華戦記
花は、人を選ぶのではない。
人が花に選ばれるのでもない。
ただ一つだけ確かなことがある。
――花は、喰われることがある。
これは、その記録である。
この世界では、五歳の春に“花が決まる”。
薔薇、桜、蓮、撫子。
四つの花。
それは人の資質を示すものとされていた。
そして、その花は人生の方向を決める。
白い部屋だった。
無機質で、音のない空間。
中央にはひとつの器が置かれている。
そこには子供たちが順に呼ばれていた。
神代蒼真も、その中にいた。
隣にいたのが、久我湊だった。
蒼真の幼馴染だ。
湊は欠伸をしながら前に出る。
緊張の欠片もない。
「薔薇」
即答だった。
「お前、ほんと迷いねぇな」
「迷う理由あるか?」
軽く言って、湊は下がる。
蒼真はその背中を見ていた。
昔から変わらない。
同じ場所にいても、どこか違う。
やがて器が静かに揺れる。
「薔薇」
それが、蒼真の始まりだった。
そして、時は流れた。
風は冷たかった。
「行くぞ、蒼真」
「うん」
あのときから、時間だけが静かに過ぎていった。
気づけば、二人は十八歳になっていた。
剣を握り、走り、何度も打ち合いながら。
それでも何も変わらないまま、ただ積み重ねてきた日々だった。
山に囲まれた村を出る道は短い。
だが、その短さがやけに重い。
隣にいるのは久我湊だけ。
それ以外はまだ“仲間”ではない。
▪️華守衆本部。
黒い石造りの巨大な建物。
そこに立った瞬間、空気が変わる。
中は静かだった。
隊士たちは無駄に喋らない。
視線だけが重い。
「神代蒼真」
「薔薇の適性」
「はい」
その言葉のあと、しばらく沈黙が落ちる。
「……薔薇候補」
男が短く言った。
蒼真は顔を上げる。
「所属ではないのですか」
「薔薇隊は“適性”では決まらない」
淡々とした声。
「ここから先は選別だ」
「久我湊」
「薔薇」
「お前も候補だ」
「だろうな」
説明はない。
試験とも呼ばれない。
ただ“見られる”時間だけが続く。
蒼真は理解する。
ここは通過点ではない。
選ばれる場所でもない。
選ばれ続ける場所だ。
空気が変わった。
それまでの無機質な緊張とは違う、柔らかい圧。
「今年の候補生ね」
明るい声が響く。
そこに立っていたのは一人の女だった。
撫子隊隊長。
天音紫月。
候補生たちを一度見渡し、軽く笑う。
「思ったより、悪くない顔してるじゃない」
その一言で場の空気がわずかに緩む。
だが、それが逆に不思議な違和感を残す。
「薔薇は相変わらず堅いのね」
視線だけが一瞬、蒼真と湊に向く。
それだけで見透かされている気がした。
廊下の奥。
薔薇隊隊長・東雲玲司という名が静かに語られる。
その姿は見えない。
ただ、そこに“絶対に届かない場所がある”とだけ理解する。
さらに別の通路。
桜隊隊長。
月城夜一。
その名もまた、遠い階層のものとして扱われていた。
その時だった。
誰かが小さく呟く。
「……また、あれか」
一瞬だけ空気が止まる。
だが誰も止まらない。
誰も説明しない。
ただ、それを見なかったことにするように視線だけが逸れていく。
蒼真は理解する。
この場所は守るための場所ではない。
何かを失い続けている場所だ、と――。
花は、決して枯れただけでは終わらない。
喰われた花は、形を変え、この世界に残り続ける。
失われたものは戻らない。
だが、それでも人は剣を握る。
花を守るためではなく、花に喰われないために。




