41:悪魔の男
「これはこれは皆お揃いで」
赤の生地に金の刺繍で国章の炎竜が刻まれたタペストリーと純白の壁で形成されている玉座の間。
出入口から玉座へ一直線に敷かれた赤い絨毯を踏みしめながら、ソノラ一行は言葉を失った。
天井に金箔の装飾が施されている豪華なその一室に明らかな異変が起きていたからだ。
魔石だ。怪しい光を宿す紫色の魔石が不自然に壁や床、天井のありとあらゆる箇所から生えているのだ。
ライゼルはその魔石には見覚えがあった。王妃選定の第一試練で魔物の大量発生の原因こそがあの魔石だ。
成人一人分がすっぽり収まってしまうほどの巨大な魔石が森の魔物に影響を及ぼしたことでシュタミカ村は被害にあっていた。
しかし今、この玉座の間の一室だけで同じ大きさの魔石がいくつも見られた。
強い魔力の気配が玉座の間に足を踏み入れたソノラ一行を襲う。
無意識に鳥肌が立つ。ぞわぞわと何か得たいのしれない冷気が背中をはいずりあがってくるような不気味な感覚だ。
玉座に座っているブレイズは口角を上げて、足を組んでいた。余裕綽々といった様子である。
「この部屋、凄いだろう。僕の血を垂らすと、結晶化してこんな風になるって色々実験して気づいたんだ」
「実験? それは、」
「そう。魔物を上手く駒として使えないか森に僕の結晶を残したり、ね? そうそう、マリーナ嬢にも僕の血を飲んでもらって手伝ってもらったんだっけ」
ブレイズの言葉を聞いて、ソノラはシュタミカ村の怯える村人達の姿を、そしてマリーナの苦しそうに血を吐く姿を思い出した。グッと拳を握りしめる。
ライゼルも同様にきつく眉を顰めていた。
「実験だと? ふざけるなっ! シュタミカ村、マリーナ嬢……あなたの実験で多くの民達が傷つき、恐怖しているんだぞ!? 昔の兄上はそんな民を平気で傷つけるような人間ではなかったはずだ!」
「民? そんなもの、僕の欲を満たす駒でしかない。そんなちっぽけな存在一つ一つに目を向けると自分が壊れてしまうよ。今のお前のようにね、ライゼル?」
「兄上……」とポツリ、とライゼルが呟く。その弱弱しい声は一番傍にいたソノラにしか聞こえなかっただろう。そのくらい小さな声だ。
ソノラは玉座を見上げる。あそこにいるのはブレイズ・ドミニウス・モルドラック──ではない。
ブレイズの深紅だったはずの髪と目はまるで焦げてしまったかのように漆黒に染まりつつあった。
信じられないほどの彼の白い肌が、彼がもう人間ではないことを教えてくれる。
あれは悪魔だ。ブレイズはやはり死んでいるのだ。
(でも、どうしてブレイズ殿下が悪魔に?)
魔法学園時代、ソノラは悪魔学を学んでいた。ソノラの好きだった教師が悪魔学を教えていたからだ。
悪魔は身体を持たない。故に他の生物に寄生してようやくこの世界で自由に動くことができる。
また悪魔はプライドが高い。ある程度格式が高い人間を好む。格式の高い人間というのはつまりは貴族や王族のことだ。
それらを釣るために悪魔は魔力がこもった本──魔術書に潜むことが多いとされる。魔法の才能があり、知識を求める余裕がある人間だけが魔術書を求めるから。
そして悪魔は人間の願いをかなえることで、代価として持ち主の身体に寄生できるというが……。
(ブレイズ殿下は、悪魔に何を望んだのだろう)
ソノラがそんなことを考えていると、ブレイズが玉座から立ち上がり、一歩一歩ライゼルの方に近づいてくる。
ライゼルがブレイズを睨み、剣を構える。その鋭い切っ先が自分に向けられているのを見て、ブレイズはうすら笑いを浮かべて肩を竦めた。
「やだなぁ。実の兄に剣を向けるだなんて……」
「貴様は兄ではない。父と母が愛したこの国を傾けんとする悪魔だ」
「その父と母を殺したのはお前だろう?」
ピクリとライゼルの身体が揺れたのが分かった。だが、それだけだ。彼は剣を下ろしたりはしない。自分の敵を見失ったりは、もうしない。
そんなライゼルを見て、ブレイズは不愉快そうに眉を顰めた。
「少し前のお前なら、今の一言で戦意喪失していただろうね。誰がお前を変えさせた? ……君の影響かな?」
ブレイズの瞳がソノラに向けられる。
その瞬間、まるで極寒の地に独りおいて行かれたような冷たさと、孤独と、絶望を感じた。
だが目を逸らすことはしなかった。ソノラではブレイズに敵うことはできないが、心まで負けるわけにはいかないと思った。
ブレイズは己をまっすぐ見上げるソノラにふっと口角を上げる。
「いいね。僕の魔力にあてられてそんな態度をとれるご令嬢なんてなかなかいないと思うよ。エアリス嬢といい、今年の王妃候補は面白いなぁ。つくづく驚かされてばっかりだ」
「──きゃっ!?」
その時、ソノラは自分の身体が落ちていくのを感じた。今の今まで己の足は地面をしっかり踏んでいたはずなのに、何故か落下しているのだ。
説明できない事態に言葉を失っていると、誰かに身体を受け止められた。横抱きされている。いつの間にか、ソノラはブレイズの腕の中にいた。
思わず、再び悲鳴を上げてしまう。
「闇魔法って便利だよね。こういうこともできるんだから」
「ソノラ!」
そこでソノラは自分の身体に異変を感じた。
不気味な闇。スライムのようにねっちょりした、なんともいえない気味悪さを含んだ闇がソノラの身体にまとわりついてきていた。
そのままブレイズは闇にソノラの身体を預ける。ソノラの身体を受け取った闇はそのまま宙に浮き、ソノラの身体を徐々に浸食していく。
浸食された箇所からどんどん熱が奪われていく気味の悪い感覚にソノラは思わず「嫌……ッ!」と声を上げる。
「ライゼル、お前はこういう時間制限ありのプレッシャーに案外弱いだろう?」
「ッ! き、貴様ぁ……!!」
「ご自慢の炎を出しなよ、君の大切なお姫様を、そしてこの国をかけて戦おう。穢れたお前の炎が僕に敵うとは思えないけど」
ライゼルの右手から黒炎が噴き出した。そして彼は後ろにいたセラ、ガイアに叫ぶ。
「セラ嬢! ガイア! ソノラを頼む!」
「承知いたしました!」
瞬時にガイアとセラが動き出す。しかしブレイズも二人を見逃さない。
彼も右手から闇を噴き出す。闇は竜となり、ガイアとセラに牙をむく。
ガイアが人形のようなものを投げ、その人形に魔力を含ませ成長させ──土人形を召喚する。
ゴーレムは盾として闇の攻撃を防いだ。だが今の一撃でゴーレムはあっさり崩れてしまう。
ガイアは闇竜を切り裂くが、闇は何度も再生する。剣先から刃、柄を伝ってガイアの腕を浸食していった。
セラがすぐにガイアに触れ、己の聖魔法で浄化するが、浸食が早すぎて到底間に合わない。
ライゼルも二人に加担したいが、目の前のブレイズをどうにかしなければならない。
余裕のなさそうな弟の様子を楽しんでいるか、ブレイズは喉の奥でくつくつ笑いながら次はライゼルに右手を掲げる。
同時にライゼルの黒炎もブレイズに襲い掛かる。黒炎と、闇がぶつかりあう──しかし、あっさりと。
「ぐっ……!」
ライゼルの炎が押し負けてしまう。
それどころか、自分の黒炎が己の右手に乗り移り、尋常ではない熱がライゼルを襲うではないか。
悲鳴を上げそうになるが、堪える。
民の前でもう二度とみじめな姿は見せまいと決めたからだ。
膝をつき、激痛に耐えるライゼルを労わるようにブレイズは彼の肩に手を置いた。
そっと耳に囁くように口を近づける。
「この闇はすべてを穢す。例えそれが魔法であっても……すべてを悪魔の色に染める。なぁ、ライゼル。お前の美しかった白い炎も僕が穢したっていったら、どうする?」
ライゼルは一瞬、なんと言われたか分からなかった。
「もう一つ追加で教えてあげるよ。僕がどうしてこんなに膨大な魔力を悪魔からもらえたんだと思う?」
「なに、を……」
「生贄だよ。悪魔は父上のような純粋で高潔な魂が大好物だからね」
息ができない。考えたくもない想像をしてしまい、ライゼルは吐き気を催した。
今、何と言った、この男。脳裏に黒炎に全身を焼かれる父の苦悶の表情が蘇った。
父と兄を殺したのはずっと自分だと思っていた。ライゼルはずっと自分を責めて、責めて責めて過ごしてきた。
だが、今……目の前のこの男は何と言ったのだ?
「そう、僕がお前を呪ってお前の魔法を穢したのは僕自身だ。僕がそれを望んだ。悪魔ってのは呪いにも精通しているからね。そして父上も殺したのも僕だ。僕が強くなるには生贄が必要だったからね。僕は父上のような人望も、王の素質もなかった。お前のように白く美しい炎ももたなかった。完璧になりたかったんだ」
ライゼルは言葉を失った。少しして、絞り出したような唸り声を出す。
「き、さまぁ……ッ!! そんな、勝手な理由で……ッ!! 父上も母上も、貴様をどれだけ愛していたことか……!」
「勝手な理由? 酷いなぁ。まぁいいや、別に理解してもらおうとは思っていない。僕のことは僕だけが理解していればそれでいい。家族なんていうのは僕には不要だった、ただそれだけのことさ」
ぐっとライゼルの肩に置いたブレイズの手から、闇があふれ出す。
それらは一気にライゼルの熱を奪っていく。魂が抜けるという表現が一番近いだろうか。胸の奥にある命の核が、どんどん冷めていく。
力が抜ける。動けない。
「さようなら、ライゼル。僕の、弟」
その瞬間、闇がライゼルを丸ごと飲み込んだ──。
この度、当作品が「やわらかスピリッツ女子部×小学館文庫キャラブン!第1回コミカライズ原作小説コンテスト」にて西洋風異世界大賞を受賞いたしました。よってASMR令嬢の書籍化&コミカライズ決定です!
今まで読んでくださった方々のおかげです! 本当にありがとうございました!




