまどろんできて、深い眠りにつかんと意識を夢の大海原に投げだす直前に、向かいの牢獄に閉じ込められた女の放つヒステリックな叫び声によって妨害される。
意地の悪い看守たちに、数日前の事件で稼いだ金の金券を奪われた後、ずっと牢の隅で呪詛の念を撒き散らしていたカグラの叫び声であった。
留置所に入れられていた時間はそう長くないにもかかわらず、彼女の短い茶色の髪は、乱暴に掻きむしったかのようにボサボサになっており、頬はこけて顔面は蒼白となっている。両目は血走り、牢の隅からフラフラと鉄格子の傍まで歩み寄って来た彼女の姿に、周りの牢に捕らわれた犯罪者たちも思わず恐怖に慄いた。
「……お前」
おおよそ、人の女がするような顔とは思えないカグラの形相を見て、どれだけあの金が大事だったんだ、と流石のヨツヤも引き攣り笑いを浮かべる。
そんな彼の心の呟きなど気にする素振りすら見せず、カグラは不気味に笑いだす。
「くっ…くくく…く…あ、アハハハハハハハ! そうよ、簡単な事だわ。ハハハハ…なぁんで気付かなかったのかな。簡単よ、出ればいいのよね、ここから…」
俯きながら、ブツブツと呟くカグラの不気味さに、周りの男たちは同行者であるヨツヤに助けを求める様に視線を向ける。
そんな目を向けられても、ヨツヤにはどうしようもない。なので、とりあえず問うてみた。
「出るって、どうやって」
顔をしかめて対面から問いかけてくるヨツヤに、カグラはにんまりと笑う。そして、スッと懐に手を入れた。
「これで」
短く答えるカグラが、懐から取り出したものは、暗い留置所を照らす電灯の光をキラリと反射する、一本の細い針金であった。
<Cookie 4-3> It’s my Hero life!
「あの女…、今度会ったらぶっ殺してやる…」
冷たい鉄格子を両手で掴んだヨツヤは、恨めしそうに空になった向かいの牢屋を睨んだ。
牢を閉ざした南京錠を難なくピッキングで解錠すると、カグラは憎らしいばかりの笑みを浮かべて牢を出た。ヨツヤや他の犯罪者たちが、脱獄した彼女を見てこぞって『こっちも開けろ』と声をあげたが、カグラは先刻の看守顔負けの意地汚い笑みを浮かべて牢獄内に囚われるヨツヤ達を見下ろして言ったのだ。
『アンタらみたいな犯罪者には、薄汚い檻の中がお似合いだわ。せいぜい出荷を待ちわびる事ね、豚ども』
とんでもない性悪女である。ここまで女がゲスいと思ったのは、ヨツヤは初めてだった。
その後、カグラは留置所の通路の奥に設置してあった、大きめの通気口の蓋を蹴破り、スルスルと脱獄してしまったのである。
周りの犯罪者達は、看守が来たら速攻で報告してやると意気込んでいた。
とはいえ、自分もそろそろどうにかしてここから脱出しなくてはならない、とヨツヤは考える。自分は犯罪者などでは無いし、メトロの法には準じて生きているつもりだ。…例外と言うものはあるが。
仮に、犯罪者達が囁いている『搬出』の噂が本当だとしても、ヨツヤはシティになど行きたくない。彼は、今のメトロで十分満足しているし、メトロ以上に面白いものなど無いと思ってもいる。彼は、シティという存在に興味が無いのだ。よって、さっさとヨツヤはこの留置所から脱出したいのである。
とまぁ、うろうろと考えてみたものの、結局彼が下した結論は『なるようになる』というものだった。
下手に考え込んで事を起こすよりも、時には事が起きるのをじっくり待つのが重要であったりもする、ということもある。要は、いい案が思いつかなかったのだ。
そう思い、何度目かの睡眠に入ろうとヨツヤは再び床に転がる。眠気が襲ってくるということは、恐らく外はそろそろ暗くなってきた時間帯なのだ。ヨツヤは己の体内時計を過信している。
薄暗い牢獄の中で、目を閉じようと瞼を下げた瞬間、突然留置所内の照明が全て落ちた。
ヨツヤが目を閉じたからではない。通路にのみ設置されていた電灯が、一瞬にしてぷっつりと、光を失ったのである。停電でも起きたのか、と思うほどに突発的であった。
「なんだぁ!? 何があった!?」
「停電か!?」
窓の無い留置所では、電灯の光が消えてしまえば視界は真っ暗闇である。至る所から、囚われた犯罪者達の声が上がる。
突然の暗闇に跳ね起きたヨツヤだが、上体を起こしてみても何も変わらない。目の前は真っ暗で、聞こえてくるのは男たちの怒鳴り声ばかりである。
そんな中、ヨツヤはふと、通路があるであろう方向からうっすらと、複数の高い靴音がするのを聞いた。
「靴音?」
通路を歩く人間など、ここでは看守たち以外には居ないだろう。先程の様に、騒ぐ犯罪者達を宥めるために来たわけでも無い様だ。
靴音は、ゆっくりと通路を歩き、やがてヨツヤの耳にもその足音は、男たちの怒声に溶けて聞こえなくなった。
しばらくの間、暗闇が続く。どれほどの時が過ぎたのだろうか、彼らの目が暗闇にも慣れ始めた時、再び唐突に、留置所内の電灯に灯りが燈った。
「何だったんだ?」
「さぁ?」
「おい! 見ろアレ!」
犯罪者たちが、次々と騒ぎ出す。誰が最初に気付いたか、その異変に声をあげた時、彼らの視線はある一点に注がれた。
それは、彼らが囚われていた牢の、鉄格子を閉ざす南京錠であった。
カグラが、難なく細い針金で解錠した南京錠が、何故か鉄格子の戒めを解いて通路に転がっている。それを見て、囚人たちはすぐさま冷たい檻の中から外へ飛び出した。
「何だ? 何が起きてる?」
「俺が知るか!」
「やった! 外に出られたぞ!」
まだ、場所は留置所の中だというのにおめでたい犯罪者たちである。
ヨツヤは、不審に思いながらも鉄格子に手をかけてみる。足元には解錠された南京錠が落ちていたので、他の牢獄と同様、彼の鉄格子は難なくその封を解いた。
『ガ…ガガガ……、えー、セイシュクに、セイシュクに』
突如、どこからともなくノイズ混じりなフィルター越しの音声が、留置所内に響いた。
どこかにスピーカーでも設置されているらしい。大音量で流される耳障りなノイズ音声に驚いて、囚人たちは騒ぐのをやめて黙り込んだ。
『ヨイ事です。ヨク聞いてくだサイ、小汚い犯罪者ドモ……』
クチ汚く言葉を発するスピーカーは、ヨツヤの視界には見当たらない。突然の事に戸惑う彼らは、僅かにざわめきながら互いに目配せする。
『コレから、シケンを、開始します。ゴウカクシャには、この留置所から無償で出所デキル権利を与えマス』
留置所内のざわめきが増す。しかしスピーカーの音声は、そんな事は気にせずに話を続けた。
『シケンは簡単。ミナサン、ゼヒゼヒ、イマここで、殺し合ってくだサイ』
「……何だってぇ!?」
この一言には、流石の囚人たちも反論の声をあげた。
一斉に、狭い留置所内に野太い男たちの声が氾濫する。
「どういう事だ!?」
「何だそりゃぁ?」
『ルールは…カン…ン……、最後まで…き……ノ……』
「おい! わけわかんねえぞクソ看守共!」
「そうだそうだ! ちゃんと出てきて説明しやがれ!」
『ゴウカク……、署長、ガ……』
男たちの喧騒に紛れて、大音量のはずのスピーカーの音声が徐々に聞こえなくなって行く。
わけのわからない、突然の出来事に対処できない順応性の低い彼らは、ただ馬鹿の如く吠える野犬の様に、まとまって文句を言うしか能が無い。
傾聴を妨害する雑音に、ヨツヤは苛立って舌打ちをした。
「うっせーな…、聞こえねぇだろうが」
状況が理解できていないのは、彼も同様である。そしてその状況を理解する手立ては、囚人たちの文句に掻き消されるスピーカーの音声だけなのだ。
ヨツヤは、騒ぐ男たちの群れを押しのけて、留置所の通路のちょうど真ん中あたりまで歩み寄る。押しのけられた囚人たちは、皆一様に怪訝そうにヨツヤを見るが、今はそれどころではないようで、再び見えないスピーカーに向かって文句を言う作業に戻った。
「……おい」
通路の真ん中までたどり着くと、ヨツヤはとりあえず目に付いた、ガタイの良い、いかにもギャングの風体の男の肩に手を乗せた。騒ぎに乗って、無意味な怒声をあげていた男は、背後のヨツヤに気がついて怪訝そうに彼を見る。
「あ? なん……うぐっ!?」
全て言わせる前にヨツヤは男の歯を殴りつける様に咥内に手を突っ込んだ。顎が外れ、口端が裂ける事などお構いなしにヨツヤは男のクチに拳を突っ込む。
何事か、と驚いた男と周りの囚人たちは、ヨツヤの奇行にスピーカーに向けていた声をピタリとやめて、どよめいて彼を見る。
周りが静まり返ったのを見て、ヨツヤは満足げに笑った後、男の咥内のでぬるりとその舌に爪を立てた。
「うるせーっつってんのが聞こえねーのかよ、ゴミが」
どこか愉快そうなまでの笑みを浮かべたヨツヤは、爪を立てて掴んだ男の舌を、勢い良く構内から引き抜いた。
ブチン、とゴムが切れる様な音がした後、ヨツヤの手は真っ赤に濡れた汚い舌を掴んで宙を舞う。舌を抜かれた男は、クチから大量の血を吐いて卒倒した。
「おい! どっから喋ってんのかは知らねぇが、見てんだろ? 俺たちに殺し合えって? は、ははは…。正気か?」
赤い返り血を身体に浴びたヨツヤが、不気味に笑ってどこへでも無く問いかける。
ノイズ交じりの音声は、僅かに動揺したように黙り込んだ後、すぐに答えた。
『正気デス。シケンにゴウカクした方一人だけに、この場所から出る権利を与えまショウ。モチロン、ゴウカクシャ様の前科も、全てチャラにしてさしあげマス』
「へえ、もしその試験とやらの参加を拒否したらどうする?」
『カンタンなコト。シケンへの参加を拒否した場合ニハ、そのまま留置所に残っていただきマス。ソシテ、後日某所まで搬出させていただきマス』
「行先は、シティか?」
『お答えできまセン。少なくとも、貴方方のヨウなクソ犯罪者共が運ばれる場所。ロクなトコロでは無いことは確かです』
「そりゃそうだ。しかしテメェ、犯罪者共という割に、やろうとしてる事は法外じゃねぇか? テメェら、警察じゃねえだろ」
ヨツヤがスピーカーの音声に問いかけた。相手が一人では無い事は、先程暗闇の中から聞こえた複数の足音で予想できる。
いつしか周りは、彼とスピーカーの問答に耳を傾けるようになっていた。
『お答えできまセン。ソウゾウは、ドウゾご自由に』
抑揚の無い声でスピーカー音声が答える。ヨツヤは、どこまでも愉快そうな笑みを浮かべて、クック、と喉奥で笑った。
「まあ、警察だろうが違かろうが関係ねぇ。こんな笑いが止まらなくなるくらいに素敵なイベントを起こしてくれたんだ。テメェらにはじっくりお礼してやらにゃあならねぇな」
狂気的に笑って、ヨツヤは手に握っていた、鮮血の滴る舌を天井の隅に向かって投げつけた。留置所内にいた囚人たちの視線が、その天井の隅に集まる。電灯の光の陰になったそこには、注視しないと気付かないほどの大きさの小型カメラが設置されており、今はそれは、ヨツヤの投げつけた舌によって血まみれに汚れていた。
どう考えても、そのカメラを通してスピーカーの声の主が、留置所内の様子を確認していたことは間違いないだろう。
「首洗って待ってな。すぐに全部片付けてやる」
『できるモノなら。ルール説明以上。説明オワリ』
ノイズ混じりの音声は、短く告げるとマイクの電源を落としたようで、ブツリと電気が途切れる音がすると途端に留置所内は無音になった。
一瞬、その無音を感じたあと、ヨツヤは笑い声をあげながら身を翻した。
「聞いたかテメェら! 殺し合いに生き残った奴一人に脱獄権をくれるってよォ! しかも不参加はどこかもわからねぇ場所に連れて行かれちまうそうだ! くっ…はははは! やるしかねえ、やるしかねえよなぁコレは!」
腹を抱えて、嬉しそうに笑うヨツヤに、犯罪者達は一歩後ろに慄いた。
彼らが、このわけのわからない状況で狂ったように笑い声をあげて、その上さらに同胞の舌を問答無用で引っこ抜いたヨツヤに、生物的危険を感じたのは、もはや仕方の無いことであるといえる。
そんな彼らの恐怖心など、一ミリも気遣う様子を見せず、真っ赤な手をぶら下げたヨツヤはゆっくりと動き出した。
「殺しに来い殺しに来い殺しに来い……。本気で挑んでくる奴は皆大好きだ」




