第7話【嫉妬の蛇】3
なんだ、これは……作り物のような右目は私の視線と共に上下左右に動く。左目を閉じて右目だけで見てみると、やはり視界は靄がかかったようにぼやけて見えて前方の視野は60°程度しかない。これは重篤な目の病気に違いない。
携帯電話から近所の眼科を調べて受診する為に予約の電話をかける。電話口で受付の看護師に症状を伝えると「朝起きたら角膜や虹彩が無くなっていて瞳孔が長く伸びていた……ですか?とりあえず受診して下さい」と、なんだか腑に落ちていない様子だ。看護師でも分からない特殊な病気かもしれない。医師にしっかりと診てもらおう。
私は家にあったワークキャップを深く被り、眼科に向かう。徒歩で行ける場所にある眼科ではあったが何度か人とすれ違うことがあった。その際、私は俯き右目を隠す。こんな目を見てしまったら相手が驚いてしまうだろうから私なりの配慮である。
病院に着いて受付を済ませて問診票を渡され記入する。氏名と年齢を記入しチェック項目に目を通す。受診理由は『目の症状があるため』にチェック、『どちらの目』は右目、『いつから』には本日の日付を記入し、症状については『かすみ』、『見えづらい』、『見えない部分がある』にチェックを入れた。『その他』の自由記載欄に『黒目が無くなって瞳孔が縦に伸びている』と記載する。私が書いた問診票を受付に渡す。
少し待つと問診票を持った看護師が近づいてくる。看護師は問診票に目を通して私の顔を覗き込むと不思議そうな顔で首を傾ける。「症状については先生に伝えておきますね。中待合室でお待ち下さい」そう言って看護師は戻っていく。
しばらく中待合室で待つと「岩崎彩夏さん」と私の名前が呼ばれて私が受診する番となった。私は看護師の案内で診察室に入ると、医師の前の椅子に着座する。
「岩崎彩夏さん……症状は『かすみ』と『見えづらさ』、『視野の狭窄』……あと『黒目が無くなって瞳孔が縦に伸びている』ですか?」
そう言われて、私が「はい」と返事をすると医師は私の右目の瞼を上げて眼球を観察する。
「充血も無いし、特に異常はないですね。かすみ目は眼精疲労だと思うので目薬を出しておきますね」
医師はそう言って机の方を向き診察を終了させようとする。
「えっ!?それだけですか?黒目が無いんですよ!」
私は動揺で少し声が大きくなってしまった。
「黒目も有るし、瞳孔も正常ですよ。もしそのように見えるのなら心療内科の方へ……」
「いえ!大丈夫です!」
私は医者の言葉を遮る。この医者は、私の精神に問題が有るとでも言うのだろうか?
私は眼科で眼精疲労の目薬を貰って、その足でドラッグストアに向かい眼帯を購入し右目に着けた。左右の視界があまりに違いすぎるので見えづらいのだ。
帰り道、朝から何も食べていない事を思い出して、少し歩くとラーメン店が見えたので入店して大盛り味噌ラーメンを注文して食べた。右目の事は不安だがラーメンは美味しい。
退店後、今の時間からなら午後からの講義に間に合うので私は大学に向かった。右目のことを除けば体調はすこぶる良いので休むわけにはいかない。大学での休憩時間、飯川と水口が心配そうな顔で近づいて来る。彼女たちにはメールで眼科に行くから午前の講義を休むと伝えていた。
「彩夏ちゃん、目、大丈夫だった?」
飯川が自分の右目を指して言う。
「ただのものもらいだから大丈夫だって」
私はとっさに嘘をついた。眼精疲労で眼帯を付けているのは不自然だからだ。
「そう、良かった。一昨日の彩夏ちゃんはだいぶ酔っていたみたいだし、そのせいで体が弱っているのかもね」
「たしかに一昨日は飲み過ぎた。そのせいで、一昨日田中さんから貰った蛇の置物。木箱だけ残して無くしちゃったからね。あっ、これ田中さんには言わないでよ」
「田中さんって誰?」
飯川と水口は顔を見合わせた後、不思議そうな顔で首を傾げている。
「一昨日、居酒屋で一緒に飲んだ田中さんだよ……」
私は話しながら急に自信が無くなり声が小さくなる。田中さんって誰だ?
思い返しても私の友人に田中に該当する人物はいない。しかし、あの居酒屋には確かにニヤケ顔の田中がいて、私に蛇の置物をくれた。その証拠に置物は紛失してしまったが私の部屋に置物が入っていた木箱が転がっているのを今朝も見た。
「酔ってたからかな、そういえば居酒屋のトイレで会った人だったかも」
確証が持てないせいも有って私は話を誤魔化した。
「もう、しっかりしてよね。バイト先でもこう呼ばれているんでしょ。しっかり者の岩崎さん!」
そうだ私はあの女、木花咲耶の指示で『しっかり者』と呼ばれ様々な人間から面倒事を押し付けられる。
「木花咲耶が憎い……木花咲耶が憎い……木花咲耶が憎い……」
「ど、どうしたの、彩夏ちゃん急にそんなこと言い出して!」
私はその言葉で我に返る。
「いや、何でもないよ!それより次の講義だけど……」
私は話題を変えて誤魔化した。今まで木花咲耶のことを憎いとは思っても勝手に口から言葉が出てくることなど無かったのに。私の精神はどうにかなってしまったのだろうか?
講義が終わり私はコンビニで夕食の焼肉弁当を買って帰宅する。弁当を食べてポテトチップスを食べながらテレビを眺める。バラエティ番組で笑うアイドルの仕草があの女に似ていて鼻につく。
「木花咲耶が憎い……木花咲耶が憎い……木花咲耶が憎い……」
テレビから流れるCMの大きな音で自分が俯いてブツブツとあの女への憎しみを呟いていたことに気が付いた。私は何をしているのだろう。ブツブツ言って気味が悪い。
今日は早いけど寝よう。私は気持ちを切り替えるために、就寝の準備をして電気を消し眼帯を外してベッドに横になる。
すると暗闇の中、右目で見た世界は日中のようにはっきりと見える。これじゃ、本当に夜行性の爬虫類じゃないか。それもこれも全部あの女のせいだ……




