第5話【冥府へ渡るもの】11
「……せがわさん、はせがわさん、長谷川さん!!」
――桜の花の匂いがする。
目を薄っすらと開けると、私の手を握り肩を叩く咲耶の姿が見えた。暗闇の中で咲耶の胸元が桜色に光っている。
「そっか……、やっぱり……、あの祥吾さんは偽物だったんだ。……でも付いて行ったら、本物の祥吾さんに会えたかな?」
「何を言ってるんですか!!そんなこと兄さんが望む訳が無い!!そんなことあなたが一番分かっているでしょうが!!」
私は樹が怒っているのを初めて見た。凜に叩かれても蹴られても泣くことはあっても怒鳴っている所は見たことはない。こんな風に怒るんだ……
「そうだよね……」
そこでもう一度、私の意識は途切れる。気が付くと病院のベッドの上で天井を眺めていた。所謂『見知らぬ、天井』というやつだ。私の腕には点滴が付いているようで動かすと少し痛い。
「長谷川さん、目を覚ましたんですね」
横を向くと、椅子に座った咲耶と祥吾の母、そして少し離れた所に樹が立っていた。
私は体を起こそうとするが体が重くて動かない。
「かなり衰弱していたから、まだ起きられないわよ。連絡がつかなくてすごく心配したんだから」
祥吾の母は安堵した表情で言った。
「すいません。ご心配おかけして……」
「水臭いわね。頭なんて下げなくても良いのよ。いつも言っているけど、自分の娘だと思っているのよ」
その後は樹が呼んできた医師が来て意識に問題が無いか検査をした。どうやら私は丸一日寝ていたようだ。医師によると少しだけなら頭を上げても良いというので、樹がベッドの下のハンドルを回してベッドを起こしてくれた。よく見ると3人の目の下には薄っすらと隈があり、心配をかけてしまったことに心が痛んだ。
当たり障りのない話をして少しすると面会時間が終わり、3人は「明日も朝からくる」と言って帰って行った。
――信じてもらえるかわからないけど、明日は私に起きた出来事を伝えなきゃ。私の嘘で咲耶を失望させてしまうかもしれないけれど……
そんな事を考えながら眠りについた。
起きて少し経った頃に看護師さんが来て病室のカーテンを開けてくれた。空はあいにくの雨のようで外は暗く窓ガラスに雨粒がついている。
そんな空模様ではあるが、1週間前から続いていた体調不良が改善し、寝起きの気分はとても良い。まるで憑き物が取れたように。
看護師さんにベッドを起こして貰い、出された朝食を食べる。お粥や消化に良い物なので、すごく美味しいとは言えないが優しい味がした。
「舞ちゃん、調子はどう?」
祥吾の母と樹が病室に入ってくる。
「はい、とても調子がいいです。朝のごはんも全部食べられました」
「そう、でも無理しちゃダメよ。今はゆっくり体を休めなきゃね」
その後、祥吾の母が「この前お父さんゴルフに行った時にギックリ腰になっちゃって、大変だったの」と祥吾の父のギックリ腰の話を面白おかしく語った。ただ怪我をしただけでここまで言われる父が哀れにも思ったが、母の話術のスキルレベルが高いので一緒になった笑ってしまった。そんな母と私を見て樹は苦笑いを浮かべている。
「長谷川さん、元気になったんですね。よかった。外まで笑い声が聞こえてましたよ」
アハハと笑いながら咲耶が病室に入ってくる。
「他の患者さんの迷惑になるわね。気をつけなきゃ」
そう言って母は口元を押さえた。
「こちらにどうぞ」
と樹が自分の座っていた椅子に咲耶を座らせる。
少し談笑したのち。私は切り出した。
「咲耶ちゃん、お母さん、樹くん、聞いて欲しい話があるの」
私がそう言うと3人は真剣な顔で背筋を伸ばし、頷く。
「お母さんと樹くんは知ってることなんだけど、私、放置子だったの……」
私は度々休憩を挟みながら、私の生い立ち、祥吾との出会いと別れ、廃人状態から今のレストランで働くまで、夢の中での出来事を話した。話の途中何度も咲耶と母は涙を流して聴いてくれた。
「こんな嘘つきの私……幻滅しちゃったよね……嫌いになっちゃったよね」
「誰かの優位に立つためとか傷つけるためじゃなくて、自分の心を守るための嘘じゃないですか!それで幻滅したり嫌いになったりしません!それより、辛かったですね。舞さん」
咲耶は私の手を握り涙を流した。
「ホントは……辛くて悲しくて、泣きたかったのー!!」
咲耶の手を握ったまま、堰を切ったように私の涙が溢れ出た。
「そうですね。泣いて良いんですよ。今まで泣けなかったんですから」
咲耶は私を優しく抱きしめる。咲耶からは夢の中と同じ桜の花の優しい匂いがした。
「舞ちゃん……」
母の涙声が聞こえる。
「長谷が……」
「それ!!その『長谷川さん』っていうのが他人行儀ですごく嫌!!昔みたいに『舞姉さん』って呼んでよー」
私は号泣しながら樹を睨んだ。
「ハーっ、ホント、所長は空気が読めませんね」
咲耶も大きなため息をつき樹を睨む。
「樹……あんたって子はまったく……」
「姉さんはちょっと……舞さんで勘弁していただけますか?」
樹は引きつった顔で言った。
「しょうがないな……今日はそれで勘弁してあげるよ」
そう言って私は作り物では無い、心の底からの笑顔を浮かべた。
「ふふふっ、雨はあがったみたいね」
そう言いながら母は病室のカーテンのカーテンを開ける。
そこから見えた空は雨があがり、日が差して、虹がかかっていた。




