Duct38 ダクトテープとジャガイモ
「深遠なる白夜の輝きよ……」
グラの魔法詠唱が進むにつれ、その手の平に氷のきらめきが満ち始めた。
その輝きが、ひと抱えできそうなほどに膨れ上がったとき、玄関の奥から甘ったるい女の声が上がった。
「あら、あら、グラちゃん、お母さんとお姉さんを殺しちゃっていいのかな~?」
女の声は明るくキャピキャピとしているのに、なぜか感情がこもっていなかった。
そのアンバランスさに背筋がゾクリとする。
玄関の奥から出てきたのは、1人の小柄な女だった。
小柄な女は真っ黒いローブをまとい、真っ黒なフードを目深にはおっている。
そのため、その表情はうかがい知れない。
ただ、にやついた口元だけが見えた。
冷たく不快な微笑だ。
いつの間に家の中にいた?
裏口から入ったのか?
「魔王様……なぜ、ここに……」
俺の隣でグラが愕然とした顔でつぶやいた。
その手からは白い輝きが失われている。
「こいつが魔王!?」
俺は驚きをもって、あらためて小柄な女を見た。
しかし、先ほど対峙したエネジスから感じられたような覇気や闘気は何もない。
はっきり言って、ただの人間としか思えない。
「アホの副魔王と同じでグラちゃんが裏切り者かもしれないって報告があったからさ、直接確かめようと思って、来ちゃった、あはっ」
魔王は口元の冷たい微笑をそのままに、かわいらしく小首をかしげて見せた。
「そしたら、なんとびっくり! 本当に私を裏切って、勇者と協力してエネジスちゃんを倒しちゃうんだもの。これには慈悲深い魔王様も、さすがにおかんむりですよ~。プンプンだよ~」
腰に両手を当て、怒っているポーズを取る魔王。しかし、やはりその声には何の感情も感じられない。
本当に怒っているのか、すべて冗談なのか、まったくわからない。
「……私は元々、あなたに忠誠を誓ったわけではない。人質に取られた母上様とお姉様、そして氷女一族を守るために将軍職を請けただけだ」
「うん、知ってるよぉ。だからさ、今日は、グラちゃんの大好きなお母さんとお姉さんを連れて来てあげたよ!」
魔王がゆっくりと両手を広げる。
すると、魔王の目の前にいた黒い人影である2体のスペクターが、フィアを抱き上げてフワリと空高く舞い上がった。
「まさか……あれが……」
2体のスペクターの姿を見上げたグラが絶句した。
「そうだよ! あのスペクターはグラちゃんのお母さんとお姉さんの成れの果てだよ! どう? 久しぶりに会えて感激した? 嬉しい? ねえ、今、どんな気持ち?」
嬉々とした声色と甲高い笑い声に初めて魔王の感情がこもった。
グラはただただ目を見開いて、スペクターと化した母と姉を見上げている。
その驚きと悲しみからか、グラの表情から全ての感情が失われていくように見えた。
俺は胸の痛みで押しつぶされそうになった。
それは、エネジスとの対決前に感じていた怒りとは違う感情。
しかし、戦うには十分すぎるほどの悲しみと痛みだ!
「OK。よくわかった」
俺は魔王に向かって両手を突き出した。
「何がわかったの?」
「お前がクソ野郎だってことがだよ!」
俺はスキル「ダクトテープ」を発動させ、魔王の周囲に1万発のダクトテープの弾丸を出現させた。
さらに弾丸をドーム状に配置し、魔王が決して逃れられないようにしてから、全ての弾丸に回転と破壊の力を与える。
「滅しろ! 魔王!」
1万発の弾丸に爆発的な推進力を与える。
全弾が魔王に向かってうなり声を上げた!
その瞬間、俺はフードの奥の魔王の口元が醜く歪むのを見た。
「ぽーてーと!」
魔王は両手を空に向かって突き上げると、この期に及んでとぼけた様子で間延びした声を上げた。
その途端、信じられない光景が俺の目の前に広がった。
1万発のダクトテープの弾丸が瞬時に全て消え失せたのだ。
その代わりに、無数の拳大の茶色い塊が魔王の周囲に出現し、うずたかく積み上がった。
ゴロゴロと大地に転がる茶色の物体。
それは、元いた世界では当たり前に存在し、万能の食材として世界中で愛されていた野菜。
「ジャガイモ!?」
「そのと~おり~! 私がスキル『ポテト』でダクトテープの弾丸をジャガイモに変えました。有機物でも無機物でもなーんでも一瞬でジャガイモに変えられるチートスキルなんだ。どう? 大木さんのスキルより凄いでしょ!」
ジャガイモの小山に腰かけた魔王が、俺に向かって自慢げに胸を張った。
おい、ちょっと待て、今、俺のことを大木さんって呼んだよな。
なんで、俺の名前を知っているんだ!?
この世界ではリョウで通してきたはずだ。
俺の本名を知っているのは、この世界ではセシルだけのはず。
「なぜ、俺の名前を知っている!?」
「あれ!? やだな~、気付いてないの? やだ、ショックぅ~! 私たちあんなに仲良しだったじゃない」
こいつは何を言っているんだ?
気でも狂っているのか?
「ほら、私だよ、私」
楽しそうにケラケラと笑いながら魔王はフードに手をかけ、それを後ろにはだけさせた。
現れたのはツインテールの黒髪と黒い瞳、小さな顔。
俺は、その顔を確かに知っていた。
「田中さん!?」
会社の事務の田中さんだ。
元の世界で俺が務めていた会社の後輩で、愚痴ってばかりの俺にいつも優しく接してくれた癒やしの存在。
「田中さんが魔王!? いや、そもそも、なんでこの世界にいるの?」
「大木さんと同じ異世界召喚ってやつだよ。なんと、一緒に働いていた私が魔王だったのよ。どう、驚いた?」
あれ? 魔王の出現って、俺が異世界に召喚される4年前じゃなかったっけ?
魔王の出現を機に、人間と魔族の戦争が始まったって聞いたけど。
異世界では俺が勇者で田中さんが魔王で、元の世界では俺は先輩で田中さんは後輩……。
時期が被ってるような?
どうなってんの?
「私は4年前にこの世界に魔王として召喚した後、闇の神の力によって、異世界と現代日本を行き来していたの。そして、勇者としてこの世界に召喚する人材を捜していた。大木さんは私のお眼鏡にかなって、この世界にやって来たんだよ」
魔王は、いや田中さんは何を言っているんだ?
「大木さん、ずっーと、会社を辞めたい、仕事を辞めたいって愚痴ってたものね。それが、異世界転生で見事に社畜から脱することができたのは、私のおかげなんですぅ。もう、感謝してほしいぐらいなのに、攻撃されるなんて、心外だわ~」
田中さんはさもおかしそうに両手を口に当て、ほくそ笑んでみせた。
「いや、俺をこの世界に召喚したのはセシル……」
混乱した俺は思わずセシルの方を見た。
セシルは俺の戸惑いを真っ直ぐに受け止めると、力強くうなずいてくれた。
「魔王! リョウ様を惑わすのはおやめなさい! リョウ様を召喚したのは、このわたしです」
セシルは凜とした声を上げ、田中さんに向かって剣を八相に構えた。
その威風堂々とした姿に俺は安心感を覚える。
そうだ、魔王が田中さんで、田中さんが俺を異世界召喚したなんて嘘だ。
俺はセシルに呼ばれたんだ。
「君が神の巫女のセシルさんか~。初めまして~」
田中さんはセシルと向き合うと、満足げにペロリと舌なめずりをした。
それは、まるで、獲物を見つけたヘビのようだった。




