42:青い炎
闇がライゼルを包んだその時、黄金の鋭い光が玉座の間を裂いた。
それは雷だった。
「陛下! ご無事ですか!」
玉座の間に飛び込んできたのはボルテッサとエアリスだ。
ボルテッサの雷魔法の刃がそのままブレイズの手を焼き、彼の飄々とした表情を初めて崩した。
まるで顔にたかる小虫を見るかのように、ブレイズは二人を憎々しげに睨んだ。
「次から次へと。いい加減にしてほしいなぁ。流石に腹が立ってきたよ……。ライゼルといい王妃候補共といい、僕の邪魔をするな……ッッ!!」
我慢できないとばかりにブレイズは言葉を吐き出した。怒りに任せ、獣のように叫ぶ。
その叫びと共に複数の黒炎竜の首がブレイズの背中から伸び、ボルテッサ達を襲う。
「きゃあッ!」
ボルテッサの悲鳴が聞こえる。小さな黒炎竜が彼女の身体にまとわりつく。
ボルテッサの苦痛の叫びを聞き、エアリスは「お姉様ッ!」と叫んでボルテッサの身体を払った。
しかし手で払っただけでは黒炎が消えるはずもない。もう彼女には炎を切り裂く風魔法の魔力は宿ってはいないのだ。
その時エアリスは改めて自分の犯した過ちを理解した。もう自分が大切な人を守る力がないことを思い知った。悔しくて、涙が出てくる。
そんな惨めなエアリスの姿を見て、苛立っていたはずのブレイズはたちまち腹を抱えて笑い出した。
彼の感情の不安定さは彼に憑いている悪魔によるものだろうか。
「父を生贄にして強大な力を得た僕に勝てる人間がいるはずないじゃないか。そうだ、僕こそ王になるべきなんだ! ライゼルではなく、僕が、王にならないといけないんだ……! 僕は、王になる、なってみせる!」
そう自分に言い聞かせるように何度も同じことを繰り返すブレイズの目は血走り、もはや正気ではない。玉座の間にさらに彼の身体から闇の魔力が溢れていく。
それに伴って玉座の間に生えている魔石がパキパキと音を立ててさらに肥大化していく。
ソノラも、ライゼルも、ガイアも、セラも、ボルテッサも黒炎に浸食され、動けなかった。
ライゼルは歯噛みする。自分の無力さを心底悔やんだ。やはり未熟な自分では黒炎竜には勝てないのか。
その時だった。
歌だ。歌が聞こえた。
それは──邪竜物語の、ソノラが作った歌だ。勇者が愛する姫を守るために覚悟を決める場面をイメージした歌。
ブレイズは笑みを止める。眉を顰め、怪訝な表情を浮かべた。
「ハッ、こんな状況で、歌!? 僕の闇で頭がどうにかなってしまったのか?」
ブレイズの言うことは尤もだ。こんな状況で歌を歌う女が正気なわけがない。
だがライゼルだけは気づく。それはソノラからの、ライゼルへのメッセージだということに。
──『実はその曲も私が作ったんですよ! 勇者ノームのテーマ曲です。とはいっても、ライゼル様をイメージした曲なんですが』
──『……余を?』
──『はい。私の中では姫のために戦う勇者ノームと民のために戦うライゼル様の姿が重なりました。それに邪竜に勝てるほど強い御方なんてライゼル様しか思いつきませんでしたしね!』
第二の試練の時に彼女とした会話を思い出す。
ライゼルなら邪竜に、黒炎竜に勝てる。絶対に勝てる。あなたを信じてる。
不思議とそうソノラに言われた気がした。闇に浸食され、指一つ動かせないソノラが必死にライゼルを鼓舞しようと考えだした答えこそがこの歌だったのだ。
そんなソノラの信頼をライゼルは裏切りたくないと強く思った。
ブレイズが不愉快そうに虫を払うような手振りをする。
ソノラを浸食していた闇が大きく振りかぶり、ソノラの身体を軽々と投げ飛ばしたのだ。
ライゼルは目を見開いた。華奢なソノラの身体が空を舞う姿へ手を伸ばす。当たり前だが、届かない。
「きゃあ──ッ!!」
「ソノラッ!!」
そのままソノラの身体が床に激突する──ことはなかった。
何故なら誰かに受け止めてもらったから。
「……ッッ!! 危ない、わね……!」
「ま、マリーナ、さ……ま……」
間一髪のところでソノラは滑り込んできたマリーナの身体を下敷きにして無事だった。
だがソノラと同じく華奢なマリーナの身体がその衝撃に耐えられるはずがない。元々弱り切っていたマリーナは血反吐を吐いた。
ソノラがすぐにマリーナの名を叫ぶ。しかしマリーナは何も言わずにライゼルを震える指で差した。
今、ソノラが気にする相手は自分ではない。彼女はそう示したのだ。
ソノラとライゼルの視線が重なる。
ソノラの透き通った海のような青い瞳が、ライゼルを映したその時。
ライゼルは拳を握りしめた。
自分が一番守りたいものを再確認したからだ。
黒炎に焼かれながらも、ライゼルは前を見た。立ち上がった。ブレイズに立ちはだかった。
ブレイズはライゼルの強い緋色の瞳を見て、ひくりと唇をひきつらせた。
「なんだ、その目は。そ、そんな目を……お前は……」
「兄上。もう余は黒竜などに負けるわけにはいかないんだ。余はこの国の王になった。家族以外に、命を懸けても守りたいと思える人もできた。だから余は──あなたを討つ」
「────ッ!」
ブレイズはピリッと己の魔力の揺れを感じた。揺るぎないライゼルの緋色がブレイズを離さない。
黒炎に焼かれながらも、ライゼルはもうブレイズから目を離さなかった。そしてゆっくりと黒炎に焼かれている腕をブレイズに掲げる。
ライゼルが今まで黒竜を恐れていたのは、黒竜こそが自分の未熟さの象徴だったからだ。
だが未熟な自分のままでいれば、目の前の兄の目を覚ますことはできない。
先代が守ってきたこの国を守ることはできない。そしていつしか自分の中でかけがえのない存在になっていたソノラも守れないのだ。
この腕でまだやらなければいけないことが山ほどある。
ライゼルは己の背負っているものを一つ一つ確認して──ようやく覚悟を決めた。
最初から、自分のような未熟者が黒竜に勝てるわけがないと心のどこかで思い込んでいた。
だが、今はどうだ。どんなに重いものを背負っていたって今のライゼルには安らぎがある。
どんなに苦しくても、辛くても、ソノラの傍でならライゼルは息ができる。生きていける。また頑張ろうと前を向ける。
「兄上、見ていてくれ。今、余は未熟者の自分を殺してみせる」
「────、」
そう言うなり、ライゼルの腕から青い炎の灯が微かに湧いた。
「あれは、青炎……!?」
それを見ていたガイアは目を見開く。
青炎。それは最上級の炎魔法を意味する炎。
赤、朱、白と続き……最後に青い炎が最も熱いとされているのだ。
青い灯は火花を散らせ、徐々にライゼルの腕を覆っていく。
黒炎が青炎に喰われていく。青炎はそのまま黒炎を完全に飲み込み、ライゼルの全身を蛇のように這いながら威力を強めていった。
徐々に強くなる青炎はいずれ青竜へと姿を変える。
その場にいた全員が、息を呑んだ。
あまりにも美しい青炎の竜に目を奪われてしまったからだ。
ライゼルは青竜と目が合い、その額を撫でた。
そしてもう一度、ブレイズを見る。青竜もライゼルの動きと同時にブレイズをとらえた。
その瞬間、ブレイズの中の悪魔が、ブレイズの身体の主導権を握る。
「に、ゲロ……!」
乾いた口でかろうじてそう絞り出し、情けなくライゼルから背を向けるブレイズ。
青竜は容赦なくそんなブレイズの身体を──飲み込んだ。




