第6話【付喪神】7
「それは晴れた日の朝の事だったわ。カーテンを閉め切って仏壇に向かい俯いているあの子に、『せっかく晴れているのだから、カーテンぐらい開けなさいよ』って思ったことが声として鏡の外に出たの。最初は驚いていたあの子だけど、私の事を気味悪がることは無かったわ」
「それからは夢のような日々だったわ。テレビを見ながら話をしたり、昔の話をしたり、あの子は少女だった頃のように笑って可愛かった。そこで私は思ったの。私の思っていることが表情として伝えられたら、あの子とのお喋りがもっと楽しくなるのに、と」
「私は自分が鏡である事を感謝したわ。そう思っただけですぐに出来たのだから。私は世界で一番大好きなあの子の、出会った頃の姿でいることにしたの。この姿を見たあの子は少し懐かしむ顔をして言ったの『素敵ね』って」
「私たちはそれから沢山お喋りをして過ごして、それこそ朝から晩まで、リビングにあいつらがいる時はコソコソと小さな声で、それも内緒話をしているようで楽しかったの。それでもあいつらには聞こえていたみたいで、気味悪がられたあの子は施設に行くことになった」
「私はそれもいいかなと思ったの。だって、あんな親娘と一緒に生活したってあの子は幸せとは言えないもの。でも施設に私たちが行く日、少し寂しそうにしていたから、『大丈夫よ。私が一緒にいてあげるから』って私が言ったら、少し涙を流して『そうね』って」
「施設での生活はとても充実していたわ。息子が良い施設を選んだのね。職員はとても親切であの子に優しかったわ。職員の中に能力者がいて、あの子が一人で話しているわけでは無いと気づいてくれたの。その能力者に少しだけ能力のことを聞いたわ。」
「まぁ、息子は毎週面会に来ていたけど、あの親娘が来たことは無かったわね」
「あの子は施設で穏やかな時間を過ごした……でも、病気が見つかった。スキルス胃がんであちこちに転移していて手術もできない状態だったの」
「私はまた見えない神様にお願いした。『あの子の病気を治して』って、鏡が話せるようになったのだから病気を治すことくらい簡単に出来そうじゃない?」
「でもダメだった。日に日に弱っていくあの子は自分より私の心配をしていたの。ガリガリに痩せて少し声を出すのも精一杯なのに……能力者の職員に私を譲渡したいとお願いしたけど『お気持ちは嬉しいのですが、こんな高価な鏡をいただくことは出来ません』って断られたわ」
「私が安いその辺の文房具屋さんに売っているような鏡なら、貰ってもらえて少しでもあの子は安心して逝けたのかしらね。でもその辺の鏡なら100年以上形を維持することなんて出来ないから付喪神になれないわね」
「あの子が亡くなって私はあの家に戻された。あの子が自室として使っていた和室を見て驚いたわ。あの子の物がタンスを除いて何一つ残って無かったのだから。私は隠すようにあの子の息子に仏壇の引き出しに仕舞われた」
「その理由はすぐにあの親娘の会話で分かったわ。『施設に持って行った物の中にお金になりそうな物は無かったね』、『大丈夫よ。口座にそれなりのお金があったから、施設に入れた後に売ったこの部屋の物全部よりあるの』、『それじゃあ、前は2回だった○ッキーのコンサートもっと行けるね』、『そうね。全国ツアーに行けるわよ』って話していたの」
「私は耳を疑ったわ。信じられる?生きている人間の物を勝手に売ってアイドルのコンサートに行っていたのよ。それに飽き足らず、今度は遺産で全国ツアー?ふざけるんじゃないわよ!面会や見舞いにも来ないで!」
「息子は私が見つかったらあの親娘に売られてしまうから仏壇に隠したのね」
「それからはあなた達も知るように、あの親娘にできる限りの嫌がらせをしていたってわけね。私の代わりに誰かあの親娘を呪ってくれないかしら」
あれ?この付喪神、口煩いだけじゃなくて本当に優しいのでは?
「なるほど……付喪神として人間と接触するためには所有者に対する強い思いと願いが必要なのですね」
所長は顎を触りながら考えて尋ねる。
「そういうことね。樹。多恵ほどとはいかないと思うけど、私に愛される人間になりなさいよ」
少女は腕組みしながら微笑む。
「それと、橘。あなたは何で泣いているの?」
少女はイタズラっぽく笑う。
「な、泣いてなんかねぇし」
橘くんは私たちに背を向ける。
「あと、咲耶。あなたは序盤から泣いているじゃないの。後半なんか声を出して号泣じゃやない。話している私の気が散るのよ」
「……(ズビッ)……(ぐすっ)……」
私の鼻をすする音が、静かな事務所に響く。橘くんも、そっぽを向いているが肩がわずかに震えている。
正確には駆け落ちした所から私は泣いている。後半のお爺さんが亡くなってからは鼻水を流しながらの大号泣だ。
「《《わだじ》》、《《ごういうばなじに》》、《《弱ぐで》》」
「ほら、そこのティッシュで鼻チーンしなさい」
少女はテーブルの上のティッシュを指差す。
私が鼻をかんでいる間に所長は出来上がった“鏡の譲渡書”を少女に見せている。
「こんなものでどうでしょうか?」
「まぁまぁね。最後に『鏡のいう事は必ず聞きます。生涯鏡の奴隷として働きます』って文章があれば完璧よ」
そう言って少女は冗談めかして笑う。
書類の内容はこうだった。
1.譲受人は生涯、鏡を他人に譲渡しない。
2.譲受人の死後、やむなく鏡を譲渡する場合は金銭等の受け取りはしない。
3.譲受人は可能な限り鏡が現状で保持されるように努める。
4.譲受人は譲渡人が鏡の状態を確認することを拒否しない。
以上が所長の作成した譲渡の条件である。私は特に条件4に目が引かれた。譲渡人は親友の多恵さんの息子さんで、多恵さんと一緒に成長を見守ってきたのだ。会いたくないはずがない。息子さんが鏡に会いたい時に会えるようにとの所長の優しさなのだろう。そう考えると壊れている私の涙腺からまた涙が溢れる。
「木花さん、大変言いづらいのですが、給湯室でお化粧直しをしてきて下さい」
私は所長のその言葉にキョトンとする。
「咲耶、ちょっとこっち来なさい」
鏡に言われるがまま、私は近づく。そこに映った私の顔は……本当にひどい、泣きすぎたせいでアイメイクが滲んでしまって、目の上も真っ赤に腫れている。
「これから譲渡してもらうのに、そんな顔の人間がいたら、樹が女の子を泣かす極悪人みたいに思われるのよ。上手くいくものも上手くいかないでしょ?」
私は可能な限り目の腫れを取るべく、給湯室で目を冷やしたり温めたり苦戦し、メイクを整える。
そうこうしている内に田畑さんの来る時刻となった。




