第9話【トイレの花子さん】4
全体の見直しを終えると試験終了時刻まであと三十分となっていた。
寝息が聞こえるので隣を見ると水沢さんが寝ているではないか。回答を終えて寝ているのかとも思ったがチラリと見ると小論文の一行目ではないか。これはまずい。
顔を上げて『天眼通の汀子』さんの方に視線を向けると、すごく怖い顔で唇を震わせ水沢さんを見ている。さらにまずい。
試験終了三十分前から退出可なので誰かが退出する音で目が覚めることを期待したが誰も退出しない。私は予備で持ってきていた大き目の消しゴムを水沢さんの足元に落とす。パシッと消しゴムが床に落ちる音が響く。しかし、水沢さんが目を覚ますことはなかった。
私は意を決し「すいません。消しゴム落としちゃいました」と正面の試験官に向けて少し大きな声を出す。それでも起きない。
消しゴムを拾うため試験官がこちらに向かってこようとするのを汀子さんが手を挙げて制止して自ら向かってくる。消しゴムを拾うため私と水沢さんの間で汀子さんが身を屈めた瞬間。
バシッと大きな音が会場内に響いた。汀子さんが水沢さんの背中に平手打ちをしたのだ。
「うぐっ……!」
水沢さんは声にならない声を出して目を覚ます。
「ごめんごめん、手が滑っちまったよ」
汀子さんは水沢さんを睨みつけながら言う。それを見た水沢さんはアワアワしながら顔を青くしている。
「うちの馬鹿が迷惑かけて悪かったね」
汀子さんはそう言って私の机にそっと消しゴムを置いた。
汀子さんが持ち場に戻ったあと、水沢さんは必死に手を動かして小論文を書いている。試験終了間際、書き終えてペンを置いた水沢さんは「ふぅー」と大きな安堵のため息を吐いた。
答案が回収され水沢さんがこちらを向いて頭を下げる。
「咲耶ちゃん。ほんと、ありがとね。実は前回も寝ちゃって落ちたんだけど、今度も落ちたら何を言われていたか……。でもあのババア、あんたに強く叩くこと無いと思わない?絶対背中に手形がついちゃってるよ」
水沢さんは汀子さんに叩かれた背中をさすっている。あんな怖そうな汀子さんの前で堂々《どうどう》と寝てしまう水沢さんも無いと思う。
「咲耶ちゃんには借りが出来ちゃったね。そうだ、今度友達も連れておいでよ。私が無料で占ってあげる。当たるって評判なんだよ。ちなみに得意分野は恋占いだからね」
そう言って水沢さんはにやりと笑う。恋占いか……瞳が好きそうだな。今度行ってみよう。
「あと、咲耶ちゃん。これは杞憂かも知れないけど、咲耶ちゃんの名前の由来って木花之佐久夜毘売様じゃない?神様が悪いなんてことは無いけど美人薄命の代表みたいに言われているから体には十分に気をつけるんだよ」
そう言って心配そうに水沢さんは私を見る。
「大丈夫です。私、体は丈夫な方なんですよ」
私は盛り上がらない腕の力こぶを作って水沢さんに見せた。
試験を受けてから一週間が経った頃、事務所で私と所長が事務仕事をしていると電話が掛かってきた。
プルルルル
「はい、小早川探偵事務所、所長の小早川です。はい、協会の資格事務局の方ですか……」
電話は清祓協会からで、私の合否についてだろう。
所長は事務局の人と少し話してから電話を切る。
「木花さん、筆記試験合格おめでとうございます」
所長は眉間にうっすらとシワを寄せたまま、無理に作ったような笑顔で合格を私に告げる。言葉と表情がちぐはぐだ。私のことを心配してくれるのはありがたいがここは素直に喜んで欲しい。
「あと、事務局の方が先に合否の連絡をした天眼通の汀子さんから言付けを頼まれていたそうです。『嬢ちゃんのお陰で馬鹿弟子も合格できた。貸ができちまったから困ったことがあればいつでも来てくれ。あと一つ、これから想像もつかない困難に直面するだろうが、仲間を信じて頼りながら困難に立ち向かえ。なるべく多くの仲間を集めることが嬢ちゃんの力になるはずだ』とのことです。すごく意味深ですが、占い師さんなりの“頑張れ”という意味でしょうかね?」
所長は顎に手を置き考えながら言った。
「困難ですか……とくに今のところは思いつくことは無いですけどね。就職とかですかね?今は就職難みたいですし。駄目だったらここの正職員にしてくださいよ。祓い師になるわけですし。ねぇ、所長」
私は甘えた声を出して人差し指を顎に当てて小首を傾げる。私はそうやっておどけて、汀子さんから伝えられた『困難』という言葉に言い知れぬ不安を感じたことに蓋をした。
「いつも言ってますけど、それは私には通用しませんよ。それに、筆記試験には合格しましたけど、まだ実地試験が残ってますよ。気を抜かないように。課題については郵送で近日中に届くそうです」
所長はそう言いながら額を指先で押さえる。
「あなたのあざとさも樹の前では形無しね」
そういって鏡花は笑っている。
数日が過ぎて協会からA4封筒に入った書類が届いた。所長は封を開けて書類を読み進める内にどんどん怪訝な表情になっていく。
「この課題は何ですか。試験の課題としては危険すぎる。同伴者として橘くんを指名して彼の監視も兼ねているのでしょうか、馬鹿げている」
そう言って所長は書類を乱暴に置くと、コードレス電話を手に取り電話をかける。
「小早川探偵事務所の小早川です。試験事務局の方をお願いします」
所長はイライラした様子で電話の相手が変わるのを待ち、少しして相手の試験事務局の人が電話に出る。
「どういうつもりで、あの課題を出したのですか?名の知れた“怪異の討伐”って危険すぎるでしょう。支部長がどうしてもと言うから受けさせましたが、加護があっても彼女は普通の女の子なんですよ。……おっしゃる通り橘くんは強い能力者ですが、同行者を確実に守れる程、万能じゃない。……わかりました。危険だと判断したらすぐに帰らせますからね」
そう言って所長はガチャリと勢いよく電話機を充電器に戻す。
その後の所長の説明によると、清祓協会が課した私の祓い師認定試験の課題は中学校に現れた“トイレの花子さんの討伐”であった。




