第9話【トイレの花子さん】5
「“トイレの花子さん”ですか?」
私が話しかけると不機嫌な様子だった所長が少しだけ表情を緩める。
「江別の中学校で女子生徒がトイレで転んで怪我をしたそうで、その女子生徒が『花子さんが出た』と言っていたようです。それを聞いた教師は初め女子生徒の虚言だと思ったようですが、その場面に出くわした他の女子生徒三人に確認したら同様に『花子さん』を目撃したと証言したそうです」
所長は難しい顔をしている。
「『花子さん』って本当にいるんですね。ただの都市伝説かと思っていました。それにしても何故江別に?」
「別に地域は関係ねぇよ。どうしても学校は人間の感情が動きやすい。喜びや好感みたいな良い感情もあれば、当然、嫌悪や嫉妬のような悪感情もある。そのせいで“穢れ”が溜まりやすいからな」
今まで回転する事務椅子で足を組んで黙って聞いていた橘くんが口を開く。
「“穢れ”と『花子さん』がどう関係するの?」
「“穢れ”はあらゆる怪異の元になるものだ。怪異の発生する機序は様々だが、共通することは二つ。一つは高い濃度の“穢れ”、学校の中でも特にトイレは昔から御不浄とか不浄場と言われて陰の気が溜まりやすい。二つ目は集団の意識だ。『ここにはこんなものが居るんじゃないだろうか』という多人数の意識。その形が具体的なほど発生しやすい。『花子さん』は本や映像になるほどメジャーな都市伝説だからな」
橘くんは回転椅子を左右に揺らしながら言った。
「その条件ならどの学校にも『花子さん』が居るってこと?」
「そうならないように定期的に学校の“穢れ”を祓っているはずなんだけど、担当の祓い師がサボってたんだな。前もそうだったし」
「《《前も》》ってことは、橘くんは『花子さん』を討伐したことがあるの?」
「ああ。中学校じゃなくて小学校だったけど、呼び出したら有無を言わさず便器から手を出して襲ってきたから瞬殺した」
瞬殺とは穏やかではない表現だ。だが、橘くんが討伐したことがあるのは頼もしい。
「それで先ほど話に出ていた前任の担当者ですが、調査のために中学校に行ったそうなのですが、花子さんの便器から出る手に追い回されて逃げ帰ってしまったそうです。その後は『もう絶対に行くのは嫌だ』と協会を自ら脱会したそうです」
所長は呆れた表情で話す。確かに自分の怠慢のせいで花子さんが現れたというのに今後の調査協力も拒否した上で脱会するとはずいぶんと無責任な話だ。
「橘くん、君一人なら心配ないのかもしれませんが、今回は木花さんが同行していることを忘れず、危険だと判断したらすぐに帰って来てください。木花さんもこんな無理難題な課題なので、未達成でも試験に落ちることなどありません。だから二人とも絶対に無理せず、安全第一でお願いします」
所長は真剣な顔で私たちに語りかける。
「はい。俺が命に代えても木花のことは《《絶対に》》守りますから心配しないでください」
橘くんは組んだ足を戻し姿勢を正して胸を張る。
「馬鹿ね。橘は。樹は《《二人とも》》って言ったでしょ。あなたも無事に戻ってくるのよ」
鏡花はそういって優しくほほ笑む。
江別の中学校に行く当日、安全を考慮して生徒と教師が全員下校した後に私たちが校舎に入る段取りなので、十八時に私と橘くんは札幌駅で待ち合わせをしていた。私が瞳へのメールを打ち込んでいると前方から声を掛けられた。
「木花、早いな」
橘くんだ。今日はパーカーの上に黒地に金糸で左右の胸元に金剛力士像が描かれたスカジャンを着ている。
「ん?これか?古着屋で一目惚れして買ったんだ。良いだろ」
確かに似合ってはいる。だが、金髪に金剛力士像のスカジャンはやんちゃ過ぎではないか?でも、彼は悪霊や花子さんを瞬殺する人間だ。ある意味でやんちゃか?
「うん、いいね」
私の口から凛さんのお店で私のお姉さんファッション姿を見た友人たちと同じ言葉が出た。
「だろ。この背中の金剛力士もポーズが格好いいんだよ」
橘くんは後ろを向き背中の刺繍を私に見せる。
(……胸元だけでは無く背中までとは……とてもやんちゃだ)
「そうだね……」
上機嫌の橘くんと私は電車に乗り江別を目指す。乗車中に珍しく橘くんが私に声を掛けてきた。
「不安か?」
「少しだけ不安かな」
「前にも言ったけど、何があっても俺が絶対守ってやるから大丈夫だ」
そう言って橘くんはニカッと笑う。今日の橘くんは派手なスカジャンを除けばなんだか格好良く見えた。
二十分と少しの乗車時間を経て私たちは江別駅に到着する。そこからバスに乗り目的の中学校に到着した。




