最終話【橘くんの敗北】3
舞さんと所長、親族の方々に挨拶をして、私は凛さんの運転する車で火葬場から橘くんの実家まで乗せていってもらうことにした。橘くんが喪服から私服に着替えている間、居間で凛さんと雑談をしていた。
「咲耶ちゃん、ちーちゃんとは最近どうなの?」
「どう? と言われても。今までと変わらず特には……」
「一緒にお泊りしたんでしょ?」
「はい。緊急事態だったので……でも夜寝る前に『何があっても絶対に俺が守ってやる』って言ってくれたんですごく心強かったです……」
私はそう言いながら頬が熱くなるのを感じた。
「へぇ~、ちーちゃんも言うようになったじゃない。ふ~ん。なるほどね~」
凛さんがニヤニヤしていると私服に着替えた橘くんが現れる。凛さんの『今からからかいますよ』と言いたげな視線を感じて大きなため息を吐く。
「お前ら……何話してたんだ?姉ちゃんの顔を見ればわかるけど、どうせ俺の悪口で盛り上がってたんだろ……」
「ほう、姉に対して『お前ら』とはちーちゃんもずいぶんと生意気をいうようになったね。今日は特別気分が良いし、祥吾兄さんの葬儀の後だから勘弁してあげるけど、次に生意気な口をきいたら容赦はしないからね」
肉食動物が獲物を見るような鋭い視線で凛さんは橘くんを睨みつける。
「な、何だよ……悪口を言う方が悪いだろうが」
「何いってんの?悪口なんて言ってないよ。まぁ……頑張んなさいってこと」
「はぁ?意味わかんねぇし。こんな意味のわからない姉ちゃんほっといて、さっさと帰るぞ、木花!」
橘くんは凛さんに背を向けて不機嫌そうに玄関に向かい歩いていく。凛さんは「あの話の続きは、今度いっちゃんの事務所に遊びにいった時にゆっくり聞くね」と私に手を振った。
不 機嫌そうに私の前を歩く橘くんに「所長の髪型が変わっててビックリした」や「寒くなってきたしもうすぐ雪が積もりそうだね」と話題を振るが「ああ……」とか「そうだな……」とか素っ気ない返事をするばかりだ。はじめは『さっき凛さんと悪口をいっていた』と考えて怒っているのかもとも思ったが、そうではないようだ。何か考え事をしている感じだ。ここは少しだけからかってみよう。
「橘くん、さっきからずっとジャンパーのポッケに手を入れてるけど、寒いの?手、繋いであげようか?」
「ああ……って、はぁ!? な、なに急に言いだしてんだよ!!」
橘くんはやっと後ろの私の方を向いた。その頬は少し照れているのか赤くなっている。
「だって橘くんさっきから気の無い返事ばっかりだし、ちょっとからかってみようかと思ってね」
「……それは悪かった。ちょっと考え事ってわけじゃないんだけど……」
橘くんは再び前を向いて少しソワソワして落ち着かない様子で頭を掻いている。
「な~に~、悩み事~?」
「そういうんじゃなくて……」
そう言い終わるとフーッと深く深呼吸をして意を決したように話し出す。
「とりあえず一段落した感じだし。木花、今度の休みに2人でどこかに出かけないか?」
「うん! いいよ! ……でもパチンコ屋さんで橘くんのお小遣い稼ぎを手伝うのは嫌だからね!」
「そうじゃなくて……あーっ! だから、俺とデートしてくれないかってことだよ!!」
私に背中を向けたまま橘くんは耳を真っ赤にして照れながら叫ぶ。
(……橘くん……デートに女の子を誘うときは目を見て話さないとダメだよ)
でも、そんな彼の不器用な所がたまらなく愛おしかった。と冷静ぶったことを考えているが、私の心臓は100m走を終えた後のように高鳴り、全身が沸騰しそうなくらい熱い。
(……やっぱり好きだなぁ)
「あっ! 勘違いするなよ。これは母さんにああ言われたからとかじゃないからな……」
今、彼の腕に抱き着いたら彼はどんな反応をするのだろう?照れてすぐに私から離れてしまうのだろうか? それとも視線は合わないとは思うがそのまま腕を組んでくれるだろうか? 『私が彼とくっつきたい』のだが、それを正直に表すのはすごく恥ずかしい。ここは『からかって橘くんの反応をみたい』のだと自分に言い訳をして実行しよう。
私が彼の腕に抱き着くために駆け出そうとした、ちょうどその時、私の左手が何かに掴まれた。不意の出来事で私の息が止まる。感触としては小さな人の手……だけど、とても冷たい……。
私が恐る恐る振り返るとそこには茶色いダッフルコートを着た小学校低学年くらいの少女が無表情で立っていた。私は体を反転させて中腰で少女に話しかける。
「どうしたの?迷子になっちゃった?」
私が話し終えると掴まれた左手は少女が出せるとは思えない強い力で握られる。
「やっと捕まえたぞ~! 木花咲耶ぁ~!!」
少女の口角はどうやってあげているか分からないほどに釣り上がり、それと同時に目尻も釣りあがる。およそ少女……いや、人間がする表情ではない。こいつは間違いない。“田中”だ。
“田中”から逃れようと視線を上にあげて気が付く。
「えっ!? な、なに……これ」
“田中”の背後が真っ暗だ。街灯の無い夜でも多少は何かが見えるものだが、そこには闇が広がるばかりで黒い空間が広がっていた。そして、“田中”はそこに私を引きずり込もうと両手で私の左手を強く引く。私はそれに抗うために何とか体を反転させるが中腰の状態では力も出ない。
「木花ぁ―!!!」
叫びながら走ってくる橘くんが近くに見えて、私は右手を伸ばす。橘くんも私の手を掴むために手を伸ばす。もう少し、あと少し、私と橘くんの指先が触れた……
「橘くんっ!!」
だが、橘くんの手は私の手を掴むことは出来なかった……
私は“田中”に引かれて闇の中に落ちて行った……
そこで私の意識は途絶えた……




