Duct41 ダクトテープのタイミング
空を覆う黒いスペクター。
その数、およそ3千匹はいるだろうか。
この影の化け物の1匹1匹が、田中さんがこれまでにジャガイモに変えた魔族や人間の成れの果てなのだ。
その数の多さに、あらためて田中さんの狂気を見た気がした。
しかし、物理攻撃が効かないスペクターの大群とはやっかいな相手だ。
さらに、相手の戦力はこちらの10倍もいる。
そんな俺の動揺とは裏腹に、我が陣営の英雄豪傑たちはまったく怯んでいない。
オーギュスト侯にいたっては、笑顔でエルドーラに話しかける余裕を見せている。
「エルドーラ様、お久しぶりですな。巨人族の乱を共に平定した以来ですから、40年ぶりですな」
「オーギュスト、なんじゃ、その白髪頭は。老けるのが早すぎるぞ。セシルの父親もそうじゃた。まったく、これだから人間は嫌いなのじゃ」
「はっははは。老いることは悪いことではありませんぞ。老獪という言葉もあるぐらいですからな」
「お前は40年前からそうじゃろが……」
エルドーラがヤレヤレといった感じで息を吐いた。
そんな金髪幼女竜王に向かって、田中さんが敵意剥き出しで吠えた。
「竜王っ! 闇と光の神の戦いには竜族は不介入という覚書を結んだはずだ。それが、どうして勇者の味方をしているんだ! ふざけんなよ!」
「アホ魔王ごときが余に無礼な言葉を吐きおって。覚書を最初に破ったのはお前じゃろうが、余の腹心の火竜をたぶらかしたじゃろ。余が今、勇者側に立つのはその報いと知れ」
「ぐっぬうううう! スペクター!! 殺せ、みんな殺しちゃえ!」
田中さんの命令を受けた3千匹のスペクターが一斉に攻撃態勢を取った。
くっそ、本来なら敵と味方の間にダクトテープの巨大な壁を出現させて、攻撃を防ぐのだが……。
奴らはダクトテープの壁をすり抜けてしまう。
どうすればいいんだ!
しかし、なんと、俺がダクトテープの壁を出現させようと思っていた場所に、突如として巨大な炎の壁が現れた。
スペクターの大群はその大きく高い灼熱の壁に怯み、動きを止め、こちら側に攻め込めないでいる。
「さて、これで多少は時間稼ぎができましたぞ」
オーギュスト侯が炎の壁を見つめながら淡々と話した。
やだ、もしかして、この炎の壁って、オーギュスト侯が魔法で出したの?
魔法剣士なの? おっさん、超、かっこいいじゃん!
「相変わらず、お前の炎の魔法は見事じゃの。老いても赤き獅子は健在ということか」
「お褒めの言葉をいただき、至極恐縮ですな。しかし、どうせなら、40年前に褒めていただきたかったですな」
「若者を褒めそやすと大成せんじゃろ」
「はっははは、ごもっともです。ああ、それと、ご覧の通り、行きがかり上、火竜の鎧を着ておりますが、よろしいですかな」
「よい。お前に着てもらえれば、あ奴の供養にもなる」
「そういうところ、変わっておりませんな」
「ふんっ」
そっぽを向いたエルドーラに好々爺の眼差しを向けた後、オーギュスト侯は俺に向き直った。
その表情にはついさっきまでの飄々とした様子はなく、真剣だ。
「スペクターたちは拙者とエルドーラ様、ニンジャたちで引き受けます。勇者殿はセシル殿と共に魔王を倒してくだされ。奴のスキルの防ぎ方はわかりましたな?」
「はい、わかりました」
俺の代わりに、セシルが力強く返事をした。
セシルは「もう大丈夫です」と言うと、俺の腕を外して自分で起き上がる。
「リョウ様と共に必ず魔王を打ち倒してみせます」
「わずかの間に成長しましたな。剣士としても1人の女性としてもよい顔つきになった。お父上もお母上もお喜びでしょう」
「ありがとうございます」
「ご武運を」
セシルはオーギュスト侯に深々と一礼すると、俺に向かって右手を差し出した。
「さあ、リョウ様。共に魔王討伐へ」
ああ、この台詞、懐かしいな。
俺が異世界召喚された最初の日に、セシルに言われた言葉だ。
あのとき、俺はセシルの誘いをけんもほろろに断ったけ。
社畜として心がボロボロだった俺に、いきなり命を懸けて戦えって、それは無理な話しだ。
でも、今は違う。
この世界に来て、セシルに恋をして、グラと分かり合って、フィアに癒されて、俺は変わったんだ。
俺は、みんなのためになら命を懸けられる。
ダクトテープが縁をつないだ人たちのためになら戦えるんだ。
「セシル、共に戦おう」
俺は一切の迷いなくセシルの右手を取り、力強く握った。
セシルの温かさと闘志が手の平から伝わってきた。
「では、そろそろ炎の壁を解除しますぞ。皆の者、準備はよろしいか」
「「おう」」
オーギュスト侯の言葉に、ニンジャたちが勇ましい声を返した。
いよいよ、決戦のときだ。
オーギュスト侯が左手を振ると、瞬時に炎の壁が姿を消した。
その先にうごめいていたスペクターたちが一気に俺たちに向かって殺到した。
「あまねく精霊に告ぐ。我は竜王、我が意に従え!」
エルドーラが威風堂々たる様子で呪文を唱えた。
すると、黄金色の風、黄金色の雹、黄金色の炎の巨大な竜巻が突如として巻き上がった。
それらの渦はあっと言う間にスペクターの大群をのみ込んでいく。
「赤き狂戦士よ、その猛き清き憤怒の心を現せ!」
オーギュスト侯が右手と突き出すと、そこから巨大な炎の柱が出現した。
オーギュスト侯は、この炎の柱を「オラ、オラ」と言いながらブンブンと振り回し、スペクターを打ち落としていく。
おっさん、楽しそうだな。
ニンジャたちは、懐から次々と小瓶を取り出すと、それをスペクターに向かって投げつけていく。
小瓶はスペクターの頭上で割れ、瓶の中に入っていた透明な液体がスペクターに降りかかる。
すると、スペクターたちは見る見るうちに小さくなり、その姿を消していった。
なるほど、あれはきっと、RPGで名高いポーションによるアンデッドモンスターへの攻撃ですね!
スペクターたちは自然とエルドーラとオーギュスト侯、そしてニンジャたちに引きつられていく。
そうして、薄くなった黒い壁の向こうに、苛立たしげに腕を組んで足踏みをする田中さんが見えた。
「リョウ様、行きますよ!」
「よし、行こう!」
剣を構えたセシルが田中さんに向かって突進した。
その動きに気付いた田中さんがセシルに向かって手を伸ばす。
「ぽてと!」
「ダクトテープ!」
俺はセシルの前方にダクトテープの塊を出現させる。
その塊は、現れた途端にジャガイモへと姿を変えてしまう。
だが、セシルは無事だ。彼女の突撃の勢いは衰えない!
「くっ、ぽてと、ぽてと、ぽてと、ぽてと!!!」
「ダクトテープ、ダクトテープ、ダクトテープ、ダクトテープ!!!」
セシルと田中さんの間で、ダクトテープが出現してはジャガイモに変わり、出現しては変わるという一見して荒唐無稽な出来事が繰り返される。
だが、俺とセシルは真剣だ。
少しでも俺のスキル発動のタイミングがずれれば、セシルは途端にジャガイモ化してしまうのだ。
だが、俺の不安は杞憂に終わる。
セシルの間合いに田中さんが入った!
「覚悟っ!」
セシルの刀が田中さんを袈裟切りにした。
ああ、いくら非道な魔王になったとはいえ、やっぱり知り合いが斬られる場面なんて見たくない……。
本当にこれで良かったのかな……。
って、あれ?
田中さんの身体からは血が1滴も流れていない。
それどころではなく、薄ら笑いを浮かべながら堂々とその場に立ち続けているではないか。
「あはっ、大木さん。今、勝ったと思ったでしょ? 甘いですよ。私は魔王。この物語の主役なんですから、剣ごときでは倒せないんです」
そう言って甲高い声を上げて笑う田中さんの足元には1個のジャガイモが転がっていた。
そして、セシルの手からは剣が失われていた。
「私に触れた物は、瞬時にしてジャガイモになるんですよ。だから、私には物理攻撃は効きません。大木さんもセシルさんも魔法は使えないですよね。あーあ、そんな私にこんなに近づいちゃって、いいのかな~」
田中さんは楽しげに話しながら、セシルにその悪魔の右手を向けた。