Duct22 ダクトテープの経験値2
玄関の扉を開け、外へと出た俺とフィアは、目の前の光景に言葉を失った。
大きなドラゴンがいた。
背後の家よりも大きく、小さな丘と見まがうほどの大きさ。
茜色の夕日を受けてもなおわかる真っ赤な鱗。
4本の脚の太さは、神社にある樹齢数百年のご神木ほどはある。
あまりの迫力に自然と脚が震えた。
異世界転生した日に出会ったワイバーンたちとは、明らかに格が違う。
単なる大きさだけではない、対峙したときの凄味と恐怖感が桁外れなのだ。
しかも、その赤いドラゴンは、鮮血を思わせる深紅の瞳で俺とフィアをにらんでいる。
その視線には、明らかに敵意がこもっていた。
「で、ですの……」
腰を抜かしたフィアが俺の左足にすがりついて来た。
頼られたところで、俺だって怖い。
と、取りあえず家に戻るか……。
フィアを引きずって家の中に戻ろうとしたとき、赤いドラゴンがその巨大な口を開いた。
「この森を我がすみかとする。人間は邪魔だ。殺す」
腹の底に響く重低音とともに、ドラゴンの口からはっきりと人の言葉が発せられた。
言葉を語り終えた牙の隙間からは炎の帯が幾重にも漏れ、うごめき始める。
視線を下げると、その胸には十字の深い傷があり、鱗よりも赤い鮮血が吹き出ている。
「て、手負いの炎のドラゴンですの!! もう、この森は終わりですの!!」
恐怖のあまりかフィアが俺の体に飛びつき、ギュウーと抱きついて来た。
ちょ、これから問答無用で攻撃されるっぽいのに、俺の行動を奪うようなまねはしないで!!
俺とフィアがジタバタしていると、ドラゴンの巨大な右前足が高々と上がった。
その足の影に俺とフィアがスッポリと入ってしまう。
これって、もしかして、踏みつぶそうとしてますか!?
「ダクトテープ!!」
ドッガーン!!という轟音とともにドラゴンが足を踏み降ろした。
巨大な土ぼこりが巻き上がり、玄関が蹴破られ、その振動で家が波打った。
俺は、ドラゴンの足が踏み降ろされる直前、右前方にある大木を目がけ、ダクトテープを放っていた。
そして、大木の幹にダクトテープの先端を一気に巻きつけることで、俺とフィアの体をダクトテープで引っ張って瞬間的に玄関先から脱することに成功していた。
炎のドラゴンの首が俺とフィアの方にゆっくりと向けられた。
俺たちは、その深紅の瞳に再びとらえられる。
戦いは避けられそうにない。
では、ダクトテープでどうやって戦うべきか。
フィアの身を守りつつ、攻撃を放ち、相手の動きを封じていく必要がある。
しかし、あれほどの威力の攻撃を防ぐには、どれ程のダクトテープの壁の厚さが必要なのだろうか?
ドラゴンの動きを封じるには、どれ程のダクトテープを巻きつければよいのだろうか?
そもそも、ダクトテープはドラゴンの炎に耐えられるのだろうか?
誰かを守りながら、ドラゴンと戦えるのか俺は?
経験値だ、圧倒的に戦闘の経験値が足りない!
――ダクトテープを信じろ。
神の声が頭の中に響いた。
そうだ。できるはずだ。
俺はダクトテープを信じている。
覚悟を決めた俺と、攻撃をかわされて怒りに満ちたドラゴンの瞳が交差した。
そのとき、2つの殺気が新たに出現した。
俺とドラゴンの視線は自然と、その禍々しい殺気の発信元へと向かう。
そこは破壊された玄関だった。
がれきの上に、夕焼けに照らされた2人の人影があった。
その背中からは、陽炎のような殺気がゆらりと立ちこめている。
セシルとグラだった。
セシルがその手に剣を持ってうなだれていた。
グラは右の手の平をドラゴンに向け、やはりうなだれていた。
なぜだろうか、2人の頭には皿が裏返しで載っている。
というか、スープの入った皿を頭から被ったようで、2人の髪も顔もびしょぬれだ。
「……晩ご飯を、なによりもお肉を床にこぼしたのは、あなたですね……」
「……肉、肉を床にぶちまけ、すべてを台無しにしたのは、おまえだな……」
臓腑を揺さぶる声とともに、セシルとグラがゆっくりと顔を上げた。
皿が頭からずり落ち、がれきに当たって小気味よい音を立てて割れる。
「ご飯を奪ったのは……」
「おまえだな……」
2人の双眼は冷徹に光りながらドラゴンをにらんだ。
お、怒ってらっしゃるううううう!!
どうやら、先ほどのドラゴンの攻撃で食卓の皿がすべてひっくり返ったようだ。
あんなにも食事を、なによりも6日ぶりの肉料理を楽しみにしていた2人にとって、そのすべてを奪った相手への怒りは相当なようだ。
しかし、相手はドラゴンだぞ。
たとえ、最強の剣士と最高の魔法使いであっても太刀打ちできるとは思えない。
あの頑丈そうな鱗をセシルの剣で突き破れるのだろうか。
それに、氷属性のグラにとって炎属性は分が悪そうだ。
「セシル、グラ! こいつとは俺が戦う」
2人を止めようとした言葉はしかし、ドラゴンの重低音によってかき消される。
「殺す」
ドラゴンは短くそう宣言すると、セシルとグラに向かって巨大な口を開いた。
その口の奥で、炎の塊が一気に膨れ上がる。
「危ない!!」
俺の叫び声が森に響き渡るまでに、すべてが終わっていた。
そう、まさしく一瞬の出来事だった。
ドラゴンの全身が青白の氷に包まれるのと同時に、ひと筋の斬撃がドラゴンの首に向かって突進した。
その光りの筋が空中を走り抜けた次の瞬間には、ドラゴンの頭が鮮血とともに宙を舞っていたのだ。
グラが氷の魔法でドラゴンの動きを止め、セシルがひと太刀でその首をぶった切った。
あうんの呼吸の見事な連携攻撃。
しかも、ドラゴンの首に氷の隙間をわずかにつくり、そこに剣筋を通すという神業付きだ。
轟音とともに大地に突っ伏す炎のドラゴン。
その衝撃で体を覆っていた氷山が砕け、氷の粒が幾重にも空中に舞い上がった。
夕日を受け、茜色にキラキラと輝く氷の霧の中に立ちつくす2人の美少女。
「す、すごいですの!! お嬢様たち、かっこいいですの――!!」
フィアが俺の後ろで跳び上がると、セシルとグラの元に駆け寄り、順番に2人に抱きついた。
「フィア、ごめんなさい。初めての4人での食卓が台無しになってしまいました」
「すまなかったな。フィアが作ってくれた料理を……肉を無駄にした……肉……」
そう言ってうなだれるセシルとグラ。
おいおい、ドラゴンを瞬殺したことよりも、あくまでも食事を台無しにされたことの方が重大なのか。
2人とも最強とか最高とかいう呼び名は伊達じゃなかったんだな。
というか、セシルの渾身のパンチに2度も耐え、グラとの戦いに勝利できた俺って、そうとうに運がよかったんだなあと実感。
「大丈夫ですの。ご飯はまた作りますの。森を救った竜殺し(ドラゴンスレイヤー)のお2人のためなら何度でもですの。ねっ、みんな」
フィアが笑顔で家を振り返ると、破壊された玄関に集まっていた大勢のタヌキさんたちがそろって拍手をした。
その数はおそらく808匹。
万雷の拍手に迎えられ、セシルとグラは少しはにかみながら家に戻っていく。
オレンジ色に染まる2人の背中と、英雄の帰還に歓喜するフィアとタヌキさんたちの波。
その絵画のような美しい光景を見て俺は思う。
あれっ、この森の生活で存在意義がないのって、俺じゃない?
少なくとも、今、この瞬間は俺、いらなくね?
いや、あったわ、俺に出来ること。
戦闘の経験値は積んでないけど、森の中の生活で積んできた別の経験値が生かせること。
壊れた玄関を直さなきゃ。
ダクトテープでがれきをつなぎ合わせて、玄関を元通りにしよう。
よし、ダクトテープで補修しまくちゃうぞ!