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正解圏外 – The Outside of the Answer – 《世界を繋ぐ魔道姫》  作者: 咲凪すず


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第3話『神門家』中編

放課後

午後の授業を終え、放課後のチャイムが校内へ響く。

 教室では、生徒たちがそれぞれ帰り支度を始めていた。

「じゃあ澪、また明日ね!」

 陽菜が鞄を肩に掛けながら、明るく手を振る。

「うん。バイト、頑張ってね」

「頑張る。今日は新しいデザートの作り方を教えてもらえるんだ」

「接客だけじゃないんだね」

「忙しい時は、いろいろやるの。失敗しないように祈ってて」

「祈るほど?」

「私にとっては大事なの」

 陽菜は胸の前で拳を握り、真剣な表情を作る。

 けれど、その顔は長く続かなかった。

「じゃあ、行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

 陽菜は教室を飛び出し、駅の方角へ駆けていった。

 その後ろ姿を見送り、澪も鞄を手に取る。

 廊下へ出ると、階段の近くで悠斗が待っていた。

「帰るのか」

「うん。悠斗は部活?」

「ああ。昨日の観測記録を確認する」

「時計のことも?」

「可能なら」

 悠斗は鞄から、小さな手帳を取り出した。

「昨日、澪が駅前の時計を見た時刻と、スマートフォンに残っていた記録を比較した」

「何か分かった?」

「大きなずれはなかった」

「それなら、やっぱり見間違いかな」

「普通なら、そう考える」

「普通なら?」

「学校の時計にも、同じようなずれが起きていた可能性はある」

 悠斗は手帳を開き、いくつか書き込まれた数字を澪へ見せる。

「今日、校内の時計をいくつか確認した。現在はすべて正常だった」

「そこまで調べたんだ」

「気になったからな」

 それだけで説明になってしまうところが、いかにも悠斗らしい。

 澪は小さく笑った。

「何か分かったら教えて」

「ああ。澪も、また御守りに異変があれば教えてくれ」

「分かった」

 悠斗は頷き、理科棟へ続く渡り廊下の方へ歩いていった。

 澪は一人、昇降口へ向かう。

 靴を履き替え、校舎の外へ出た。

 午後の日差しはまだ明るく、空には白い雲がゆっくりと流れている。

 中庭を通り過ぎる時、澪は足を止めた。

 大きな楠。

 昨日と変わらず、青々とした葉を広げている。

 風が吹くたびに、枝葉が穏やかな音を立てた。

 制服の内側にある御守りへ、そっと意識を向ける。

 熱はない。

 何も感じない。

「……今日は、大丈夫みたい」

 誰に言うでもなく呟き、澪は再び歩き始めた。

 その背後で。

 楠の葉が、一度だけ。

 周囲の風とは異なる方向へ揺れたことに、澪は気づかなかった。


 住宅街を抜け、山へ続く坂道を上る。

 長い石段の先には、神門家の神社がある。

 鳥居をくぐると、境内には傾き始めた日の光が差し込んでいた。

 正面には拝殿。

 その奥に本殿。

 少し離れた場所には、毎朝稽古を行う道場。

 さらに木々に囲まれるように、書庫や蔵、宝物庫が並んでいる。

 澪にとっては、幼い頃から見慣れた景色だった。

 朝はここから学校へ向かい。

 夕方には、ここへ帰ってくる。

 夏には蝉が鳴き。

 秋には落ち葉が石畳を覆い。

 冬には石段へ雪が積もる。

 神門家は、古い歴史を持つ家だ。

 けれど澪にとっては、何より先に、自分が生まれ育った家だった。

「ただいま戻りました」

 玄関で声を掛ける。

「おかえりなさい」

 奥から、千鶴の穏やかな声が返ってきた。

 澪が靴を脱いでいると、台所から千鶴が顔を覗かせる。

「今日は早かったのね」

「陽菜はアルバイトで、悠斗は部活なので」

「そう。お茶を淹れるけれど、先に着替える?」

「はい」

 千鶴は頷いた後、何かを思い出したように手を合わせた。

「澪。着替えた後で、少し頼みたいことがあるの」

「何ですか?」

「古い蔵に、小さな壺があると思うの。昔、梅干しを入れていたものなのだけれど」

「梅干しの壺?」

「ええ。今度また使いたくて。探してきてもらえるかしら」

「分かりました」

「もう少ししたら暗くなるから、それまでにお願いね」

「はい」

 澪は自室へ戻り、制服から普段着へ着替えた。

 動きやすい長袖のシャツと、落ち着いた色合いのロングスカート。

 髪も低い位置で一つにまとめる。

 御守りは首から下げたままにした。

 千鶴から鍵を受け取り、境内の端にある古い蔵へ向かう。

 その蔵は、祭具や日用品、今では使われなくなった道具などを保管する場所だった。

 重い錠前へ鍵を差し込む。

 硬い音を立てて鍵が開く。

 澪は木戸へ手を掛け、ゆっくりと押した。

 古い蝶番が、低い軋みを響かせる。

 中は薄暗かった。

 小さな窓から差し込む夕方の光の中を、細かな埃が静かに漂っている。

「小さな壺……」

 澪は足元に注意しながら中へ入った。

 木箱。

 古い食器。

 祭りの時に使う提灯。

 燭台。

 欠けた農具。

 何十年も前のものらしい家具。

 幼い頃にも何度か入ったことはある。

 けれど、改めて見渡せば、何に使われていたのか分からない品が思った以上に多かった。

 右側の棚には、いくつもの壺が並んでいる。

 澪は一つを持ち上げ、蓋を開けた。

 中は空だった。

 匂いを確かめる。

「違うかな」

 梅干しを入れていたような香りは残っていない。

 元の場所へ戻し、隣の壺へ手を伸ばす。

 その時だった。

 棚の奥に、白いものが挟まっていることに気づいた。

「紙?」

 壺と棚板の隙間から、小さな紙片が覗いている。

 澪は指先でつまみ、破らないよう慎重に引き出した。

 長い間そこにあったのだろう。

 紙は黄ばみ、端が傷んでいる。

 表面には、文字のようなものが書かれていた。

「何だろう……」

 日本語ではない。

 英語とも違う。

 曲線と直線が複雑に絡み合い、文字というより模様のようにも見える。

 それなのに。

 澪は、その形から目を離せなかった。

 初めて見るはずだった。

 意味も分からない。

 読むこともできない。

 それでも、どこかで見たことがあるような感覚があった。

 ずっと昔から。

 自分の中のどこかが、その文字を知っているような。

 胸元が、かすかに温かくなる。

「……え?」

 澪は動きを止めた。

 服の上から御守りへ触れる。

 確かに熱を帯びている。

 昨日、学園の楠の近くで感じたものと同じだった。

 澪は紙片を遠ざける。

 御守りの熱が弱まる。

 再び近づける。

 じわりと温かさが戻った。

「この紙に、反応してる……?」

 自分の声が、薄暗い蔵の中へ小さく響く。

 澪は紙片が挟まっていた棚の奥を覗き込んだ。

 壺の向こう側。

 さらに暗い場所に、白い布で包まれた細長いものが見える。

 周囲の壺を少しずつ動かし、慎重に引き出す。

 それは、一抱えほどもない小さな桐箱だった。

 澪は近くの木箱の上へ置き、包まれていた布を解く。

 古びた桐の表面。

 その中央には、見慣れた紋が焼き付けられていた。

 円環。

 門を思わせる形。

 そして中央を貫く、一本の剣。

 神門家の正式家紋――環門一剣紋。

「神門家のもの……」

 家紋の周囲には、先ほどの紙片と同じ文字が刻まれている。

 澪が指先を近づけると、御守りの熱が強まった。

「熱い……」

 火傷するほどではない。

 けれど、気のせいでは済ませられないほど明確だった。

 澪は御守りを服の内側から取り出す。

 白い布地と赤い糸。

 見た目は、いつもと何も変わらない。

 それでも手のひらの上で、確かな熱を放っている。

 桐箱へ近づけるほど、その熱はさらに増した。

 箱には鍵がない。

 留め具も見当たらない。

 ただ、蓋と本体の境目だけが細い線となって残っている。

 澪は片手で御守りを握り、もう一方の手を蓋へ掛けた。

 少しだけ力を込める。

 蓋が、わずかに動いた。

「開く……?」

 もう少し力を入れようとした時だった。

「何をしている」

 低い声が、蔵の中へ響いた。

 澪の手が止まる。

 振り返ると、開いた木戸の前に宗一郎が立っていた。

 外の夕日を背負っているため、その表情はよく見えない。

「おじいちゃん」

「その箱を、どこで見つけた」

 いつもの穏やかな声ではなかった。

 道場で師として向き合う時とも違う。

「この棚の奥です」

 澪は桐箱を指した。

「それから、これも」

 紙片を差し出す。

 宗一郎は蔵の中へ入り、澪から紙を受け取った。

 書かれた文字を見つめる。

「これは何ですか?」

「古い記録の切れ端だろう」

「神門家のものですか?」

「おそらくな」

「何と書いてあるんですか?」

 宗一郎はしばらく紙片を見つめていた。

「分からん」

「おじいちゃんにも?」

「形を知っているだけだ。すべて読めるわけではない」

「書庫で、似た文字を調べていますよね」

 宗一郎の目が澪へ向く。

「見たのか」

「前に少しだけ。おじいちゃんが、見たことのない文字の本を開いていたから」

「あれは読んでいたのではない。読もうとしていた」

「少しも分からないんですか?」

「一部だけだ」

 宗一郎は紙片へ再び目を落とす。

「後世に意味が残された文字もある。だが、ほとんどは推測の域を出ん」

「これは、その古い文字なんですか?」

「そうだろう」

 宗一郎は紙片を懐へしまい、桐箱へ視線を向けた。

「その箱は、ここに置いておくべきものではない」

「何が入っているんですか?」

「分からん」

「開けたことは?」

「ない」

「一度も?」

「ああ」

 澪は桐箱を見る。

「でも、今、少し動きました」

 宗一郎の表情が変わった。

「何?」

「蓋です。開きそうになりました」

「触れたのか」

「はい」

「素手で?」

「御守りを持ったまま」

 宗一郎の視線が、澪の手にある御守りへ向けられる。

「御守りが反応したんです」

「どのように」

「紙に近づけても、箱に近づけても熱くなりました」

「今もか」

「はい」

 宗一郎は御守りへ直接触れず、じっと見つめる。

 澪はその横顔を見た。

 祖父は、驚いている。

 それを隠そうとしているだけだ。

「学校でも、一度だけ同じことがありました」

「……中庭の楠か」

 澪は息を止めた。

「どうして分かったんですか?」

 宗一郎はすぐには答えなかった。

「あの楠が、神門家と無関係ではないことだけは古い記録に残っている」

「朝もそう言っていましたよね」

「ああ」

「どう関係しているんですか?」

「詳しいことは分からん」

「本当に?」

 宗一郎の目が、静かに澪へ向く。

「分からぬことを、分かったように話すつもりはない」

 迷いのない声だった。

 少なくとも、その言葉に嘘はない。

「学園が建てられた頃の記録は、一部しか残っていない」

 宗一郎は続ける。

「当時の神門家が、土地の選定や楠の保存に関わったらしいことは分かっている。だが、何のためだったのか、そのすべてが今に伝わっているわけではない」

「おじいちゃんが生まれる前ですか?」

「わしの父か、祖父の代だ」

「それなら、どうして御守りが反応するんですか?」

「それも分からん」

 また同じ答え。

 けれど今回は、宗一郎の声にもかすかな重さがあった。

「この御守りは、何なんですか?」

「神門家に古くから伝わるものだ」

「それだけですか?」

「今、確かに言えるのはそれだけだ」

「私は、どうしてこれを持っているんですか?」

「幼い頃から、お前に持たせるよう伝えられていた」

「誰に?」

 宗一郎は、一瞬だけ黙った。

「お前の父にだ」

「お父さんが?」

「ああ」

 澪は手のひらの御守りを見つめる。

「お父さんは、何か知っていたんですか?」

「調べてはいた」

「何を?」

「神門家に残された古い記録を」

「それが、お父さんとお母さんがいなくなったことに関係しているんですか?」

 蔵の中が静かになる。

 外では、夕方の風が木々の葉を揺らしていた。

「澪」

「教えてください」

「今は話せん」

「どうしてですか」

「確かなことが分からないからだ」

「それでも、何か知っているんですよね」

 宗一郎は否定しなかった。

 その沈黙が、答えのように思えた。

「お父さんとお母さんは、神門家に関係する異常を調べに行ったんですよね」

「そうだ」

「どんな異常だったんですか?」

「詳しいことは、わしにも知らされていない」

「おじいちゃんにも?」

「二人は独自に調べていた」

「どうして止めなかったんですか?」

 言った後で、澪は唇を結んだ。

 責めるつもりではなかった。

 けれど、声にはわずかな強さが混じっていた。

 宗一郎は怒らなかった。

「止めた」

 静かに答える。

「何度もな」

「それでも、お父さんは行ったんですか」

「ああ」

「どうして……」

「お前の父も、知ろうとしたからだ」

 宗一郎は桐箱へ目を落とす。

「神門家が何を守ってきたのか。古い記録が何を伝えようとしているのか。自分が何を受け継いだのかを」

 澪は何も言えなかった。

 宗一郎は桐箱を両手で持ち上げる。

「これは書庫へ移す」

「もう見せてもらえないんですか?」

「今はな」

「でも、私の御守りが反応しています」

「だからこそだ」

「私に関係があるかもしれないのに?」

「関係があるからといって、今すぐ知るべきだとは限らん」

「私は、もう子供ではありません」

「年齢の話をしているのではない」

「なら、何の話ですか?」

「何を知ることになるのか、わしにも分からないという話だ」

 宗一郎の声は厳しかった。

 けれど、その厳しさの奥にあるものを、澪は感じていた。

 祖父は、自分を遠ざけたいのではない。

 守ろうとしている。

 それでも。

「知らないまま待つのは、嫌です」

 宗一郎の目が澪へ向く。

「お父さんとお母さんの時も、私は何も知りませんでした」

「澪」

「二人は帰ると言って家を出ました。でも、何を調べに行くのかも、どこへ行くのかも、私は知らなかった」

 胸の奥に閉じ込めていた言葉が、静かに溢れていく。

「また何かが起きるなら、今度は知っておきたいです」

 宗一郎は黙って聞いていた。

「全部でなくてもいいです。分からないことは、分からないで構いません」

 澪は御守りを握る。

「でも、何も知らないまま、大切な人がいなくなるのは嫌です」

 蔵の中へ差し込んでいた夕日が、少しずつ弱くなる。

 宗一郎は長く息を吐いた。

「……分かった」

 澪は顔を上げる。

「すべてを話すことはできん」

「はい」

「だが、今後、確かめられたことはお前にも伝える」

「本当ですか?」

「ああ」

「約束してください」

 宗一郎は、わずかに目を細めた。

「約束しよう」

 澪は祖父の表情を見つめた。

 冗談でも、気休めでもない。

 宗一郎は約束を軽く口にする人ではなかった。

「ありがとうございます」

「ただし」

 宗一郎の声が低くなる。

「一人で勝手に調べることは許さん」

「でも――」

「わしに知らせろ」

 澪は少し迷った後、頷いた。

「分かりました」

「御守りにも、また何かあればすぐに話しなさい」

「はい」

「今夜からは、眠る時も外すな」

「そんなに危険なんですか?」

「危険かどうかも分からん」

「それなら、どうして?」

「分からんからこそだ」

 宗一郎らしい答えだった。

 澪は小さく息を吐く。

「分かりました」

 宗一郎は桐箱を抱え、蔵の出口へ向かう。

「おじいちゃん」

「何だ」

「その箱、本当に一度も開かなかったんですか?」

 宗一郎は足を止めた。

「ああ」

「お父さんも?」

「試したことはある」

「開かなかった?」

「一度もな」

 澪は桐箱を見つめた。

 先ほど、自分が触れた時には確かに蓋が動いた。

 あれは見間違いではない。

「私が触れた時だけ……」

「そう決まったわけではない」

「でも」

「今は考えすぎるな」

「朝は、違和感を忘れるなって言ったのに」

 宗一郎は少しだけ黙った。

「覚えておくことと、答えを急ぐことは違う」

「難しいです」

「だから考えなさい」

「結局、自分で考えるんですね」

「そういうものだ」

 宗一郎の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

 朝の道場で見せたものと同じだった。

「先に戻っていなさい」

「おじいちゃんは?」

「この箱を書庫へ置いてくる」

「分かりました」

 澪が蔵を出ようとした時、宗一郎が棚へ目を向けた。

「ところで」

「はい?」

「頼まれた壺は見つかったのか」

 澪は足を止める。

 蔵の中を振り返る。

 目的だった梅干しの壺は、まだ見つけていなかった。

「……今から探します」

「そうか」

 宗一郎は桐箱を抱えたまま、先に蔵を出ていく。

 その背中が、少しだけ笑っているように見えた。

「絶対、忘れてたって思ってる……」

 澪は小さく呟き、再び棚へ向き直った。

 やがて見つけた小さな壺を抱え、蔵を出る。

 夕方の境内は、すでに薄い影に包まれ始めていた。

 澪の胸元では、御守りが何事もなかったように静まり返っている。

 それでも。

 先ほど確かに感じた熱だけは、手のひらの奥へ残り続けていた。


後編へつづく

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