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きっと、あの人が私を助けてくれたのは、私だったから、特別に、という理由があったからではない。
私が、愚かで世間知らずで頭の悪い哀れな女だったからだと思う。どうしようもなく馬鹿で、救いようの無い、夢見がちな小娘だったから。
でも、きっとあの人はそういう風には思っていないだろう。だって、あの人は、そういう『人間』が好きだから。
人間が好きなあの人は、それと同時に、人を苦しめる人間を決して許しはしない。
人間が産んだ不幸で、人が泣くのを見たくないのだと思う。あの人は、とても優しい人だから、大好きな人間同士がいがみ合ったりしているのを、見たくないんだ。ある意味で、平和主義者なのかもしれない。
そんなにもわかりやすい彼の想いは、わかりやすいのに、わかりにくい。彼が考えている事を、一字一句間違えずに理解する事は、とても難しい。
けれど、そんな私にもわかる事はある。
きっとあの人は、恐れを知らずに、痛みと戦い、血みどろになって、クセになる様な硝煙の香りを纏いながら、きっと今日も、何処かで誰かを助けるのだろう。
だから、私も誰かを助けたいと思った。
あの人に救われた命、あの人の様に、強く、優しく生きる事ができたら、きっとそれは、シティなんかよりずっとずっと素晴らしいことだとと思うから。
<Cookie 3-B> Still alive.
エストメトロに急遽設置された簡易宿泊施設は、一時的に止んでいた喧騒の音を取り戻し、砂塵を巻き上げながらステーションの敷地内の一角に設けられている。
空は青く、日の光は眩しいが、如何せん空気が汚れた埃っぽいメトロでは、本来の空の青さを見る事は叶わない。なので、いつでもメトロの空は、青みがかった茶色なのである。
そんな狭い敷地の真ん中で、乱雑に張られたテントの間に、二つの不機嫌そうな顔が並んでいた。
ツキシマに逃げられた後の、カグラとヨツヤである。カグラは、腕を組んでイライラとした顔で辺りに視線を配らせながら舌打ちを零し、ヨツヤは、眠そうな半眼で辺りを見つめながらしゃがみこんでいた。
「もう、私の計画は全部アンタのせいでパーなんだからね。ツキシマが帰ってこなかったらどうしてくれんのよ」
カグラが、しゃがんだヨツヤを睨みつけて言った。
肩ほどまでで切りそろえられた茶色い髪と赤いマフラーが、今日もメトロの乾いた風に揺れるが、その瞳は不機嫌の極みとでも言わんばかりに黒く濁っている。
腕を振り払って、颯爽と何処かへ行ってしまったツキシマを思い出して、カグラはイラついていたのだ。あの男は、普段意思表示の薄い割に、いざ意思を露わにされるとめんどくさい。
あの時、ツキシマを追う選択肢も確かにあったが、彼の行動は言動を伴う事が無いので、唐突で予想外の出来事にカグラもヨツヤもついて行けなかったのである。
なのであれから、二人はツキシマの行方も知らぬまま、あからさまにギスギスした空気の中で無駄に時間を潰していた。
「あー、ハイハイ。わかったっつの。俺が悪かったって。何度も何度もうるせー女だな。文句言うしか能がねえのかよ…」
吐き捨てる様にヨツヤが言う。
折った膝の上に腕を乗せて、何処か生気を失った様な赤い瞳を、酷く面倒くさそうに目を細めた。
ツキシマが消えてから、ヨツヤは一気に熱が冷めた様に大人しくなった。カグラとのクチ喧嘩も、まるでカグラが一方的に怒って、ヨツヤが彼女を宥めている様な絵面になっている。先程まで、互いにクチ汚く罵り合っていたのに、勝手に落ち着かれて、知らないうちに宥められて、カグラとしては納得がいかない。苛立ちは更に募る。
だってコイツ、さっきはババアだの脂肪女だの言ってくれたのだ。許せるはずもない。
「何よ、電源切れたみたいに落ち着いちゃって。昨日のエクスプレスでのテンションは何処に行ったのよ」
「つーか、腹減ったんだけど」
「……何の脈絡もないし」
マイペースにも程がある、と呆れたようにカグラが溜息をついた。
先日での、ステーション内の駅員室でもそうだったが、この男の突発的な行動は全く読めないし、着いていけない。
いきなり何を言い出すのだコイツは、と思った瞬間に、既に相手は行動に移っているのだ。心と身体が直結しているのだ。脳という制御システムを介することなく。正しく、本能のままに動いているとしか思えない。
そんなことをグダグダと考えているカグラの横で、ヨツヤがスクっと立ち上がり、くるりとカグラに背を向けて歩き出した。
その背中を見て、カグラは慌ててそれを追う。
「ちょっと、ちょっと! アンタ何処行くつもり!?」
「何処って…腹減ったから飯食いに行くんだよ」
呼びとめるカグラに、ヨツヤは煩わしそうに顔を歪めて答える。それを聞いて、カグラはあり得ない、と言いたげに顔をしかめて彼を見た。
「まさか、私をこんな超絶物騒な場所に一人残していく気じゃないでしょうね」
「…オマエ、今さら何女ぶってんだよ」
「私は産まれてから死ぬまでずっと女の子よ!」
「それ、自分で言ってて虚しくならねえの?」
ヨツヤの、あからさまに呆れた様な顔と大変失礼な発言に、カグラは拳をかたく握りしめて彼を睨みつけた。
少なくとも、彼女の中では十七歳で年齢は止まっている。主に、精神の年齢が止まっているだけだが。
「失礼ね! わ、私だって、路地裏で悪漢に襲われたりするわよ! まだ若いわ!」
どこか得意げに、胸を張って主張するカグラ。彼女だって、無法地帯であるメトロ内を歩いていれば、柄の悪い男共に薄暗い路地裏で貞操の危機に瀕することだって少なくない。
しかし、そんな彼女にヨツヤは怪訝そうな視線を送る。
「……俺の知ってる『女の子』は、その悪漢を返り討ちにした挙句財布から金を奪ったりしねえよ」
「あ、アンタ……、何でそれを知って……」
「マジでやってんのか」
皮肉で言ったつもりが本気で驚いた様な表情で返され、なんて女だ、と、ヨツヤは心の中で毒ついた。それが顔にも表れていたのか、カグラが不満そうに頬を膨らませて彼を睨みつけた。
「アンタね! そうやってさっきから私のこと馬鹿にして……」
「あ、あの! は、はな、離してください!」
怒りに任せて声を張り上げようとしたカグラの耳に、切羽詰まった高い悲鳴が聞こえてきた。その声は、当然ヨツヤの耳にも届き、二人は怪訝そうに顔を見合わせると声のする方え顔を向ける。
「おいおい、お嬢ちゃん。ギブアンドテイクって言葉を知らねえか?」
「そうそう、施しを受けたからには、それ相応の見返りを貰わねえとなあ」
いつの間にか、簡易宿泊施設の区域を抜け、エストメトロの細い街道を歩いていた二人は、高い悲鳴に続いて卑しい下劣な笑い声の上がる路地裏の方へ視線を向けた。
噂をすればなんとやら、暴漢悪漢蔓延るメトロでは、良く見る光景ではあるが、実に見事なタイミングで、路地裏で黒髪の少女が複数のチンピラに絡まれているのが見えた。
その内の一人は、少女が逃げられないよう、その細い手首をしっかりと掴んでニヤニヤと不快な笑みを浮かべている。
「ですが…そんなたくさんのお金…私、持ってません」
「だ・か・ら! 金がねえなら身体で払ってもらうしかねえだろうが。なあ?」
困った様に言う少女に、彼女の腕を掴んでいるチンピラが舌なめずりをして仲間に同意を求める。
悪漢になる為だけに生まれてきた様な顔の男達は、髭の生えたクチ元でニタリと笑い、チンピラと少女に同意の視線を向けた。
「そうそう、俺達の相手してくれりゃいいんだよ。その可愛い顔でさあ」
「ひっ」
チンピラの一人が、少女に顔を近づけ、少女が小さく悲鳴を上げた。チンピラの下劣な笑い声が、耳障りに二人の頭に響く。
そんな、良くある光景の一部始終を見ていたカグラとヨツヤは、不快の極みとでも言わんばかりに表情を歪めて各々の武器を握った。
「……俺、ああいう欲の塊みてえな奴見ると、ぶっ殺したくなるんだけど」
「……残念ながら奇遇ね。私もよ」
額に青筋を浮かべ、引き攣り笑いを浮かべたカグラとヨツヤは、苛立ちと怠惰に濁らせていた瞳に生き生きとした光を宿して路地裏を見つめる。
堪った憂鬱を発散できる、素敵な舞台を目の前に、二人は無意識のうちにニタリと高揚した笑みを浮かべて、獲物を見つけた狩人の様に、乾いた地面を力強く蹴った。
「ええと…ですから、私、そう言うのは本当に…ちょっと……」
「んだよゴチャゴチャうるせえオンナだな! いいから俺達の言う通りに……」
「ギャアアアアア!」
オロオロとして、はっきりしない少女にイラついたチンピラの背後から、耳をつんざく様な絶叫が上がった。
断末魔、と称して良いほどの叫び声に、チンピラと少女は驚いて目を丸くし、悲鳴が上がった方向を同時に見る。
肩から胸に掛けて、ざっくりと斬り込まれた男が、身体を駆ける激痛からのショックで白目を剥きながら、鮮血を吹き荒らして崩れ落ちるのが見えた。暗い路地裏に、派手に血液を撒き散らしながら倒れた男の背後から、竦み上がるほどの笑みを浮かべた顔が二つ見える。
返り血を浴びて濡れたゴーグルが、路地裏に注ぐ薄い日光を反射して眩しく光った。
「生きる価値もねえメトロのゴミが。汚ねえ種撒き散らそうとしてんじゃねえよ」
「……最低ね、アンタ」
血の滴る刀を片手に、楽しげに言うヨツヤと、呆れたように言うも、クチ元の笑みを絶やすことなく浮かべ、小口径のリボルバーを構えたカグラが互いに言った。
少女を囲んでいたチンピラ達は、突如倒された仲間に一瞬怯むも、ここはメトロ、いつ背後から銃弾を浴びるかわからない場所である、と意識を新たにして、自分たちに明らかな敵意のある二人を認識すると、すぐさま銃を構えてそれをカグラ達に向けた。
「誰だか知らねえが、俺達のビジネスの邪魔してくれてタダで済むと思ってんのか? ええ?」
「それなら問題ないぜ。テメェらをぶっ殺しゃぁ、多少俺らの気が晴れる」
「おちょくりやがって! 殺せ!殺せぇ!」
ヨツヤの挑発に、チンピラ達は一斉に引き金を引く。だが、それはヨツヤとカグラとて同じだった。
チンピラ達の自動拳銃から放たれる弾丸が、まともに照準を定めないで撃たれたため、ヨツヤが銃弾を弾かずとも二人に当たらないのに対し、カグラが放った三つの弾丸は、無駄撃ちすることなく全て、見事に敵の額に風穴を開けた。
「ナイスヘッドショット」
硝煙の上がるリボルバーを片手ににんまりと笑うカグラ。
悲鳴を上げる暇もなく、地に倒れ伏すチンピラの間を、ヨツヤが素早く抜けて更に奥に居る敵の陣地へと踏み込む。所詮は、視覚からの情報を得てからしか発砲できない素人のチンピラの弾丸では、彼の身体を射る事はできない。
「はは、ははは! 当たってねぇぞぉシロートがぁ!」
「ひ…」
愉快そうに声を上げながら接近してくるヨツヤに、チンピラは小さく悲鳴を上げる。しかし、その悲鳴も彼が振るった刀の切っ先によって遮られた。姿勢を低くして振るった剣先が、チンピラの喉笛を深く斬る。パックリと割れた喉から大量の血液が吹きあがり、ごぽごぽとクチから泡と一緒に溢れだした。
「う、うわあああ!」
斜め上部から血を被り、真っ赤に染まった顔でニタリと笑ったヨツヤの狂的な笑みを目の当たりにして、残ったチンピラは恐怖のままに銃を乱射する。
路地裏に、標的に当たる事の無い無駄な発砲音が響く中、少女の手を掴んでいたチンピラは、直感的に思った。これは、まずい。と。
人数的には、圧倒的に有利だったチンピラ側だが、どうもこの場所では、人数差などと言う数での有利さが、全く意味をなしていない。それほどまでに、相手側の力が圧倒的すぎたのだ。このままでは殺される。本能がそう叫んだ。
「く、クソ!」
「あ、わわっ」
男は、掴んでいた少女の腕を乱暴に振り払うと、銃を乱射している仲間たちに背を向けた。少女が勢い余って尻もちをつくのを横に、路地裏を逃げようと動き出す。
しかし、男が走り出すよりも先に、乾いた銃声と共に男の右脹脛に激痛が走った。
「ぎゃあああ!」
射る様な痛みに、男は無様に乾いた地面に転がって叫び声を上げる。
男の足を撃ったのは、カグラだった。ヨツヤがチンピラの喉笛を掻っ切っている横を、素早く走りぬけて来たカグラは、リボルバーの銃口を地面に転がってもがく男に向けたまま、にんまりと笑みを浮かべて男に歩み寄る。
「自分だけ逃げようったってそうはいかないわよ。いたいけない女の子を襲った罪は、対物スナイパーライフルよりも重いわ」
カグラはそう言いながら、ゆっくりと親指でリボルバーのハンマーを起こした。その遅さが、男の恐怖を助長させる。
「ま、待ってくれ…! 助けて…まだ何もしてねぇからよぉ!」
「そうねぇ、まあ、有り金全部置いて行くなら助けてあげても良いわよ」
情けない声音で命乞いをする男に、カグラは首を傾げてニッコリと微笑みながら言う。その、悪魔とも天使とも言えない笑みと言葉に、男は驚愕の表情でカグラを見た。
「な、な、何言って…」
「嫌なら撃つけど」
「だ、出します! すぐ出しますから!」
カグラの冷たい言葉に、男は慌てて懐から財布や装備品を取り出す。金で命が買えるなら、安いものである。運が悪かった仲間たちは殺されたが、なんとか自分だけは助かりそうだ、と、男は心中で喜んだ。女一人襲おうとしただけで殺されるなんて、真っ平である。ただでさえ、未遂なのだから。
銀の銃口から向けられた、死に焦りながらも、助かる道を得た男は僅かな気の緩みからニタリと笑った。
そんな、額に汗を滲ませながら笑う男を見つめながら、カグラは、ふと思いついたように言った。
「あ、やっぱりいいわ」
「え…」
「金品漁りは死体からもできるし」
カグラの言葉の意味を、良く理解できぬまま、男は脂ぎった額に真っ赤な風穴を開け、空中に血と脳漿を撒き散らしながら倒れた。わけもわからず、呆けた様な顔をしたまま死んだ男の死体を、カグラはゴミを見る様な冷やかな視線で見下ろす。
「とんでもねぇ女だな」
背後から声がした。振り返ってみると、残りのチンピラを殺しつくしたヨツヤが、血に濡れた顔で呆れたようにカグラを見ていた。
「…アンタに言われたくないわ」
「下手に希望を持たせて殺すのは、中々えげつねぇよ」
「こういう輩見てると、反吐が出るのよ」
そう言ってカグラは、男が死に際に慌てて取り出した金品を回収する。どれも汚れていて、あまり良い金にはならなそうだった。
ヨツヤが殺したチンピラの死体を漁るか、と思ったが、あっちはあっちで血まみれになっており、綺麗な金はある様に思えなかった。まあ、見た目からしてチンピラの出来そこないの様な彼らに期待しても仕方の無い事である様には思う。
苦い顔をするカグラの横で、恐怖に身を竦ませていた少女が、ようやく声を上げた。
「あ、あ、あの! か、カグラさん!」
突如、高い声で名前を呼ばれ、カグラは驚きのあまり目を丸くして少女を見る。
どこかで聞いた様な声。風の鳴る様な、幼く震える声だ。
名前を呼ばれ、顔を上げたカグラの目に映ったのは、少し前、カグラがツキシマとコンビを組むキッカケとなった人物、ケイナの姿であった。前に、サースメトロで別れたときとは違い、薄汚れた茶色のローブの下に、やはり汚れた白シャツと七分丈の黒いパンツを着て、底の薄い安っぽい靴を履いた彼女の姿は、カグラの記憶の中にある彼女とかなり違ったものであるが、短く切りそろえられた黒髪と、年相応の幼い顔立ちは、カグラの記憶通りである。
こんな場所で会えるとは思っていなかったし、何より、この劣悪な環境のメトロで彼女が無事生きながらえていた事に、驚きと喜びが交差してカグラは一瞬固まってしまった。
「…ケ、ケイナ…? どうしてこんな所に…」
「うわあああああん! カグラさあああん!!」
「うわっ!」
驚いて目を丸くしながらも、ケイナを認識して彼女の名前を呼んだカグラに、安心したケイナが大粒の涙を零しながら抱きついた。
僅かによろめくカグラは、地面に手を着いて胸の中で泣き喚くケイナを支える。
「わ、わ、私…!こ、怖かっ…うわああああん!」
「あ、あー…。よしよし、わかった。わかったから、ちょっと離れなさい」
両目を真っ赤に腫らして泣き声を上げるケイナに、カグラは呆れたように言って彼女を引き離そうと押しのけるも、カグラと再会できた喜びと、チンピラに襲われた恐怖と助かった安堵の感情が吹きこぼれたケイナは、全くカグラの話を聞いていない。
こんなんで、よく今まで生きていたな、この子は。と、カグラは僅かに感心する。そんな彼女の横に、怪訝そうな足音を立てて、黒革のアーミーロングブーツが立った。
「で、知り合い?」
全くの蚊帳の外に追いやられていたヨツヤが、血濡れた顔を色褪せたマントで拭った後、不機嫌そうな半眼でカグラを見下ろして問いかけた。




