Duct33 ダクトテープと花壇
くわを大地に向かって思いっ切り振り下ろす。
鉄の刃はサクッと小気味の良い音を立て、大地をおこしてくれる。
草花の根は浅く、石が少なくて軟らかい、畑には適した土だ。
俺は今朝、いつもより少し早起きをして、くわで庭を耕している。
家庭菜園づくりの初日なのだ。
食用の葉物はタヌキさんたちが森から採ってきてくれるし、穀物類は街の市場で手に入る。
なので、生活していく上では我が家には家庭菜園は必要ない。
しかし、家でごろごろするだけの生活に少し飽きてきたこともあり、趣味の一環として家庭菜園を始めようと思い立ったのだ。
「ご主人様、少し休んだほうがいいですの。朝からずっと働き通しですの」
くわを振るい続ける俺に向かってフィアが心配げに声をかけてきた。
そう言われて気付いたが、もう2時間ほども動きっぱなしだ。
くわを振るう経験は、田舎でおじいちゃんの畑を手伝った小学生以来だったが、意外と体が使い方を覚えていてサクサクと仕事が進んだ。
体を動かした分、どんどんと大地が耕されていく様が小気味よく、思いのほか仕事がはかどってしまった。
うーん、仕事や体を動かすことが心地よいだなんて、社畜時代の俺には絶対にあり得ない感覚だ。
異世界でのんびりと平穏無事な生活が続いてる中で、俺の心身も健全になってきたということか。
やはり、この異世界転生は社畜生活に疲弊しきっていた俺のために神様が用意してくれたプレゼントなのだろう。
そして、そんな俺を召喚してくれたセシルにあらためて感謝の気持ちが湧く。
「ご主人様、休憩してくださいですの」
「ああ、そうだな。少し休むよ」
今度はフィアの少し咎めるような口調が聞こえてきた。
俺は額の汗を布でぬぐい、くわを大地に置く。
今日は朝から良い天気で、頭上には雲一つない澄んだ青空が広がっている。
「はい、どうぞですの」
「ありがとう」
フィアが差し出した陶器のコップには冷水が満ちていた。
それを一気に飲み干し、一息つくと、玄関前でセシルとグラがスコップで土を掘り返したり、大きな石を森から持ってきては整然と並べている様子が目に入った。
あの2人が畑作りを手伝わないのは最初からわかっていたし、期待もしていなかったが、なんだが俺と似たようなことをやっているようだ。
「2人は何をしているんだ?」
「花壇を作っているですの。ご主人様が畑を作るなら、私たちは花壇を作ろうってセシルお嬢様が提案したですの。グラお嬢様はしぶしぶでしたけれど、フィアは率先してお手伝いしているですの。午後は3人で森にお花を採りに行って、花壇に植え替えるですの」
フィアがせっせと動くセシルとグラをほほ笑ましげに見た。
花壇ね……。
確かにダクトテープの灰色で覆われた玄関は殺風景だし、花々の彩りがあった方が見た目はいい。
しかし、花壇を作る労力をいとわないのであれば、3人とも俺の畑作りを手伝ってほしい。
くわを振るえとは言わないが、ほら、草の根を取り除くとか、畝を整えるとか仕事はあるんだよ……。
俺がジト目で玄関先を見つめていると、その視線に気付いたセシルが「リョウ様~」と満面の笑みで手を振ってきた。
「畑作りの調子はいかがですか? わたしたちも頑張ってきれいな花壇を作りますからね!」
セシルが胸の前で両手をグーに握った。
うぬう、あんなにかわいいポーズをされたら、文句の一つも言えなくなってしまうじゃないか。
「セシル、頑張ってきれいな花壇を作ってくれよ。俺も頑張るからな」
俺がにこやかに手を振ると、セシルが「は~い」と嬉しそうに手を振り返してきた。
うぬう、かわいい笑顔だなあ。
「ご主人様、ご主人様!」
「わっ、なんでせうか?」
フィアの声に慌ててわれに返る。
セシルの笑顔に見とれていたって気付かれてないだろうか。
「畑を作るのはいいのですが、どんな野菜を植えるおつもりですの?」
「ああ、育てる野菜ね……」
良かった。見とれていたとは気付かれていないようだ。
「そうだな……野菜を育てるのを手伝ったことはあるが、自分で育てたことはないからなあ。栽培が簡単なやつがいいな。苗を植えたら、あとは手入れも水やりもほとんど不要で、なおかつおいしくて、いろいろな料理に使える野菜がいい」
「そんな万能な野菜なんてありませんの」
「いや、ジャガイモがあるじゃないか。そうだ、ジャガイモを育てよう!」
「ジャガイモ?」
フィアが小首をかしげた。獣耳の先端も首と一緒になって曲がる。
「あれ? ジャガイモってこの世界にないのかい? ほら、拳大の薄茶色の芋で、煮てよし、焼いてよし、蒸してよし、揚げてよしで、花も白くてきれいな野菜だよ」
「そんなにすごい野菜は聞いたことがないですの」
「そうか、ジャガイモないのか……」
かなりがっかりした。
ジャガイモが存在しないということは、フライドポテトも肉じゃがもジャガバタもポテトサラダもコロッケも食べられないということだ……。
あらためて考えると、俺の好物の料理ってジャガイモがないと作れないものばかりだ。
ジャガイモすげーな。
うーん、ジャガイモが無理ならば、畑で何を作ろうか。
どうせなら、セシルとグラ、フィアが喜ぶ野菜を作りたいな。
そう思った俺は再び玄関先に目をやった。
そこでは、セシルとグラが森から拾ってきた石をスコップで掘り返した土の周りに並べている最中だった。
先ほどのかわいい笑顔の一件もあり、俺は自然とセシルの姿を目で追ってしまう。
セシルは、少し気だるそうなグラに向かって楽しげに話しかけながら、明るい笑い声を上げている。
その朗らかなセシルの様子を見て、俺はふと思った。
――最近、セシルに勇者になって魔王を討伐してくださいって言われてない。
俺が異世界転生した当初は、事あるごとに魔王討伐を訴えてきたのに、森での生活が続くにつれてセシルが俺にその件で言い寄る回数はめっきりと減っていった。
そして、ここ数日は丸っきり言われていない。
セシルは魔王討伐のために俺を召喚したのに、俺はその期待にまったく応えていない。
今の森の中での暮らしは、セシルが決して望んだ結果ではない。
このまま平穏な生活が続いて行って、セシルは本当にそれでいいのだろうか?
セシルの元気な笑顔を見ていると、俺の胸の奥にもやもやとした違和感が広がった。
「おい、リョウ。畑仕事が終わったんなら、花壇作りを手伝えよ。ほら、石が重くて疲れるんだ」
俺の物憂げな視線に気付いたグラがこれ見よがしに大きな石を持ち上げ、わざとらしく疲れ切った声を上げた。
「ああ、手伝うよ。でも、まだ畑作りが終わってないんだ。これが終わったら手伝うよ」
「なんだ、まだ終わってないのか……じゃあ、なんでさっきからボケッと突っ立って、こっちを見てるんだ?」
「畑でどんな野菜を作るかみんなに相談したくて」
「野菜? 肉じゃないから何でもいいぞ。リョウが食べたい野菜を勝手に作ればいいだろう」
「それがさ、ジャガイモはこの世界にないっていうからさ」
「ジャガイモ……」
グラは突然に笑顔を凍りつかせると、持っていた石から手を離した。
人間の頭ほどの石がグラの手元から落下し、地面に置いてあったブリキ製のじょうろにぶち当たる。
その衝撃で、ブリキのじょうろは乾いた音を上げてひしゃげてしまった。
「あっ、グラスネージャ、気を付けてくださいよ。怪我はなかったですか?」
セシルが心配そうにグラの顔をのぞき込んだ。
グラの顔は血の気が引き、雪のように白い肌が青白くなっている。
俺とフィアも慌ててグラの元に駆け寄った。
「おい大丈夫か。急にどうしたんだ?」
「大丈夫だ。怪我はない」
グラは笑顔を俺に向けるが、その表情にはいつもの勝ち気さがまったくない。
あきらかに動揺している。
「本当に大丈夫か?」
「私は大丈夫さ。それより、じょうろを壊してしまったな。これから花を植えるときに使うのに、すまない」
グラは壊れたじょうろを拾い上げた。
じょうろのひしゃげた部分には拳大の穴が空いていた。
グラは本当にせつなそうに壊れた場所を触った。
「なんだ、じょうろを壊したことを気にしていたのか」
「まあ、そうなんだ」
「そんなことは気にしなくていい」
俺はグラからじょうろを受け取ると、スキルを発動してダクトテープを取り出した。
そして、じょうろの穴を塞ぐようにして何重にもダクトテープを貼り付けた。
ダクトテープは防水性に優れているから、こうした水関係の道具の修理には最適なのだ。
「ほら、直ったぞ。万能ダクトテープがあれば、なにがあっても大丈夫だ。心配するな。午後の花の植え替えは俺も手伝うからさ、みんなできれいな花壇を作ろう」
俺はダクトテープを貼ったじょうろをグラに返す。
「そうだな……みんなできれいな花壇を作ろう」
グラはじょうろに貼り付けたダクトテープに触れると、ようやくいつもの笑顔を俺に向けてくれた。
よかった、元気が戻ったようだ。
「よし、セシルとフィア、花壇作りを再開だ。ここからは私もフィアも本気を出すぞ!」
「ちょ、あなたたち今までは本気じゃなかったんですか?」
「フィアはずっと一生懸命ですの!」
3人がおしゃべりと花壇作りを再開したのを見て、俺も畑作りへと戻ることにした。
午後は花壇作りを手伝うと約束したからには、耕すペースを上げて昼までに仕事を終わらせなくてはならない。
大地に向かってくわを振るう。
深く差し込まれた鉄の刃を引き抜く。
もういちど、くわを振るおうとしたとき、突如として大地に影が広がった。
太陽が雲に隠れ、空が陰ったようだ。
しかし、今日の空には雲なんて一つもなかったはずだ……。
不思議に思った俺はふと頭上を見上げ、愕然とした。
空には見覚えのある巨大な黒い影が無数にうごめいていた。
「ワイバーン……」
魔王軍の精鋭部隊。
異世界転生の初日にグラが引き連れ、俺とセシルに襲いかかった有翼の魔獣。
あのときは5匹だったが、今、頭上にうごめくその数は100匹はくだらないだろう。
空がワイバーンによって埋め尽くされ、耳をかき乱すような奇っ怪な叫び声が頭上から無数に降りそそいでくる。
「リョウ様、魔王軍の襲来です! 戦闘の準備を!」
セシルの緊迫した声が耳に届いた。
そして、俺はワイバーンの大群が襲来したことよりも、久しぶりに聞いたセシルの剣士としての声に心を動かされていた。
――やっぱり君には笑い声の方が似合っている。




