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未定義プロトタイプ  作者: 紅月ヨルカ


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落雷と三ヶ月無料

少しずつではあるが、列は前に進んでいた。

俺はポケットから引っ張り出したイヤホンを耳に押し込み、いつものようにシャッフル再生でプレイリストの音楽を流す。重低音が鼓膜を揺らし、周囲のざわめきが少しだけ遠のいた。

(それにしても、中々進まないな……。AIのインストールなんてデータを入れるだけだろうに、それなら最初から出荷状態で端末に入れとけよな)

そんな風に心の中で悪態を吐きながらも、退屈を紛らわせるように、音楽のリズムに合わせてズボンのポケットの上から指先でトントンと拍子を刻んでいた。冷房の効いた広い空間のはずなのに、密集した人間の体温のせいで、空気はどこかどんよりと生温かい。

そうして三十分ほど並び、ようやく先頭の受付デスクが間近に見えてきた、その時だった。

唐突に、視界が完全な漆黒に染まった。

ステージの派手な照明も、天井の無数のライトも、一瞬にしてすべてが掻き消える。

(なんだ? 新しい演出か? それとも停電?)

イヤホンから流れる音楽の裏で、周囲の人間が一斉に「え?」「何これ」とざわめき立つ気配が伝わってきた。キョロキョロと暗闇の中で周囲を見渡すが、数秒もしないうちに、チカチカと何事もなかったかのように天井の電気が再点灯する。スタッフたちの案内の声も途切れておらず、インストール作業は淡々と続いているようだった。

(なーんだ。特に慌ててる様子もないし、きっとさっきの神宮寺って男が仕掛けたドッキリ演出か何かなんだろ。心臓に悪いな!)

我ながら呑気な思考回路で、自分の番が来るのを待つ。

(せっかくの貴重な休みなのに、外の空はどんより曇り空だわ、校長先生の朝礼並みに長いスピーチは聞かされるわ、オマケにこの大行列だろ? さっきのセンスのない一瞬の停電演出といい……マジで普通に、近所の家電量販店で静かに買えば良かったな……)

じわじわと押し寄せてくる後悔に、俺は小さく溜息を吐いた。

そんな恨み節が頭の中でぐるぐると渦巻いているうちに、ようやく「最後尾」から「先頭」へと、俺の順番が巡ってきた。

耳からイヤホンを引き抜くと、それと同時に目の前の受付スタッフの女性が、マニュアル通りのビジネススマイルで声をかけてくる。

「大変お待たせいたしました、お客様。新しいエコーリンクを、こちらの専用ドックに置いていただけますか?」

「はいは〜い、よろしくお願いしまーす」

いつもの軽いノリで返事をしながら、ピカピカの黒い端末を金属製の近未来的なドックへと滑り込ませた。

『最新型AIアシスタントのインストールを開始します。システムと端末を同期中――』

デバイスの画面に青白いプログレスバーが表示され、内部のインジケーターのパーセンテージがサラサラと上昇し始める。よしよし、これでようやく帰れるぞ、と胸を撫で下ろした。

――だが、数字が『99%』に達した、まさにその瞬間だった。

バツン、と電子的な嫌な音がして、再び会場中のすべての光が消失した。非常灯すら点かない、完全な暗闇。

今度はスタッフたちの間からも「え!?」「嘘、予備電源が――」というリアルな悲鳴と困惑の声が上がる。

おかしい。何かが変だ、と思った直後。

――ドォゥゥゥゥゥ~~~~ンッッッ!!!!!

鼓膜が破れるかと思うほどの、すさまじい落雷の爆音が会場全体に轟き渡った。

衝撃波で建物の窓ガラスがビリビリと激しく震え、あまりの音圧に足元の床から脳天までがガタガタと揺れる。この世の終わりかと思うような自然の猛威に、会場内は一瞬にしてパニックの渦に包まれた。

(待て待て待て、俺の最新のエコーリンクはどうなった!?)

よりによって、インストールが「99%」の、一番システムが不安定なタイミングでの強制シャットダウンだ。パソコンだってデータ転送中にコンセントを抜いたら一発でクラッシュする。

せっかく奮発して買った、まだまともに触ってもいないピカピカの最新機種だ。起動する前に中身の基盤が焼き切れてジャンク品になりました、なんて笑えない冗談は勘弁してほしい。

「おい、大丈夫かこれ……!」

俺は焦って、暗闇の中で手探りで専用ドックの方へと身を乗り出した。

壊れてほしくない一心で、感覚だけを頼りにデバイスの引き取り口へと手を伸ばす。

その時だった。

真っ暗なはずのドックの奥で、バチバチッ――と、不気味なほど鮮やかな青い火花のような光が爆ぜた。

ショートしたのか、それとも別の異常現象か。ほんの一瞬、網膜に焼き付くような鋭い光の中に、何かの「シルエット」が見えた気がした。

「うおっ!?」

危うく指先が触れる直前で、俺は驚いて思わず上半身を後ろに引いた。

タイミングを合わせるように、チカチカと会場の天井灯が再び息を吹き返す。

非常用の電源がようやく作動したのだろう。視界が戻った瞬間、俺はスタッフの心配よりも先に、ドックの中に残された自分の黒いデバイスを慌てて掴み取った。

画面には、何事もなかったかのように『100%:インストール完了』の文字が冷たく光っている。

画面が無事なことにホッとしつつも、心臓のバクバクが止まらない。俺はそのまま、目の前で動揺してる受付のスタッフに

「…壊れてない?」

「最新型なのに…」

「もし壊れてたらどうすればいいんだ?」と焦って言うと


「お客様申し訳ありません……!少々お待ち下さい」

目の前のスタッフは焦りながらも冷静に、耳元のインカムを押さえ、どこかの上司と早口でボソボソと連絡を取り合っている。

周囲を見渡せば、他のブースでもスタッフたちが端末の確認に追われ、ピリピリとした緊迫感が暗がりに満ちている。

そんな中、ようやく上司からの指示を仰ぎ終えたらしいスタッフが、俺の方を消え入りそうなほど申し訳なさそうな目で見つめてきた。

「あ、あのお客様……! もしよろしければ、今すぐ別の新品端末と交換させていただきますが、いかがでしょうか……!?」

差し出された交換用の箱を前に、俺は特に深く考えることもなく首を横に振った。

「いや、データ移動も終わったばかりだし、ここでまた落雷に遭ったら敵わんし。……見たところ、普通に動いてるみたいだし、このままで良いよ」

そう言って、新型エコーリンクの画面に指先でそっとタッチしてみる。

液晶の奥には、最新AIが、起動画面の暗がりにぽつんと佇んでいた。その瞬間、画面の向こうにいるAIと、一瞬だけ瞬きをして目があった様な奇妙な気がした。

何だろう、今の。まるでAIのくせに、こちらの様子を見つめてきたような妙な違和感を覚えた。

「……まぁ、AIもちゃんとインストール出来てたみたいだし、これで良いや。ありがとね」

頭を振って気のせいを振り払い、そのままそそくさとその場を立ち去ろうとした、その時だ。スタッフが慌てて身を乗り出し、俺の背中に向かって声を張り上げた。

「で、でしたら……! 今回の大変なご迷惑のお詫びといたしまして、最新AIの試用期間を『三ヶ月無料』にて対応させていただきますので……!」

(にはは、儲けたわ!)

内心で盛大にガッツポーズを決め、ニヤニヤしそうになる口元を必死に抑え込む。

「はーいはーい。じゃあそういうことで、よろしくお願いしまーす」

これ以上ニヤケ面を見られないよう、適当な返事をしながらポケットからイヤホンを引っ張り出し、耳へと押し込む。シャッフル再生された音楽が再び鼓膜を満たし、俺はスキップを踏み出したい気持ちを抑えて人波を歩き出した。

俺の背後では、あのスタッフが「大変お待たせいたしました! 次のお客様、どうぞこちらへ!」と、次のデバイスをさっきの金属製ドックへと誘導していた。だが、端末を載せた直後、スタッフの顔が引き攣る。

「あれ……? ドックが、起動しない? 故障してる……どういうこと、これ、中身が完全に焼き切れてる?」

デスクの奥から、うっすらとプラスチックが焦げたような、異様な臭いが漂い機能停止。

隣のブースのスタッフが冷静に「大丈夫落ち着いて お客さんの前よ」と予備のドックを台車で運び込んでくる。

「申し訳ありません、お客様! 安心して下さい、最新鋭の予備ドックはたくさんご用意していますので、どうぞご安心下さいね!」

営業スマイルの裏でちょっとしたパニックが起きているその様子を、音楽の世界に没頭している蒼人は知る由もなかった。

メイン会場の自動扉を抜けて、エントランスの外へと出た瞬間、冷たい湿気を含んだ突風が俺の身体を叩いた。

「うわっ! マジかよ、大雨になってるじゃん!」

さっきまでの曇り空が嘘のように、世界は激しいバケツをひっくり返したような豪雨に包まれていた。アスファルトが激しい雨音を立てて水しぶきを上げ、周囲の人間たちが「最悪ー!」とカバンを頭に載せて走っていく。

当然、俺の手元に傘はない。

「あーあ、傘持ってないのに。……まぁでも、三ヶ月分の利用料が浮いて実質大儲けしたわけだしさ。駅前のコンビニで傘買うついでに、スーパーで美味いもんでも買い物して帰ろっと!」

新しいデバイスをポケットに仕込んだ俺は、そんな呑気なことを考えながら、激しい雨のカーテンの中へと首をすくめて歩き出した。

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