プロローグー4つの華ー
プロローグ
この世界では、五歳の春に“花が決まる”。
薔薇、桜、蓮、撫子。
四つの花。
それは人の資質を示すものだとされていた。
どの花に適しているかで、その後の進む道が決まる。
どの隊に入り、どのように剣を振るい、どのように生きていくか。
それが、この世界の秩序だった。
山に囲まれた村は、静かだった。
朝霧がまだ地面に残り、風は冷たく、鳥の声だけが遠くで響いている。
その静けさの中で、ひとつだけ違う空気があった。
「神代蒼真。準備はできているな」
低い声に、少年は頷いた。
「はい」
神代蒼真。十八歳。
今日、この村を出る。
ただそれだけのことだった。
だが、その一歩がどれほど重いものか、誰もが理解していた。
村の広場には、黒い羽織の男たちが立っていた。
無駄のない立ち姿。
視線ひとつで場の空気を変えるような存在感。
花守隊。
花を持つ者を導き、守り、そして戦うための組織。
村人にとっては、英雄であり、同時に遠い存在でもあった。
「神代蒼真はどこだ」
その一言で、周囲の空気が引き締まる。
蒼真は一歩前に出た。
「俺です」
視線が集まる。
男の一人が、短く言う。
「薔薇の適性なのか」
「はい」
「今から本部へ案内する」
それだけだった。
説明も、感情もない。
ただ決められた事実だけがそこにある。
「待てよ」
軽い声が割り込んだ。
湊が手を上げている。
「俺忘れられてる!」
「すまない」
「忘れられてるの酷いですよ」
軽口のようでいて、その目は揺れていなかった。
男は一瞬だけ湊を見て、興味なさそうに言う。
「早く行くぞ」
村を出る道は、驚くほど静かだった。
見送る人々の声は少ない。
誰もが理解している。
ここから先は、“日常”ではない。
「なあ蒼真」
湊が歩きながら言う。
「外の世界って、どんなだと思う?」
「分からない」
「だよな」
短い会話。
それだけで十分だった。
森に入った瞬間、空気が変わる。
音が消え、風が止まる。
まるで世界そのものが息を潜めたようだった。
「……嫌な感じするな」
湊の声がわずかに低くなる。
その時だった。
森の奥で、何かが動いた。
それは“人の形”をしていた。
だが、人ではなかった。
歪んだ四肢。
濁った動き。
片目にだけ、不自然な痕跡が浮かんでいる。
蒼真は息を呑む。
「……何だ、あれ」
「知るかよ、そんなの!」
湊が叫ぶ。
その瞬間、森の奥からさらに気配が増えた。
複数。
こちらを囲むように。
次の瞬間、風が裂けた。
黒い羽織の剣士たちが、音もなくその場に現れる。
圧倒的な統率。
迷いのない動き。
その中心にいる男が、前に出る。
「下がれ」
その一言で、場の空気が変わった。
蒼真はその背中を見た。
理由は分からない。
だが本能的に理解する。
――この人は、自分とは違う場所にいる。
剣が抜かれる。
それは一瞬だった。
視界が揺れたように感じた直後には、森の中の“それ”は崩れ落ちていた。
何が起きたのか、誰も正確には理解できない。
ただ結果だけが残る。
「行くぞ」
男はそれだけ言って、歩き出した。
剣士たちは何事もなかったようにその後に続く。
蒼真はその背中を見つめたまま、動けなかった。
風が戻る。
音が戻る。
だが、何かだけが違っていた。
さっきまで見えていた“世界”とは別の層が、確かにそこにあった。
蒼真はまだ知らない。
この世界には、“花を持つこと”そのものが意味を持つということを。
そして、その花を喰らう者たちがいるということを。




