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43:守りたかったもの

「ブレイズ、きなさい。お前の弟だよ」


 父上から呼ばれ、幼い僕は恐る恐るその逞しい腕の中を覗き込んだ。

 声がでなかった。僕より黄が混ざったような赤──緋色の瞳をもつ赤子がそこにはいた。両親はそれを僕の弟だという。


 可愛い。傷つけそうで怖い。そんな二つの感情でせめぎあいながら、僕は父上から赤子を受け取った。

 ずっしりと重い。命の重みだ。思わず息を止めてしまった。赤子の手がゆっくりと僕の頬に伸びる。


 僕の弟は僕の頬をつねりながら、声を上げて笑った。その笑顔を僕は一生忘れないと思った。

 未来の国王として、兄として目の前のこの尊い命を守ろう。ついこの間、尊敬する父上と同じ朱炎魔法を授かった僕ならきっとそれができると信じて疑わなかった。


 ──そう、ライゼルの魔法の才能が開花するまでは。


 ライゼルは五歳になると、僕よりも優れた白炎魔法を授かった。僕は弟が希少な白炎魔法を授かって誇らしい気持ちでいっぱいだったけれど、どうやら周囲は違ったらしい。

 今まで優しかった魔法学園の友人達が、教師達が僕を無視して弟の話しかしなくなった。それどころか。


 ──『ライゼル殿下は本当に素晴らしい魔法の才をお持ちだ。あのお歳で落ち着いていて、威厳もある。あのお方こそ、国王にふさわしい!』

 ──『それに比べてブレイズ殿下はなんというか、優秀なんだが大人しくて、こう……ぱっとしないというか……なぁ?』


 いつしかそんな評価が聞こえるようになってきた。

 だが気にしなかった。父だって僕と同じ朱炎の使い手で立派に国王を務めているし、周囲の言葉にいちいち耳を傾ける方が愚かというもの。

 僕の努力が足りないだけだ。もっと励まなければと自分を鼓舞した。


 そんなある日、父上が十五歳になった僕と十歳のライゼルを魔物討伐に連れていくと言い出した。

 歴代の王子達もこうして実戦経験を積んできたらしい。母上はライゼルにはまだ早いと渋ったけれど、父上はそれでもとライゼルも連れて行った。


 きっと父上もライゼルにとても期待していたのだろう。それに事前に派遣させた偵察隊曰く出現した魔物も数は多いが苦戦するような強さではないという見解だったから。

 父上が少しずつ魔物討伐の難易度を上げて僕達を鍛えるつもりだったのは明らかだった。


 だけど。

 予想以上の魔物の大量発生。


 父上も僕も苦戦を強いられ、その最中でライゼルの護衛についていた一人の兵士が亡くなった。しかもライゼルを庇って。

 ライゼルは亡くなった兵士のおかげで無事だったけれど、僕達がライゼルに駆け寄った時には死人のような真っ白な顔色だったのをよく覚えている。


 ライゼルは十歳にして思い知ったんだろう。

 王族の自分の役割の重圧を。自分の判断ひとつ間違えば何千という民が死ぬかもしれない恐怖を。王族でありながらも民を守れなかった自分の未熟さを。


 魔物討伐から王城へ帰った夜、僕はライゼルを心配して部屋を覗いた。

 そこには母上がいた。母上に抱きしめられながら、ライゼルは泣いていた。


「母上、怖いよ。ずっと声が聞こえるんだ! 僕に助けを求める護衛の声が……。それでもこれから先、僕はもっとたくさんの民の命を背負っていかないといけないの?」


 いつもより子供っぽい口調のライゼルに僕は驚いた。

 僕の知るライゼルはいつだって大人みたいに冷静だったから。兄だというのに、僕は知らなかったのだ。ライゼルの“弱さ”を。


 でも考えてみればそうだ。ライゼルは白炎魔法の使い手だとしてもまだ十歳。目の前で人が死んで、怖くないはずがない。

 僕は痛いくらいに拳を握りしめた。自分が情けなかった。弟を守ると誓ったはずなのに、今まで何もしなかった自分が。

 ライゼルなら大丈夫だろうと父上だけではなく僕も思い込んでいたんだ。ライゼルは強くない。ならば、やっぱり僕が守らなきゃ。

 

 僕が国王になれば、ライゼルだって安心してくれるだろう。

 なら、僕が国王になる。ライゼルよりも強くなってみせる。そうすれば、ライゼルはもっと生きやすくなるはず。


 だけど宿った魔法を変えることはできない。どうすればいいのか。

 必死に毎日勉学や鍛錬に励んでも、ライゼルには届かない。僕では到底ライゼルに追いつけない。


 僕は焦っていた。一方でライゼルの一人称がいつの間にか「余」になっていた。

 それは初代国王と同じ一人称で──ライゼルが王族としての覚悟を決めた無意識の表れなのだと思った。


 そんな時だ。僕を国王にすることを支持していたアクアリア家から手紙が届いた。

 それは悪魔の存在を仄めかした内容だった。すぐに父上に報告しようとしたが、できなかった。

 今思えばアクアリア家もそんな僕の未熟さを見透かして手紙を送ってきたのだろう。


 悪魔。生贄さえ差し出せば、なんでも願いを叶えてくれる万能な存在。人間は昔からそんな悪魔に人生を狂わされてきた。だからこそ悪魔学という学問ができたのだろう。戒めとして。

 悪魔と契約すれば、人間は自分の欲望をコントロールできずにいつの間にか悪魔の言いなりになるという。


 でも僕は大丈夫。家族を、国を守りたいというこの気持ちが悪魔になんか負けるはずがない。

 むしろ悪魔を利用して、僕の朱炎魔法をライゼルと同じ白炎魔法に進化してもらえばいい。

 生贄だってなにも人間じゃなくていいわけだ。獣でも魔物でも捧げて少しずつ魔力の強化を図ればいい。


 そう思い、僕はアクアリア家に接触する。彼らと共に悪魔の力を研究した。悪魔の力は想像以上に強力だった。それこそライゼルの首にも手が届くくらいに。

 これでライゼルより強くなれる。ライゼルを守ることができる。少しずつ悪魔の力で魔力強化を叶えた僕はいつの間にか──過去の愚か者達と同様に、その悪魔の力に飲み込まれてしまっていたんだ。


 悪魔の囁きに惑わされて、ライゼルよりも強くなろうという僕の目標がいつしかライゼルを蹴落としてやろうというものに気づかないうちに歪んでしまっていた。

 ライゼルを国王にしないために、ライゼルの評判を落としてやろう。戦王式でライゼルの炎魔法を呪い、目の前で僕と父上を殺したように見せた。


 ついでに父上を生贄にして、僕はより強い魔力を得た。だが僕はその力を上手く制御することができず、想像以上に長い時間の潜伏を余儀なくされた。

 せっかく手に入れた力でライゼルを傷つけるわけにはいかなかったから。


 今思えば、ライゼルを蹴落としてしまおうと考える一方でライゼルを傷つけないように行動する矛盾に自分でも気づくことができれば──僕はもう少し早く悪魔から解放されたかもしれない。

 僕が離れている間にライゼルが国王になってしまった。すぐに王位を取り戻さないと、ライゼルが可哀想だ。


 今の魔力の限界を知るためにも、僕は地方の森で魔物を操ることができないか実験をすることにした。

 魔物を操ることができれば、ライゼルだってもう目の前で護衛を失うなんてこともなくなるだろうし。

 でも、これはあまり上手くいかなかった。僕の魔力を与えても魔物の身体では耐えきれずにすぐに死んでしまうことが判明したから。


 そんなことをして僕がようやく魔力に馴染んだところでライゼルが王妃選定をはじめた。

 妃と結婚して、それこそ子でも生まれたら王位を取り戻すのが難しくなると思った僕は王妃候補の一人であるエアリスと急いで接触して、彼女の協力のもと従者コランとして王城に戻った。


 そこで僕は知る。ライゼルがソノラ・セレニティという王妃候補に骨抜きにされているという噂を。調べてみれば確かにライゼルは頻繁にソノラ嬢の宮を訪れていた。

 音宮に向かっているライゼルの表情は僕が見たことないくらい柔らかいものだった。

 僕はまずいと思った。すぐにソノラ嬢をどうにかせねば、ライゼルの王位が確実なものになってしまうと。


 王妃候補の中にはアクアリア家のマリーナ嬢もいた。アクアリア家と共同で研究をした際に彼女とは面識があったし、彼女が己の境遇故にソノラ嬢を憎んでいることも侍女達の陰口で知った。

 好都合だと思った僕は彼女に僕の血を分け与え、彼女にソノラ嬢を蹴落としてもらおうと考えた。失敗したけれど。


 ……今思えば、本当に愚かだった。ライゼルのためにしたことが全部ライゼルを追い詰めていた。

 青い炎に包まれながら、僕はようやくそれに気づくことができた。


 尊敬する父親を殺し、母親を絶望させ、弟を結局守れなかった。

 僕は何もなしえなかった。何者にもなれなかった。偉大な国王にも、尊敬できる兄にも、自慢の息子にもなれなかった。


 青炎がゆっくりと僕の身体を焼いていく。悪魔の力で強引に魔力を底上げした身体は既に限界だったようで、あっさりと崩れていくのが分かった。

 ライゼルの緋色の瞳が僕を見ている。その瞳の強い輝きは赤子の頃から変わっていない。僕は無意識に手を伸ばした。


 ライゼルを守りたかった。守りたかっただけなのに。


 だが僕にはもうその資格はない。散々ライゼルを苦しめてしまった僕にはライゼルの兄を名乗る資格はもうないのだ。


 ライゼルは燃えていく僕から目を逸らし、傍にいるソノラ嬢を強く抱きしめていた。「無事でよかった」と彼女の耳に囁いている。やっぱりライゼルらしくない柔らかい笑顔を浮かべて。

 僕は自嘲した。ライゼルは僕がいなくてももう大丈夫だということを実感したから。僕は本当にライゼルの幸せを邪魔しただけだった。


 もう僕の身体は消える。塵になるのだ。

 我ながら愚かで滑稽な人生だった。僕は家族を不幸にしただけだった。

 

「兄上」

「ッ!」


 ハッとして顔を上げると、ライゼルが再びこちらを見ている。赤子の時と変わらない、宝石のような緋色の瞳だ。

 僕は何もいえなかった。何もいう資格がないと思った。このまま僕はライゼルと別れるしかない。


 でも。


 歌が聞こえた。優しい歌だ。

 聞き覚えのある歌。あぁ、そうだ。これは……母上の、子守歌だ。


 歌っているのはライゼルの隣にいたソノラ嬢だった。

 ソノラ嬢はワンコーラス歌い終えると、まっすぐ僕を見る。彼女は随分と惨めな姿になっているであろう僕を笑おうともしなかった。


「私はフィアメール様からこの歌を託されました。フィアメール様はライゼル様とブレイズ殿下を愛した証としてこの歌を残したいとおっしゃっておりました」

「はは、うえが……?」


 脳裏で赤子のライゼルと幼い僕を抱きしめて幸せそうに歌う母上の笑顔を思い出した。

 僕はその時、ようやく涙がこぼれた。涙を流す資格がないのは分かっている。だけど、止まらない。


 ライゼルが何かを言いたそうに僕を見つめている。僕はゆっくりとライゼルに手を伸ばした。

 ライゼルの頬を軽くつねった。赤子のライゼルが僕にしてくれたように。


「ライゼル。愚かな兄で、ごめんな……」


 本当に、ごめんな。僕はそれだけもう一度呟いた。

 君の幸せを願っているだとか、君を大切に想っていただとかそれ以上のことを言う資格は僕にはないから。

 むしろソノラ嬢のおかげで僕はライゼルに謝ることができた。それだけでもう十分。


 ライゼルの緋色がキラリと輝く。こんな愚かな兄のために泣いてくれる優しい弟の姿を最期に、僕はゆっくり目を瞑った。




***




「兄上……」


 ブレイズを包んだ青炎が宙に溶けていく。ブレイズの遺体は灰になり、残っていない。

 ライゼルは床に散った灰を手で少しすくって茫然としていた。今、ライゼルは最後の家族を失ったのである。

 ソノラはライゼルの背中が小さく見えた。たまらず後ろから抱きしめる。


「ライゼル様」


 私がいる。あなたは独りじゃない。そう言う代わりにソノラはライゼルを抱きしめる力を強くした。

 ライゼルはそんなソノラに振り向き、正面からソノラの身体を両腕で包む。強く強くソノラの華奢な身体を自分の胸の中へ。

 そうでもしないと、ライゼルはどうにかなってしまいそうだった。腕の中にいる安らぎに縋らなければ、もう……。

 

「少しだけ、こうしていていいだろうか」


 ライゼルの声は震えていた。ソノラは「もちろん、いつまでも」とだけ返した。

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