表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/40

ハロウィンの攻防戦

 十月も最終週。街は、オレンジと黒の二色に染まり、カボチャとオバケがそこかしこで微笑んでいる。そう、ハロウィンだ。

 もちろん、私の城である感染対策室は、そんな浮かれた世間の空気とは一切無縁。いつも通り、消毒液の匂いと静寂だけが支配する、聖域のはずだった。

 ――その、ドアが開かれるまでは。


「トリック・オア・トリート!  お菓子をくれなきゃ、イタズラしちゃうぞ!」


 ガラッ! と、もはや様式美となった乱暴なドアの開け方と共に現れたのは、魔女だった。

 黒いとんがり帽子をかぶり、紫とオレンジのボーダーのタイツを履き、手にはオモチャの箒。その、気合いの入りすぎた魔女は、満面の笑みで、高らかにそう宣言した。

 言うまでもなく、その正体は、小日向ひまりだ。


「……あなた、その格好で院内を歩いてきたの?」


 私は、目の前のあまりに非現実的な光景に、思わずパソコンの手を止めた。


「ハロウィンっすよ、当たり前じゃないすか! あ、これ、先日の学会で室長が興味持ってた、新しいグローブのサンプルです! 各病棟に配り歩いてきました!」


 ひまりは、箒の先に引っ掛けていた紙袋からサンプルの箱を取り出して、私のデスクに置いた。その紙袋の中には、他にも、カボチャの形をしたプラスチックの置物や、クモの巣を模した飾り付けなどが、ぎっしりと詰まっていた。


「おかげで、普段はつれない外科の先生も爆笑しながら話聞いてくれましたし、小児病棟では、子供たちに囲まれてヒロイン扱いでしたよ! 『魔女さーん!』って、大人気!」


 そう言って、彼女は箒にまたがり、空を飛ぶポーズをしてみせる。実に、楽しそうだ。

 だが、私の懸念は、そこではなかった。


「で?  その、ゴミ袋みたいな紙袋の中身は、一体、何なのかしら」

「ゴミ袋じゃないです!  ハロウィン用の、デコレーショングッズです!」


 ひまりはそう言うと、待ってましたとばかりに、紙袋の中身をデスクの上にぶちまけた。オレンジ色のガーランド、黒猫のステッカー、そして、大小様々な、ニヤニヤと笑うカボチャの置物たち。


「さあ、室長! この、殺風景な我らの城を、ハロウィン仕様に魔改造しちゃいましょう!」

「お断りよ」


 私は、即答した。


「ここは、仕事場よ。あなたの、お遊びに付き合う場所じゃないの。それに、その手の飾り物は、埃が溜まりやすくて不衛生。感染管理の観点から、許可できない」

「えー! ケチ! いいじゃないすか、ハロウィンくらい! もう、この部屋、半分はあたしの部屋みたいなもんなんすから!」

「あなたの部屋にした覚えはないわ」

「まあまあ、そう言わずに!  ほら、見てくださいよ、室長! こんな、スペシャルなアイテムも、用意してきたんすから!」


 ひまりが、得意げに袋の奥から取り出したものを見て、私は息を呑んだ。

 それは、オレンジ色の、小さなマントを羽織ったイルカのマスコットだった。

 私のデスクの隅で、いつも私を見守ってくれている、あのフロン太と全く同じもの。

 ただし、ハロウィン仕様の、特別バージョンだ。


「……なっ」

「じゃーん!  ハロウィンバージョンの、フロン太君マスコット! それだけじゃないですよ!」


 彼女は、さらに、次々とお宝を繰り出してきた。

 魔女の帽子をかぶった、チームの若手イケメン選手のブロマイド。吸血鬼に扮した、ベテラン選手のクリアファイル。そして、カボチャのパンツを履いた、チームマスコットたちの、アクリルスタンド。

 その、あまりに魅力的すぎるフロンターレグッズの数々に、私の鉄壁だったはずの「理性」の壁に、大きな亀裂が入った。


「ど、どうして、あなたが、そんなものを……」

「へへーん。この前の、等々力での聖戦の後、すっかり、あたしもフロンターレの魅力に取り憑かれちゃいまして。で、オフィシャルショップ覗いたら、こんな最高にイカしたグッズが、売ってたんすよ!  これはもう、真澄さんと一緒にこの部屋で祝祭を執り行うしかないって!」


 まずい。心が、揺らいでいる。

 特に、あの吸血鬼マントを翻す、家長選手のブロマイド。あれは、喉から手が出るほど欲しい。

 だが、しかし、ここでプライベートな欲望に屈してしまえば、感染管理室長としての私の権威が失墜してしまう。


「……まあ、確かに」


 私は、必死で、ポーカーフェイスを保ちながら、この状況を打開するための苦しい言い訳を脳内で検索し始めた。


「季節感を取り入れた、快適な職場環境の整備は、職員のメンタルヘルスを維持し、結果的に医療の質を向上させる、というデータもなくはないわね」

「でしょ!? そうなんですよ!」

「それに、これらの色彩豊かな飾り付けは、患者さんの、特に、小児のQOL(生活の質)向上に寄与する可能性も否定はできない。一種の環境療法、と、言えなくもないわ」

「カンキョーリョーホー! なんか、すごそう!」

「……まあ、期間限定、ということなら。衛生管理を徹底することを条件に、今回だけ特別に許可してあげなくもないわ」


 我ながら、見事なこじつけだ。

 私の苦しすぎる言い訳に、ひまりはニヤニヤと全てお見通しだ、という顔で笑っている。


「さっすが真澄さん! 話が分かる! じゃあ、早速始めますか!」


 それからは、お祭り騒ぎだった。


「真澄さん! この、フロン太君は、やっぱデスクの一番見えるとこっすよね!」

「当たり前でしょ。でも、角度が悪いわ。もっと、45度、左に」

「この、家長選手のブロマイドは、どこに貼ります? モニターの横とかどうです?  仕事中も常に目が合う、みたいな」

「……やめなさい。集中できないわ。それは、キャビネットの内側にこっそりと貼るのよ」

「えー、もったいない! あ、この、黒猫のステッカー、窓に貼ったら可愛くないすか?」

「待ちなさい。その角度だと、外から見た時に猫の首が不自然に曲がって見えるわ。もっと、水平に」


 あーでもない、こーでもないと、言い合いながら、私たちはまるで文化祭の準備をする女子高生のように、夢中で飾り付けを進めていった。


 そして、一時間後。


 殺風景だった私の城は、オレンジと黒、そして、フロンターレのチームカラーである水色が入り混じった、世にも奇妙な、しかし、どこか楽しい空間へと、生まれ変わっていた。


「か、完成ーっ!」


 ひまりが、歓声を上げる。


「どうです、真澄さん! 最高に、イケてる部屋になったじゃないすか!」

「……まあ、悪くないわね」


 私は自分のデスクの周りを、ぐるりと見渡した。

 パソコンの横には、ハロウィンマントのフロン太君。壁には、クモの巣と、選手の写真。窓には、黒猫。

 不衛生だ、と、頭の片隅で冷静な自分が警鐘を鳴らしている。

 でも、それ以上に、この、ごちゃごちゃとした楽しい空間が、私の心を浮き立たせていた。


 その、和やかな空気を切り裂いたのは、控えめな、しかし、力強さを感じさせるノックの音だった。


 コン、コン。


 そこに立っていたのは、この病院のラスボス。看護部長、その人だった。


「……三上さん。少し、よろしいかしら」


 部長の鋭い視線が、部屋の中をゆっくりと検分していく。カボチャ、黒猫、フロン太君、そして、吸血鬼の家長選手。

 その視線が動くたびに、部屋の温度が一度ずつ下がっていくのが分かった。


「これは、一体、どういうことです?」

「あ、あの、これは、その……環境療法の一環、と、言いますか……」

「職場を私物化しないようにと、以前から言っていますよね? 速やかに片付けてください。あと、この前のコロナの報告書、明日までに提出をお願いしますよ」


 それだけを言うと、部長はピシャリとドアを閉めて去っていった。

 後に残されたのは、絶対零度の空気と、しょんぼりとうなだれる魔女が一人。


「……すんません、真澄さん。あたしのせいで……」

「いいのよ。私が、許可したのだから。私の責任よ」


 私は、ため息をつきながら、壁に貼ったばかりの家長選手のブロマイドを、そっと剥がした。


「でも、せっかく、こんなに可愛くできたのに……。 この子たち、どこに行けばいいんすかね……」


 ひまりが、名残惜しそうにハロウィンマントのフロン太君を撫でている。

 その、しょげかえった背中を見ていると、私は思わず口走っていた。


「……うちで、飾っても、いいかな」

「え?」

「私の家なら、誰にも文句は言われないでしょう。この子たちも、箱の中にしまい込まれるより、その方が嬉しいでしょうから」


 私のその言葉に、ひまりの顔がぱあっと、輝いた。


「マジすか!? じゃあ、あたしも手伝いに行きます! 室長の家でハロウィンパーティーやりましょ!」

「……パーティーはしないわ。それに、あなたを家に上げるつもりもない」

「えー! なんでですか! いいじゃないすか、親友でしょ、うちら! それに、飲みに行った日に上げてくれたじゃないすか!」

「あれは緊急避難で仕方なくよ。親友と、家に上げるかどうかは別の問題」

「ケチ! じゃあ、あたしがまたフロンターレの試合のチケットもらって来ても、今度は田中にあげます」

「ちょっ! ……まあ、考えなくもないわ」

「よっしゃ! 交渉、成立っすね!」


 やれやれ。

 私のプライベートな城まで、この嵐に侵食される日が来てしまうとは思いもよらなかった。

 私は、そんな少しだけ面倒で、でも、どこか楽しみな未来を予感しながら、ハロウィン仕様のフロン太君を、そっと自分のカバンにしまい込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ