第11話【人の皮を被るモノ】1
私がいつものように事務所に向かっていると地下鉄の駅を出た所で短髪の真面目そうな長身男性に声を掛けられた。
「あ、すみません。樹の探偵事務所で働いている木花さんだよね?」
男性はニコリと笑い私の方へ近づいて来る。
(……樹?所長の知り合いかな?……でも、この男の人誰かに似ているな)
「はい……」
「オレは小早川樹の兄だよ。樹は今、依頼で事務所の外にいて君の手を借りたいから連れて来て欲しいって言われたんだ。ホント、兄使いの荒い弟で困ったもんだよ」
(……所長の兄?確かに長身な所や目元の辺りなどそっくりだ。でも所長に亡くなった祥吾さん以外の兄がいるなんて話は聞いたことがない)
「……すいませんお兄さん。お兄さんのことを何て呼べば良いかわからないのでお名前を教えていただいて良いですか?」
私はなるべく相手を警戒させないように自然な素振りで質問した。
「……そうだね。まだ名乗ってなかったね。オレは“田中”。“田中さん”って呼んでもらえると嬉しいな」
そう言って、彼は口角を吊り上げた。所長なら絶対に見せない、肉食獣が獲物を値踏みするような、卑俗で気味の悪い笑みを浮かべる。
(……小早川の兄が“田中”って複雑なご家庭で……と考えるほど私の頭はお花畑じゃない。この自分の勝利を確信しているような自信に満ちた気味の悪い笑顔。認識操作と記憶の改竄を使っているのだろうが、過去にそれを経験したことがある私にそんなものは効かない。気持ちは悪かったが“沼田”と会ったのも良い経験になった)
私は右手で“田中”との間に線を引いて炎の壁を作って全速力で事務所に向かい駆け出した。
「逃げんな!!クソッ、気づいてやがったか!!鈍くさい女だと思って油断した!!」
“田中”が後ろから叫ぶ声が聞こえたが背後にまとわりつく「視線」を振り払うように、振り返ることなく、私は一目散に事務所へ向かいひたすら走る。
一度も振り向かず走ったので“田中”との距離がどれだけ開いているかは分からないが、なんとか巻けたようだ。極度の緊張と久しぶりに全力で走ったからか、酸欠で頭がくらくらする。私はハァハァと息を切らせて階段を上がると合図のノックもせず事務所のドアを開ける。
「ハアッハアッ、所長!!大変です!!“田中”が現れました!!」
息が切れている状態で大声を出したものだから私は酸欠からか激しく咳き込み、涙目でその場にへたり込む。
「大丈夫ですか!?“田中”って……、とりあえず落ち着いて下さい」
所長は私の手を優しく引いて立ち上がらせるとフラフラしている私を支えてソファーまで誘導してくれた。
用意してくれた水を飲んで、私が息を整えるのを待ってから所長が口を開く。
「少し落ち着いたようですね。“田中”とは、あの“田中”ですか?」
「はい。あの“田中”だと思います。地下鉄の出口から出た所で声を掛けられて、自分のことを『樹の兄』と言っていて、姿は長身、短髪の男性で目元が所長とよく似ていました。私が名前を訊くと自信満々に『田中』と名乗って……おそらく認識操作と記憶の改竄を使っていたから私を簡単に騙せると思っていたのだと思います」
私の話を聞いた所長は眉間に皺を寄せて顎に手を当て何かを考えた後、自分の机の中から一枚の写真を取り出して私に見せた。
「木花さんが見た男性の姿はこの人でしたか?」
所長が見せてくれた写真の中の男性は服装こそ違うが短髪で黒髪、目元が所長に似ている“田中”と名乗ったモノと同じ姿だった。
「はい。この男性と同じ姿でした。この写真の男性って……」
「木花さんが思っている通り、僕の兄……小早川祥吾です」
そう言った所長の顔は眉間に皺を寄せて口元を引きつらせた複雑な表情だった。
「木花さんが来る前に鏡花さんと話していたのですが、怪人である川口さんに認識の操作と記憶の改竄が効かないことが前提ですけど、認識の操作と記憶の改竄の能力を持つ“田中”が実際に複数の姿を持っていることが不自然では無いだろうかと……自分が相手に見えている姿を認識操作で違う物に変えればそれで良いのですから。そこで仮説を立てるなら“田中”は実体と魂を合成された“怪人”では無くて、何らかの方法で遺体を操作する力を持った怪異なのではないかと……木花さんの話で兄の遺体が“怪人”として合成されていない可能性が出てきました」
所長は奥歯を深くかみしめて自分の手を血が出てしまうのではないかと心配になるほど強く握りしめた。
「樹。さっきも言ったけど、怪異は合理性では計れないのよ。不合理な存在こそが怪異だといえるのだから」
鏡花ちゃんは諭すように優しく所長に話しかける。
「はい。わかっていますよ。それでも10年間、兄の遺体を取り戻すために雲を掴むように何もない状態で闇雲に動いてきた僕には糸口が見えたことが嬉しいのです」
「喜んでいる状況じゃないわ。咲耶が狙われているのよ。まずそこをどうにかしなきゃいけないわよ」
「そうですね……。この事務所はそれなりに強い結界が張られているので大丈夫だとは思いますが、仮眠室に若い女性を寝泊まりさせるわけにもいきませんし……僕がお世話になっている神社なら敷地内に今は使っていない住み込みで働く方の住居があったと思うので……借りられるか確認してみますね」
所長は話し終えるとすぐに神社に電話を掛けて神主さんから了承を得ることが出来たようだ。その後すぐに所長は携帯電話を取り出して誰かに掛ける。




