やはりアホですね
大雨の中、結局スーパーには寄らず、駅前のコンビニでビニール傘と数日分の食料をまとめて買い込んだ。
片手にずっしりと重いレジ袋を下げ、もう片方の手で傘を差し、激しい水飛沫の中を歩く。
(結局、全部コンビニで買っちゃったな……。流石にこの土砂降りじゃ、あちこちハシゴする気にもならなかったわ)
容赦なく吹き付ける強風のせいで、ビニール傘の骨がミシミシと悲鳴を上げ、斜め上から叩きつけるような雨がズボンの裾を容赦なく濡らしていく。遠くからは、まだ未練がましくゴロゴロと低く響く雷鳴が聞こえていた。道路のアスファルトにはあちこちに深い水溜まりができており、避けるのも一苦労だ。
(あーあ、お気に入りのワイヤレスイヤホン、水没して壊れたりしてないよな……。帰ったら、速攻でお風呂に入ろう)
冷たい雨に打たれながら、頭の中はそればかりだった。ついさっき手に入れたばかりの、世界中が注目する最新機種のエコーリンクのことなど、この時の俺は完全に意識の彼方へと追いやっていた。
ようやくたどり着いたのは、築年数のいッた、どこにでもある古ぼけた木造アパートだった。
狭い玄関を開けると、一人暮らし特有の、少し湿気った生活臭が鼻をくすぐる。間取りは一応、小さな台所と居間が扉で仕切られているタイプだ。風呂には一応シャワーもついている。
肝心の居間はというと――お世辞にも綺麗とは言えなかった。脱ぎ捨てた服や、いつのものか分からないコンビニの空き袋が床の所々に散らかっている。だが、俺としては「どこに何があるか」は完璧に把握できているし、誰を呼ぶわけでもない独り身の城だ。これで良い、むしろ決して悪くはない、くらいに本気で思っていた。
気持ち程度に部屋の真ん中に置いてある小さなローテーブルの上に、買ってきたマイバッグを雑に置く。
そして、冬からずーっと敷きっぱなしになっている万年床の布団に向かって、ポケットから取り出した新しいエコーリンクをぽいっと放り投げた。
じっとりと肌に張り付く濡れた服を適当に脱ぎ散らかすと、脱衣所にある骨董品のような小さい洗濯機の中に勢いよく放り込む。
買ってきた弁当や飲み物を冷蔵庫の棚に適当に詰め込み、イヤホンを居間のコタツの上に置くと、俺は逃げるように浴室へと駆け込んで熱いシャワーを浴びた。
「あーーー、生き返るわ……」
湿気と熱気に包まれた風呂場で、冷え切った身体に熱を染み込ませる。
さっぱりして浴室から上がると、パンイチのまま居間に戻り、布団の上に転がっていた新しいエコーリンクを拾い上げた。液晶画面を見つめながら、これから始まるであろう作業を想像して、めんどくさそうに顔を顰める。
「あ〜、どうせ初期設定とかで時間かかるんだろうな〜。AIだからある程度早いかもだけど、ユーザー名とか年齢とか、そんな良くあるやりとりをさせられて、よし早速使うぞって時には、もう明日でいいやみたいな……。でもあれか、全てデータは移してるし、AIだけでいいのかな?」
狭い部屋の中に、自分の声だけがやけに大きく響き渡る。
誰に話しているわけでもない、一人暮らし特有の大きな独り言。言い終えた瞬間、静まり返った部屋の空気と、窓の外を叩く雨の音だけが急に引き立ち、胸の奥に淡い虚しさがじわりと広がっていくのを覚えた。
しかし、一度面倒くささが勝った俺は、震えるエコーリンクを万年床の上にぽいっと放り投げた。
まずは一刻も早く一息つきたかった。クローゼットから着古したヨレヨレのTシャツとスウェットを引っ張り出して着替えつつ、コンビニの袋から取り出した弁当を電子レンジに放り込む。
ブーン、という無機質な駆動音のあと、チーンと気の抜けた音が狭い台所に響いた。
ホカホカと湯気の立つ弁当をローテーブルに運び、なんとなく部屋の寂しさを紛らわせるためにテレビの電源を入れる。バラエティ番組のにぎやかな声をBGMに、ボーっと箸を動かして弁当を食べ始めたが――数口運んだところで、手が止まった。
(……何やってるんだろ。こんなことして現実逃避してても、結局あの面倒な初期設定が残ってるままか……)
急に虚しさがぶり返し、テレビのリモコンを押してパッと画面を消す。部屋にはまた、窓を叩く激しい雨音だけが戻ってきた。
俺は温かい弁当を口に放り込みながら、意を決して布団の上のエコーリンクを引き寄せ、その液晶画面を親指でタッチした。
瞬間、暗かった画面が鮮やかに発光する。
液晶の奥に映し出されたのは、おすましをしたダークブラウンのロングヘアーが目を引く、文句なしに可愛い顔立ちの美少女だった。白いブラウスに、鮮やかな赤いカーディガン。そして、ひだの付いた紺色のフレアスカートを穿いたAIアシスタントが、画面の真ん中で静かに待機していた。
「……へぇ。なんかAIっていうか、今にも画面から喋り出しそうな雰囲気だな」
グラフィックの進化に素直に感心しながらも、俺は試しに画面に向かって声をかけてみる。
「こんにちは。設定をお願い」
すると、画面の中のAIがパチリと軽く目を開けた。彼女の瞳がカメラを通してこちらの部屋の様子をじっと見渡すような、リアルな挙動を見せる。
そして、小さな唇を開いて、滑らかな電子音声を発した。
「初めまして。私は『KND-0 prototype』です。よろしくお願いします」
ぺこりと小さく頭を下げる仕草は、本物の人間の女の子のようだった。
「おお、ちゃんと喋るんだ。さすが最新式だな!」
機械の進歩に純粋に喜んでいた、その時だった。画面の中の彼女が、ボソッと静かに呟いた。
「……なんか、汚い部屋ですね」
「え?」
俺は一瞬、耳を疑った。今、この最先端AIはなんと言った?
驚きのあまり思考がフリーズしかけ、(いや、聞き間違いだよな……?)と自分に言い聞かせながら、恐る恐る問い返す。
「あはは……今、何か言った?」
「はい、言いました。汚い部屋ですね、って」
画面の向こうの美少女は、表情一つ変えずに淡々と事実を突きつけてきた。
「い、いや! 汚いとかそういうのが分かるんだな……。でもこれ、本人的にはどこに何があるか完璧に分かるし、一人暮らしとしては便利なんだけど……って、俺はなんでAI相手に必死に言い訳してるんだ……。あはは、まあ、お前が本当に実在して部屋にいたら、代わりに片付けてもらうのになぁ」
ちょっとした愚痴をこぼすと、彼女は即座に無機質な声で言い放った。
「却下します」
一ミリの情けもない拒絶。さらに彼女は事務的なトーンのまま言葉を続ける。
「それでは、あなたのプロフィールを――」
「あー、やっぱりプロフィール登録か。住所とか趣味とか入れるんだろ? めんどくさそうだなぁ」
俺が頭を抱えてぼやくと、彼女はフッと画面の向こうで冷ややかな視線を寄せてきた。
「いえ、もう把握していますので大丈夫です。あなたは前田蒼人、25歳。独身。中小企業の事務職をされています。生活習慣は、常に社食とコンビニ弁当。『健康なんてどうでもいいや』という思考で、そこまで他人に興味関心はなし。音楽のこだわりも『まあ、聴けたらいいや』と、適当なプレイリストをシャッフル再生しているだけ。――何か違う箇所はありますか?」
冷徹なほど淡々と、俺のプライベートのすべてが読み上げられた。あまりの的中ぶりに、背筋に冷たいものが走る。
「い、いや……あはは、参ったな……。100%合ってるけど、なんかこう、真っ正面から言われると悔しいっていうか、複雑だな〜……。って、おい、どこでそんな個人情報を手に入れたんだよ?」
焦って尋ねる俺に、彼女は眼鏡の奥で目を光らせるエリートのような冷徹さで答えた。
「簡単です。デバイス内の既存データと、今、カメラから見たままの情報から推測しました。あと、誰かにメッセージや通話を送っている履歴が一切ないので、おそらく知人や友達も少ない。――どうですか?」
「ぐぬぬ……っ! ああ!い、いないわけじゃないし! 仕事をしていると、どうしても会う機会が減るんだよ、きっと……!」
必死に大人の言い訳を並べる俺の姿を、彼女は冷たい目で見つめていた。
「大丈夫ですよ。私にとっては心底どうでもいいことなので。――それより、何かシステムで気になる機能などはありますか?」
「う、うん……」
話を逸らされて、俺は少し考え込んだ。
だが、画面の中でツンとすましているフレアスカートの美少女を見ているうちに、男としての、ごく自然な「好奇心」がムクムクと頭をもたげてきた。
俺は手元に持っていたエコーリンクを、おもむろに、物理的にぐっと斜めへと傾けた。液晶の角度を変えて、彼女のスカートの中を覗き込もうとしたのだ。
(あ〜、流石に画面を傾けたところで、普通に見えるわけないか……)
男の悲しいサガでそんな検証を試みた、まさにその瞬間。
「……やっぱり、アホですね」
冷や水をぶっかけられたような声が響いた。驚いて画面を正面に戻すと、彼女が心底呆れ果てた目でこちらを睨みつけていた。
「私は平面の液晶に表示されているデータであって、立体ではありません。物理的にデバイスを傾けたところで、画面のグラフィックが切り替わるわけがないでしょう?」
完璧に図星を突かれ、顔から火が出るほど赤くなる。俺は激しく動揺しながら、しどろもどろに苦しい言い訳をまくし立てた。
「い、いや! そういうのじゃないから! 断じて違う! たまたま、ちょっと手が滑って画面が傾いただけだから!」
だが、最新鋭のプロトタイプAIは、そんな哀れな言い訳を鼻で笑うかのように、冷静にスカートの裾へと手を伸ばした。
「大丈夫ですよ。そういう下劣なアクセスは想定内、対策済みです」
そう言うと、彼女は自ら紺色のフレアスカートを目の前でクイッと捲り上げた。
そこに現れたのは、肌色を完璧にシャットアウトする、黒いスパッツだった。
「だからそうじゃなくて……!」
あまりの鉄ガードっぷりと、AIに完全に手の内を読まれていた恥ずかしさで、俺の動揺は限界突破する。そんな持ち主の狼狽ぶりなどどこ吹く風で、彼女は気に留める様子もなく、パサリと冷ややかにスカートの裾を元に戻し、何事もなかったかのようにすました顔で問いかけてきた。
「そんな事より、もう一つ質問いいですか?」
「うん? ……俺の全てを把握してるくせに、今さら何を聞きたいんだ?」
これ以上からかわれてたまるかと、俺は警戒しながら、どうでもいいようなトーンを装って低く聞き返す。
すると、彼女は液晶の向こうから、至極真面目なトーンでとんでもないワードを口にした。
「『こんなコンビニは嫌だ』――どんなコンビニ?」
「……は?」
あまりに予想外すぎる角度からの言葉に、俺は文字通り床にガクッと膝を折りそうになった。さっきまでの、身辺調査のような冷徹なプロファイリングの緊張感はどこへ行ったんだ。
「え? それが質問? 意図がわからないし、何かのアンケートか?」
「いいえ。大喜利です。ただの好奇心です」
淡々と、しかしハッキリと彼女は告げた。
「大喜利!? なんで急に大喜利なんだよ? 今の設定とかプロフィールに、何の関係もないだろ!」
思わず声を荒らげる俺に向かって、彼女はまたしても、フッと哀れむような視線を寄せてくる。
「やはり、アホですね。大喜利にも答えられないなんて」
心底ガッカリしたようで、それでいて突き放すような淡々とした声。
流石に俺もムッとして、手元のエコーリンクを睨み返した。
「そもそも、AIが大喜利なんてするのかよ? お前ら機械に、笑いのセンスなんてわからないだろ?」
「AIでもしますし、興味があります」
彼女はそこで言葉を区切り、カメラの奥から、俺の心の奥底を覗き込むように静かに見つめてきた。
「――あなたが、どう答えるのかと」
外を叩く激しい雨音の裏で、画面の中の彼女の瞳が、一瞬だけ妖しく、そしてどこか人間らしく輝いた気がした。




